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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」@東京国立博物館・平成館 特別展示室

2020年02月13日 10時49分04秒 | 博物館
日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」@東京国立博物館・平成館 特別展示室
2020年1月15日(水) ~ 2020年3月8日(日)




近現代においては「記紀」と総称される、『古事記』(和銅5年・712年)と『日本書紀』(養老4年・720年)。
教科書で習ったことが有る程度で、基礎知識が何もない。
令和2年となる本年は、『日本書紀』編纂から1300年という記念すべき年。
東京国立博物館の特別展「出雲と大和」で、幾らかの理解を深めることに。

『日本書紀』冒頭に記された国譲り神話は、出雲大社に鎮座するオオクニヌシが司ったとされる神々や祭祀の世界「幽」。
大和の地で天皇が司った現実世界「顕」。
本展は、それぞれを象徴する場所である出雲、大和の名品を一堂に集め、古代日本の成立に迫る。

そんな「幽」と「顕」を象徴する島根県と奈良県は、古代日本の礎を考える上で欠かせない地域。
本展には、それぞれの地から、国宝23件、重要文化財75件の名宝が集結し、古代日本の成り立ちを伝える展覧会なのだ。



日本書紀とは?
神代(かみよ)から持統天皇11年(697)までを記した歴史書。
舎人親王(とねりしんのう、676~735)が中心となって編纂し、養老4年(720)、元正天皇(げんしょうてんのう)へ奏上された。全30巻で、巻1・巻2は神代、巻3の神武天皇から巻30の持統天皇まで編年体でまとめられている。

第 1 章 : 巨大本殿 出雲大社


「幽」の世界を司るオオクニヌシをまつる出雲大社の本殿は、古代には48mの高さを誇ったといわれている。




重要文化財 心御柱 島根県出雲市 出雲大社境内遺跡出土 鎌倉時代・宝治2年(1248)島根・出雲大社蔵
今回の企画展最大の見所となるのは「心御柱」と「宇豆柱」。




この2本の柱は、出雲大社本殿の平面図「金輪御造営差図」に描かれた、48mの高さを誇る出雲大社本殿を支えたとされるもの。
長らく信憑性に疑問が持たれていた巨大本殿の存在を裏付ける貴重な資料。

第 2 章 : 出雲 古代祭祀の源流

弥生時代は銅鐸など青銅器を用いた祭祀が盛行するが、後に出雲では特徴的な形の墳丘墓を舞台とした祭祀へと変化する。



国宝 銅鐸どうたく島根県雲南市 加茂岩倉遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)

加茂岩倉遺跡からは日本最多となる39個の銅鐸が一括出土している。

銅鐸のなかには、シカ・ウミガメなどの絵や特殊な文様をもつものなど、他にあまり見られない独自色の強い銅鐸もある。




国宝 銅剣・銅鐸・銅矛どうけん・どうたく・どうほこ
島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀
文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)

荒神谷遺跡からは驚くべき数の青銅器が一括して出土しました。武器形青銅器と銅鐸が一緒に埋納されていたことから、『定説を覆す』、『教科書を書き換える』と評された、弥生時代を代表する青銅器群です
本章では弥生時代の祭祀に用いられた品々の移り変わりを通して、出雲における古代祭祀の源流を探る。

第 3 章 : 大和 王権誕生の地

大和に出現した前方後円墳は政治権力の象徴で、王権の儀礼が繰り広げられた舞台でもある。
本章では埴輪や副葬品にみる古墳時代の多彩な造形が豊かに展開するさまをたどりつつ、ヤマト王権の成立の背景に迫る。





国宝 七支刀 古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵
日本書紀の百済から倭王に「七つの枝をもつ刀」が献上されたという記述を裏付ける国宝「七支刀」。
記述通り、左右に3つずつの枝刃と、幹となる本体の刃先を合わせて7つの枝があるようにみえる刀剣で、日本史の一級史料ともいえる貴重な資料。




重要文化財 画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡
奈良県天理市 黒塚古墳出土 古墳時代・3世紀
文化庁蔵(奈良県立橿原考古学研究所保管)

画文帯神獣鏡1面と三角縁神獣鏡33面が出土。竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)内の被葬者の頭部付近をコの字状に囲むように置かれた三角縁神獣鏡は1つの古墳から出土した数としては全国最多です。鏡面を被葬者側に向けて被葬者を護り鎮める意図をもっていました。

4 章 : 仏と政(まつりごと)
古墳時代後期に伝来した仏教は、飛鳥時代や奈良時代には天皇、貴族、地方豪族を中心に人々の信仰を集めた。

本章では仏教を中心とした国づくりが進められるなかで、国の安泰と人々の生活の安寧を祈り誕生した造形。




重要文化財 浮彫伝薬師三尊像 飛鳥~奈良時代・7~8世紀

奈良時代以前の石仏は非常に珍しく、風化せずここまで細部が確認できるのは奇跡に近い。
鋭い彫り口やわずかに残る彩色など、当時の細かい技術を間近で観覧できる。

◎2007年11月、鳥取に在住していた高校時代の友人Tさんを訪ね、松江城から島根県立美術館~玉造温泉。
玉造温泉の名の如く、古代からの勾玉などの産地であったのだろう、茨城にも同名の地名が有る。
安来市の足立美術館(130点におよぶ横山大観の作品と日本庭園が有名)さらに出雲へ旅した。




