「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「もう一つの京都女子駅伝」

2011年01月16日 | つれづれ噺

        

起きがけに空を見る。ウーン残念、晴れていない。
鉛色の空から風に乗って小雪が舞う。予報通り、この冬一番の寒気襲来。
地面こそ、ほんのウッスラ申し訳程度の雪化粧だが、冷え込みは半端ではない。

今日は、皇后陛下杯全国女子駅伝が都大路を駆け抜ける。
テレビ観戦のこの身には、寒さはあまり関係ないようなものだ。が、今日は暖かくあって欲しいわけがある。
京都在住のブログ仲間のお一人が沿道で応援しながら、スカーフを小旗に巻いて実況のテレビカメラに向かって振る・・・という記事をアップされていた。

いつも機知に富んだ奥行きのある素敵なブログに感心しきり。お顔が見られるのなら・・・と、テレビ画面を見る目に力が入った。

おおよその場所はわかっていた。しかし、沿道の応援者を探すためにテレビを見るというのは初めての経験。かたやテレビカメラは出来るだけ多角的に多くの映像を流すことに腐心している。
今、トップランナーを側面から沿道も一緒に映したと思えば、もう次は2位・3位を追っかける。第一中継車の大写しは、縦長のランナーを捉え、沿道の観衆は滅多に映さない。

あれよあれよという間に予定の場所を通過。次は中継所のタスキ渡しの場面となる。
往路も復路もテレビ画面をにらみつけたが、残念!小旗に結んだスカーフは見られなかった。

浜の真砂からダイヤモンドを見つけるほどの難しさではないかもしれないが、沿道の応援者の数、カメラのアングル等々から言えば至難の業には違いない。
兎に角結果は何もなかったが、こんな見方で、全国女子駅伝を応援したという事実をちょっと書き残しておこう。
ちなみに、優勝は京都。次いで岡山・福岡。山口27位、秋田38位・・・。
また来年を楽しみとしよう。

       ( 写真 : 窓の外、小雪が舞う寒い朝)

 

 

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「思いもかけぬ新年会」

2011年01月15日 | つれづれ噺

 
        温泉玄関前の雪景色       ロビーの裏側、直径10センチ近いつららが牙を剥く

持つべきものはお友だち。 “ こいつぁ春から縁起がいいわい・・・!!”

地位も名誉も財産も持っていない。言ってみれば、ないない尽くしのこの身。
持っているものを・・・と探してみるが、大したものは見当たらない。
もう一度よく見回す。オーッあったあった!!
身分不相応かも知れないが、素敵なお友だちが沢山周りにいてくれることに気が付いた。
我が身の足りない部分を補ってあまりあるお友だちの数々。いつも助けられている。

久しぶりのお城山ウオーキングで、息も上がりかけたころ、電話が鳴った。
雪見の温泉へのお誘い。これは有り難い。一も二もなく飛びついた。

岩国の街中からおよそ60キロメートルの中国山地にある、お友だちご自慢の「西の軽井沢」である。
話しや写真では何度か窺っていた。自分も一度は・・・と思いながら雪深い山道。持ち合わせのないタイヤチェーン購入から算段、しかも雪道での装脱着。
ついつい二の足を踏んで実現の可能性は遠かった。

そんなところへ思わぬお誘い。タオルからコーヒーポット持参まで、オンブに抱っこ。なんかしら弟が兄貴に甘えている気分。
ドンドン坂道を上がる。あと10キロメートルの地点で安全のためタイヤチェーン装着。
これもここ数十年経験のないこと。そばで立ってみているだけ。

無事目的地到着。途中の雪景色もさることながら、雪の上を渡る身を切る風を心地よく受けて、ちょっと熱めの露天風呂。頬も気持ちもゆるみっぱなし。
散々温まって、さてレストランへ・・・というところでまた電話が鳴る。

どうしても今夜イッパイやろや、付き合えよ・・・と別のお友だちから。
後は言うに及ばず。 
昼間も夜もまったく予期せぬ嬉しい楽しい新年会。ことしの元気をもらった思い。
どこかで、なにかで、埋め合わせを・・・。

 

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「名字の変わった賀状に」

2011年01月14日 | 趣味・・エッセイ

書こうか書くまいか。テーマとして取り上げることに、これほど迷ったことはない。
いつかどこかで、父親として・舅としての気持ちを正式に二人に伝えたい。

しかし、私的な思いを公開するのは如何なものか・・・。かれこれ1年近く胸の中で揺れた。

この正月届いた一枚の賀状。敢えてこの気持ちを形として残す勇気をもらった思いがする。

 

