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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

江戸東京博物館・常設展@東京都墨田区横網

2017年08月18日 19時34分40秒 | 博物館
江戸東京博物館・常設展@東京都墨田区横網

「江戸東京博物館」は「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として平成5年(1993年)に開館した。
JR両国駅から徒歩3分で、国技館の隣に位置している。
清澄通りの都営地下鉄・大江戸線ならば「両国駅」下車で眼の前。

「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として平成5年(1993年)に開館した東京都立の博物館。



2階の入り口から長いエススカレーターで。
建物の設計は菊竹清訓で、地上7階、地下1階の鉄骨造構造。
地上部分の高さは約62mで、江戸城の天守閣とほぼ同じと云うから、江戸城が如何に大きかったかを推測できる。
隣接する国技館との調和を考え、高床式のユニークな構造の建物になっているが、東京下町の景観を損ねているとの批判もあるように、疑問に思う設計。

これまで企画展を観るため何度か訪れたが、今回は「常設展」だけを観ることに。博物館や美術館の展示は企画展が主体だが、どっこい「常設展」は侮れない。美術や歴史が系統たって展示されているうえ、貴重な資料も多い。
しかも、料金は格安だ。

常設展示室は吹き抜け構造の5・6階で「江戸ゾーン」と「東京ゾーン」に分かれる。興味を感じるのは、勿論、江戸ゾーン。



日本橋(縮尺1/1)の模型、



中村座(縮尺1/1)の模型、



日本橋周辺の商家などの大型模型。

長屋の大型模型、江戸時代に庶民の暮らしぶりが再現されている。
「九尺二間」の長屋が一般的。



間口が9尺(約2.7m)、奥行きが2間(約3.6m)の大きさで、そのうち約1畳半を土間として、4畳半を部屋として区画されている。かなり狭い空間だ。
「深川江戸資料館」にも再現されている。



北斎の部屋の再現と云う設定。



浮世絵に描かれた「蕎麦屋」「鮨屋」。





絵を基に再現した屋台。



江戸時代の東回りの航路では、茨城の「平潟」や「那珂湊」は重要な港湾だった。



江戸時代は「循環社会」で、何でもほぼ捨てること無い状況で使用された。
着物の布地を例とした説明。

これらはほんの一部で、沢山の資料や模造品などが展示されている。

現在の館長は建築史家・建築家の藤森照信。
今年、水戸芸術館で特別展も行われたユニークな存在だが、どの様に関わっておられるのか。

「タイ ~仏の国の輝き~」展@東京国立博物館・平成館

2017年08月15日 17時31分13秒 | 博物館
「タイ ~仏の国の輝き~」展@東京国立博物館・平成館
2017年7月4日 ~ 8月27日




今年(2017年)は日タイ修好130周年で、修好記念事業として開催された。
タイと日本は山田長政の話もあるように、かなり昔からの交流が有り、宋胡録 (すんころく)の器は茶道具として古くから使用されている。
タイは仏教国で人々の暮らしの中で大きな存在で、長い歴史のなかで多様な仏教文化が花開いた。

第1章 タイ前夜 古代の仏教世界。
現在のタイの国土は、タイ族の国が興る以前インド文明を取り入れながら、独自の文化を育んだ国々があった。国境線も何度も移動を重ねてきた。



ナーガ上の仏陀坐像。
スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来
シュリーヴィジャヤ様式 12世紀末~13世紀 バンコク国立博物館蔵
クメール美術と融合した精緻な美。



法輪
スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土。
ドヴァーラヴァティー時代 7世紀 ウートーン国立博物館蔵

第2章 スコータイ。



仏陀坐像。
スコータイ時代 15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
●面長のお顔に穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりと坐す仏陀像。



仏陀遊行像
スコータイ時代 14 ~15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
●軽やかに片足を踏み出し、歩みを進める仏陀像。

第3章 アユタヤー 輝ける交易の都。

アユタヤーは14世紀半ばから400年にわたり国際交易国家として繁栄した。
アユタヤーを訪ねた時、日本人町の跡地には石碑が立てられ、簡単な記念館が開設されていたような記憶がある。

第4章 シャム 日本人の見た南方の夢

第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵



ラーマ2世王作の大扉、この扉だけ写真撮影が可、だった。
5.6メートルを超えるこの大きな扉は、1807年に創建されたワット・スタットという第一級王室寺院の正面を飾っていたもの。