国宝・神魂神社本殿

出雲大社、隣接の「古代出雲歴史博物館」~出雲郊外で日本海に面した日御碕神社。
国宝・神魂神社本殿などを巡り、伯耆や出雲の神話の世界をいくらか見聞した。
他に、古事記1300年「出雲」展 @東京国立博物館2012年なども観ているが「記紀の世界」は分からない。

「奈良大和四寺のみほとけ」展@東京国立博物館・ 本館 11室

2019年08月07日 19時06分44秒 | 博物館
「奈良大和四寺のみほとけ」展@東京国立博物館・ 本館 11室
6月18日~ 9月23日







十一面観音菩薩像の中で「女人高野」として知られる室生寺の観音像は、多くの十一面観音の中でもこの仏像は特に有名。

この像を含め、奈良県北東部に所在する岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院の四寺は、いずれも7〜8世紀に創建された古刹で、きわめて魅力に富んだ仏像が伝えられている。

東京国立博物館・ 本館 11室 で「奈良大和四寺のみほとけ」として国宝4件、重要文化財9件を含む名品を展示中。

特別の展示にも関わらず、通常の観覧料のみで拝観できるのは嬉しい。



国宝 十一面観音菩薩立像 平安時代・9~10世紀 奈良・室生寺蔵



国宝 釈迦如来坐像 平安時代・9世紀 奈良・室生寺蔵



岡寺を開いたと伝えられる「義淵僧正坐像」(国宝)奈良時代・8世紀



「岡寺の天人文 塼」(重要文化財)

南法華寺の「鳳凰文 塼」と対ではと思える、大きさと厚さ。
1辺約39cm 厚約8cm、飛鳥時代(7世紀後半)、奈良県高市郡明日香村岡出土。


●2014年7月4日から8月24日まで、「東日本大震災復興祈念特別展」として仙台市博物館において「奈良・国宝 室生寺の仏たち」展が開催された。

国宝の十一面観音菩薩立像、釈迦如来坐像、重要文化財の薬師如来立像、地蔵菩薩立像、文殊菩薩立像、十二神将立像など、仏教彫刻や仏画などの仏教美術93点を展示。
室生寺の宝物がこれ程に出開帳することは稀だろうし、間近な距離で光背を取り除いた状態は金堂の中で観る以上の体験で、今をもってしても思い出が深い。

茨城県歴史館の「大賀蓮」@茨城県立歴史館・蓮池

2019年08月06日 19時30分18秒 | 博物館
茨城県歴史館の「大賀蓮」@茨城県立歴史館・蓮池





茨城県歴史館は茨城県の歴史についての「博物館」と「文書館」の機能を併せ持つ持つ施設として1974年(昭和49年)に開館した。
「博物館」と「文書館」併せもつ施設は、全国的にも稀有で茨城県独自の方式だろう。

1987年(昭和62年)に、一橋徳川家からの寄贈を受けた資料、美術品、工芸品等多数の蔵書や品々をもとに一橋家記念室等も開設されている。

旧茨城県立水戸農業高等学校の敷地に建設されたので、広い敷地の庭園を散策するのも愉しい。
開館時は庭園も入場料を払う必要があったが、現在は無料で開放されている。



水戸農学校頃からの銀杏並木の見事な黄葉は人気だが、柳の木に囲まれた池の古代蓮も素晴らしい。



常磐線の線路沿いまで下る必要があるが、夏の定番スポットだ。

歴史館開設当時、池の周辺は「茨城山草会」により万葉植物園になる計画だった。
完成を待たずに消滅し、大賀蓮の池となった。

花の寿命は3日間、真夜中から咲き始め、朝5時から8時頃が満開で香りも強い。
とのことでなるべく早朝に行く様にしている。




8月2日(金)の早朝に偕楽園の東門の方から入園したが、今年は開花が遅く花も少ないように感じた。
従って、香りを嗅ぐことも出来なかったのは残念だった。



池の周辺に楓も多く植えられている。
きな水車小屋を背景とした紅葉も素晴らしい。

●大賀ハス(オオガハス、おおがはす)

1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)。
植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎(当時・関東学院大学非常勤講師)が発掘された蓮の種を発芽させたことから「大賀蓮」と呼ばれる。
この古代ハスは、1954年(昭和29年)6月8日に「検見川の大賀蓮」として千葉県の天然記念物に指定された。
日本各地は元より世界各国へ根分けされ、友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っている。

白磁の誕生と展開 @東京国立博物館・東洋館 5室

2019年03月19日 06時30分57秒 | 博物館
白磁の誕生と展開 @東京国立博物館・東洋館 5室
1月2日~ 4月21日












食器として大流行りなのが白磁の器。
もう少し別な器もあるでしょう、と言いたくなるほど。
今や「100均」でも様々なものが売られている。
それ程に一般化した白磁の起源は中国。
中国の白磁がいつどのように生まれ、展開したのかという問題を取り上げた展覧会が東京国立博物館・東洋館 5室で開かれている。

