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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

青春18きっぷ冬の陣の第4弾は宇都宮・其の1

2023年01月08日 18時52分05秒 | 
青春18きっぷ冬の陣の第4弾は宇都宮・其の1



水戸と宇都宮を結ぶ「北関東ライナー宇都宮線」が2022年11月をもって廃止された。コロナウイルスの影響による乗客の減少によるものと思うが残念である。水戸から宇都宮に行くのは美術館を観に行く、或いは栃木FC対水戸ホーリーホックの応援などの他は日光や那須に行く時に通過するだけになる。
そこで「青春18きっぷ」冬の陣・第4弾は宇都宮に。

駅構内の観光案内所で観光地図を頂く。
観光ポイントと「宇都宮餃子会」「宇都宮カクテル俱楽部」「宇都宮ジャズ協会」「ホテル・旅館」の会員の店名と住所が番号で分かりやすく記されてある。
レンタサイクルの取り扱い駐輪場も教えていただく。



宇都宮駅前の駐輪場でレンタサイクルを借りて市内観光に。
これがなんと1日100円というから格安だ。
しかも駐輪場とレンタサイクルの取り扱い場所が市内に8か所もある。
借りるときにカードの交付を受ける。
元は「放置自転車対策」としてスタートしたらしく、観光客以外に多くの市民が利用しているようだ。



英厳寺史跡 宇都宮城主戸田家菩提所
1710年に戸田氏が建てた寺で、広い境内に位牌堂や僧堂があったが戊辰戦争で焼失。大きな病院に囲まれた一角、多くの人たちに訊ねたが知らない人ばかりでやっと訪ねあてた。史跡公園として改修中だった。
市民にとっては、江戸幕府の老中で徳川家康の側近で第28代宇都宮城主を勤めた本多 正純が人気のようだ。









宇都宮城址公園
旧宇都宮城の一部を復元してオープン。
土塁の中には、宇都宮城の歴史に関する資料が見られる「宇都宮城もの知り館」、市内の観光案内やまちあるきに役立つ情報を見られる「まちあるき情報館」がある。土塁・濠・櫓・築地塀など全てが復元だが、往時を偲び歴史を知るには良い施設に思えた。







宇都宮二荒山神社
宇都宮は関東平野の北端に位置し東北を抑える拠点だった。
二荒山神社は台地の端にあり、関東平野は階段下の平地から始まる。
この神社が下野「一の宮」と呼ばれていたことから、宇都宮の地名がついたとも言われる

熱海の海岸を散歩する。

2023年01月06日 12時37分33秒 | 
熱海の海岸を散歩する。
青春18きっぷ冬の陣の第3弾は熱海に。
片道4時間で往復8時間、現地滞在2時間。




日本でも有数の観光地・熱海には多くの名所が在るが、行くのは「MOA美術館」だけで他は知らない。2023年の初旅は熱海の海岸をぶらついてみることにした。
片道が4時間、往復で8時間、滞在時間が2時間という強行軍は「青春18きっぷ」ならではの旅。



熱海駅前広場の足湯。
かなり広いが大勢のお客で入れず。



熱海が有名になった一つが尾崎紅葉の新聞小説『金色夜叉』
駅前のホテルの庭に紅葉山人の「歌碑と筆塚」。
*『金色夜叉』は読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年(明治35年)5月11日まで連載された。前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉の6編からなっている。執筆中に作者が死亡したため未完成である。



駅前から急な坂、或いは階段を下ると「お宮の松」。



「貫一お宮」の像。







「お宮の松」の在る遊歩道を「ジャカランダ遊歩道」と呼ぶ。
暖かい土地の樹木なので花は咲いていない。
ジャカランダの花を始めてみたのは今から30年程前にブラジルのサンパウロを訪ねた時、見事な紫色の花に驚いた。





海岸から崖上の駅方面を望む。
広い敷地の再開発が行われるようだ。
高低差がかなりあるので階段や坂が多い、香港のような「街路のエスカレーター」は有効な街づくりの手段となるように感じたが、無理か。