チーク材の扉の表側には、天界の雪山に住むとされるさまざまな動物たちが重層的に表わされている。



扉の部分に描かれた絵。

●タイ料理に嵌って何度かタイに旅した。
バンコックの空港の強烈な熱風と熱帯の匂い。
街中の至る所に在る「屋台」の料理の数々。
市場でタイカレーの基のペーストや食材を買った。
チャトチャの大きな市場の中を布地や雑貨を探し廻った。
2000年『ザ・ビーチ』の小説・映画が話題になっていた頃だ。
沢木耕太郎の『深夜特急』の旅に憧れ、バックパッカーの聖地と言える「カオサンストリート」は、既に観光地化していたが、その先の旅を夢見。
バンコック市内、アユタヤ、チェンマイの寺院と仏像などを巡って日本の仏像との違いを感じた、
今となっては良き思い出だが、今の季節になれば、なおさら懐かしい。

タイを訪れたにもかかわらず、如何なる国かについて詳しくは分からずなかったので、今回は良い機会だった。

「空海と高野山の至宝展」@仙台市博物館

2017年08月14日 21時12分11秒 | 博物館
「空海と高野山の至宝展」@仙台市博物館
7月1日~8月27日
夏の《みちのく》へ、其の十








「空海と高野山の至宝展」が開催されている仙台市博物館は広大な仙台城址の一画で、大手門のすぐ下に在る。
さすが、仙台藩62万石。実高100万石と云われた面影が遺されている場所だ。





弘法大師像
高野山は平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師・空海(774年-835年)が修行の場として開いた高野山真言宗の本山で、比叡山と並び日本仏教における聖地。



重文 孔雀明王像(快慶作)一躯




金剛三鈷杵。伝弘法大師所持。



金念珠。弘法大師所持と伝えられる、純金の念珠。



国宝 諸尊仏龕 金剛峯寺 中国唐時代
弘法大師空海が中国から請来されたと伝えるもので、七世紀頃の作。
香木(白檀材)を三分割し、それぞれを蝶番でつなぎ、釈迦如来を中心にして諸菩薩などを細かく彫刻する。

国宝の阿弥陀来迎図や八大童子立像など、国宝が目白押しだったが密教法具の優品が素晴らしかった。

2015年7月に高野山に詣でた。
1932(昭和7)年に再建された金堂は高野山一山の総本堂。





四隅の八供養菩薩と堂裏の壁面は、笠間出身の木村武山の筆。
武山は仏画の画家として名高く、茨城県人として光栄に思えた。

今回と同様、「東日本大震災復興祈念特別展」として2014年7月~8月仙台市博物館で開催された「室生寺展は十一面観音菩薩立像(国宝)の優美な面持ちは印象的だった。
光背を外した姿を、間近に見られたのは感激だった

是川縄文館@八戸市大字是川字横山1

2017年08月10日 18時18分03秒 | 博物館
是川縄文館@八戸市大字是川字横山1
夏の《みちのく》へ、其の七






北海道・北東北の縄文遺跡群として、晩期の「亀ヶ岡」が有名なので時代が下がると思っていたら、近年「三内丸山」の発掘調査などで、紀元前5000年頃からの前期から始まっていた。
今から7000年前で、中国文明・メソポタミア文明と同じ頃だ。