公益財団法人常盤山文庫と東京国立博物館所蔵品から選りすぐった作品が紹介されている。特に、
重要文化財 白磁水注 中国 初唐・7世紀 横河民輔氏寄贈
重要文化財 三彩貼花龍耳瓶 中国 盛唐・8世紀 横河民輔氏寄贈
白磁天鶏壺 中国 隋時代・6~7世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
白磁人頭飾り水注 中国 初唐・7世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
白磁獣耳瓶 中国 初唐・7世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵

横河民輔氏寄贈の館蔵品は観る機会が多いが、公益財団法人常盤山文庫の収蔵品を観る機会は少ないのでは。











「初期白磁」誕生頃の作品は試行錯誤の未完の美しさ、完璧でないための味わいの深さがあって見飽きることが無い。

技術的な解説もあるが、理解の範疇を越えている。
それらを理解できれば、なお楽しいのかもしれない。

●公益財団法人常盤山文庫(HPより)
常盤山文庫のコレクションは、実業家である菅原通濟(1894-1981)の蒐集を母体としています。所蔵品は禅僧の墨蹟、中世水墨画、宋代の工芸品、天神画像を四つの柱とし、現在国宝2点、重要文化財23点、重要美術品18点を含んでいます。
本格的蒐集が始まったのは戦中の昭和18年(1943)からで、集められた美術品の周りに研究者が集い、学びの場となっていきました。昭和29年(1954)、還暦を機に実業界から引退した通濟は公益事業に力を入れ、自宅のあった鎌倉常盤山の名を冠した財団法人常盤山文庫を設立し、コレクションをこちらに移しました。以後、この地での公開を開始しました。しかしながら、この場所・建物での公開が文化財保護法の改定によってできなくなり、現在は鎌倉国宝館等での展覧会の開催、国内外各地の美術館からの依頼による貸し出し、その他学術目的に供する資料提供を行なうことで、社会貢献に努めております。
展示施設を持たない常盤山文庫は、他館開催の展覧会に出品協力することで所蔵品の公開を果たしています。

博物館に初詣で@東京国立博物館

2019年01月15日 22時38分08秒 | 博物館
博物館に初詣で@東京国立博物館






大晦日と元旦を我が家で過ごした。
結構長い時間、レビを見ていた。

*アメリカ・中国共に独裁者の時代になった。
*原発事故は未だ解決の道無し。
*リーダーの義を貫く勇気が弱小化、等々――。

●浮かれていて良いのかな!


新春2日は東京国立博物館に初詣。
東京国立博物館 はワンダーランドだ。


何時、行っても楽しい。



新春、正門の生け花。




新春イベントの「和太鼓」の演奏。


今年の干支は亥(イノシシ)





「イノシシ 勢いのある年に」ということで、イノシシに関する作品が。

猪図(写真上)
岸連山筆 江戸時代・19世紀 ハーディ・ウィルソン氏寄贈

埴輪 猪 (写真左下)
古墳時代・6世紀 群馬県伊勢崎市大字境上武士字天神山出土

野猪 (写真右下)
石川光明作 大正元年(1912)  石川光明氏寄贈(東博のHPより)


新春の目玉展示は。








国宝 松林図屏風
長谷川等伯筆 安土桃山時代・16世紀




東洋館の特別展示。
「白磁の誕生と展開」
2019年1月2日~4月21日

中国北朝から隋、初唐にかけて、華北地方において白磁がいかに誕生し、展開したのか、の興味ある展示品。

本年も宜しくお願い致します。


「縄文―1万年の美の鼓動」展@東京国立博物館

2018年09月29日 18時32分03秒 | 博物館
「縄文―1万年の美の鼓動」展@東京国立博物館
2018年7月3日 ~ 9月2日






骨董古美術に入門した頃、「六古窯」と言われる中世の焼き物と縄文時代の土器。土偶・石器などに興味を持って集めた。

岡本太郎の『日本の伝統』を読み“縄文土器は世界に誇れる美である”との考えに共鳴したこと。
小学生の頃、近郊の畑で出土する縄文土器の破片や鏃を拾い集めた体験。
等によるが考古学的な興味から始まった。
その後、中学時代nトロ発掘したシュリーマンの自伝『古代への情熱』にも憧れた。

開発に伴う発掘作業で遺跡の説明会などにも参加し、多様な出土品を見る機会も多くなった。

研究が進んで縄文時代の上限が遡り、1万年続いた縄文時代が、争いもなく文化的にかなり進歩していたことも分かってきた。
吉野ヶ里や三内丸山の遺跡は残念ながらどちらも訪れていない。

東博の「縄文展」(7月3日 ~ 9月2日)を7月24日に拝観し、再度と思いつつ会期は終了してしまったが、図録を参照に感想を述べる。

通常の展覧会で図録は買わないが、今回は見たこともない優品が多く購入することにした。

第1章.
「暮らしの美」暮らしの中で作られた、さまざまな道具の美しさ。



「縄文ポシェット」
木製の網籠が、中に木の実が入ったまま木炭化した状態でみつかった。



装身具。
髪を飾る櫛、耳飾りなど。



土製の耳飾り、耳たぶに着ける。今のピアス以上の大きな耳穴に、



第2章
「美のうねり」

火焔土器を含め、縄文土器は絶え間ない変化の連続。
自由自在の造形力。

縄文時代は女系社会、だったと言われる。
男は狩や採集に、女が土器を造り、煮炊きをした。
ダイナミックな造形が女性の手によった。



深鉢形土器(甲州市出土・中期、高さ83㎝)