休日料金なら「熱海~水戸」の普通車グリーン券が800円。
約200㎞、4時間を2階建てのグリーン車でゆったりと過ごせる。
2階席はから途中の景色を眺めるのは楽しく、特に相模湾の海景はすばらしい。



JR「根府川駅」は訪ねたいと思っている「江之浦測候所」への最寄り駅。
美術家・杉本博司が設立した小田原文化財団が運営している。
TVで何度か見ているが実地をこの目で確かめたい。

佐原のまち歩き@香取市佐原

2022年11月16日 08時13分20秒 | 
佐原のまち歩き@香取市佐原









江戸時代からの街並みが保存され、現在も営業を続けている商家が並ぶ佐原。
小野川の水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたという面影が残されている人気の観光スポット。
約300年の伝統を有する「佐原の大祭」は関東三大山車祭りの一つと称され、夏祭りと秋祭りが行われる。







江戸時代に実測日本地図を作った伊能忠敬の旧宅。
伊能忠敬(1745-1818)が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家で、醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が残っている。





三菱館。
川崎銀行佐原支店(開業明治13年)として大正3年に建設されたレンガ積み2階建ての洋館で内部は吹き抜け、2階周囲に回廊がある。
屋根は木骨スレート葺きで、正面建物隅にドームを設けてある。
現在は市に寄贈され、千葉県有形文化財に指定。
川崎銀行は現在の茨城県東茨城郡茨城町海老沢に生まれた川崎八右衛門(1835- 1907)が創設した川崎財閥の金融機関で後に三菱銀行に吸収合併された。



昼食は「麻生屋」で天ぷらお膳。
急須でお茶が供されるのも、今時では珍しい。







掘割や住居などに花が生けられ、歓迎・おもてなしの気合が十分に感じられる。
今回で2度目の訪問だったが、映画やドラマの撮影現場として度々登場する理由がよく分かった、見飽きぬ奥の深さがある町だ。
これぞ観光地!歓迎の心が溢れており水戸も大いに見習いたい。

兵庫陶芸美術館@丹波篠山市今田町上立杭

2022年09月18日 18時20分31秒 | 
兵庫陶芸美術館@丹波篠山市今田町上立杭







陶磁器窯のうち中世から現在まで生産が続く 6つの窯(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)を日本六古窯と称する。
兵庫県丹波篠山市の丹波焼の故郷「立杭」に「兵庫陶芸美術館」が開館したのは2002年で開館20周年を迎える。
今回の旅の締めくくりとして「兵庫陶芸美術館」を訪れた。

山あいに建てられているので「展示室」は少し複雑に構成されている。
エントランス棟3階からアプローチできる展示棟には、1階に2室、2階に2室、B1階に1室、合計5室の「展示室」がある。

丹波焼をはじめ、淡路のみん平焼、姫路の東山焼、豊岡の出石焼、三田の三田焼、篠山の王地山焼などの兵庫県産陶磁器を中心に、古陶磁から現代陶磁まで幅広く展示される。
個人コレクションの寄贈品も展示されている。















中世の古丹波から江戸期までの変遷を辿るのを楽しみにした。
常設展の会場で一通り観ることが出来たが、物足りなさを感じた。
丹波篠山ではあるが、中心からかなりの距離で、途中に楽しみもない。
敷地を含め展示空間も、魅力がなかったのはいささか残念だった。

一概に比較は出来ないが、笠間市芸術の森公園の「茨城県陶芸美術館」は環境や町との一体感など、数段優れているのではと見直した。

出石そば・但馬の小京都@豊岡市出石町

2022年09月17日 14時18分16秒 | 
出石そば・但馬の小京都@豊岡市出石町
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑬


「丹後半島を1周する旅」ではあるが、城崎温泉を含め「但馬の国」で、その中核をなす豊岡市のエリアは広い。
玄武洞をあとに、昼食は出石で蕎麦を食することに。



出石は城下町の面影を残す町並みと「出石焼」(陶器)、「皿蕎麦」が名物。
豊岡までは何度も来ているが、出石まで足を延ばす機会がなかった。





出石城跡
稲荷台、本丸、山里曲輪を段状に配した出石城跡。
室町時代には守護大名・山名一族の拠点となり、山名氏が滅びた後には小出氏が領主となり、出石城の築城とともに城下町が整備された。
出石藩は五万八千石の雄藩として、小出氏、松平氏、仙石氏と領主を変えながら、270年の歴史を経て明治に至った。