 

『今年も多くの年賀状を頂いた。その中に確かに見覚えのある筆跡、下の名前も頭にこびりついている女性からの1枚があった。

「昨年は色々ご迷惑、ご心配をおかけしました。新しい職場で働いており体調も良好・・・」と、近況が記されている。

 

 昨年までは、倅との連名で届いた年賀状。名字は我が家のものだった。
今年は名字が変わっている。隣に倅の名前もない。
 

 6年間の結婚生活。共働きの利を活かして二人名義でマンションも買った。子どもこそ出来なかったが、順調でリッチな生活ぶりに親としては安心していた。
 

 それまで不穏な兆候もなく夫婦の間にすきま風が吹いていようとは思いもしなかった。

我々には遠く及ばない、二人にしか分からぬ理由があったのだろう。
昨年初め、お互い大人の感覚で円満な離婚に調印した。

 

 確かな家庭で育てられ、看護師として嘱望された彼女。その聡明さ、利発さは舅の私からみても好ましいものだっただけに、残念に思う。

 彼女の助けを求める声や、倅の気持ちの揺れをもっと早く感じ取ってやれなかったか。
親としての不甲斐なさに悶々とした一年を過ごした。
 

 彼女から新しい住所を記した年賀状をもらって、やっと少し胸のつかえが取れた。

 次は、彼女からも、倅からも、新たな幸せが訪れたとの報告を受けたい。
 人生いつだってやり直しは出来るのだから。』

 

             2011.1.14 毎日新聞 「男の気持ち」 掲載

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「治療費削減」

2011年01月13日 | つれづれ噺

        

  冷える。実によく冷える。
去年の夏の異常な暑さが、身体の一部に残っているわけでもあるまいが、この冬の寒さはこたえる。寒さ対策をあれこれ工夫してみる。

先ずはガラス越しの陽射しを最大限に浴びられるように、パソコンデスクの位置を選ぶ。
これほど暖かく、経費のかからない寒さ対策はない。有り難い。但し時間限定・晴れ間だけという難点はある。
次いで、石油ストーブ・エアコン・・・と身近に暖房装置はある。

それらはいずれも暖房コストいう点ではバカにならないものばかり。
年金暮らしの身で、それほど無駄な経費やエネルギー消費は気が引ける。

更に言うなら、どんなに寒かろうと道路が凍結していようと、決まった時間に出勤しなければならなかった時代と比べて、今は早起きも、寒さに向かって出勤することもない気楽な身分。こんな有り難い状況で、風邪を引いたなどと大枚の治療費を支払うことに大きな抵抗と、後ろめたさをおぼえる。目下の至上命題『治療費削減』

そんな時、母の荷物の中から出てきた湯たんぽ。まだ温かみさえ残っているような母手縫いの袋に入ったまま。
これを活用せずにエコ暖房は語れない。早速使い始めて二冬目を迎えた。

パソコンデスクの足元をポッカポカ。まさに頭寒足熱。
終わったら蒲団に潜り込ませてぬくぬく安眠。朝になってもまだ柔らかな温かさが残る。

      先づよしと  足でおし出す  たんぽかな         小林 一茶

             注 :  たんぽは「湯たんぽ」で冬の季語。「湯婆」と書く

      

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「民俗芸能継承」

2011年01月11日 | つれづれ噺

       

我が住む町のすぐお隣、つまり孫達一家が住んでいる町には「民族芸能保存会」というれっきとした組織がある。
400年以上の歴史を持つ、豊臣秀吉ゆかりの「相撲大会」をはじめ、優美な江戸情緒「奴道中」そして約200年前から継承されている、新春恒例「幸運を呼ぶ福獅子舞」。
これを年間3大行事として催されている。
秋には名水百選の井戸のそばで観月茶会もある。

そのうち、昨日行われた「幸運を呼ぶ福獅子舞い」は、小学6年生から高校2年までの若衆11人と大人11人による神楽部会が獅子4頭に扮して、午前9時から1日がかりで地区内を巡回し、要所要所で華やかな舞いを披露した。
舞いが終わると、獅子は集まった人たちの頭を噛む儀式で、無病息災・勉学向上などを祈願した。
             

地区内にある2カ所の大型高齢者介護施設では、特設広間でおよそ70人の入所者の目の前で舞い、やんやの拍手を浴びた。お年寄りには、この上ない新年の贈り物になったようだ。