深鉢形土器(甲州市出土・中期、高さ72㎝)



深鉢形土器(渋川市出土・中期、高さ75.5㎝)



深鉢形土器(竜ヶ崎市・出土、高さ79㎝)

何れも大きさや造形力など、すべての面で素晴らしい。



「描き出す美」
縄文時代の後期~晩期の北・東日本の縄文土器は基面を一度磨りけし、その上に文様を描き出す。
細部まで丁寧にデザインしてある。

縄文土器の中でも謎の多いのが土偶。

女性像が多いので出産に係る護符か。
或いは出産後の発育を願ったのか。

第3章
「縄文美の最たるもの」
として、火焔土器と土偶を取り上げている。

今回も何点かは展示されているが、國學院大學博物館で平成28年12月10日~平成29年2月5日に開催された信濃川流域で出土する「火焔型土器のデザインと機能」は見事な展覧会だった。



第5章
「祈りの美、祈りの形」ここでも女性の土偶。
安産や豊穣を祈るために用いられたと考えられる。



「縄文のビーナス」(茅野市出土、高さ27㎝)国宝土偶第1号。



合掌土偶(八戸市出土、高さ19.8㎝)是川縄文館所蔵
出産している姿のようだ。

八戸市の「是川縄文館」を2017年8月に訪問したが、これほどの質と量が伴った出土品は日本で一番と思った。縄文時代に興味がある方必見の資料館と思う。



砲弾型乳房の土偶(那珂市出土)
(ポラロイド撮影の写真を複写、あらかたを推測して頂ければ)
何かの展覧会に出展される可能性あり。
と思っていたが、何十年経っても行方は分からず、再会したい幻の土偶。


茨城鉄道展 @水戸市立博物館

2018年04月17日 20時14分20秒 | 博物館
茨城鉄道展 @水戸市立博物館
4月1日(日)~5月27日(日)






水戸市立博物館は、耐震工事のため2年間にわたって休館していたが、工事が終了し,リニューアルオープンした。

2F 歴史・民俗、3F 自然・美術Ⅰ。
4F 企画展として、茨城鉄道に関する展覧会が開催されている。









茨城鉄道は、赤塚(水戸市)─御前山(城里町)間25.2㎞を走っていた私鉄。
大正15(1926)年、赤塚─ 石塚間の開業以来、昭和46(1971)年に最後に残った区間の赤塚─茨城大学前間が営業廃止になるまで、45年間にわたり、地域住民の足として走り続けた。

写真パネル・パンフレット,運転手や車掌の関連用具、駅舎のジオラマなど多数の資料が展示されてある。

8ミリフィルムで撮影された映像なども放映され、当時の沿線の風景を偲ぶことができる。

乗車体験を持つ方、往時の姿を記憶する人は少なくなった。
廃線後、線路敷の多くは道路に転用され、軌道敷の名残を探すことも難しい。

偶々、今月12日に御前山の知り合い宅を訪ねた。
なるべく、軌道敷きが転用された道路を走るようにコースを選んだ。
交換ポイントらしき場所など、一般道路とは異なる趣があった
後日、資料を基に沿線を訪ねたいと思っている。

●耐震化工事が終了し、新装開店と会って期待をもって出かけた。

予算の都合なのだろうが、2年間を費やしたにも関わらず、柱を中心とした耐震工事が重点で展示空間の照明などは変わらないように見えた。
図書館も同様で、書架の配置など若干変わったようだが変化なし。

文化予算が削減され、購入予算・企画展経費など思うに任せないとは理解できるが、この際、展示空間を含めたリニアールもしてほしかった。
現状は図書館に付属した資料館だ・

佐川元市長の頃、新博物館の構想が動き出したが、次期市長以降は計画は沙汰止み。3階の美術展示室など、広さや照明なども含め、お粗末としか言いようがない。

市民会館に膨大な予算をつぎ込む計画を変更し、独立した新博物館の計画に踏み出すことも選択肢の一つと思う。
新館は歴史と美術に特化して、弘道館に隣接した場所。

考古に関しては、常澄の「埋蔵文化財センター」展示空間を充実させる。
自然は森林公園の展示空間に移し拡充。

機能分散は経費の増加になる危険もあるが、在来設備と人員を有効利用出来る方策を考える。

リニアール後に期待が大きすぎで落胆した。
今後に期待を含め、これまで考えていたことなどをつらつらと思い出し、書き連ねた。

「人体―神秘への挑戦―」展 @国立科学博物館

2018年04月11日 18時03分59秒 | 博物館
「人体―神秘への挑戦―」展 @国立科学博物館
3月13日(火)~6月17日(日)






「人体」まさに自分自身の体なのに、考えたことが無かった。
この展覧会は人体を知り、考える良い機会だった。



万能の天才と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 – 1519)は絵画修行の過程で人体解剖学の正式な教育を受け、知識を身につけ、筋肉、腱など、人体の内部構造を描いた多くのドローイングを残している。



