ありし日の母のあれこれを思い出しながら書いたはがき随筆「ネコババせんよ」が、あと5日後に三回忌祥月命日を控えた今日、毎日新聞に掲載された。
『 85歳まで電卓片手に現役を通した母。
引退から10年たっても、他人の世話になるデイサービスを嫌がった。
「仕事に行くつもりで行けばいいじゃ」と勧め、渋々、週2回通い始めた。
「今日はタオルを畳む楽な仕事じゃった」と嬉しそうに報告する。
そのうち「給料はいつくれるんや?」と真顔で私に聞く。
頭の回転が少しずれてはいても「仕事をすればお金になる」という欲の皮は健在だ。
さんずの川の船頭さんにおひねりの一つもあげたかったのかな。
101歳で逝った母。
間もなく三回忌を迎える。 』
このような、母にまつわる思い出話はいっぱいある。
今は楽しい思い出として笑って話せる、しかし、当時はそんな余裕はなかったような・・・。
最後まで同居した者にしかわからない悲喜こもごもが見え隠れ・・・。
( 写真: 2004年9月15日 敬老の日お祝い膳を囲んで、ありし日の母 )
『 85歳まで電卓片手に現役を通した母。
引退から10年たっても、他人の世話になるデイサービスを嫌がった。
「仕事に行くつもりで行けばいいじゃ」と勧め、渋々、週2回通い始めた。
「今日はタオルを畳む楽な仕事じゃった」と嬉しそうに報告する。
そのうち「給料はいつくれるんや?」と真顔で私に聞く。
頭の回転が少しずれてはいても「仕事をすればお金になる」という欲の皮は健在だ。
さんずの川の船頭さんにおひねりの一つもあげたかったのかな。
101歳で逝った母。
間もなく三回忌を迎える。 』
このような、母にまつわる思い出話はいっぱいある。
今は楽しい思い出として笑って話せる、しかし、当時はそんな余裕はなかったような・・・。
最後まで同居した者にしかわからない悲喜こもごもが見え隠れ・・・。
( 写真: 2004年9月15日 敬老の日お祝い膳を囲んで、ありし日の母 )