「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「“おまけ”あれこれ」

2008年10月07日 | 趣味・・エッセイ
“おまけ” 懐かしい響きのある言葉。
幼い頃、胸躍らせた思い出に浸る言葉でもある。芋アメを10ヶ買ったら1ヶおまけしてくれた…、紙芝居に何人か誘って見に行ったら、おじさんが水アメを余分にくれた…・・。色んな思い出が湧き出る、おまけ。

最近では、ガソリンスタンドで、曜日によってはティッシュ1箱とか、コンビニでお弁当買ったらお味噌汁がおまけであったり、子供のスナック菓子にきらびやかなカードが入っていたりする。 孫と散歩に行けば、色んな独自の解釈による説明がおまけとしてついてくるの楽しい。 さて、小生の人生における大きな“おまけ”の思い出話。


『田中内閣による日本列島改造論が沸騰する前年、私の結婚話が持ち上がった。勤務先は地元大手企業、給料は人並・年相応。住まいは二年前新築した。しかしローンに追われる貧乏所帯。

 先方は、山あいの小さな集落ながら、酒・米・食料品・雑貨、何でもありの小さなスーパー経営。日々現金収入のある、どちらかといえば裕福な家庭、しかも一人娘。父親は明らかに反対表明。それでも彼女の意志の固さに屈して、最終的に何とか了承となった。

 理由その1、 勤務先が大企業で収入が安定している。 その2、 ローンはあるものの、住居が新築である。 その3、 競輪・競馬・競艇など、勝負事はしないと約束したことなどなど。

 先行き不透明な経済状態の中で、娘を嫁に出す父親にとって婿殿の条件は、安定した収入による生活力の有無が最優先らしかった。自分で言うのもおかしいが、人間性や人柄などは、義父にとっては“おまけ”みたいなものだったのだろう。しかし2人にとってはおまけが全てであり、そのおまけで結ばれたような2人だった。 あれから37年、今も夫婦は続いている。』
     
    ( 2008.10.07 朝日新聞 「声」 欄掲載 )  ( 写真:現代のおまけとしてついてくる諸々 )

コメント (11)
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