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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「正倉院展」は季節の風物詩とも言える存在だが。

2016年10月12日 09時12分19秒 | 博物館
法隆寺宝物館@東京国立博物館





奈良 国立博物館の「第68回 正倉院展」が10月22日~11月7日迄、 全17日開催される。
「正倉院展」は季節の風物詩とも言える存在だ。

古美術・骨董に熱を上げた頃の10年間、毎年とは云えずとも、駆け付けること情熱を注いだが、40年近い時間が経つ。

当時も混雑はしたが、最近の報道から感じるのは観客の多さは異常で、行く気にはならず、NHKのテレビで満足している。

門前の抹茶・古美術の「友明堂」田中昭光さんのお話しを伺い、御尊顔を拝したいとの気持ちは失せていない。
この時期となると、奈良や京都に旅したいと夢見る。

天平の息吹を今に伝える正倉院宝物だが、それ以前の飛鳥・白鳳の素晴らしさを教えてくれるのが、東博の法隆寺宝物館。



現在の、周辺に広がる木々・日光・水の全てが一体となった建築に生まれ変わったのは1999年、谷口吉生の設計による。

それまでは、毎週水曜日のみの開館だったが、何時でも拝観できるようになった。そうなると、真っ先にと言うより、通常展や特別展を観たついで、的になってしまった。誠にもったいない話だ。

明治11年(1878)に奈良・法隆寺から皇室に献納され、戦後、国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示している。
正倉院宝物と双璧をなす古代美術のコレクションとして高い評価を受けているにも拘らず、何時も少ないのは何故?
観るには静かでよいが、もっと多くが来館しても、との念はある。





1階 灌頂幡、金銅仏・光背・押出仏、伎楽面など。












飛鳥・白鳳の小金銅仏が揃ってみられるのはここだけだ。



摩耶夫人および天人像。

2階 木・漆工、金工、絵画・書跡・染織

法隆寺献納宝物を代表する作品として著名な竜首水瓶や、鵲尾形柄香炉、海磯鏡など金工作品が展示されているが。



これらのシンプルな「水瓶」の姿は、完璧の一言。


次回の東博は最初に「法隆寺宝物館」。


シルクロード@東博・東洋館

2016年10月11日 09時20分30秒 | 博物館
シルクロード@東博・東洋館






東博の「東洋館」が耐震工事と共にリニューアルオープンしたのが2013年。照明も明るくなり、大分見易くなった。
階段の配置など、基本的な構造に変化はないから動きづらいのは変わらないが、エレベーターも新設されたから幾分違う。

東洋館は中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物が展示されている。





どの展示室を廻るかはその日によって異なるがシルクロード関連の「インド・ガンダーラの彫刻」は大好きだ。








北インドではクシャーン朝(1~3世紀)に仏教美術が隆盛し。
1世紀頃にガンダーラ、マトゥラーにおいて相次いで仏像の制作が始まった。

ガンダーラでは仏陀の生涯をつづった仏伝美術が盛んとなる。

ウズベキスタンのサマルカンドまでは行ったが、インドもガンダーラも行ったことが無い。
アフガニススタンには行くことは出来ない時代となった。

世界の情勢によって遺物の破壊や消滅が瞬時に行われてしまうのは悲しいことだ。

林十江の「鰻」と「蝦蟇」@東京国立博物館

2016年10月10日 20時15分33秒 | 博物館
林十江の「鰻」と「蝦蟇」@東京国立博物館



東京国立博物館は僕にとってのワンダーランド。
年間パスポートを購入してあれば、本館・東洋館・法隆寺館の通常展は無制限で、特別展も年間6回入場できる。

本館の常設展示は充実していて、特別展に引けを取らない。
部屋ごとの展示替えも定期的にある。

本館8室:書画の展開―安土桃山~江戸



重要文化財『夏秋草図屏風』 酒井抱一筆 江戸時代・文政4年(1821)頃
酒井抱一はサントリー美術館で開催されている「鈴木其一」の師匠。



『蝦蟇図』 1幅 林十江筆 江戸時代・19世紀



『鰻図』 1幅 林十江筆 江戸時代・19世紀

林十江(はやし じっこう):安永6年(1778) – 文化10年(1813)は、水戸出身の江戸時代中期・後期の日本の南画家・篆刻家。
奔放で大胆な構図が特徴で花鳥画・虫獣画に優品が多く奇才と呼ばれた。
一気呵成に描く筆さばきは、十江ならではの魅力。