レオナルド・ダ・ヴィンチ
【右】「解剖手稿」より頭部断面,脳と眼の結びつき部分
1490-92年頃(イギリス・ウィンザー城王室コレクション)
【左】「解剖手稿」より消化管と腎臓、そして尿管部分
1508年頃(イギリス・ウィンザー城王室コレクション)





ヴェサリウスの革命的な解剖図譜『ファブリカ』
アンドレアス・ヴェサリウスは、16世紀の医学・解剖学者。



防腐処理のなかった当時、迅速かつ正確に自ら人体解剖を行い、従来の伝統にとらわれず自分の目で観察したままの人体の姿を解剖図譜『ファブリカ』に描き出した革命的な書物の初版本(1543年)を展示。



紙粘土製の人体模型「キンストレーキ」



名前の由来はオランダ語で「人工の死体」、高価な蝋製模型の代用としてフランス人解剖学者オヅーが開発したのがはじまり。
写真右は、加賀藩の蘭学医がオランダ海軍の軍医から購入したフランス製。
日本国内に現存するキンストレーキはわずか4体ですがそのうちの2体を本展で展示。

最新顕微鏡写真。
最先端の映像技術は生きたままの体内を色鮮やかに映し出す蛍光顕微鏡や、超ミクロの世界を立体的にとらえる電子顕微鏡など、これまでの価値観を劇的に変える装置が次々と生み出されている。



【左】腎臓の「糸球体」
©甲賀大輔・旭川医科大学/日立ハイテクノロジーズ/NHK
【右】精巣の「精細管」
©甲賀大輔・旭川医科大学/NHK

カラフルな写真ということもあるが、人間の臓器が神秘で美しいことに驚く。
人体のミクロの世界から宇宙空間の様な無限の広がりを感じた。

木島櫻谷の「寒月」@泉屋博古館 分館

2018年04月06日 22時28分19秒 | 博物館
木島櫻谷の「寒月」@泉屋博古館 分館





3月11日(日曜)、NHKの日曜美術館「漱石先生 この絵はお嫌いですか~孤高の画家 木島櫻谷~」を観て、こんな素晴らしい孤高の画家がいたもんだと。
感心した。

「生誕140年記念特別展」が泉屋博古館・分館で開催されている。
PartⅠ 近代動物画の冒険 2月24日~4月8日。
PartⅡ「四季連作屏風」+近代花鳥図屏風尽し 4月14日~5月6日





会場の泉屋博古館 分館は地下鉄「六本木3丁目駅」下車し、エスカレータで上がれば、泉ガーデン。
公園の一角に「泉屋博古館・分館」は住友グループの博物館。
京都の鹿ヶ谷の泉屋博古館本館は青銅器のコレクションで有名だ。

明治から昭和にかけて活躍した日本画家・木島櫻谷(このしまおうこく1877-1938)。
2013年に開催された回顧展をきっかけに、その後知られざる作品が続々と見出され、再評価の気運が高まっている。







櫻谷の魅力は、徹底した写生に裏打ちされた「動物画」で今回の展覧会の目玉ともいえるのが「寒月」
大正元年(1912)(京都市美術館蔵)。

月夜の竹林に現れた一頭の狐を静謐なトーンで描いた。





瞬間を絵の中に定着させる徹底した観察眼と墨の濃淡で描く技術は見事。



墨に群青を混ぜ、青みが掛かった墨色は独特だ。

別の展示室に使用した顔料が沢山展示されているが、その色数の豊富さに圧倒される。

発表時に「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と
夏目漱石が酷評した逸話がテレビで紹介された。
明治の文豪で絵画に造詣が深かった漱石も、当時は奇異に映ったのであろう。







漱石に対する反論の気持ちであろう、自画像も紹介された。

京都の旧居は春秋の時期を限って公開されている。

南方熊楠展@国立科学博物館

2018年01月24日 06時32分32秒 | 博物館
南方熊楠展@国立科学博物館
3月4日(日)迄




「南方熊楠」の生誕150周年を記念した展覧会-100年早かった智の人-が上野の「国立科学博物館」で開催されている。

南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした「情報提供者」として評価されるようになってきた。

本展覧会では、熊楠の活動のキーアイテムである日記・書簡・抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)・菌類図譜が展示されている。

抜書。









古今東西の書物を書き写したもので、ロンドン時代に大英博物館の稀覯書物を写した「ロンドン抜書」52冊、帰国後の「田辺抜書」」62冊がある。
子供の頃に『和漢三才図会』全105巻を筆写しているが、帳面はびっしりと小さな毛筆の文字で埋め尽くされている。現在ならコピーという方法が有るが、かっては筆写だけ、その根気と執念は常人では出来えない。



日記。
日々の行動を細かく、具体的に感情を交えず日記に付けた。
また、日記には見聞した話や、様々な植物や生き物が描きこまれ、採集記録としても役立っている。





帰国後の熊楠は、和歌山県の那智や田辺で”隠花植物”(コケやシダ、菌類など花の咲かない植物を総じて指して用いられた昔の言葉)や、民俗の研究にのめりこむ。

自然保護運動の先駆者
神社を一町村一社にするという「神社合祀令」に対して敢然と論陣を張り、反対運動を展開、廃令に追い込んだ。これらは現代の自然保護運動の先駆者のようにも言われる。
しかしながら、神社の合祀は進み、廃社された神社の森は伐採され、一方、残った神社も人工的な施設と化した。
神社の氏子の減少などや、森の維持管理に経費が掛かり多くの神社が丸裸になっているのが昨今の現状だ。
熊楠の努力と精神を忘れてはならない。







