「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

水戸谷中の二十三夜尊@水戸市松本町

2020年05月16日 16時42分16秒 | 水戸今と昔
水戸谷中の二十三夜尊@水戸市松本町




“おさんやさん”として親しまれてきた、大悲山保和院桂岸寺の山門。




周辺図。
このエリアは桂岸寺&桂岸寺墓地・保和苑・常陸共有墓地・回天神社など、境界の仕切りが無い。
それぞれ管理者は異なるので、幾らかややこしい。




本堂・勢至堂。
二十三夜尊にお詣りすると、金運・良縁に恵まれると縁日に露店が立ち大賑わいだったという。
この寺のそもそもの起こりは光圀公のご意見番的な存在だった風軒信正の菩提を弔うため天和三年(1683)に開山された。
この時、大旦那になったのが信正の養嗣子となった弟の道軒信治(1628-1689)は三代目の水戸藩家老の中山備前の守。



桂岸寺墓地への門を兼ねた鐘楼。






墓地の北のはずれ、常陸太田の西山荘を望む崖の上に瓦ぶきの古びた門。

二代の風軒と四代の信行(1648‐1682)が眠っている中山家の墓所。
歴代の備前の守は先祖の館があった埼玉の飯能に在る。



1㍍四方の祠に収まった直径50㎝ほどの球形。
「枡形に月」の家紋を形づくったのであろう。
碑面に「恭子(きょうし)」の二字のみで、光圀がつけたおくり名。



隣接の「常陸共有墓地」
1666年、2代水戸藩主徳川光圀が、藩士のために創設した墓地。
特有の寺院に属さない。
光圀は城下の上町に居住する藩士には常磐村の常磐共有墓地、下町に居住する藩士には現在の水戸市酒門町に酒門共有墓地を建立して、藩士の先祖供養の地と定めた。
当初は墓に戒名を記入することを禁じ、墓碑も一定の大きさと形に定められていたが、現在では諸宗の共同墓地として利用されている。



「格さん」のモデル安積澹泊の墓。



「ピンコロ地蔵」
桂岸寺愛染堂の横に宝暦年間(1750年頃)に建てられた延命地蔵尊が祀られてある。
10年前頃、この像の手前に、水戸市在住の石彫家 深谷直之作の小さなお地蔵さんが建立された。


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