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『星岡』第29号 星岡窯研究所刊 

2010年01月29日 23時29分09秒 | 本・雑誌
『星岡』第29号 星岡窯研究所刊 

北鎌倉の魯山人旧居を訪ね、『雅美生活』の一端を偲ぶことができた。
以前、魯山人作の小皿を買ったとき『星岡』という雑誌も付いていた。



昭和8年4月号。

皿はとうの昔に手元を離れたが雑誌だけは未だに有る。

魯山人73年間の生涯は波乱万丈だ。
図書館で借用して読んだ、山田和著『知られざる魯山人』文芸春秋2007年刊の年譜を参考に記すと以下のようになる。
この本は魯山人に関する書物の中では異色の本だ。

大正 9(1920)年37歳、中村竹四郎と日本橋に「大雅堂美術店」を開く。
大正10(1921)年38歳、大雅堂2階で「美食倶楽部」を始める。
大正14(1927)年42歳、赤坂山王台に「星岡茶寮」を開店。
昭和 2(1927)年44歳、鎌倉・山崎に「星岡窯」築く。
昭和 5(1930)年47歳、機関紙『星岡』創刊。
昭和11(1936)年53歳、「星岡茶寮」を解雇される。
*中村竹四郎との共同経営であったが、以後は作陶生活に専念する。

書家・篆刻家、美食家・料理人であり料亭の主人、陶芸家、など多面的な顔を持つ魯山人は批評家としても一流であった。
その面目躍如といえるのが機関紙『星岡』に掲載した文章。
料亭の宣伝誌であるが、魯山人の「個人誌」的な性格が強い。



料理や陶器を初め書や絵画に渡る批評は辛辣。
没後、平野雅章により部門ごと編集され「魯山人陶説」「魯山人味道」などに纏められて、たくさん出版されている。

物事の見方や考え方は、今に通づることが多い。
生前の人柄には問題が多い人であったらしいが、作品と考え方に対する評価は高い。
コメント
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