物見櫓などは再建されたものだが「野面積み」の石垣は玄武岩が使用されており、一番の見どころだった。
城下の街並みが一望できたのも良かった。



辰鼓楼
江戸時代後期様式の火の見櫓形の時計台は出石のシンボル。
時を告げる太鼓を打ったことから、この名がついたと伝えられる。





沢山の蕎麦屋が在るが、堀の傍に位置する「本陣鶴屋」に。







出石焼の小皿に盛りつけた皿そば。
出汁は出石焼の徳利に、蕎麦猪口も出石焼。
五枚一組を一人前とし、薬味と徳利に入ったつゆ。
薬味は玉子・とろろ・ねぎ・大根おろし・わさび。
カツオとコンブの濃厚なダシにこだわったつゆ。



江戸時代から街並みが色濃く残っている。
丹波焼の里を訪ねる都合もあり、散策する時間が無かったのが残念。

玄武洞公園@兵庫県豊岡市赤石1362

2022年09月16日 20時11分30秒 | 
玄武洞公園@兵庫県豊岡市赤石1362
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑫








国の天然記念物「玄武洞」。
160万年前の火山活動で流れ出したマグマが、冷えて固まる時に作り出した規則正しいきれいな割れ目(節理)が顕著で切り出しやすかったこともあり、これを人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残ったのが玄武洞。





「玄武」とは古代中国の神話で天の四方の方角を司る霊獣(別名、天之四霊・四獣・四象)の一つで、東の青龍 ・南の朱雀 ・西の白虎 ・北の玄武を指す 。
「玄武」は脚の長い亀に蛇が巻き付いた形であらわされる。
*火成岩の1種、英語名 basaltの「玄武岩」の日本語訳は、玄武洞にちなんで小藤文次郎が1884年(明治17年)に命名した。

ここで切り出された玄武岩は周辺地域で漬物石や石材として使用され、城崎温泉の大谿川護岸や豊岡の石積み、出石城の石垣などで見ることができる。







「青龍洞」
マグマが冷却した状態により割れ目(節理)の状況は異なる。
玄武洞に隣接する、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞の洞窟が玄武洞公園として整備されている。



白虎洞



玄武洞に隣接する、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞の洞窟が玄武洞公園として整備されている。

*大正15年(1931年)には、京都大学の松山基範博士が、玄武洞の石の磁性の方向が、今と反対の南を向くことを発見し、地球科学の新しい扉を開いた。
この件に関して、令和2(2020)年、千葉県市原市田淵にある地層は、一番新しい地磁気逆転の記録が世界で最もよく残っているとして、約77万4千年前から12万9千年前までの時代がラテン語で「千葉の時代」を意味する「チバニアン」と呼ばれることになった。

城崎温泉@兵庫県豊岡市

2022年09月16日 10時09分32秒 | 
城崎温泉@兵庫県豊岡市
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑪






丹後半島の山また山の道を抜けて広い川の流れに至ると、兵庫県豊岡市城崎の標識が有り、なんとか但馬の地に到着した。
ホテルにチェックイン前に城崎温泉を車から探訪することに。
開湯1300年の歴史を持つ城崎温泉は、平安時代から歌に詠まれ、文豪・志賀直哉をはじめ多くの文人に愛された湯治場だった。

1925年の北但馬地震で町は全焼するが『共存共栄』信念で新たな町造りをしたのが原点。
数箇所の源泉は一箇所にまとめられ、ブレンドされてから各旅館やホテル、共同浴場に配られる。
以前は各旅館にはお風呂場は無く、7箇所の共同浴場施設を宿泊客が巡った。



「御所の湯」共同浴場の一つだが、何処も大きく見事だ。(2010年3月に訪問時)
 