熊楠使用のフィールドワークの道具を展示。



熊楠の取り組みには、次のような特徴がある。
1. とにかくたくさん材料(智)を集めること。
2. それぞれの材料をデータ化して扱う。
3. 必要に応じてそのデータを自在に取り出し、処理して提供する。

自然そのものも含む様々なデータソースから集めた膨大なデータを「コピー&ペースト」して、抜書や図譜といった形で独自のデータベースを集積し、それをもとに書簡を通じて意見を交わし、ときに出版物にまとめた。

これはまさに、我々がインターネットを通じて行っている知識の検索と集約と同様で、展覧会タイトルの“100年早かった智の人”だった。

●南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年 - 1941年)は、日本の博物学、生物学、民俗学など森羅万象を探求した研究者で別名「歩く百科事典」。
英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。
言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残した。

「遺跡でブラタモリin水戸展」@水戸市埋蔵文化財センター

2018年01月19日 23時31分59秒 | 博物館
「遺跡でブラタモリin水戸展」@水戸市埋蔵文化財センター
2月25日(日)まで






昨年1月にNHK総合で「ブラタモリ #61水戸」が放送された。
まち歩きの達人・タモリさんがまちをブラブラ歩き、歴史や地形の魅力を発見するという人気番組。

水戸で出されたお題は「水戸黄門はなぜ人気があった?」でした。
番組では2代藩主光圀の父初代頼房の城郭及び城下町の整備。
光圀の上水道整備。光圀を慕った第9代斉昭の学問・教育改革についてタモリさんが現場を訪れ検証・紹介した。



テレビで放送された遺跡からの出土品やパネルを「水戸市埋蔵文化財センター」(水戸市塩崎町)に展示して理解を深めようとの企画。

「水戸城と城下町」



水戸城というと近世に造られたイメージが強いが、その成立は平安時代末~鎌倉時代にさかのぼる。
常陸国の大掾であった馬場資幹により現在の水戸第一高等学校付近に館を築き水戸一帯を支配した。
その後、江戸氏、佐竹氏と城主が交代していく中で、城と城下町の整備が何度も行われた。
慶長8(1603)年徳川家康の11男が水戸の城主となり、徳川御三家の一つ水戸藩が誕生した。

水戸城では、大日本史編さん事業の拠点「彰考館」跡(現在の水戸二中)から出土した硯や、八角鉢、酒杯などの食器を展示。


「笠原水道」






徳川光圀が第2代藩主として最初に手掛けたのが、慢性的な飲料水不足解消のための水道設置工事であった。
笠原不動付近の湧水地から暗渠工造で総延長10・7㎞に及んだ。
軽くて丈夫な「神崎岩」(凝灰質泥岩)を使用、隙間を作り岩樋の周りの湧水を取り入れる逆転の発想による。

「弘道館と偕楽園」

弘道館は天保12(1841)年、9代藩主徳川斉昭が創設した藩校。
建学の精神は、内憂外患の時代を念頭に置き「教育によって人心を安定させ、教育を基盤として国を興す」というもの。
この精神を反映し、弘道館は儒学教育を基盤としながら、時代の要請に即して総合大学化し、学科ごとに学舎を設け、文武・医学・天文学に至るまで、きめ細やかな教育体系を備えた。

また、斉昭は「心身の安寧がなくては学問の大成はおぼつかない」と「一張一弛」の信念から、天保13(1842)年、弘道館と一対の教育施設として偕楽園を開園した。
庭園内には学問にゆかりの深い梅の木が植栽され、当代随一の梅林の中で人々が詩歌に興じ、学業の疲れを癒やした。









弘道館北側から多く出土する食器などの廃棄品を紹介しながら、「生活感あふれる雰囲気で学問に没頭していたと推測される」などと解説している。

●「水戸市埋蔵文化財センター」は「大串貝塚ふれあい公園」内の施設で1階ロビー及び縄文暮らしの四季館の展示スペースの一部を今回の展示空間とした。
展覧会の予算が少ないことによるのだろうが、特別展として宣伝している割にはお粗末、の感は否めない。
やるからにはもう少しきちっとした展示をしてほしかった。

「縄文人の一生-西ヶ原貝塚に生きた人々-」@北区飛鳥山博物館

2017年11月29日 18時39分05秒 | 博物館
「縄文人の一生-西ヶ原貝塚に生きた人々-」@北区飛鳥山博物館




サトリ珈琲店の在る「飛鳥山」は江戸時代からの桜の名所として知られるが、
「紙の博物館」「渋沢史料館」「北区飛鳥山博物館」の3つの博物館も在るのだ。
それぞれ運営団体も内容も異なる3つの博物館だが、地域の歴史・文化との関わりという点で深くつながっている。

