「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「失せもん!」

2022年04月15日 | 趣味・・エッセイ

              

断捨離とは数年前から言われ始めており、「モノを持ち過ぎない」「要らないモノを処分する」といった意味から、「身辺整理をすることで、自分のこれまでのライフスタイルを見直すきっかけにする」など、色々言われている。
そして、断捨離が上手な人ヘタな人に大別されるようで、ただ欲深いとか、モノへの愛着の濃淡だけでは図りかねる色んな要素が含まれている。と思う。

かく言う小生は、断捨離という点では全くヘタである。ヘタと一言で言うのか、モノに対する愛着が深いというか、何かの理由を関連付けたり、思い出に結び付けたりして結局断捨離しきれず、身の回りに置いておく。終いには「こんなモノ要るの?」とか「何年も触ってないモノはもう無くなったモノと同じよ!」などと同居人になじられることしばしば。実はおっしゃることが大いに当を得ていて、反省はするのだ。反省はするがなかなか断捨離実行とまでは行かず、ホンの少量を「これだけは思い切って処分しよう」などと言ってはみるのだが、実効はあまり上がっていない。

こんな様子はモノばかりに限らない。あれこれ思いついたエッセイもどきの小文やキャッチフレーズなども保存の対象である。自分の中でお気に入りの書きかけエッセイなどは大切にしまってある。ところが、リスがエサを貯め込んでどこかに隠す。隠した場所を忘れて改めて探し回る行為と同じで、外付けハードディスクだったか、USBか、それともPCのDドライバーだったか、わけ分からなくなって探しても探しても見つからないときは、釣り人の言うように「逃がした魚は大きい」で、あの文章はどこにでも使えるいい文章だったのに。あのフレーズはいつかどこかで使おうと大事にしまっておいたのに。などと、未練タラタラ探し回る。

時間と労力をかけた分、見つかったときの嬉しさと安堵感は天にも昇る心地する。逆に何回試しても、いくら探し回っても出てこないときの焦燥感。打ったはずのメールが相手に届いていなくて消えてしまったとき、前と同じ文章を考えるときの空しさとエネルギーの要ること。一度や二度は経験されているご同輩も多いことだと思う。

実は昨日から、そんな失せもんの捜索に時間をかけすぎて、一回分のブログが飛んでしまったといお粗末。でも今日やっと、古い書きかけのお気に入りエッセイもどきが見つかった。よかった。逃がした魚はあまり大きくなかったが、兎に角しまっておいたモノが見つかった喜びは、他人には理解出来ないね~。やはり断捨離はほどほどに、かな。

コメント (2)
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