縄文の文化は世界的に評価される時代となった。

三内丸山と亀ヶ岡は青森県だが、同じ青森の「是川」も有名な遺跡で八戸市に在る、以前から訪ねたいと思っていた場所だ。

「是川縄文館」
八戸市是川字中居の,新井田川に面した低い舌状台地と,その南北両側の低地にひろがる縄文時代晩期の遺跡から出土した遺物を展示してある。

2階の受付で「1時間程度ですが、ボランティアのガイドさんの解説もあります」とのことでお願いした。お蔭様で、かなりの疑問が解決し納得できた。

1920年から30年にかけて、泉山家の敷地であったこの地を泉山岩次郎・斐次郎兄弟が行った発掘によって著名になった。

泉山家は八戸にて代々紺屋や木綿、古着を営んでいた素封家で銀行やセメント会社なども設立、八戸発展の基礎を作った。
末裔は東京在住で現在も資産家らしい。



国宝指定の合掌土偶。
座した姿で、当時は座って出産したと推測される資料。



発掘時の出土状況。



出土した遺物は縄文時代晩期に東北地方一帯に広がった亀ヶ岡文化の内容を示す代表的な資料が主だが、工芸的な技術がたかい、欠損部分が少なく完形品が多いのが特徴。





美しい文様で飾られた土器。
非常に繊細かつ大胆な文様は九州から関東へかけての文様より凝っている。
弥生土器にも劣らない。



香炉。



土偶。
出産や病気や怪我からの回復、様々な願いや祈りを込めたのだろう。、



耳飾り、耳たぶに穴を空け直径2~3㎝の輪をはめ込む。



高い工芸技術を示す木製品や漆塗り製品など。



木胎に漆。木の器に漆を掛ける。



籃胎漆器。竹類などを編み組した土台に漆を掛ける。

ベンガラを混ぜて、赤い発色させて塗り固めた漆の技術が5000年以上前に使われていたことに驚く。

縄文時代の文化の豊かさに改めて驚かされた。


旧白洲邸 武相荘・其の弐@東京都町田市能ヶ谷

2017年04月17日 18時37分18秒 | 博物館
旧白洲邸 武相荘・其の弐@東京都町田市能ヶ谷





武相荘の外観は撮影可だが、ミュージアム内は撮影できない。
ガレージにモニターが置かれ、白洲夫妻の概略を知ることが出来るDVDが映し出されている。
其の画面と、HPの写真を紹介。

1943年5月に鶴川に転居し、自給自足の農民生活を始めたのは次郎41歳、正子33歳。

太平洋戦争中という状況下だが、田舎暮らしはかなり時代を先取りした決断だった。




戦後、次郎は吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」といわれた。
日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫いた。
いくつもの会社の経営に携わったが、本拠地は鶴川の「武相荘」。



ケンブリッジ留学時に身に着けた「カントリージェントルマン」の生き方を実践した。





晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。



遺言は「葬式無用、戒名不用」。
多くの人も願うだろうが、世間のしがらみも有り実践できる人は少ない。



まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。

正子は青山二郎や小林秀雄との交流を通じて骨董蒐集家・随筆家として活躍した。
私も骨董の世界の先達として著者から多くのものを学んだ。





囲炉裏のある部屋に多くの蒐集品が展示されてある。

蒐集品はもとより、青山二郎を中心として小林秀雄や白洲正子らの交友録もそのひとつ。



北側の小部屋が正子の書斎。





書棚には、著書も並んでいた。
『栂尾高山寺 明恵上人』(講談社 1967)、『近江山河抄』(駸々堂出版 1974)、『かくれ里』(新潮社 1971)、『十一面観音巡礼』(新潮社 1975)、『西行』(新潮社 1988)

などを読み、それを手にして現地を旅することに憧れた。
僕は「白洲宗」の門徒であったとも言える。



奥座敷の着物など。

1985年に次郎が1998年に正子が死去。
2001年10月より記念館・資料館として一般公開された。



とは言え、おいそれと訪ねるのも躊躇するところがあって、今回やっと実現した。

現場を見られて良かったというのが実感だが、これからさらに学びたいと思う。


●「白洲次郎と正子の愛した武相荘のもてなし」展


会期: 2017年4月5日(水)~5月9日(火)
会場: 日本橋三越本館5階 ギャラリー ライフ マイニング

次郎と正子の往時の暮らしぶりを再現し、白洲家愛用の品々を武相荘監修のもと当時に近い装いで展示されているらしい。
鶴川まで行かなくとも見られるのは嬉しいことだ。

旧白洲邸 武相荘・其の壱@東京都町田市能ヶ谷

2017年04月15日 22時27分08秒 | 博物館
旧白洲邸 武相荘・其の壱@東京都町田市能ヶ谷



念願であった白洲次郎・正子夫妻の旧居「武相荘」(ぶあいそう)を訪ねた。





武蔵と相模の境にあるとういうことで命名、昭和18年に移り住んだ当時は邨だったようだが、今では周囲は全て住宅地だ。
白洲邸は、今もなお山の全てが敷地で何千坪か有りそうだ。



門の手前のガレージにクラッシクカーが。
車好きであった白洲次郎が神戸時代に愛用した車とほぼ同じ仕様の車が展示されていた。




入り口の門。



次郎作の新聞・郵便受けの表示板。



門を入って直ぐに納屋の1階は使用した農機具など。



納屋の2階は「ホームバー」と遺品なども展示。



奥が母屋、手前は現在レストランとして営業。



茅葺屋根の母屋。
養蚕農家だった民家を改造した。

母屋は「ミュージアム」として使われている。



至る所に「壺」が在る。







裏山の一部は散策路、途中に石仏や宝塔が配されている。


美浦村文化財センター「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3

2017年02月28日 16時52分48秒 | 博物館
美浦村文化財センター(別称 陸平研究所)
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3