『木の葉天狗』 『松下吹笛図』 『蜻蛉図』 『十二支図』などが知られるが『鰻図』も何点か描いている。
水戸の蒲焼は名物だが、ウナギ料理店の掛け紙に使われている。

通称長次郎、名は長羽、字を子翼・雲夫。十江は号で、他に十江狂人、風狂野郎、水城俠客、草巷販夫、印禅居士、懶惰山老など数多いのも奇人と呼ばれる所以。



本館12室:漆工
重文 子日蒔絵棚 1基 伝本阿弥光悦
光悦ならでの高蒔絵の棚。

「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」

2016年10月10日 13時17分56秒 | 博物館
「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」
@東京国立博物館 9月13日 ~ 12月11日





琵琶湖を中心とした滋賀県だが、南部の甲賀地方には行く機会が少ない。
信楽焼きの故里であるし「ミホミュージアム」も行きたい美術館。
是非とも訪ねたい場所だが、幾らか交通の便が悪く二の足を踏んでいる。

滋賀県は仏像の宝庫だが、甲賀市に所在する天台宗の古刹、櫟野寺(らくやじ)には重要文化財に指定される平安時代の仏像が20体も伝わる。



東京国立博物館の特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」
本尊の十一面観音菩薩坐像は像高が3mもある圧巻の作品、普段は大きく重い扉に閉ざされる秘仏が東博本館特別室に移動した。




重要文化財 十一面観音菩薩坐像 平安時代・10世紀 像高が3m
ぐるりと一回り、光背もよく観ることが出来る。



重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・12世紀 2.2m




重要文化財 観音菩薩立像 平安時代・10~11世紀
吊り目で顔が小さく細身、この地方独特の様式らしい。
このタイプの木彫像が体以上並んでいる。

「国宝でよみとく神仏のすがた」@神奈川県立金沢文庫

2016年09月10日 06時33分23秒 | 博物館
「国宝でよみとく神仏のすがた」@神奈川県立金沢文庫
8月5日~10月2日




称名寺聖教16,692点、金沢文庫文書4,149通は、とくに鎌倉時代~南北朝時代の政治、外交、宗教、文化を明らかにする第1級の史料として評価され、新国宝に指定 されたことを記念する展覧会が神奈川県立金沢文庫で開催されている。



神奈川県立金沢文庫は京浜急行「金沢文庫駅」から徒歩約10分。
称名寺の境内の一郭とも言える場所だ。
平成23年の「運慶展」以来2度目、横浜から幾らか離れているので足を延ばすのが少し億劫さを感じるが、主任学芸員を務めている瀬谷貴之さんが水戸出身、先輩の息子さんなので一度おもにかかりたいと思っている。

更に、今回の企画は金沢文庫保管以外に、仏教の流れに関連する個人収蔵の作品が展示されていることも魅力だ。

第一章 神々のすがた
我が国では仏教伝来以前から、神々が各所に祀られ信仰されていた。
これらの神々は仏との習合が行われるようになった。
この時代の神像は魅力的。



男神座像(平安時代)



金銅阿弥陀如来坐像(平安時代)
小品だが、童顔で可愛らしいお顔。

第二章 慈悲救済の仏のすがた
阿弥陀如来、特に平安時代後期には、いわゆる定朝様式が広く流布した。
鎌倉時代には運慶・快慶を始めとする慶派により、写実的な像仏が行われるようになった。



阿弥陀如来坐像 (平安時代)



聖観音菩薩立像 (平安時代)



弥勒菩薩立像 (鎌倉時代)

第三章  密教修法の仏のすがた



大日如来座像 行順作 文久7年(1270)



金胎仏画帖 (平安時代)

第四章  仏法守護の仏のすがた

四天王・弁財天・大黒天などの仏像。

受付で「瀬谷貴之さんがお手すきか、アポなしだが、面会は可能か?」を問うた処、運よくお目にかかることが出来た。



瀬谷さんは仏教美術に関し注目されている研究者、今後の活躍と郷里の茨城や水戸の文化財保護にご尽力を願えればとの願いがあった。

故郷の昔話に花が咲き、機会があれば再会の約束も出来たのは嬉しかった。

●1930年の神奈川県立金沢文庫開館以来、継続してきた称名寺(横浜市金沢区)の文献資料の調査・研究をふまえ、8月17日(水)に、重文 称名寺聖教と金沢文庫文書が国宝となった。

