投げれば打ち込まれ、守ればポトリ。バットを振れば内野ゴロダブルプレー。面白くもおかしくもない、言うなれば消化試合を黙々と戦う集団。
それが、精一杯のエールを送るファンの願いを裏切り続けている、今年の広島東洋カープである。
残り40試合の段階で、30勝42敗。借金12ではすでに挽回の余地はない。CSもない今年の日程では、もはや消化試合と言わざるを得ない。
誰のせいとか、首脳陣の未経験さとか、個々の責任など問う気持ちはさらさらない。言うなればフロントも現場も首脳陣も選手も全部をひっくるめて、最下位を争う、全く魅力ない球団に陥ってしまったというのが、今年のカープである。
春のキャンプあたりはそれほどでもなかった。昨年の4位Bクラスを返上するに大きな疑問はなかったはずである。それなのに何故??
最初っから守り勝つ野球を標榜した球団・首脳陣に読みの甘さがあった。守り勝つ野球、すなわち投手陣の力量をどんなふうに評価したのか。
先発陣のコマ不足。救援陣の力量不足。セットアッパーからクローザーの人選の誤り。こういった土台をはき違えても尚且つ守り勝つ野球という看板を下ろさない。打って打って打ち勝つ野球、つまり打力を前面に押し出すことで、守り、つまり手薄な投手陣をカバーする野球を看板にすべきであった。
打力で優位に立った試合を、頼りとする守り野球の破綻で敢え無く逆転に次ぐ逆転。打力の優位性まで台無しにした。それが守り勝つという標榜である。
同じ負けでも仕方のない負け。納得のいく負けというものはある。「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」とは、あの百戦錬磨の名将野村克也監督の言葉である。なんでこの試合が負けなんや?選手の性格や力量を把握していての采配か??そんな負け方は納得いかないし、「面白くない野球をするねー」という気分の悪さしか残らない。
コロナによる開幕の遅れや、過密日程、観客の少なさなど、全ての球団に一致した条件である。調整不足など理由にはならない。
「たとえ釣瓶で水を汲み上げても、受けるバケツに底がなければ水は溜まらない。たとえザルで汲み上げても、受けるバケツがしっかりしていれば水は溜まる」。明治生まれの母の口癖だった。うなだれて引き上げる監督に聞かせたい言葉である。
しかも今は消化試合の真っただ中。順位も勝敗も度外視した個人の力量を磨く絶好のチャンス!と受け止めるのは如何だろう。
打者は、当っても当たらなくても相手投手を研究し尽くして来年の糧にする。投手は、はなっからビビッてボールから入るのやめて、兎に角ストレートでストライクを取る信念で自らの力量を試す。今さら負け犬みたいに背中を丸めて上目遣いに相手バッターの鼻息を窺うな!とお願いしたい。
80試合戦って30勝42敗8引き分け。テレビ中継を最後まで見たのは何試合だろうか。見始めて30分~1時間でチャンネルを替えて他の番組にしたのが何試合あったろう。せめて、7回くらいまでは見させてよカープさん。
所詮単なる素人の野球好きという、そこにもっこにもいるオッサンの一人である。
ブログご訪問に」感謝!