美浦村への「旅ブラ」今回のメインは「陸平貝塚」だ。



Wikipediaには《「陸平貝塚」は1879年(明治12年)当時、東京大学生でエドワード・S・モースに学んだ佐々木忠次郎、飯島魁によって日本人で初めて発掘調査が行われた遺跡であり「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。》とあるように。縄文文化に興味があれば一度は訪ねたい場所なのだ。

今回の旅ブラで、念願がかなったのは嬉しい。



「美浦村文化財センター」で集合写真。
元美浦村村長・市川紀行氏は「陸平貝塚の保存と活用」に長い間尽力されている。
今回の企画に大いなる協力を戴いた。(後列の左から2番目)

陸平貝塚などの遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ小屋に「陸平研究所」という看板が掲げられたのが「美浦村文化財センター」の前身で、現施設は2004(平成16)年にオープンした。

陸平貝塚は霞ヶ浦南岸の標高20~30mの独立した台地に、縄文時代早期から晩期までに形成された大規模な遺跡。



貝はハマグリを主体としてシオフキ、オキシジミなど、魚骨ではクロダイ、スズキ、獣骨ではイノシシ、シカなどが検出されている。
道具類としては、土器以外に石皿、石鏃(せきぞく)、磨製石斧、骨角器、石錘(せきすい)など多様な出土物があり、様々な海や山の幸を食料としていたことがわかる。







明治時代の発掘時の調査報告や出土した土器の模造品が展示されている。



双口土器は珍しい。







猿投窯の灰釉陶器(平安時代・9世紀)
信太入子台遺跡(シダイリコダイイセキ)、美浦トレーニングセンター乗馬苑建設時の発掘調査で出土。現在の愛知県北部で焼かれた蔵骨器だか端正な形で、かなり身分の高い人のためであろう。



木原城址より出土した「十一面観音像」鎌倉時代。
高さ5センチ足らずの小さな像で鍍金が良く残っている。
武士が身に着け、お守りとしたものであろうか。

イカㇻカㇻ -アイヌ刺繍の世界-@茨城県立歴史館

2017年02月10日 22時35分24秒 | 博物館
イカㇻカㇻ -アイヌ刺繍の世界-@茨城県立歴史館
2月4日~3月20日







昨日は早朝から雪で15cmくらい積もったが、後に雨と成り、殆どの雪は溶けてしまった。3年前も雪が降ったとか、立春を過ぎて本格的な寒さとなり、時には雪が舞うのもこの辺りの常なこと。
梅の花も咲き初め「水戸の梅祭り」は2月18日(土)から始まる。



「梅祭り」に合わせ、偕楽園の近くの茨城県立歴史館では様々な企画展を催してきた。
今年度は「イカラカラ-アイヌ刺繍の世界-」展

北海道の先住民族、アイヌに関して知る機会はとても少ない。
本特別展は,公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構と茨城県立歴史館との共催による巡回展でアイヌ文化に触れ、理解する絶好の機会と思う。

水戸藩と北方の関連では、二代藩主の徳川光圀は他藩に先駆け、長さ50mに及ぶ巨船『快風丸』を建造し、3度に渡り派遣して調査と交易をしている。
光圀は「大日本史」における修史事業と共に、蝦夷地に対する重要性の認識していたのは、先見の明があった。
9代藩主の斉昭もまた蝦夷地の調査に藩士を派遣している。

この辺りの事情は知らないことばかり、この機会に何度か足を運んで理解を深めたいと思っている。

「イカㇻカㇻ」はアイヌ語で「刺繍されたもの」の意味と云う。
曲線を用いた文様が特徴だが、作り手独自の感覚で造形されるから似てはいるが同じものはない。



刺繍の施された樹皮や木綿のアットゥシのほか、首飾りや帯、手袋など、18世紀から現代までの服飾を中心に展示されている。



中国服の影響の強い物もある。



現在の常陸太田市出身の木村 謙次(1752年〈宝暦2年〉―1811年〈文化8年〉
は寛政5年水戸藩の内命をうけて蝦夷地沿岸を踏査。10年には下野源助の変名で,近藤重蔵の国後・択捉島探検にしたがった。