戦争と平和展 @松本市立博物館

2016年08月16日 13時55分56秒 | 博物館
戦争と平和展 @松本市立博物館



“青春18切符夏の陣”第1弾は松本に。
水戸ホーリーホック対松本山雅FC戦の応援に。
水戸発の1番電車で上野~新宿~高尾~甲府~松本。



昼前には長野駅に到着。



駅前の「ホテル飯田屋」
チェックイン時刻の3時前なので、荷物を預け、貸自転車を借りる。
松本市内のホテル・旅館では貸自転車が無料と言う嬉しいサービスが一般的。
これなど、水戸でも見倣って貰いたい。

何にはともあれ、国宝・松本城へ。



敷地内に「松本市立博物館」が在り、松本城と博物館の共通券を購入。



特別展「第6回戦争と平和展 戦争の記憶と記録から平和を考える」が開催中。

松本市立博物館は明治39年、松本尋常高等小学校内に「明治三十七、八年戦役紀念館」として開館したことに始まり、平成18年には100周年を迎えた歴史ある博物館。
歴史・民俗分野の収蔵資料による「松本の歴史」、「松本歳時記」をメインに、「松本の伝統工芸」、「松本ってどんな街」、「松本まるごと博物館」などが展示されている。

特別展では「特攻兵が飛び立つときー松本から知覧へ」など戦時中の暮らしを偲ぶ展示物が沢山あった。






NHKの朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルとなった『暮らしの手帳』の第96号「特集・戦争中の暮らしの記録」も展示されていた。
戦争の体験は語り継がれなければならない。



観光都市松本「観光情報センター」や案内板など充実しています。
18:00キックオフ、既に松本山雅FCのサポーターが市内のあちこちに。


「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」@東京国立博物館

2016年07月29日 18時15分32秒 | 博物館
「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」@東京国立博物館
会期:2016年6月21日(火)から9月19日(月・祝)まで




古代ギリシャとローマの文明がヨーロッパ文化の源と言われるが、高校時代の世界史の勉強程度では理解が出来ないが、トロイの遺跡を発掘したシュリーマン(1822年 - 1890年)の『古代への情熱 シュリーマン自伝』には憧れ、考古学者になりたい、と思ったこともあった。

2008年にトルコ・ギリシャを旅することが出来た。
現在トルコは政情不安で旅することには危険が伴う感があるが。思い立ったとき実行しておくべきとつくづく思った。

トロイやエフェンスの遺跡さらにパルテノン神殿などの現場に立ち得たことは嬉しかったが、国立考古学博物館などの大量の出土文物を見ることが出来たことも素晴らしい体験だった。



トロイ遺跡



エフェンス遺跡



アクロポリスの丘

残念ながら、文字による解説が分からないことや歴史に詳しくないのが残念で、帰国後に勉強しようと思いながら出来ずじまい。

今回の展覧会はギリシャ国内40か所以上の国立博物館群から厳選された300件を超える古代ギリシャの貴重な作品が展示された。
エーゲ海の美しい島々から始まる世界最古のエーゲ海文明からヘレニズム時代まで、西洋文化の源である古代ギリシャ文明の黎明から最盛期に至る歴史の流れを総合的に紹介。

展示空間は、ミノス文明や幾何学様式〜アルカイック時代、古代オリンピックなど、時代やメイントピックに沿って第1章から8章まで別れた構成となっており、時代の変遷を感じながら展観できる。
ギリシャのマップや年表もあり、どの文化がいつ、どこで興隆し名を遺したのかが、立体的に把握しやすい展示方法は夏休みの歴史勉強にも向いている。
居ながらにして、この様に見聞できるのは素晴らしい時代だ。



