「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ここだけの話…」

2009年04月20日 | つれづれ噺
思いがけない人から思いがけない人の訃報連絡が入った。
何はともあれ押っ取り刀でお通夜に参列した。遺族親族の代表としてお話しされた、故人の妹さんの言葉が爽やかな印象として残っている。「享年79才の兄は、5年前に肺ガンの宣告を受けた。この5年間はガンとの闘いの日々であったが、周囲の人々との暖かい交流に支えられて、ガンを笑い話に変えたり出来る幸せな明るい人生だったと思う……」といった内容だった。

歳のせいか…(最も使いたくない言葉の一つであるが、文章のつながり上仕方なく使う)この頃は、テレビドラマやニュース番組などで『ガンの告知』というテーマが、やけに目に付き耳に入るようになった。

現在、何処が悪いわけでもなく、病院とも無縁に過ごす。自覚症状なども全くない健康体。と思っている。

でも、でも、でもね、ある日突然「……○○ガンですよ…」と宣告されたらなんとしょう…と二人で真剣に話すことが多くなった。 結論は、お互い正直に本人に告知することで意見の一致をみた。
但し、医師の言う「…後○○年とか△△ヶ月の命です…」という期限は一切口にしないという具体的方法も合意に達した。

間違いのないガンなら当然教えて欲しい。が、あと何年・何ヶ月生きるかまでは知る必要はない…と。
後どれだけ生きるかは、生きてみなきゃわからない。それこそ神のみぞ知る。運を天に任せるとはこのことだ。

ガンの告知を受けたその日から、新たな人生のスタートとして、終焉までの限られた期間を精一杯生きる。これぞ生命を味わう醍醐味だ……などとかっこつけて、軽やかにハンドル握り葬儀場を後にした。 
ガンガン飛ばす気にはなれない晩春の夕暮れ、ソーっとクルマを走らせた。

       (写真: ネーネーあのねー… ウーン聞こうかどうしようか…)
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6 コメント

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ここだけの話 (takeko)
2009-04-21 00:12:13
そーよね。どうするかね私だったら?中古車と同じになったこの年で・・・。まー精一杯生きましょう
明日はわが身 (rabbit125cc)
2009-04-21 00:16:05
思いがけなく、人生が終わる日がいつかは来るのだと、思い知らされますね。
自分より若い者だとなおさらです。
遣り残した事が無いように毎日を送りたいものです^^
頭で理解することとは違って (kei)
2009-04-21 01:11:45
つい最近、パラパラとページを繰っていた時、目にとまった言葉がありました。
で、本を探し出して・・・

『「自分もいつかは死ぬ」と意識する』
「… しっかり自覚しない限り、本気になって… 自分の肉体の働きの尊さを、心底から感謝感激することは、できまい。」
とあります。

そういう日が来ることをわかっていても、頭では理解してるつもりになっていても、私などはどこか避けてしまうところがあるようです。
家の玄関に真新しい卒塔婆が置かれ、残された者の悲しみに触れる機会は普通よりは多いはずですのに、自らと向き合えば、正面から捉えるのを避けたりしがちです。

「いつかは死ぬ」などと考えると、狂いそうな思いに駆られることもあります。
きちんと「意識する」ことができないから、もののあわれを解する心も半端なんですわー。

難しいテーマです
なんの準備、前触れもなくということだって… 
ああー、何か…ちょっとテンション下がります。
この深夜に・・・
takekoさん (yattaro-)
2009-04-21 22:34:18
あまり考えたくはないことだけど、少しは気持ちの準備もしておかないとね…。
rabbit125ccさん (yattaro-)
2009-04-21 22:38:28
出来れば「思いがけなく…」ということがないようにしたいのですが…
こればかりは自分の意志通りには行かないことになるかも…ですね。
深刻過ぎると…kei さん (yattaro-)
2009-04-21 22:58:38
あまりにも深刻に受け止めるとテンション下がりますね。
「いつかは死ぬ」などと考えると、狂いそうな思いに駆られることも… そこまで考えなくてもいいような気がしませんか。もうちょっと軽~く……です。
考え方はどうであれ、間違いなく終わりが来るという現実からは逃れようがありませんね。だとすれば、逆に、生きている今を大切に・愛おしく・思いっきりよく生きよう…ということにつなげて行きたいなーという軽いノリです。

深夜のコメント、胸が痛みます。

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