現地で蒐集したこの展示品が、現存するアットゥシで最古とされる。

紀州徳川家の蒐集品と云われる魚皮・樹皮繊維・草皮繊維のアットゥシも展示されている。紀州家のコレクションは東博に寄贈され、アイヌ文物の主力を成している。




和人から入ってきた和服の生地を着物や襟、切伏(布を文様にして縫いつけていく)などの色柄あわせたもの等、約40点が展示されている。
この部分が、今回の展示のメインと云える。



マエタレ(前掛け)の各種や手袋、小物入れ。

カンムリと云うか帽子・鉢巻の様なもの



耳飾り、首飾り、腰飾り

伊能忠敬と間宮林蔵の師弟関係。

伊能忠敬(1745~1818) 江戸後期の測量家・地理学者。高橋至時に西洋暦法・測量技術を学び、幕命で蝦夷地をはじめ、全国の沿岸測量に従事。日本最初の実測図「大日本沿海輿地全図」を完成。

間宮林蔵(1780~1844)江戸後期の探検家。現・常陸太田の出身。
伊能忠敬らに測量術を学び、幕命により樺太を調査。さらに海峡を渡って黒竜江下流を探検し、樺太が島であることを確認した。

国宝「伊能忠敬測量図下図」(伊能忠敬記念館),
重要文化財「日本国図(蝦夷)」(東京国立博物館),重要文化財「聖徳太子絵伝」(那珂市上宮寺)など,アイヌの歴史を伝える貴重な絵画資料や歴史資料が紹介されている。

●2014年6月、ホーリーホックの応援に札幌に行った時に北海道大学植物園の「北方民族資料室」や東博の常設展示など僅かな見聞から縄文時代はアイヌ人が多く、原日本人はアイヌでは、と感じているので今回の展覧会は興味深い。

●最近の歴史館の展覧会は予算の面もあるだろうが大規模展が少なく、教育的な常設展示で済ましているように思え、物足りなさを感じていたが巡回展でも良いから見応えある展覧会を開催してほしいと思う。

「火焔型土器のデザインと機能」展@國學院大學博物館

2017年01月29日 17時10分09秒 | 博物館
「火焔型土器のデザインと機能」展@國學院大學博物館
平成28年12月10日~平成29年2月5日






縄文時代は約1万年前頃から稲作が始まる弥生時代に至る約3000年前まで続いた狩猟と採取による生活で土器や石器を使用していた。母系社会で争いの無かった時代と言われる。

煮炊きに使用された土器なのに非常に優れたデザインや技術が使用されているものが見られる。



機能性で言えば上部の装飾は必宝なく、逆に邪魔な訳だが、異様な文様ものも多々ある。
今回の説明によれば縄文人の「世界観」と云う事らしい。



その代表的なものが火焔土器で縄文時代中期を代表する一種で、燃え上がる炎を象ったような形状で信濃川の流域で出土する。

美術家の岡本太郎(1911年- 1996年)は1951年に東京国立博物館で縄文火焔土器を見て衝撃を受け、翌年、美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表。この反響によって、日本美術史は縄文時代から語られるようになったといわれている。

今回の展覧会は発端となった火焔土器の特別展。
国際的な評価の高まりを受けての「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」のタイトルを付けたのであろう。

装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器である。
初めて発見された馬高遺跡を標式遺跡として馬高式とされるものの一部が該当する。

第1章 火焔型土器の誕生





第2章 火焔型土器と王冠型土器







国宝の新潟県笹山遺跡出土深鉢型土器(十日町市博物館蔵)

国指定重要文化財の新潟県馬高遺跡出土品(長岡市馬高縄文館蔵)や新潟県堂平遺跡出土深鉢型土器(津南町歴史民俗資料館蔵)なども展示されている。



第3章 火焔型土器のココロ



三角形土版。
始めて見たが、他にはあまり類例が無いように思える。



土偶も珍しい器形があった。

縄文土器のうち深鉢などには煮沸痕を有するものがあることから、食料を煮る(煮沸)ため、あるいは貯蔵するために用いられたと考えられる。
クマ・シカ・タヌキなどの動物、ドングリ・クリ・トチなどの木の実、シャケ・カイなどの川や海の生物など多岐にわたる。

●縄目文様は撚糸を土器表面に回転させてつけたもので、多様な模様が見られる。
しかし実際には縄文を使わない施文法や装飾技法も多く様々である。
縄目文様以外の施文法として、爪形文やササの茎・動物の管骨などを施文原体とする竹管文、貝殻を施文原体とする貝殻条痕文などがある。
*火炎土器は縄文は無く紐状の竹管文が施されている。

