「国宝 土偶展」@東京国立博物館 本館特別5室
2009年12月15日(火)~2010年2月21日(日)
日本の美術品で世界に誇れる物の1つは縄文時代の土器と土偶だ。
初めに縄文土器を評価したのは外国人か?
日本人では岡本太郎と宗左近といった人達が真価を喧伝してくれたお陰で世界のプリミテイブアートとして認識した。
何れにしても、ここ100年足らずの出来事であろう。
茨城県は縄文の土器や土偶の宝庫だ。
古美術の世界に入門した頃は経済が拡大している時期で、開発に関連して遺跡が発掘さた。
“ひとがた”をした素焼きの土製品「土偶」の発生は、縄文時代草創期(約13,000年前)にまでさかのぼる。
多くはお腹の大きい女性像。再生と豊穣を願った「祈りの造形」とも称される。
僕も見事なボインの土偶を所持していたこともあったが、今は何処の何方が所持しているのか思い出すことがある。
東京国立博物館 本館特別5室で「国宝 土偶展」が開催されている。
3件の土偶が国宝に指定され、同時に展示されている。
展示資料に拠れば、
縄文時代のはじめ(およそ13,000年前)に出現した土偶は、顔や手足の表現がない単純・小型のものでしたが、乳房があらわされているので女性像であることがわかります。
それが縄文時代前期(前4000~前3000)になると、単純ではありますが顔や手の表現がみられる三角形に近い板状の土偶が出現し、定型化の道を辿ります。中期(前3000~前2000)には、前期より引き継ぐ板状土偶が装飾性豊かな十字形土偶として発達する一方、関東・中部地方では立体的な全身立像が誕生するなど、地域性もみられるようになります。
続く後期(前2000~前1000)には、各地で実に多彩な土偶が生まれます。そして晩期(前1000~前400)には、抽象と具象を兼ね備えた土偶が東北地方を中心に展開され、芸術性に優れた中空の土偶も数多く誕生しました。
と言うことだ。
今回初めて眼にする土偶が多かった。
古代からの、日本文化の多様性を再認識した。
2009年12月15日(火)~2010年2月21日(日)
日本の美術品で世界に誇れる物の1つは縄文時代の土器と土偶だ。
初めに縄文土器を評価したのは外国人か?
日本人では岡本太郎と宗左近といった人達が真価を喧伝してくれたお陰で世界のプリミテイブアートとして認識した。
何れにしても、ここ100年足らずの出来事であろう。
茨城県は縄文の土器や土偶の宝庫だ。
古美術の世界に入門した頃は経済が拡大している時期で、開発に関連して遺跡が発掘さた。
“ひとがた”をした素焼きの土製品「土偶」の発生は、縄文時代草創期(約13,000年前)にまでさかのぼる。
多くはお腹の大きい女性像。再生と豊穣を願った「祈りの造形」とも称される。
僕も見事なボインの土偶を所持していたこともあったが、今は何処の何方が所持しているのか思い出すことがある。
東京国立博物館 本館特別5室で「国宝 土偶展」が開催されている。
3件の土偶が国宝に指定され、同時に展示されている。
展示資料に拠れば、
縄文時代のはじめ(およそ13,000年前)に出現した土偶は、顔や手足の表現がない単純・小型のものでしたが、乳房があらわされているので女性像であることがわかります。
それが縄文時代前期(前4000~前3000)になると、単純ではありますが顔や手の表現がみられる三角形に近い板状の土偶が出現し、定型化の道を辿ります。中期(前3000~前2000)には、前期より引き継ぐ板状土偶が装飾性豊かな十字形土偶として発達する一方、関東・中部地方では立体的な全身立像が誕生するなど、地域性もみられるようになります。
続く後期(前2000~前1000)には、各地で実に多彩な土偶が生まれます。そして晩期(前1000~前400)には、抽象と具象を兼ね備えた土偶が東北地方を中心に展開され、芸術性に優れた中空の土偶も数多く誕生しました。
と言うことだ。
今回初めて眼にする土偶が多かった。
古代からの、日本文化の多様性を再認識した。