「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「40回目、祥月命日」

2012年08月14日 | 家族・孫話

          

あの日も暑かった。
昭和48年8月14日。お盆で帰省していた子どもたちに見守られ、父が静かに逝った。
あれから実に39年という歳月。早かったのかゆっくりだったのかよく分らない。

亨年74歳6カ月。当時としては、我が国男性の平均寿命を2年ばかり上回ったことになる。今にして思えば、あれほど元気で、言うことも考えることも的を射た確かな評論家であり、なかなかの論客であった父がもう少し長生きしていたらこちらの人生も少しは変わったのだろうかなどと繰り言を。
ただ、万年Bクラスの広島カープの勝負弱さには、ラジオを叩き壊さんばかりの辛辣な、独自の戦法による負け犬根性撃破を叫んでいた。

このカープ批判だけは、どうひいき目にみても付いて行けない部分があった。
それ以外では、直接相槌を打つことは少なかったが、舌を巻くような透視眼的な感性と、鋭く本質を突く論法を、後になってじっくり味わったことは何度もある。
現在の世間を眺める眼、物事の本質を探る考え方の基本は、やはり父親の影響を受けているのは間違いない、と感じることが多くなってきた。
それは、とりもなおさず人を見る眼、他人を観察する眼にも影響しているのかな。

祥月命日、次々訪れる焼香客を相手に思い出話などすると、今年の暑さと、39年前のジリジリした暑さがダブってくる。
それにしても、あの頃の男はみんな似たような頑固者であったとこの目に映っている。妥協することが極めて下手で、慮りもなく早めにコブシを振り上げる。
そのくせお人好しで、振り上げたコブシの落とし場所をさぐったりしていたような。

あの頃どうかすると父の背中を批判的に眺めて来たこの私の背中を、倅がどのように眺めているのか、ちょっと気になる、8月14日。父の祥月命日。

コメント (7)
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