●縄文土器(縄文時代)の時期区分

草創期:約16,000年前~
早期:約11,000年前~
前期:約7,200年前~
中期:約5,500年前~
後期:約4,700年前~
晩期:約3,400年前~(晩期から弥生時代への移行は地域によって異なる)


國學院大學博物館@渋谷区東4-10-28

2017年01月28日 16時20分34秒 | 博物館
國學院大學博物館@渋谷区東4-10-28



東博の「春日大社展」を観て「火焔型土器」の特別展が開催されている國學院大學博物館に向かった。國學院大學は遺跡の発掘や神主養成の課程がある。という程度の認識で、どんな大学で何処にあるのかを知らなかったので、事前に住所は確認した。

「渋谷駅」或いは「恵比寿駅」から徒歩で15分位。
どちらからでもさほどは変わらないらしいので恵比寿で下車し六本木方面に。途中に「山種美術館」が在る。



坂を登って左折すると「國學院大學・渋谷キャンパス」。
住宅地の一角にモダンで都会的なキャンパスが展開されている。
堅苦しく感じる校名とはかなり異なった感じだ。



平成25(2013)年に開館した國學院大學博物館の館内は、考古、神道、校史の3つの展示ゾーンと、さまざまなテーマによる研究成果を公開するための企画展示室で構成されている。
今回の「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」展は企画展示室に展示されている。
【入館料】無料 【開館時間】10時~18時(入館は17時30分まで)年末の閉館期間を除き。日・祭日も開館と言うのは嬉しい。

中学から高校時代はトロイアを発掘した『古代への情熱 シュリーマン自伝』に影響を受け、考古学に興味があったからこの手の展示には関心が尽きない。






火炎土器の特別展に関しては次回に述べるが、樋口清之教授が寄贈した資料を展示した「考古学陳列室」が博物館の前身になった歴史等の説明もある。





縄文土器



土偶。



弥生土器

●國學院大學博物館
昭和3(1928)年創立の考古学陳列室(後の考古学資料室・考古学資料館)と、昭和38(1963)年創立の神道学資料室(後の神道資料展示室・神道資料館)の、両組織を統合した施設として、平成25(2013)年に國學院大學博物館が発足した。

●國學院大學

1882年(明治15年)国学教育(日本の古典・礼式など)の普及として設けられた皇典講究所(国学研究機関)が1890年(明治23年)に国史、国文、国法を講究施設として開院した神職養成教学機関の國學院を起源とする。
1920年(大正9年)の大学令によって大学(旧制大学)に昇格し、戦後は、1948年(昭和23年)に現行学制によって新制大学となる。(Wikipediaより)

春日大社展〈千年の至宝〉@東京国立博物館 

2017年01月27日 18時52分50秒 | 博物館

春日大社展〈千年の至宝〉@東京国立博物館 
 2017年1月17日 ~ 3月12日




世界遺産の一つである奈良・春日大社は、奈良時代の初めに鹿島から武甕槌命が白鹿に乗って御蓋山に降り立ったとされる。
鹿島を地元とする茨城の人間としては良く知っておく必要がある神社だ。
されど、殆どわからないので展覧会を拝観に。



御蓋山の中腹の本殿(上空から)

第1章 神鹿の杜



鹿島立神影図 南北朝~室町時代・14~15世紀春日大社蔵
武甕槌命が鹿に乗り、春日の地に降臨した様子。
春日大社の草創を物語る作例で、後小松天皇奉納と伝えられる。



本殿の第2殿を再現。
御殿の間の壁にある「御間塀」は、昨年の式年造替で撤下されたもの

第2章 平安の正倉院
神々の調度品として奉納された古神宝。
春日大社には平安時代に奉納された本宮御料(ほんぐうごりょう)と若宮御料(わかみやごりょう)が伝わり「平安の正倉院」とも呼ばれる。



国宝 金地螺鈿毛抜形太刀 平安時代・12世紀 春日大社蔵
柄(つか)や鍔(つば)などの多くの金具は金無垢に文様を彫り出し、鞘(さや)は金粉を蒔き、螺鈿で雀を追う竹林の猫を表現。まばゆく輝く黄金の太刀。

第3章 春日信仰をめぐる美的世界
草創以降、貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げた。神と仏が一体であるとする神仏習合の思想を背景に、仏法を守護する春日の神々への信仰も広がりをみせた。



春日宮曼荼羅 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山、春日山、若草山を配している。
聖地・春日野を一望にする礼拝画の大作。