スペドス型女性像 初期キュクラデスⅡ期、シュロス期(前2800~前2300年) キュクラデス博物館蔵



赤像式パナテナイア 小型アンフォラ ボクシング 前500年頃 アテネ国立考古学博物館蔵



漁夫のフレスコ画 前17世紀 テラ先史博物館蔵




コレー像 前530年頃 アクロポリス博物館蔵



アルテミス像 前100年頃 アテネ国立考古学博物館蔵


得月亭茶会「七夕の会」@徳川ミュージアム

2016年07月04日 13時00分47秒 | 博物館
得月亭茶会「七夕の会」@徳川ミュージアム

水戸市見川の徳川ミュージアムの茶室「得月亭」では定期的に茶席が開かれる。
7月3日は「七夕の会」として開かれた。



石州流茶道水戸何陋会の会長・湊正雄さん。
全国の石州流のまとめ役もなさっているのでお忙しいようだ。



担当したのは県立笠間高校の茶道部の皆さま。
(写真は徳川ミュージアムHPより)





今日のお菓子は七夕の会ということもあり「星と天の川」をイメージした爽やかなもの。



床のお花と掛け軸



お点前を披露する生徒さんは、先生指導のもと、お稽古のよう。
次代を担う若い人がお茶に親しむことは嬉しい。
県内の高校の茶道部、増えているとのこと。

朝倉彫塑館@東京都台東区谷中七丁目

2016年06月16日 11時07分24秒 | 博物館
朝倉彫塑館@東京都台東区谷中七丁目





明治から昭和にかけて活躍した彫塑・彫刻家の朝倉文夫(1883-1964)のアトリエと住居は1967(昭和42)年に故人の遺志により朝倉彫塑館として公開、その後、1986(昭和61)年に台東区に移管され、台東区立朝倉彫塑館となった。

朝倉は東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時にこの地にアトリエと住居を構えた。
当初は小さなものが、その後増改築を繰り返し現在の建物が1935(昭和10)年に完成した。建物は朝倉が自ら設計し、細部に至るまで様々な工夫が凝らされている。ここに朝倉彫塑塾を開き後進を育てた。

2009(平成21)年から2013(平成25)年にかけて保存修復工事を行い、耐震補強を施し、朝倉生前の姿に近づけ、文化財的な価値を高めた。
建物・敷地共に国指定の文化財となっている。

2015(平成25)年10月29日にリニューアルオープンした。
改築前に訪ねた当時は部分的な開放で、今回(2016年5月)は全貌を観ることが出来た。(一部は非公開)





3階相当まで吹き抜けのアトリエ。



1階の和室。



3階朝暘の間、ゲストルーム。
各部屋には朝倉の蒐集した美術工芸品も展示されている。



2階蘭の間、当時は温室で蘭を栽培していた。
愛猫家であった朝倉の猫の作品が並んでいる。



蘭の間の扁額。古格を感じる誰の書か?



屋上庭園、当時は野菜などを栽培した。
朝倉彫塑塾では「園芸」が必須科目だった。
当時としてはかなりユニークな発想だ。



太平洋戦争中、日本の文化財を守ったとも言われるラングドン・ウォーナー(1881-1955)の像。



屋上から中庭の眺め、中央に池が配されている。


得月亭茶会@徳川ミュージアム

2016年05月03日 21時25分24秒 | 博物館
得月亭茶会@徳川ミュージアム





徳川ミュージアムの南庭園内の茶室「得月亭」が在る。

通常は茶室内には入れないが、時折お茶会が開かれる。
ミュージアム主催の「得月亭茶会」は入館料のみで参加出来るから有難い。

5月は今日(5月3日)開かれ、遠州流・小林宗雪先生がご担当。
「綺麗さび」と言われる遠州流は小堀遠州を祖とする武家茶道の代表する一派。

茶会の終了後に御道具類を写させて頂いた。



現家元の掛け軸。









遠州好み窯といわれる高取・志戸呂、花入れや香合なども遠州流の職方の道具類が多いようだ。

茶道具についてはまるで分らないし、茶の作法も知らないが、茶室で戴く一服は嬉しい。

素晴らしい庭を拝見しながら過ごすひと時は最高の贅沢と云える。

「得月亭茶会」の開催日を確認し、参加されることをお勧めします。

「黄金のアフガニスタン」@東京国立博物館 表慶館

2016年04月17日 21時09分30秒 | 博物館
「黄金のアフガニスタン」@東京国立博物館 表慶館
2016年4月12日~6月19日








東京国立博物館で黄金のアフガニスタン-守り抜かれたシルクロードの秘宝-」展が開催されている。



アフガニスタンは中東・中央アジアに位置する内陸国でパキスタンが南及び東に、西にイラン、北にタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、国の東端は中華人民共和国に接する。