「城崎温泉絵図」(戦前)

今では『内湯』と呼ばれ、館内の温泉も多くなったが、主流は『外湯』と呼ばれるようになった共同浴場施設を巡るお客が街を散策している。
大阪からでも日帰りが出来る関西で有馬温泉に次ぐ人気の温泉街。
2010年3月に初めて訪れた時にも感じたが、若いカップルや家族連れなどが多く、活気が溢れた街だ。

街を流れる大谿川の両岸に立ち並ぶしだれ柳が印象的。
石橋や護岸の石垣などには地元産の玄武岩が使われている。
旅館の大方は個人経営の木造2階建てから3階建ての小規模の宿泊施設。
従って個人客が大勢を占める。

駐車場に入庫させて、ゆっくりと散策すればもっと多くを知ることが出来ただろうが、宿と商店が混在する雰囲気は普通の温泉街とはまるで異なる明るさ。



今夜のお宿「大江戸温泉物語 城崎温泉 きのさき」
町から少し離れているが、共同湯までのシャトルバスが発着している。
「大江戸温泉物語」系統のホテル、は3爺旅ではしばしば利用してきた。
温泉旅館事業を再生・運営などを手掛けているファンドの経営で、安価で気楽に宿泊できる。
夕食・朝食ともにバイキングスタイルで家族連れや仲間内の会合には最適だ。





外湯には出かけず内湯の温泉に入って7時から食事。
中・高校の同級生同士だが、その後は住んでいるエリアが異なれど、なにかと連絡を取り合っている仲間なので、話は尽きない。
歳のせいか酒量は大幅に減少して、酔うまでには飲めない。



城崎温泉では夏の間、毎日夜の9時から10分間、花火が打ち上げられる。
何処から打ち上げられるのか分からないが、広範囲から見ることが可能だ。
温泉組合によってなされるが『共栄共存』のおもてなしを実践している。





「城崎文芸館」 @豊岡市城崎町湯島357-1
志賀直哉が湯治のため城崎温泉を初めて訪れたのが1913年。
滞在中の出来事を書いた『城の崎にて』(1917年発刊)は、志賀作品を代表する短編として今なお多くの人に読み継がれている。
また、白樺派を中心に多くの文人墨客が訪れたことから、いつしか城崎温泉は「歴史と文学といで湯の街」として知られるようになった。
豊岡市立城崎文芸館は1996年に開館し、オープンから20周年を迎えた2016年秋に展示内容を大幅にリニューアルした。
温泉街を散策したかったが、城崎観光はここだけで念願の「玄武洞」に向かう。

山陰ジオパークエリア

2022年09月14日 08時48分12秒 | 
山陰ジオパークエリア
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑩




「天橋立」から「伊根の舟屋群」を経て丹後半島を周遊し、豊岡市城之崎を目指す今回の旅は《国道178号線》を走る以外のルートはない。
この路線は海岸に並行する断崖を通る道は雨量によっては通行止め、或いは崖崩れ、落石注意などもある難コース。







先端となる「経が岬灯台」辺りは絶景ポイントが沢山ある。
ドライブ好きな友人2人が交代で、特にFさんは腕前に自信ありなので事なきを得たが、対向車が来たらどうなるの?或いはこのまま進めるの?的なところが何ヵ所も。ポイントごとに目的地をセットして、カーナビにお任せで走った。







「京丹後市立丹後古代の里資料館」
丹後地方には巨大古墳が点在し、出雲と並びヤマト王権や吉備国などと並ぶ独立性があったとも考えられ、遺跡や歴史ある神社が多数ある。
「京丹後」という地域名があるのを初めて知った。
この辺りは竹林が多い、なぜなのだろう。





玄武岩の柱状節理により形成された後ヶ浜海岸 の立岩。



山陰ジオパークエリア
近頃「ジオパーク」という言葉をよく聞く。
「ジオ(geo)」は、地球や大地という意味の接頭語で、ジオパークとは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を含む一種の自然公園を指す。 地質や地形は、地球の歴史を物語っているだけでなく、人の暮らしや文化に直接結びついている。
この大地の営みをひとつの遺産として学び、楽しむのがジオパーク。
人気のテレビ番組『ブラタモリ』では地理学・地質学的な側面を掘り下げることが多くなって「ジオ(geo)」に興味津々。