第4章 奉納された武具
春日大社には多くの武具が奉納されている。



国宝 赤糸威大鎧(梅鶯飾) 鎌倉時代・13世紀春日大社蔵



春日大社の回廊沿いにずらりと並んでいる釣燈籠が23基。
古美術愛好家の憧れだ。

第5章 神々に捧げる芸能
祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品。



重要文化財 舞楽面 納曽利(ぶがくめん なそり) 平安時代・12世紀 
春日大社蔵

第6章 春日大社の式年造替
春日大社では社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行なわれ、平成28年(2016年)の御造替は60回目。



獅子・狛犬(第一殿) 鎌倉時代・13世紀 春日大社蔵

●「千年の至宝」のサブタイトルにあるように、平安貴族の美意識を反映した神宝国宝・重文が100件以上展示されている。
この機会に細部まで拝見しておけば、次の機会には理解が深まるように思えた。
とは言え度、次回の奈良訪問は何時のことやら。

●春日大社には次の四柱が祀られている。
武甕槌命 - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)、
経津主命 - 同上(下総国香取の神)、
天児屋根命 - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)、
比売神 - 天児屋根命の妻

利休に見せたいッ!@茨城県陶芸美術館

2017年01月20日 15時41分25秒 | 博物館
利休に見せたいッ!@茨城県陶芸美術館
現代の茶陶:1月2日(月)~3月12日(日)




きものを着「抹茶を一服」の暮らしを夢見ても、洋風化し畳の部屋が失われ、高齢化で椅子が多くなり、座敷を主とした文化が失われるのは残念だが、致し方ないのが現実だ。

その様な日常生活の中で「お茶」や「お花」掛け軸」はどうあるべきなのか、或いは将来はどうなのか、疑問と恐れへの答えは無い。



現代において「利休に見せたいッ!現代の茶陶」展

第1章古典陶磁の復興
石黒宗磨・荒川豊蔵・金重陶陽・藤原啓・山本陶秀などの人間国宝の作品は伝統作品としての完成度。

第2章戦後の茶陶と各地における展開
多くの作家の作品が展示されているが懐かしく印象に残った作家・作品は。

●骨董古美術に造詣の深かった辻清明の信楽の花入れや茶碗が4点。
●没後も絶大の人気の加守田章二の花入れが1点。
何故もう少し出品されなかったのか、茶陶のようなモノは制作しなかったのかもしれないが。
●テレビなどでの紹介される機会が多、い十五代楽吉左エ門の「焼貫黒茶碗」。



先日「日曜美術館」で製作工程や窯入などを見たばかり。



2015年9月に守山市の「佐川美術館」を訪ね、池の下の「樂吉左衞門館」は自ら構想し、5年の歳月をかけたと云うだの見事と空間と作品を思い出した。

●岡田裕の「灰被茶碗」は碗成りとした円やかさが良い。

第3章近年の多彩な表現



●水元かよこ「うさみみPOP」ウサギの耳まで着いた現代的な茶碗の存在感。象牙かと思えるような地肌にカラフルな彩色。

現代の「茶陶とは」、「お茶に」未来は、を考える展覧会だった。

「見てふれて楽しい考古学展」@茨城県歴史館

2017年01月07日 23時04分52秒 | 博物館
「見てふれて楽しい考古学展」@茨城県歴史館
会期:平成28年12月3日~平成29年1月22日




道路・工場・公園・住宅団地などの建設工事に伴い遺跡が発見されると調査が行われる。
茨城県内でも毎年多くの遺跡が調査され、現地説明会などの遺跡の公開や発掘調査報告書の刊行という形で公表される。

「見てふれて楽しい考古学展」は茨城県教育財団が主に平成26・27年度に調査した遺跡の出土遺物などから、遺跡の性格や当時の生活の様子を紹介する展覧会。

築地遺跡(常総市)



土偶と耳飾り。
謎の多い土偶と、かなり大きい耳環。



髭釜(ひいがま)遺跡(大洗町)
弥生式土器



宮後遺跡(ひたちなか市)
古墳時代後期の土器。

宮中野(きゅうちゅうの)古墳群(鹿嶋市)



子持勾玉も謎が多い。

見川塚畑(みがわつかはた)遺跡(水戸市)