先史時代からイラン高原やメソポタミアの諸文化と早くからつながりがあり、インダス文明とも交流があったが、国境を接する他民族から侵略を受けてきた。近年はソ連軍の侵攻・撤退、タリバン政権の樹立、タリバンによるバーミヤン渓谷の文化財破壊、タリバン崩壊後の共和国発足と政治不安や紛争が続いている。
不安定な国内情勢は文化財の焼失や略奪の危機に瀕したが、一部の秘宝は博物館員たちが秘密裏に中央銀行の地下金庫に隠された。

タリバン政権崩壊後、古代アフガニスタンの秘宝は眠りから覚めた。
今回の展覧会はその内の231点と、日本で「文化財難民」として保護されていた15点が出展されている。




第1章 テペ・フロール
メソポタミアとインダスの間の文明。
アフガニスタンの北東部、紀元前2100〜前2000年頃の青銅器時代の遺跡から、
金銀器を副葬した墓地の一部が発掘された。



幾何学文脚付杯 直径9.9cm 
金製で中央アジアの青銅器時代に特徴的なゴブレット(脚台付の杯)。

第2章 アイ・ハヌム
前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王は東方に遠征し、アフガニスタンの地に。その後、前300年頃にアフガニスタン北部に作られたギリシア人の植民都市がアイ・ハヌム。

アクロポリスと2本の川で囲まれた要害の地に、神殿、宮殿、体育場、半円形の劇場などが築かれ、見事なギリシアの都市が建造された。

コリント式の柱頭を用いた建築、ギリシア語碑文、ギリシアの神々の像が出土し、まさに東方に花開いたヘレニズム文化。
*バクトリア地方と呼ばれているが,2007年国境を接するウズベキスタン・タジクスタンを訪れ、ソグド人のペンジケントの遺跡に立ったことを思い出した。




キュベーレ女神円盤前3世紀  直径25.0cm 銀、鍍金
大きな冠をつけたキュベーレが有翼の女神ニケを従えて、2頭の獅子が引く戦車に乗る。

第3章 ティリヤ・テペ
地元の言葉で「金の丘」を意味するティリヤ・テペ。
6基の墓に埋葬されていたのは女性5人と男性1人で、副葬された愛用品や身に着けていた装身具、衣服にちりばめられた装飾品には金やトルコ石がふんだんに用いられ、「バクトリアの黄金」と称されるにふさわしい輝きを放っている。



ドラゴン人物文ペンダント 1世紀第2四半期 12.5×6.5cm
金、トルコ石、ラピスラズリ、ガーネット、カーネリアン、真珠

第4章 べグラム
ベグラムは首都カブールの北約70km、海抜1600mの高地にある都市遺跡。
1〜3世紀に中央アジアから北インドを支配したクシャーン朝の夏の都。

ローマやエジプトなど地中海世界のガラスや青銅、石膏製品、インドの象牙製品、また中国の漆器などが大量に発見され、大きな注目を集めた。
ギリシア・ローマの神々やインドの女神像、色鮮やかなガラス製品などは、 シルクロードを経由した東西交易がさかんだったことを物語る。



マカラの上に立つ女性像 1世紀 高さ45.6cm 象牙
豊満な体つきで体をくねらせたなまめかしい姿の女性。
インドの象牙は古代社会で大変に珍重され、ベグラムからは数百点にのぼる象牙製品が出土した。インドの象牙はローマへも輸出されていた。



脚付彩絵杯 1世紀 高さ12.6cm 直径8.0cmガラス

第5章 アフガニスタン流出文化財【特別出品】
国内が混乱を極めていたさなか、カブールの国立博物館や国内各地の遺跡から多数の文化財が略奪され、不法に国外に持ち出された。
その一部はわが国にも運ばれたが、本展覧会を契機にアフガニスタンへ返還されることになった102件の文化財のうち15件を特別出品。



