バンカラ目線で松本歩き@旧制高等学校記念館
旧制松本高等学校本館、入り口。
旧制松本高等学校は日本で9番目の官立旧制高等学校として1919年(大正8年)に開校し、1949年5月に信州大学発足にともない包括され、1950年3月に廃止された。跡地は「あがたの森公園」として、自然豊かな森の中に「われらの青春ここにありき」の石碑や旧制高校記念館がある。
水戸にも全国13番目の官立高等学校として1920年(大正9年)に設立された
旧制水戸高等学校、略称は「水高」(すいこう)があり、1949年、茨城大学発足に伴い1950年3月に廃止されたのは松本と同じ。
「あがたの森」の一角に旧制高等学校記念館が在るとのことで訪ねたら「バンカラ目線で松本歩き」と言う企画展が開かれていた。
旧制高等学校の数は少なかったから、全国各地から高校入学のために集まった。
旧制松本高校生の第22回(昭和17年)理科乙類クラスの卒業アルバムに収められていた「松本市御案内」図を中心に、彼らがどのような場所で青春を過ごしたのかを辿る企画だ。
当時の高校生は10代後半ながら、大人として扱われていたから、花柳界などにも出入りしたのだろう。
中央に破帽を被りマントを翻し高下駄を履いた「バンカラ」と呼ばれた典型的な旧制高校生の像。
水戸も正しく同様で、同じような銅像が偕楽園に建っているが、端のほうで見ることは少ない。
駅前か大工町辺りに移転したらどうだろう。
大工町は旧制水高生のホームグランドだったらしい。
水高の廃止の頃、僕は小学生だったが、近所に居た水高生にあこがれ、高校時代は高下駄など履いて通学した同級生は多い。
時代は変わって「バンカラ」は死語となり、「イケメン」と呼ばれる美しい男たちがもてはやされる様になったが、反時代的な生き方も必要だ。
後期高齢者の吾々も、物分かりのいい爺さんバカりでなく、偏屈で頑固親父も必要だ。
旧制松本高等学校本館、入り口。
旧制松本高等学校は日本で9番目の官立旧制高等学校として1919年(大正8年)に開校し、1949年5月に信州大学発足にともない包括され、1950年3月に廃止された。跡地は「あがたの森公園」として、自然豊かな森の中に「われらの青春ここにありき」の石碑や旧制高校記念館がある。
水戸にも全国13番目の官立高等学校として1920年(大正9年)に設立された
旧制水戸高等学校、略称は「水高」(すいこう)があり、1949年、茨城大学発足に伴い1950年3月に廃止されたのは松本と同じ。
「あがたの森」の一角に旧制高等学校記念館が在るとのことで訪ねたら「バンカラ目線で松本歩き」と言う企画展が開かれていた。
旧制高等学校の数は少なかったから、全国各地から高校入学のために集まった。
旧制松本高校生の第22回(昭和17年)理科乙類クラスの卒業アルバムに収められていた「松本市御案内」図を中心に、彼らがどのような場所で青春を過ごしたのかを辿る企画だ。
当時の高校生は10代後半ながら、大人として扱われていたから、花柳界などにも出入りしたのだろう。
中央に破帽を被りマントを翻し高下駄を履いた「バンカラ」と呼ばれた典型的な旧制高校生の像。
水戸も正しく同様で、同じような銅像が偕楽園に建っているが、端のほうで見ることは少ない。
駅前か大工町辺りに移転したらどうだろう。
大工町は旧制水高生のホームグランドだったらしい。
水高の廃止の頃、僕は小学生だったが、近所に居た水高生にあこがれ、高校時代は高下駄など履いて通学した同級生は多い。
時代は変わって「バンカラ」は死語となり、「イケメン」と呼ばれる美しい男たちがもてはやされる様になったが、反時代的な生き方も必要だ。
後期高齢者の吾々も、物分かりのいい爺さんバカりでなく、偏屈で頑固親父も必要だ。