伊根浦舟屋群@京都府与謝郡伊根町

2022年09月13日 13時04分29秒 | 
伊根浦舟屋群@京都府与謝郡伊根町
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑨




伊根浦舟屋群
伊根湾は、外海との出入り口に浮かぶ青島が、天然の防波堤の役割を果たしている。
そのため、絶好の漁場として、古くから漁師街として栄えてきた。
そんな伊根湾には、今もおよそ230軒もの舟屋が建ち並んでいる。
海に面した1階部分が漁船のガレージ2階部分が物置や居住空間となっている伝統家屋。
その景観は、「伊根浦舟屋群」として、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。





伊根湾めぐり遊覧船で、海上から伊根の舟屋を観賞する以外に方法はない。



カモメの餌が乗船場で売られている。
餌を目当てに、沢山のカモメが飛来する。







遊覧船の音声テープと乗組員の解説が同時に流れてくる。
全ての機能は海を主体、消防車でなく消防艇が使用されている。
造り酒屋「向井酒造」の蔵も在り、日本一海に近い酒蔵。
舟屋の多くは民宿として使われ、舟屋の機能はない。
漁船の大型化で波止場に係留されている。



湾内に幾つかの筏がみられるが、何れも養殖用の筏。
ブリ、マダイ、岩ガキなど、捕る漁業から育てる漁業に転換。
日本海とはいえ、天然物の漁獲量は減少している。





山が海に迫っている地形だから、道路を挟んで山側に1軒、海側に1軒しか家がない街並み。
しかし、生活感(生きている・使われている)を感じらる家並みが続いている。
国の重要伝統的建造物群保存地区として、動態保存がなされている努力は素晴らしいことだ。

天橋立・府中エリア

2022年09月12日 20時37分43秒 | 
天橋立・府中エリア
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑧




天橋立を一望するには、南側からの「文珠エリア」と北側からの「府中エリア」の二つの方法がある。



今回は、その両側から見ようというマニアックな企画をTさんが立てた。
文殊エリアから車で30分「阿蘇海」に沿って対岸に向かって走ると“府中エリア”に至る。
天橋立のもう一方の付け根の辺りの「民宿・川尻」が今夜の宿。
明日は成相山中腹にある傘松公園から絶景を楽しむ。







民宿から天橋立まで徒歩数分、翌朝に天橋立を散歩した。
宮津湾の海流と阿蘇海の海流がぶつかり、砂が徐々に堆積したことによって砂州が形成されたのが2200年頃かららしい。
阿蘇海を取り囲むように人が定住するようになり、たくさんの船が往来する丹後王国の中心地となった。



元伊勢籠神社
伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれる古社。
奈良時代に丹後の国の一の宮となり、平安時代の「延喜式」には名神大社となり、山陰道唯一の大社であり、最高の社格と由緒を誇る。





丹後国分寺跡
天橋立で仕切られた内海である阿蘇海の北岸の高台に位置する。
聖武天皇の詔で創建された国分寺古代国分寺(創建期)の所在は詳らかでないが、南北朝時代に再興された金堂・塔・中門の礎石群が現在も遺存している。









ケーブルカー・リフト「府中駅」
成相山中腹にある「傘松公園」は天橋立を北側から一望できる展望所。
ここからの眺めは、天橋立が昇り龍のように見えることから「昇龍観」と呼ばれる。
天橋立を股の間からのぞくと天地が逆転したように見える「股のぞき」発祥の地としても有名。

天橋立@京都府宮津市

2022年09月11日 14時59分00秒 | 
天橋立@京都府宮津市
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑦





今回の旅の目的の一つが「天橋立」
「天橋立」は宮城県の「松島」・広島県の「宮島」とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつ。
京都府北部日本海の宮津湾に位置し、幅20~170m・全長約3.6kmの砂州に約5000本もの松が生い茂る珍しい地形で、何千年もの歳月をかけて自然がつくりだした神秘の造形。
横から見れば松林だが、俯瞰することで全体像が明らかになる。
*文珠エリア・文珠山山上にあり、天橋立を南側から一望できる。
*府中エリア・成相山中腹にある傘松公園、天橋立を北側から一望できる。
今回はその両方から眺めてみよう、との贅沢な企画だ。



雪舟筆・紙本墨画淡彩・89.5×169.5cm・室町時代(1501〜1506)
天の橋立を東側から鳥瞰的にとらえた図で、図中の智恩寺の多宝塔と成相寺の伽藍が同時に描かれることから、制作期が一応明応10年(1501)から永正3年(1506)の間とされる。
雪舟(1420ー1506)が80歳を越してなお現地に歩を運んで、実景を写したことは驚異である。





同行2人の「股のぞき」図。



展望台への上り下りはリフトとケーブルカーがある。
どちらを使っても料金は同じだがリフトは常時動いている。
雨でも降らなければリフトからの眺めは素晴らしい。









雪舟が描いた『天橋立図』にもある智恩寺は文殊菩薩の霊場。
宝塔は国の重要文化財。

赤れんが博物館@舞鶴市字浜2011番地

2022年09月10日 11時19分37秒 | 
赤れんが博物館@舞鶴市字浜2011番地
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑥




「赤れんが博物館」
1993年11月に開館した「煉瓦(れんが)」の博物館。
建物は1903年(明治36年)に竣工した旧日本海軍の兵器廠魚形水雷庫を改装したもので、鉄骨構造であることや煉瓦の積み方がフランス積みであることなど、舞鶴の煉瓦建築物のなかでもユニークな存在である。
「舞鶴引揚記念館」との2館共通観覧券が¥600。



舞鶴は日本海における海上自衛隊の最重要拠点。
1889(明治22)年、湾口が狭く・防御に適し・湾内は波静かで多くの艦船が停泊できるなど軍港としては格好の地形であった舞鶴湾に鎮守府を設置する事になり、1901(明治34)に帝国海軍の舞鶴鎮守府が開府してから現在も軍港として利用されてきた。
市内の複数個所に艦船・航空機など多目的な基地が多数存在する。
(この写真の場所は規模も艦船も小さい)







「煉瓦(れんが)」の歴史的な考察や、世界の歴史的建造物で使用された様々な煉瓦の現物や写真が展示されている。









世界の著名な煉瓦建造物の紹介、およびホフマン式輪窯を再現したコーナーで煉瓦の製法が紹介されている。
レンガについて様々な視点からの収集・展示を行っている博物館。



2階の天井は鉄骨構造がむき出し。
現存する鉄骨構造の煉瓦建築物としては日本最古級とされている。

*市内には1901(明治34)年に旧海軍舞鶴鎮守府が開かれたころ海軍が建設した多くの煉瓦建造物が残っている。
先を急ぐので、この辺りしか見ることが出来なかった。

舞鶴引揚記念館@舞鶴市

2022年09月09日 17時02分03秒 | 
舞鶴引揚記念館@舞鶴市
「三爺の旅・丹後半島1周」其の⑤








「舞鶴引揚記念館」は、引き揚げやシベリア抑留を後世に継承し、平和の尊さを広く発信する施設として、昭和63年4月に開館した。

昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残された。
これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり“引き揚げ”が開始された。
呉をはじめ18港の引揚港が全国に次々と設置された。
舞鶴は、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となり、昭和20年(1945)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港し、13年間にわたり66万人の引揚者を迎えた。

現在は「引揚者」という言葉を知らない人が多いが、今回の旅の仲間3人は昭和16年・17年(1941・42)の生まれで、親類や知人に引き揚げて来た方々もいるから普通のことだった。
当時は「尋ね人の時間」というラジオ放送が毎日あった。
元の住まいの場所と氏名が次々と告げられ、安否の情報を問う内容だ。