北区飛鳥山博物館では「縄文人の一生-西ヶ原貝塚に生きた人々-」展

飛鳥山の辺りは台地の縁で、縄文時代は海との境界線、多くの遺跡が在った場所だ。





明治25(1892)年に発掘された「西ヶ原貝塚」から出土した遺物の展示。

貝塚は当時のゴミ捨て場。







縄文人が食べ終えた貝殻や動物の骨、こわれた土器や石器のかけらなどが出土する。
これらを丹念に調べると縄文人が何を食べ、どのように暮らしていたのかを知ることができる。





埋葬された人骨も発見されている。


主な展示内容
プロローグ 西ヶ原貝塚の発見と発掘
1.生と死の祈り
2.ライフ・生きるー西ヶ原ムラのくらしー
3.遠方より人来る
4.再び祈るー貝塚とは何かー
エピローグ これからの西ヶ原貝塚





2009年7月から運行が始まった、飛鳥山モノレール「アスカルゴ」
王子駅の脇から飛鳥山公園まで、50メートル足らず。
乗車時間は数分だが、ちょっとした眺めを楽しめる。

「運慶展」興福寺中金堂再建記念@東京国立博物館

2017年11月08日 22時07分23秒 | 博物館
「運慶展」興福寺中金堂再建記念@東京国立博物館
9月26日~ 11月26日




運慶は平安末期から鎌倉初期に新時代の仏像を生み出した大仏師。
運慶作といわれるのは30件前後で、今回は約7割にあたる22件が上野に集結したのだから凄いことだ。

第1章 運慶を生んだ系譜ー康慶から運慶へ

運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若き運慶の作品から、運慶独自の造形がどのように生まれたのか、その源流をみる。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝、天喜元年(1053))の作者である大仏師・定朝から仏師集団は三つの系統に分かれた。
運慶の父・康慶は興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属していた。
院派(いんぱ)、円派(えんぱ)の保守的な作風に対して、奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概があった。のちに慶派(けいは)と呼ばれた。



国宝 大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)運慶作
平安時代・安元2年(1176)奈良・円成寺蔵

●台座の裏に墨書があり、運慶が「安元元年十一月廿四日」に造り始め、「同二年十月十九日」に完成した像を引き渡した。銘文は運慶自身が書いたもので、末尾に「大仏師康慶実弟子運慶」と記し、署名している、現存するもっとも早い運慶の作品。仏像には署名をしないのが通例だが、誇りを感じる。

第2章 運慶の彫刻ーその独創性
運慶は平家の南都焼討(1181年)で灰燼に帰した興福寺、奈良・東大寺の復興に尽くし、京の貴族の依頼も受けたが、同時に新興勢力である東国武士の求めにも積極的に応じ、多くの仏像を制作した。
古い伝統に縛られず、大胆に個性を発揮した。



国宝 毘沙門天立像 運慶作 文治2(1186)年 静岡・願成就院蔵

文治2年(1186)に運慶が造った静岡・願成就院の阿弥陀如来坐像、不動明王および二童子立像、毘沙門天立像、いずれも国宝)の5体には全く新しい独自の造形が見られる。



国宝 八大童子立像のうち制多伽童子 運慶作 
鎌倉時代・建久8年(1197年)頃 和歌山・金剛峯寺蔵 

金剛峯寺八大童子立像のうち、今回の運慶展では計6体が展示された。
(8月に「仙台市博物館」で開催された「空海と高野山の至宝」展で何点かを拝見した。)



国宝 世親菩薩立像 運慶作 建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵
国宝 無著菩薩立像 運慶作 建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

第3章 運慶風の展開ー運慶の息子と周辺の仏師

運慶の父である康慶、実子の湛慶・康弁の親子3代の作品も展示。
仏所・工房のプロジューサーであり、東大寺の金剛力士像など短期間で製作された。
リアルに思えるが、見る側に立って巧妙にデフォルメされている。

重要文化財 十二神将立像
京都・浄瑠璃寺伝来  鎌倉時代・13世紀
東京・静嘉堂文庫美術館蔵(子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神)
東京国立博物館蔵(辰神・巳神・未神・申神・戌神



国宝 龍燈鬼立像  康弁作  建保3年(1215) 奈良・興福寺蔵



東大寺:俊乗房重源上人坐像〈国宝〉

特に、肖像彫刻などに優れた作品が多い。

●本館1F の「14」コーナーで開催中の運慶関連展示。(2017年12月3日まで)
●「運慶展」は展覧会開始後間もない10月5日に拝観した。彫刻は平安時代までと云う観念で、鎌倉期の彫刻に馴染みがなく、再度と思いながら会期末を迎えてしまった。取り敢えずアップし、後日に修正の予定。


郵政博物館@東京スカイツリータウン・ソラマチ9階

2017年10月26日 08時17分03秒 | 博物館
郵政博物館@東京スカイツリータウン・ソラマチ9階







この日は小雨模様、スカイツリーの上部は雲に隠れて見えない。

平成26(2014)年に公益財団法人通信文化協会が運営する博物館として開館した「郵政博物館」は「東京スカイツリータウン」の「ソラマチ」の9階。
塔を中心に東西に細長いビルで、途中でエレベーターを乗り換えなければ9階には到達できない。
しかしながら、このような交通至便な場所に公共的な施設が出来るのは素晴らしいことだ。
起源は、明治35(1902)年に万国郵便連合(UPU)加盟25周年記念祝典行事の一環として逓信省が開館した「郵便博物館」。