ゼウス神像左足断片・前3世紀。


記念艦・三笠@横須賀市の三笠公園

2016年03月31日 10時39分49秒 | 博物館
記念艦・三笠@横須賀市の三笠公園



今ではあまり聞く機会は少ないが、日露戦争(1904年・明治37年~1905年)は近代日本が初めて西洋列強と戦い勝利し、近代ではじめてアジア人が西洋列強を退けた戦争であった一方で、日本が帝国主義国の仲間入りを果たし、本格的に大陸へ進出する契機になり、第二次大戦につながった、という意味で、この戦争の歴史的意義は大きい。

日本海海戦の連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した戦艦・三笠はそれらの記憶が詰まっている存在。

現在は防衛省が所管し神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存され、現存している。



往時の姿は失われているが、三笠は世界で現存唯一の前弩級戦艦だけにかなり大きい。
博物館船として保存されている。



1901年イギリスで進水、1902年日本海軍に引き渡しされた。
排水量15,140トン(常備) 全長131.7m  全幅23.2m
就航時の姿。



現在の砲塔、煙突、マストなどは戦後に作成されたレプリカで、主砲はコンクリートで復元されている。
艦内で見学できるのは上甲板と中甲板で資料展示室や上映室などが作られている。
かつて軍艦であった面影は後部地区の一部を除いて見ることができない。





中甲板の資料館の展示室。



三笠のブリッジで日本海海戦の指揮を執る東郷平八郎や艦長の伊地知彦次郎(左から4人目)。東城鉦太郎画『三笠艦橋之圖』



歴史のかなたの存在だが、過去を振り返る機会になった。


司馬遼太郎記念館@東大阪市下小阪3丁目

2016年01月22日 21時26分43秒 | 博物館
司馬遼太郎記念館@東大阪市下小阪3丁目



少し不便な立地の「和泉市立久保惣記念館」を十倉氏運転の車で観られたことは嬉しかった。さほど遠くない所に「司馬遼太郎記念館」が在る、との彼の話で東大阪市に向かった。

司馬遼太郎司(1923年- 1996年)は、『坂の上の雲』『翔ぶが如く』『花神』『関ヶ原』『功名が辻』『峠』『菜の花の沖』といった小説、『街道をゆく』『この国のかたち』『風塵抄』などの紀行、エッセイ、対談などの作品で知られる。
特に、大河ドラマに複数回採り上げられ、新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた。歴史上の人物に対して、現代の日本人が彼らに対して持つ人物イメージは司馬の小説に大きく影響を受けていると言って過言がない。



僕は小説を読んだことがないが『街道をゆく』の何冊かは、自分が旅した場所やこれから出かけたい土地などについて、独自の見解を読むのは面白い。



東大阪市の住宅街の一画、自宅と隣接地に安藤忠雄設計のコンクリート打ちっ放しの建物。
入り口の門前、駐車場には案内人が立っている。
後で聞いたのだが、館内を含め全ての案内の人達は近隣の方々のボランテア活動とのことで、司馬遼太郎に対する敬意の気持ちが強い人達多い証明だ。



雑木林風の庭の小径から書斎を間近に見ることができる。



2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」。
野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きだったこと
『菜の花の沖』という長編小説にも由来する。



