「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「喪章の一日」

2010年11月10日 | 家族・孫話

            

あれから2年。11月10日は母の祥月命日。 

丸2年が過ぎることを仏教では三回忌と言う。 お寺さんにお越し頂いて、ねんごろに三回忌法営んだのが10日前。 今日は朝一番で、何は置いてもお墓参りからのスタートとなった。

桜が紅葉し、風吹けばハラハラ散り行く光景が、あの日と同じように目の前に広がっていた。その向こうで母の好物のふゆう柿がたわわに実る。 脇の方では、か細いコスモスがこれもまたあの日と同じように、彼岸と此岸の間を行き来する不安な母の気持ちを象徴するように、晩秋の風の中、右に左に心細く揺れていた。

2年という歳月は、思い出に色を付けたり、人の気持ちを脚色する効果はあるように思える。 母を見送ってしばらくは、出来るだけのことを本当にしてあげたのか。もっともっとやれることがあったのではないか。そんな自責の念ばかりが頭をよぎっていた。

お浄土に召されて、一周忌・三回忌をこの手で執り行って今思うと、やっぱり私たちと一緒に住んだ母は幸せだったに違いない、と思えるようになりつつあることだ。 確かな自信ではないが、そんな気持ちがふくらんでいる。 あれこれの思い出話全てに笑いを込めて話が出来る気安さが生まれてきた。 「えらい自信じゃやの~・・・」とあの世から聞こえてきそう。「ウン、そうよ」と返事が出来るのも間もなくだろう。

そして今日は今ひとつ、9月22日に88歳で亡くなった従姉妹の五十日祭(いっかさい)に参列した。仏教の四十九日法要が、神道ではこのように言われている。お墓への納骨にも立ち会った。

胸に刻んだ喪章と終日仲良く付き合う晩秋の一日であった。

( 写真 : 風に舞う桜の紅葉、その向こうにふゆう柿。頼りなく風に揺れるコスモス )

 

 

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