眼科医で古美術のコレクターでもあった山上鎮夫(1897-1993)さん。
ご自分のコレクションのを『古陶小集』(昭和37年、1962)という図録を私家版として出版している。
中国、朝鮮、日本の古陶磁を中心に愛憎品68点が掲載されている。
今は、散逸してしまったが石川県立美術館、京都国立博物館、広島県立美術館などに終の棲家を得ている品も多い。作品の一つ一つに山上さんの静謐な眼が感じられる。
序文の中に『心を虚しくして物にたいし、ほんとうに自分の心を打つものを選ぶ』ことが蒐集の基本であった。
また『古いものは新しく、新しいものは古い』という1節もある。
時は常に変化し、古い・新しいは縄をなうような事だろう。
陶磁器蒐集の他に、クラッシクの大ファン、自然の観察がお好きで、俳句もたしなまれた。
魅力多き方であった。おいおいご紹介したいと思っている。
今回、水戸芸術館でのコンサート『「高橋悠治の肖像」を聞いて感じたことから、山上さんのエッセーを思い出した。『句集・随筆 草の実』(昭和61年)の中からのひとつ。
「八十七歳のピアノ手習い」
私はクラシック音楽の大ファンで大正14年に初めて月給にありついたとき第一に蓄音機を買ったほどである。特にピアノ曲が好きである。
レコードの数も次第に増え、やかましい事を云うようになり、その終曲がピアノを買って自分でやろうという事になった。(以下次に)
ご自分のコレクションのを『古陶小集』(昭和37年、1962)という図録を私家版として出版している。
中国、朝鮮、日本の古陶磁を中心に愛憎品68点が掲載されている。
今は、散逸してしまったが石川県立美術館、京都国立博物館、広島県立美術館などに終の棲家を得ている品も多い。作品の一つ一つに山上さんの静謐な眼が感じられる。
序文の中に『心を虚しくして物にたいし、ほんとうに自分の心を打つものを選ぶ』ことが蒐集の基本であった。
また『古いものは新しく、新しいものは古い』という1節もある。
時は常に変化し、古い・新しいは縄をなうような事だろう。
陶磁器蒐集の他に、クラッシクの大ファン、自然の観察がお好きで、俳句もたしなまれた。
魅力多き方であった。おいおいご紹介したいと思っている。
今回、水戸芸術館でのコンサート『「高橋悠治の肖像」を聞いて感じたことから、山上さんのエッセーを思い出した。『句集・随筆 草の実』(昭和61年)の中からのひとつ。
「八十七歳のピアノ手習い」
私はクラシック音楽の大ファンで大正14年に初めて月給にありついたとき第一に蓄音機を買ったほどである。特にピアノ曲が好きである。
レコードの数も次第に増え、やかましい事を云うようになり、その終曲がピアノを買って自分でやろうという事になった。(以下次に)