花供養碑
司馬遼太郎自筆の歌碑。2006年、大阪・河内長野市にあった文化・リゾート施設から移設された。



地下1階、地上2階、ゆるやかな曲線を描くシンプルな構造。



高さ11メートル3層吹き抜けの大書架、約2万冊の蔵書の世界。
まさに、司馬遼太郎の精神を感じることのできる空間。

地下の講堂では出演したVTR等が放映されているので、理解が深まる。

案内のパンフレットに『この記念館は「見る」、というより「感じる」「考える」記念館という位置づけです。』とあるように感じる空間なのだ。

活動の経費は、入館料・友の会費・寄付などで成り立っているというが、働いている多くが、ローテションを組んだボランテアの人達、と云う事も素晴らしい。

落ち着いた雰囲気のカフェでコーヒーを飲み、庭の木立を眺めながら寛いだ。


いちょうまつり@茨城県立歴史館

2015年10月29日 20時20分29秒 | 博物館
いちょうまつり@茨城県立歴史館





西の谷の2本の銀杏の樹が色づいてきた。
黄葉は一気で、あっと云う間に落葉してしまう。
既に、銀杏の実は熟し、遊歩道に沢山落ちているが、誰も拾わない。

銀杏の黄葉で僕が好きな風景は旧県庁舎の土塁の銀杏の大木群。
斜面の整理に伴い、枝をかなり伐ったから往時の面影は無いが、中学・高校時代の通学路で思い出が浮かぶ。

近代美術館に至る銀杏並木も、千波湖畔と一体となった風景は晩秋・初冬の味わいで明治神宮絵画館前の並木を連想させる。





歴史館の旧水農校舎前の銀杏並木も見事で、欅等の茶褐色に染まった木々とのコントラストは、まさに秋もたけなわ。







白の山茶花、これもまた初冬に欠かせない。

11月1日~23日まで「いちょうまつり」が開催される。
特に13日(金)は「茨城県民の日」入場無料で、高校生によるお茶会(県立東海高校茶道部)や「 いちょう並木コンサート」が開かれる。和太鼓・箏・三絃奏・水戸啓明高校ジャズバンドなど多彩な催し。
12日から15日までは「いちょう並木ライトアップ」も行われる。


外務省外交史料館・茨城県立歴史館共催の特別展「日本外交のあゆみ展」は見どころが沢山だ。



吉田茂元首相の、サンフランシスコ講和会議における「対日平和条約受諾演説の原稿」[1951年(昭和26年)9月8日]を読んだ。
サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行した白洲次郎は、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿が、GHQに対する美辞麗句を並­べ、かつ英語で書かれていたことに激怒、「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等­の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉­で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、受諾演説原稿は急遽日本語に書き換えられた。随行員が手分けして和紙に毛筆で書いたものを繋ぎ合わせた長さ30mにも及ぶ巻物となり、内容­には奄美群島、沖縄並びに小笠原諸島等の施政権返還が盛り込まれた。
推敲のあとも残るこの文章には、占領から独立に向かう日本の気概が示されており、白洲次郎の姿が浮かぶ。  
水戸徳川家第12代当主・徳川篤敬の次男で、一橋徳川家第12代を継いだ参院議員・徳川宗敬は講和会議の全権団の一員として参加している。(後列左から2人目が宗敬)1984年(昭和59年)に伝来の家宝計5600点を茨城県立歴史館に寄贈し「一橋徳川家記念室」が設けられた。

日本外交のあゆみ展@茨城県立歴史館

2015年10月22日 22時00分15秒 | 博物館
日本外交のあゆみ展@茨城県立歴史館





昨晩(10月21日)NHKテレビ・午後10:00〜 午後11:13【世界へGO!徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実】を見た。
国際的な視点から日本史に新たな光を当てるシリーズ第2弾とのこと。

日本とイギリスで同時代を生きた英雄、徳川家康と女王エリザベス1世の奇跡的なつながりや、江戸時代初期の大合戦・大坂の陣をめぐる両国の野望や国際的な謀略など、これまでと全くちがう日本史が見えてくる。

との番組宣伝で興味津々の歴史秘話。
1600年 オランダ船リーフデ号が豊後国(大分県)に漂着。イギリス人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)が徳川家康の外交顧問となった。
三浦按針を通し家康がイギリスから購入した「カルバリン砲」は射程が長く、大阪城を砲撃し、淀君の戦闘意欲をそいだ話は説得力があった。
更にはスペイン・ポルトガルのカソリック教とイギリスなどの新教国を競合させるバランス感覚に富んだ外交戦略など、歴史は知るほど面白い。



外務省外交史料館・茨城県立歴史館共催の「日本外交のあゆみ展」10月10日(土)~11月23日(月)が開かれている。
外務省外交史料館所蔵の一級資料でめったに観られないものが数多く展示されている。
開始まもない15日に訪れたが、知識がまるでないので概観して戻ってきた。
何度も通わないと、よくわからぬ!が実感。



今回の再訪は井上靖の長編小説『おろしや国酔夢譚』(おろしやこくすいむたん)の元となった、『北槎聞略』(桂川甫周)の版本と「大黒屋光太夫・磯吉画幅」
をじっくりと。



文政7年(1824)大津浜上陸イギリス人の図(茨城県立歴史館)



歴史の岐路で結ばれた条約書・批准書,ナポレオン三世やリンカーン等からの国書・親書などが多数。
外交や条約の重要性を改めて知った。



秋の歴史館、銀杏の黄葉には少し早いが、多くの木々は色づいて誠に気持ちが良い。



何処かの幼稚園児が遠足に。