古い古い伝統を受け継ぐ昔から存在する町に、新たに入り込んだ新興団地ではあるが、新旧融合して祭りを盛り上げようとする不思議な力が働いている気がしてならない。
それは、その町の持つ伝統を絶やさない気風が、新興団地の人たちにも徐々に浸透しているのかな、と思う。

それはとりもなおさず、リーダーの存在が大きな要素なのだと感じる。
地元建設会社の会長83才の底力が、うまく若い者を引き込みながら世代を超えたチーム作りをされているのが見える。
もちろん一人の力では何も出来ない。だからこそチームを作ることに精を出しておられるのだろう。

こういう歳の取り方も悪くないな~。自分には出来そうにもないが。

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「ゆく河の流れは」

2011年01月10日 | ニュース・世相

           

「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」
ことを趣旨としている成人の日。全国各地で色んな祝賀会が催された。

どこまで続くか先行きの見えない、超就職氷河期。こんな時代に成人を迎える人たちには気の毒な思いがする。
生まれるときが悪かった・・・と言われても、生まれてくる子に時代を選べるわけもない。ただただ気の毒なことである。

ごく一部を除いて、ひと頃のバカ騒ぎをして憚らない無茶苦茶な成人式は影を潜めた。
そんな善良なる青年・淑女に、自覚を持って生きる一つの方法を暗示している。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例しなし。世の中にある人と栖(すみか)と、また、かくのごとし・・・」これは「方丈記」の冒頭。
また、かの有名な「平家物語」の冒頭の一章くらいは暗記するべきではなかろうか・・・とおっしゃるのは田辺聖子さん。

リズム感のある名文なので、すぐ覚えられるし、みずみずしい若い頭に刻みつけられた記憶は、一生消えることはない。
今は深い意味はわからなくとも、歳を重ねていく中でその歳なりに、新しい意味を深く汲み取るようになる・・・と。

そのように、何か心の拠り所を見つけて、今は最悪と言われる時代背景を、なんとか持ち堪え、希望をもって、大人への道を歩んで欲しいな・・・などと思ってしまう。の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。


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「ちょっと覗き見」

2011年01月09日 | つれづれ噺

             

住んでいる地区の小学生を対象に「我が家のルール 三行詩」を募集したところ、197編の応募があったという。
子ども達の、家庭や親に対する考え方の一端を見させてもらった感がある。
また、自分と家族のかかわり、自分と周囲とのかかわりなど、いわゆる社会を意識して振る舞っている様子が窺える。
率直な子ども達の気持ちを、そーっと覗き見した思いがする。

現代っ子で、何となく実生活とは一線を画した考え方の持ち主、というイメージがある。
が、実際はもっともっと堅実で、私が考えているよりしっかり足を地に着けて行動している様子を目のあたりにした。

「あいさつは 笑顔で元気に 自分から」 というように、28%と最も多い。家族間の朝夕の挨拶、そして外での友達はもちろん、周囲の人に笑顔で声をかけることを心がけているようだ。

「おいしいね 家族そろって 夕ごはん」 次に多いのが22%で、家族のだんらん、特に夕ご飯はみんながそろって、テレビなど消して、ワイワイお話ししながら食卓を囲む。これは、子ども達の大いなる願望が含まれているようだ。つまり、実際にはそうでないから、そうあって欲しいという気持ちの表れか。

「母さんの 笑顔見たくて お手伝い」 ちょっと下がって10%。実際はどうかよくわからないが、お手伝いをしたい、しなければならないと思っている子が多いということだろう。

その他、「ありがとう」や「ごめんね」を言おう。「がんばろう」「たすけあおう」・・・と続く。
実生活の中で実践されている事柄ばかりでなく、「そうありたい」という希望的観測がかなり含まれているのであろうが、純粋で素朴な子ども達の素顔が見える。

このまま成長してくれたら、日本の将来も大いに楽しみである。
がんばれ!未来を担う小学生!!

