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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「哀悼の誠を・・・」

2012年08月15日 | ニュース・世相

          

8月15日正午。普段の時報の3倍くらい長いサイレンの吹鳴。黙祷を捧げる。
日本武道館において政府主催の戦没者慰霊祭が執り行われた。
あれから67年の歳月。生きてある限り、あの忌まわしい戦争悲劇は脳裏を去るものではない。二度と繰り返してはならない愚かな人間のエゴにくぎを差したいものである。

「わが国の平和と繁栄の陰に、戦禍に倒れた方々の尊い犠牲があった。全国民が深く追悼の誠をささげるとともに、恒久平和の確立への誓いを新たにするものだ」
このように昨日の官房長官談話で、終戦記念日の正午に、戦没者をしのんで家庭や職場などで黙とうを捧げるよう国民に呼びかけられた。

終戦記念日の頃になると、まるでハンコで押したように「閣僚の靖国神社参拝」が問題にされる。天皇皇后両陛下ご出席の、肝心な戦没者追悼式がかすむほどの話題になる。
中国や韓国の国民感情に配慮したものだという。

閣僚と言う人の個人的不戦の誓いや、戦没者への哀悼が、何故日本国の戦争賛歌に結び付くのか不思議でならない。マスコミの報道に踊らされ過ぎてはいないか、と。
「全国民が深く哀悼の誠をささげよう」という官房長官の呼びかけと、こんなバカ騒ぎとは相容れない矛盾を感じる。
こんなことを言うと「歴史を知らない」とか「歴史認識を誤っており、戦争に直結する」などと、それこそ馬鹿げた単純発言で抑え込もうとする。

挙げ句が韓国大統領の、直接的な日本批判の暴言ともいえる発言になる。のではないかと懸念する。どこに主権を持った一国の主体性があるのか。
北も南も領土問題ではまるで先方のやりたい放題。指を食えて見ているような淋しさを感じる67年目の戦没者追悼の日である。寝苦しい熱帯夜の睡眠不足のやつあたりか。

隣国と仲良くすること、お互いが発展することになんら水を差すものでもない。但し、武力を背景にした挑発的な愚かな主張は厳に慎むべきであると強く思う。
頑として跳ね返す力は要る。それには先ず、40%を割り込んだわが国の食糧自給率を責めて60%に引き上げるくらいの農政国力増強にいち早く取り組むべきではないかと。
兵糧攻めにあったらひとたまりもない飽食国家のひ弱な体質改善が出発点かな。

ウ~ン、やっぱりここんところの睡眠不足で、幼児並みにご機嫌斜めか。

コメント (6)
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