「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

妙法崎~神崎~梅戸崎@水戸市天王町~備前町

2020年04月22日 21時34分42秒 | 水戸今と昔
妙法崎~神崎~梅戸崎@水戸市天王町~備前町

「千波公園西の谷緑地」は水戸城の第二外郭の濠の跡。
妙法崎と神崎に挟まれ、青川が流れていた。




「妙法崎」
『常磐公園攬勝図誌』《1885年、明治18年・松平俊雄(雪江)が原画、編集を行い、出版された》当事の水戸を知る貴重な2巻本。

中央に妙法滝が描かれている。
「妙法瀑布」と題する詩文は水戸藩の儒学者・安積澹泊(1656年 - 1738)。
水戸黄門物語の「覚さん」のモデルと言われる。

「東京道」と描かれている道は、今の常磐線に並行するやや内側。
1889(明治22)年、水戸に市制が布かれた年「水戸鉄道」が水戸~小山間に開通(後に常磐線と接続)。

1884(明治17)年に「教主殿」とある辺りまで大工町から神崎寺の横を通る新道が開通して風景は大幅に変わったが、この本においては以前の姿を描いている。




1890(明治23)年の地図。
神崎寺下の「田」と書かれたところが現在の「西の谷緑地」。



ほぼ、同方向を「常磐陸橋」(JR常磐線跨線橋、1966・昭和41年竣工)から望む。神崎寺の塔が中央右側の上部にみえる。




線路脇から見ると。
中央に神崎寺、右上に「県営・釜神町アパート」。
駐車場の奥に「千波公園西の谷緑地」が続く。

神崎は明治頃には「五本松」とも呼ばれた景勝の地で豪商の別邸「富田公園」があった。
1953(昭和28)年に県営・釜神町アパート1号館2号館が建設された。
3号館は1954(昭和29)年に建設されたが、2010年頃に解体された。



1号は閉鎖され、2号館に幾らかの居住者がいるが、廃墟に近い。



先端から千波湖を望む。
木立が生い茂り、見通しが良くない。




同じく、西側の偕楽園方面を望めば「西ノ谷緑地公園」の駐車場が眼下に。



文政5年(1826年)の古地図
千波湖に面して枡形と土塀もあり城内への要所の一つ。


「岩切場」寛文2年(1662)に工事が始まり翌年に竣工した「笠原水道」敷設のための岩を切り出した「窖」で数十崫を数える。



東日本大震災で幾つかが崩落し、塞がったものもある。



梅戸崎(『常磐公園攬勝図誌』)
水戸城の第一外郭の濠、通称「紀州堀」に面す。
手前が「下谷」で現在の宮町。




ほぼその辺りの現在の眺め。
千波大橋から「梅香トンネル」へ連なる高架橋。




東の谷(紀州堀跡地)は、常陸太田方面「梅香トンネル」接続路。
右方面は「虚空蔵坂」から梅香に。
左方面が「鈴坂」及び「梅戸橋」。



「鈴坂」登って旧釜神町、右へ行けば旧幸町。


梅戸橋
旧6号国道がJR常磐線を跨ぐ跨線橋で1941(昭和16)年に完成。





約80年を経て老朽化で取り壊され、橋の端に名札が遺されている。
南側に3車線の架け替え工事が進行中。

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