春立つ日からおよそ2週間。
時を得て、庭の小さな小さな梅の木も満開を迎えた。
昔日の活躍を物語る石臼の周りに群生する寒アヤメも、これまた時を違えず満開を迎えた。時折の温かい日差しは春到来を思わせる。
このように時節到来を告げる花は今を盛りと咲いているというのに。
ここ数日、花に浮かれる気持ちも今一歩。暖かな日差しに春を感じるのも今一歩の日々を送って来た。
自らの鼻洗いアレルギーによる、高熱発生の後遺症もまるっきり関係ないとは言わないが、そんなものは小さな小さな問題である。
というほどの、少し深刻な問題と向き合ってきた。
近くに住む小生より4つ上の姉の胸部に、「よからぬ病原が見つかった」と知らされたのは昨年の暮れ。
「まだまだ初期段階で、完全除去すれば先ず大丈夫。転移の可能性も十分検査します」と説明された上で、「片方の乳房完全除去」という
手術の実施に踏み切るか、現状維持で経過を観察するか。という重大な選択肢を突きつけられた。
但し現状維持・経過観察を選択した場合、早ければ1年、遅くとも3年のうちには必ずがん細胞の発育がみられるはずだ、と言う話。
決断を下すのは姉自身である。が、身元引受人の小生にも、姉が正しい方向に決断を下すよう見守る責任はある。
よくよく医師の話を説明し、何度も相談して、ついに今日その決断の結果として、手術台に乗った。
早期発見早期治療に決断を下した姉に、心の中で拍手喝さいを贈りながら、手術の進行を待った。
2時間10分御。「はい、無事に終わりました」との執刀医師の明るい声に、大きく大きく、ホ~~~。
自然に笑みがこぼれる。「これで当面の鬼門を脱した」という安堵感があふれる。
腋の下リンパの細胞検査という課題が残ってはいるが、医師の言葉を信じて気持ちを楽に過ごさせてやりたい。
こういった病に侵されないように生きては来た。でも結果として病に取り付かれたということ。
ならばもう闘うしかない。嘆いても下を向いていても、逃げを打っても仕方がない。ひたすら医師を信頼し、自分の生命力を頼りに病に立ち向かう。あらん限りの抵抗を『試みて闘う。これしか他に手はない。
そんな小生の気持ちが、姉に伝わっていたのだろうか。良き決断をして、寿命を自ら伸ばしたことに、やはり拍手である。
ただ、女性にとっての大切な身体の一部を切除する勇気。男の私には分からない部分でゴリ押しはなかったろうか、気がかりは残る。
あれこれ考えると難しい選択であることに変わりはない。だとすれば、兎に角『命』を大切にする選択こそが最良だと思いたい。