 

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「七草の朝」

2011年01月07日 | 趣味・・エッセイ

        

        せり・なずな  以下省略の  粥を吹く      池田 政子

七草の中でも、せり・なずなしか知らないということ? またはせり・なずなだけでななくさを済ませたということか・・・。選者の坪内稔典さんを悩ませている。

暮れからお正月にかけてのご馳走に、箸休め・胃袋休めをしなさい・・・という先人の教え。
元旦から7日目。さっぱり味が欲しくなる。

暦はと言えば、いよいよ寒の入り。本格的に寒くなる季節。
寒さ故の空気の透き通りは、遠くの景色を芸術的な一幅の絵に仕立ててくれる。
1月7日、ななくさの日、午前7時。東の空にクッキリと稜線を浮かび上がらせる朝焼け。
黒く静かに横たわる甲島。 停泊中の貨物船。
寒空の中に、何か気持ちの軽くなる予感さえする。

小寒を過ぎたらボチボチやらなきゃならないことがある。
タマネギを植えた人ならピーンとくる。 そう、肥やしを施す時期なのだ。
そうしてこれから梅雨に向かって半年間。何度かの草取りをして育てる。

ななくさとは、一見縁のないタマネギ。
ただ、この時期の寒の冷え込みが、より効果的という共通点はある。
そして、七草の箸休め・胃袋休めと同じ役割を担うのが、夏場のタマネギさんであろう。
新タマのスライスに、マヨネーズかドレッシングで食べると、ななくさ以上の胃腸回復効果が・・・。

やっぱり七草とは噛み合わせるには少し無理のある話しになってしまった。
せめて七草粥はよく噛んで、ゆっくり美味しくいただきたいものだ。

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「いかち馬」

2011年01月06日 | 趣味・・エッセイ

           

『何事にも最初は勢いよく飛び出すが、その勢いが長続きせず、どんどん落ち目になっていく・・・』
そんな様子を一言で言い表す言葉が「いかち馬」。 山口県その周辺で今も使われている。

その昔、現在の耕耘機が普及する以前は、田や畑を耕すのに牛や馬に鋤(すき)を引っ張らせていた。そのため多くの農家に牛か馬が飼われていた。

秋の取り入れが終わり、農閑期に入ると、農耕用の馬を競走させる「草競馬」が庶民の楽しみとして行われていた。娯楽の少ない時代、花形の競技であったように思う。
錦帯橋上流の河川敷や、学校のグランドがレース場に早変わり。

その草競馬に、「いかち」という集落から出てくる馬が多かった。
しっかり飼われたいかちの馬は、毛艶がよく、光沢さえ放つ美しさを持っていた。
ところどころに、毛が巻いたような模様まで付く。それを「毛花(けばな)が咲いた」と、馬の勢いを評価する通を唸らせたものだ。

それほどかっこいいのに、いざレースとなると、最初の飛び出しはいいが途中で息切れして抜かれてしまう。そんなことの繰り返しから、いつの間にか、良くも悪くも「いかち馬」という言葉が定着したのだということを、子どもの頃、草競馬の騎手を目指していたyattaro-に教えてくれた人がいる。 これと同じような言葉が「竜頭蛇尾」かな。

やっぱりいかち馬だったか・・・と言われないよう、今年も踏ん張らなくては・・・と、自らに言い聞かせるために、ちょっと回りくどくなったが、草競馬のお話しを一席。
お後がよろしいようで・・・。

       ( 写真: 草競馬の一場面  ネット拝借 )

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「とっておきの年賀状」

2011年01月05日 | 季節の移ろい・出来事

         

今年も多くの方から年賀状を頂いた。
色々話題になっているように、手書き・パソコン・写真入り・既成印刷・スタンプなど様々である。たとえここ数年顔を合わせていなくても、消息が知れるというのは何となく有り難い。

年賀状の価値観も多様化した今、どのような形で頂いても受け入れる用意はある。
但し、いくら儀礼だからと言って、同じような立場の人からゴム印スタンプをポンと押して投函する。これはちょっとだけ人格を疑ってみたくなる部分があるから気を付けたい。
それでさえ、表書きはちゃんとこちらの住所氏名を書くわけだから、裏面にもちょっと一言、何かを書き添えると、受け取った側の気分が少し和らぐのかな。

そこへいくと、表書きの住所氏名も、まだ習っていない漢字を、書いては消し、消しては書いた跡が残る、純粋な手書きの年賀状をもらった。
裏面には、年賀の言葉と、干支のウサギが踊っている。まさに鉛筆一本で、一生懸命書いた手書きの逸品である。
大事に保管しておいて、何年か先で見せながら手紙の効用などについて話してみたい。

小学2年の孫からの、思いもかけない嬉しい年賀状。
国語の授業で、年賀はがきの書き方を教え、実際に投函して相手に届ける。
こんな生きた授業がなされていることに、大いなる共感をおぼえる。
文字離れだ・読書離れだと騒ぐ前に、このような基礎固めをする必要があるのだろう。 

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