「見川塚畑遺跡」も紹介されています。
2016年7月3日(日)午前10時から「見川塚畑遺跡」の発掘調査説明会が開催されたので参加した時の写真。





遺跡の広さと十王台式の弥生土器の美しさに驚嘆。



鉾田市吉十北遺跡出土の縄文土器

縄文時代は1万4千年前から紀元前6世紀、続く弥生時代は3世紀までと言われる。文字のない時代ゆえに謎は多い。
縄文時代は女系社会で土器の制作も女性であったという説もある。
縄文土器は世界的に見ても類をみない美しさを有する。
茨城出土の縄文土器は中期から晩期の優品が多い。

異様な器形の多い土偶もまた謎だ。
謎の多さが古代へのロマンを掻き立てる。

●茨城県立歴史館は、茨城県の歴史に関する「博物館」と「文書館」の機能を併せ持った施設として、昭和49年(1974年)に開館した。

博物館として研究・展示機能と文書館としての資料の保存・研究の守備範囲は広く、両方を兼ねた施設は茨城県立歴史館以外にない。
開設40年を過ぎて、その方向性はっきりさせる時期が来ているように思う。

新年を寿ぐ@東京国立博物館

2017年01月03日 14時16分22秒 | 博物館
新年を寿ぐ@東京国立博物館



「青春18切符冬の陣第3弾」は「東博」と隅田川沿いに北斎ゆかりの地を巡った。

御徒町で下車し仲御徒町の駐輪場で貸自転車を借りる。
9:30の開館と同時に入館。





本館前で「初春を祝うイベント」。





国宝 松林図屛風
長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀・本館2室(国宝室)

さまざまな工夫と技法によってあらわされた松林。
霧の晴れ間から柔らかな光が差し込んで、遠く雪山がのぞき、冷たく湿った空気が漂う。
松林という日本の伝統的なモティーフを、中国絵画から学んだ水墨表現によって描き出し、日本の風土の豊かな形象をみごとにあらわしている。



臨時全国宝物取調局
明治21年・・・臨時全国宝物取調局が宮内省に設置。
九鬼隆一が責任者となり、 岡倉天心らが中心となり10年間にわたり全国の古社寺を中心に宝物の調査が行われた 。調査を通じ京都、奈良の社寺に特に優れた宝物が多く、かつ破損、散逸の危機にさらにさらされているとし、保存の為の施設の必要性が呼ばれた。 結果、明治22年に東京の図書寮付属博物館を帝国博物館に改める。 明治28年に奈良帝国博物館、明治30年に京都帝国博物館が開館した。
日本における文化財保護・博物館の始まり。



紅白芙蓉図 (こうはくふようず)李迪
調査により発見された。
李迪は南宋の孝宗・光宗朝から寧宗朝の前期,すなわち12世紀後半に活躍した宮廷の画院画家で花鳥画をよくした。

写実的で細緻な表現は秀逸であり,南宋院体花鳥画の最優品。
各幅に「慶元丁巳歳李迪画」の落款がある。福岡孝悌旧蔵品。





『松梅群鶏図屏風』伊藤若冲(1716年-1800年)
鶏を多く描いた若冲の水墨画。



西湖春景・銭塘観潮図屏風 池大雅筆 重要文化財江戸時代・18世紀
本館7室(屏風と襖絵)

「博物館で初もうで」@東京国立博物館

2017年01月02日 05時04分37秒 | 博物館
「博物館で初もうで」@東京国立博物館



今年の元日は快晴の上に風も無く、暖かな一日だった。
友人・知人・家族を含め特別のことも無く、新たな年を迎えることが出来たことは嬉しいことだ。
これも、皆様方のお蔭と感謝申し上げます。

暮れから新春の楽しみは「青春18切符」を使用しての小さな旅。
12月21日と30日の何れも東京日帰りの旅。

今日2日も同様で、先ずは東京国立博物館に行くことに。
干支(えと)であるトリを表した美術工芸品を集めた新春特集展示「博物館に初もうで 新年を寿ぐ鳥たち」と国宝 松林図屏風(長谷川等伯筆)を拝見する。



国宝 松林図屛風(右隻)
長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀・本館2室(国宝室)



重要文化財 竹鶏図 (写真左)
蘿窓筆 中国 南宋時代・13世紀
桐鳳凰蒔絵鞍 (写真右上)
江戸時代・18世紀 小野逑信氏寄贈
花鳥図屏風 (写真右下)
海北友雪筆 江戸時代・17世紀

本館 特別1室・特別2室

正月2日と3日には、和太鼓・獅子舞・曲独楽・コンサートなど、初春を祝うイベントがあるのでこれも見てみたい。

今年も小さな旅が幾つかできること、皆様方が健康で元気な毎日を過ごされんことを願っている。