☆常設展示1 苦境の記憶、激動の昭和初期、満州開拓、終戦による
武装解除、シベリア抑留生活
☆常設展示2 帰還そして再開、岸壁の母、岸壁の妻コーナー
☆常設展示3 平和への祈り、引き揚げに功績を残された方々





引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の一人である端野いせをモデルとして二葉百合子の「岸壁の母」(1954年)は長い間歌い継がれており、映画も制作された。







シベリアに抑留された方々は広範囲にわたる。
2007年にウズベキスタンを訪問した際、タシケントの広場に日本人捕虜によって作られた「ナヴォィ劇場」を見て「日本人墓地」も参拝した。



パネル展示のほか、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ「引揚證明書」など約1万6千点の貴重な資料を蔵するが、常時1000点を超える品が展示されている。

岡崎公園から京都駅へ・京都市内を貸自転車で巡る

2022年09月08日 17時48分19秒 | 
岡崎公園から京都駅へ・京都市内を貸自転車で巡る
「三爺の旅・丹後半島1周」其の④








岡崎公園は、もともと明治時代に内国勧業博覧会の会場として整備された。
琵琶湖疏水でぐるりと囲まれた自然豊かなこの場所は、その景観を守るため風致地区にも指定されている。
従って、建築物は平安神宮の大鳥居より低く設計されてある。





京都市美術館は1933年公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で二番目に開館した。2020年のリニューアルに伴い京セラが命名権を取得し「京都市京セラ美術館」となった。
西側広場を掘り込んでスロープ状の広場に変え、掘り込みであらわになった従来の玄関の下側の地下一階部分にガラスをはめて、新玄関やカフェ・ミュージアムショップなどからなる空間を作り出した。
開館以来の装飾などはほぼそのまま残し、新たな展示室や収蔵庫も作られるなど大幅な改造がなされた。
館内を含め新設の別館なども見たいところだが、半日以上は要するので残念ながら外観を見るにとどめた。



細見美術館
大阪府泉大津市の実業家・細見亮市(通称:細見良、号:古香庵、1901-1978)とその長男・細見實(1922-2006)、三代細見良行(1954- )の3代が収集した東洋古美術品を展示するために開設された美術館。
骨董の世界に入門した当時、細見古香庵はコレクターとして著名であった。
1998年(平成10年)に美術館が開館し、まもなくの頃に訪れた。
敷地は狭いが、地下2階が入り口で地上3階まで吹き抜けとなっている建物は親しみやすい安らぎの空間だった。
豊富な館蔵品の一部が「若冲と京の美術 京都 細見コレクションの精華」展として、2022年4月~6月まで茨城県近代美術館開催されたのは記憶に新しい。





細見美術館から西に向かって丸太町通りを進むと「京都御苑」
何か所か入り口の門が在り、北に進めば「御所」に至る。
20年前の頃、外人さんを伴って御所を見学した。
外人さん同行なら事前申し込みをしなくても入場が可能なのだ。



「蛤御門」
現在の京都御苑の外郭九門の一つで、元治元年(1864)の蛤御門の変では門の周辺が長州藩との激戦地となった。
明治10年(1877)から明治16年(1883)にかけて行われた大内保存および京都御苑整備事業によって移設された。それ以前は現在よりも30メートルほど東の位置に、南を向いて建てられていた。
東京への遷都により御所周辺は大幅に変わったので、幕末の変革の現場を訪ねるのは難しそうだ。







二条城
御苑から西に向かって「堀川通」を南下すると「二条城」
徳川幕府における京都の拠点、徳川家康が慶長8年(1603)に京の宿館として建設した平城。
家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。
二の丸御殿や二の丸庭園など見どころ沢山だが、以前に一度だけ入場した。



西本願寺
堀川通を駅に向かって進むと西本願寺の巨大な伽藍。
東本願寺は何度か訪ねたが、西本願寺は初めて。



1997(平成9)年に開業した京都駅ビル。
中央ガラス張りのコンコースと、その横に伸びる段数171段に及ぶ大階段が特徴的な建築。
*残暑厳しい京都の町を約6時間、貸自転車に乗って回遊した。
初めてのところもあったが、多くは懐かしい所を巡った。
骨董の世界に取りつかれ半世紀、社寺や博物館・美術館を訪ねた記憶がよみがえる。



