ダイエー株価、3000円時代も 上場40年余…最後の取引
産経新聞 12月25日(木)15時3分配信
ダイエーが来月1日付でイオンの完全子会社となるのに伴い、東京証券取引所第1部で26日に上場廃止となるダイエー株の最後の取引が25日行われた。昭和46年に旧大阪証券取引所に、翌47年に東証にそれぞれ上場して40年あまり。現在と単純に比較できないものの、バブル経済の最盛期は株価が1株3千円台に乗ったこともあった。だが、行き過ぎた拡大主義による経営悪化や株式分割などにより、足元では130円前後で推移。紆余(うよ)曲折を経て株式市場から姿を消す。
ダイエー株価の25日午前終値は前日終値比2円高の138円で、小幅な値動きとなった。
昭和32年創業のダイエーは「価格破壊」を掲げて店舗網を拡大。55年には小売業で初となる売上高1兆円を突破し、バブル最盛期の平成元年ごろには株価は3千円を超えることもあった。
だが、過剰投資などで経営が悪化し、産業再生機構入りを経て丸紅とイオンが再建に乗り出し、25年にはイオンがダイエーの筆頭株主となった。このころの株価は300円前後で、さらに今年8月27日に1株を2株に分割(効力発生日は9月1日)したことで130円台にまで下落していた。
9月24日にイオンの完全子会社化を発表後、10月17日にはイオン株997円、ダイエー株114円とともに年初来安値に。ダイエーを含むイオンの国内戦略が不安視されたとみられる。
バークレイズ証券の姫野良太アナリストは「衣料品専門店などの台頭で存在感が低下し、食料品まで集客力を失った。イオンの傘下に入ったときは変化を期待されたが、業績は上向かずダイエー株は投資対象として外れていった」とみる。
イオンはダイエーの完全子会社化で事業効率化を進める構えだ。ダイエーをのみ込んだイオンの株が今後積極的に買われるには、グループが躍進し市場の不安を払拭する必要がある。
今住んでいるところは当初、近隣に買い物するところがなかったために、ダイエーまで行かねばならなかった、という話を聞いたことがある。つまりは、公共交通機関を利用しなければならなかった。
思えば、そこのダイエーは、毎週日曜日になると連れられて行った記憶があるな。不二家で朝食食べて、ダイエーで買い物して、というパターンだった。
しかし、その後、近隣に食品スーパーができた。また、ジャスコ(グリーンシティ)ができると、ダイエーに代わって、毎週日曜にはジャスコへ行くようになった。
てなわけで、中学生あたりになると、ダイエーそのものの依存度も高くなくなった。
しかしながら、ダイエーはやはり、思い出のスーパーだったことには相違ない。
近々、ダイエーの名称そのものも消滅することになる。
産経新聞 12月25日(木)15時3分配信
ダイエーが来月1日付でイオンの完全子会社となるのに伴い、東京証券取引所第1部で26日に上場廃止となるダイエー株の最後の取引が25日行われた。昭和46年に旧大阪証券取引所に、翌47年に東証にそれぞれ上場して40年あまり。現在と単純に比較できないものの、バブル経済の最盛期は株価が1株3千円台に乗ったこともあった。だが、行き過ぎた拡大主義による経営悪化や株式分割などにより、足元では130円前後で推移。紆余(うよ)曲折を経て株式市場から姿を消す。
ダイエー株価の25日午前終値は前日終値比2円高の138円で、小幅な値動きとなった。
昭和32年創業のダイエーは「価格破壊」を掲げて店舗網を拡大。55年には小売業で初となる売上高1兆円を突破し、バブル最盛期の平成元年ごろには株価は3千円を超えることもあった。
だが、過剰投資などで経営が悪化し、産業再生機構入りを経て丸紅とイオンが再建に乗り出し、25年にはイオンがダイエーの筆頭株主となった。このころの株価は300円前後で、さらに今年8月27日に1株を2株に分割(効力発生日は9月1日)したことで130円台にまで下落していた。
9月24日にイオンの完全子会社化を発表後、10月17日にはイオン株997円、ダイエー株114円とともに年初来安値に。ダイエーを含むイオンの国内戦略が不安視されたとみられる。
バークレイズ証券の姫野良太アナリストは「衣料品専門店などの台頭で存在感が低下し、食料品まで集客力を失った。イオンの傘下に入ったときは変化を期待されたが、業績は上向かずダイエー株は投資対象として外れていった」とみる。
イオンはダイエーの完全子会社化で事業効率化を進める構えだ。ダイエーをのみ込んだイオンの株が今後積極的に買われるには、グループが躍進し市場の不安を払拭する必要がある。
今住んでいるところは当初、近隣に買い物するところがなかったために、ダイエーまで行かねばならなかった、という話を聞いたことがある。つまりは、公共交通機関を利用しなければならなかった。
思えば、そこのダイエーは、毎週日曜日になると連れられて行った記憶があるな。不二家で朝食食べて、ダイエーで買い物して、というパターンだった。
しかし、その後、近隣に食品スーパーができた。また、ジャスコ(グリーンシティ)ができると、ダイエーに代わって、毎週日曜にはジャスコへ行くようになった。
てなわけで、中学生あたりになると、ダイエーそのものの依存度も高くなくなった。
しかしながら、ダイエーはやはり、思い出のスーパーだったことには相違ない。
近々、ダイエーの名称そのものも消滅することになる。