「JR茨木駅」でTさんFさんと待ち合わせTさんの自宅に。
久しぶりに顔をそろえた3人で明日からの「丹後半島1周の旅」の前夜祭。
Tさんのお嬢様手作りの肴で昔話。
お互い酒量が減りました。

残暑の京都を貸自転車で巡る

2022年09月03日 13時34分31秒 | 
残暑の京都を貸自転車で巡る
「三爺の旅・丹後半島1周」其の①






「三爺旅」参加のため、茨城空港~神戸空港~三宮~JR京都。
京都を訪ねるのは2018年以来4年ぶり、京都駅前のレンタサイクル店で自転車を借りる。

係員から自転車走行禁止区域や不法駐輪は撤去される可能性があることなどの説明を受けた。自転車やキックボード不法行為が問題になっている。京都市の貸自転車並びにサイクリングツアーへの取り組みは、観光地として努力している感じはするが、世界的に見ればどうなのだろうか。

残暑厳しい京都を自転車で約6時間にわたり、岡崎の「近代美術館」「京都市美術館」辺り中心に、サイクリングで街歩き。



京都駅前に掲示されていた古地図。
大正か昭和なのか?何時なのか分からないが、市電も描かれてある。
最初に京都を訪ねた頃は、まだ駅前に市電が走っていた。
市電が撤去され、地下鉄に移行したのはいつ頃なのか?
街を俯瞰した絵図は各地に残されているが、なかなかいいものだ。
水戸市のものも見たことがある。
現在の都市は高層ビルが多くなって俯瞰図を描くのは難しそうだ。



東本願寺の別邸・渉成園(しょうせいえん)
9世紀末に嵯峨天皇の第12子・源融が奥州・塩釜の風景を模して作庭したが、六条河原院の故地とされる。
寛永18年(1641年)徳川家光から東本願寺に寄進され、承応2年(1653年)石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭された。
*2018年の訪問時に、庭園と建物を拝見したが素晴らしい庭園だった。



渉成園の東側、高瀬川を渡ると崇仁地区。
京都駅からいくらも離れていないのに、静寂の地。
銭湯も在るし家屋もあるが、空き地が多い。
「京都芸大 崇仁キャンパス」用地の掲示がされ、まもなく建設工事が始まる。
地域を再開発して、様々な人が集い交流する「文化芸術都市・京都」の新たなシンボルゾーンを目指すらしい。



鴨川に沿って路面を走っていた京阪電車が1987年に地下を通るようになり、線路跡が遊歩道になっている。
川端通りに並行しているが、遊歩道なので安全だ。
五条・四条を過ぎて「新門前」の方向に右折。







「繩手通」「新門前通」辺りは骨董商が軒を連ねている。
敷居の高い有名店から手軽な価格のお店まで、あらゆるジャンルがそろう。
骨董の虫が背中に張り付いていた数十年間、足を運んだ思い出の地。
店から店を感激しながら眺め歩いた。
店頭に生けられた器や野草の山草の類にも心を奪われた。
見るもの聞くものの全てが新鮮に感じた。



八坂神社
祇園祭(祇園会)は夏の風物詩として著名だが、残念ながら拝見したことがない。奈良・京都の寺社巡り骨董街散策のあとの、夕食はこの辺りですました。





丸山公園一帯
茶店や名高い枝垂桜、山裾の「長楽寺」までエリアは広い。
定宿がこの近くにあったので、朝夕はこの辺りをよく通った。



ランドマーク・平安神宮の鳥居の前で自撮り。
この日の目的地は岡崎公園。
歴史的建造物をリノベーションした京都市京セラ美術館をはじめ美術館が集中するゾーン。



日本初の公立図書館・京都府立図書館。
1909(明治42)年当時の姿を残している正面外壁。
骨董熱にうなされていた時代は京都移住も考えた。
奈良・京都の寺社巡りと、時には調べものに図書館へもコースの一つだった。