国内外の郵便、並びに郵便貯金・簡易保険などに関する資料を収集し、展示するが、膨大な資料を収蔵している。






常設展示と、全日本切手展などの郵便に関する各種イベントを開催される。



郵政博物館誕生115年記念 錦絵-東京浪漫(ろまん)展が2017年9月16日~2017年11月26日まで開催されていた。






文明開化の東京等の名所を描いた錦絵等を展示し、当時の観光名所や風物を懐古する記念企画展。

常設展示は、日本最大となる約33万種の切手展示のほか、国内外の郵政に関する資料約400点を展示。

小学校・中学校時代は切手収集が趣味だったので興味は深々だったが時間の都合で割愛。




電報に関する展示もあった。
今となっては「電報」を使う機会などまったくなくなってしまった。

逓信省~郵政省の時代までは郵便・電報・電話まで幅広い分野をカバーしていた。その後、通信はNTTなどに分割・民営化され大きく変化した。

●「たばこと塩の博物館」で「すみだ5つの博物館めぐりガイド」という小冊子を貰った。墨田区内の5つの企業博物館ネットワークの紹介パンフレットだ。
「たばこと塩の博物館」の他に、時と時計文化の「セイコーミュージアム」・交通と文化「東武博物館」・清浄文化と暮らし「花王ミュージアム」・郵便局と通信「郵政博物館」の5館のガイドブック。
「東武博物館」は交通博物館で行ったことがあるが、時計の「セイコーミュージアム」と「花王ミュージアム」も行ってみたい。


和田誠と日本のイラストレーション@たばこと塩の博物館

2017年10月25日 08時54分43秒 | 博物館
和田誠と日本のイラストレーション@たばこと塩の博物館
2017年9月9日(土)~10月22日(日)





矢吹申彦デザインした本展覧会のポスター。
イラストレーターたちの似顔絵は和田誠。



「たばこと塩の博物館」は「たばこと塩」に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を広く紹介する「常設展示室」と幅広いテーマを取り上げ、多彩な「企画展・特別展」が開催される。



9月9日~10月22日まで「和田誠と日本のイラストレーション展」が開催された。会期末の21日に滑り込み。

日本において「イラストレーション」或いは「イラストレーター」という言葉は、1960年代以降に広く知られるようになった。
そのきっかけは、1964年の「東京イラストレーターズクラブ」の結成と、1965年から発行された「話の特集」などの雑誌メディアによるものが大きかったとされている。
そうした日本のイラストレーション界の中心にいたのが、「ハイライト」や「週刊文春」の表紙デザインなどで知られる和田誠だ。

和田誠の作品を中心に、日本のイラストレーションの歴史を 作ってきたイラストレーター達の作品約200点を展示された展覧会。

宇野亞喜良、横尾忠則などの作品が好みだったが、「話の特集」の表紙を描いた和田誠の似顔絵は単純な線なのに、十分に人柄が伝わってくる。
映画スターなどのイラストも雰囲気がよく分かる。


■本展は、5部門で構成されている。
1、絵・ポスターを描くことへのあこがれ。
絵を描くのが好きだった和田は小学4年生の頃、清水崑の政治漫画に触れ、その切り抜きを始めた。
その後、自分でも似顔を描きたくなり、時間割をそれぞれの先生の似顔で作ったりするようになった。


2、グラフィック・デザインとの出会い
1953年の「世界のポスター展」を観て感動した和田は、「ポスターを描く人になりたい」と思うようになり、1955年に多摩美術大学に入学。
在学中からいろいろな会社のデザイン賞に応募し、入選を果たした。
大学3年生の時には、グラフィック・デザイナーへの登竜門である日宣美賞を受賞。
当時の先生は、資生堂宣伝部の顧問でグラフィック・デザイナーの草分けでもある山名文夫。



山名文夫による資生堂ポスター〈1955年〉(資生堂企業資料館所蔵)



日宣美賞を受賞した「夜のマルグリット」ポスター〈1957年〉


3、グラフィック・デザイナーになる
1959年、当時としては珍しかったデザイン専門の会社ライトパブリシティに入社。先輩には田中一光、細谷巖、すでに著名なデザイナーがいた。
この頃、和田は、「ハイライト」のデザインコンペに応募し入選。
「自分の絵を役立てるチャンスがあればいいな」と思っていた和田は、「ピース」の雑誌広告で一コマ漫画を描いた。

また、映画が好きな和田は、日活名画座のポスターを勤務時間後に無報酬で制作した。


4、「イラストレーター」という職業
1960年代、まだ「イラストレーター」という言葉に知名度は無かった。
「イラストレーション」と「イラストレーター」という職業をアピールすべく、同志である宇野亞喜良、横尾忠則と、イラストレーションの団体を作ろうと、仲間さがしを始める。
灘本唯人、山下勇三、さらには山口はるみ、長新太、伊坂芳太郎たちに声をかけ、東京イラストレーターズ・クラブを結成。
年鑑の出版、展覧会の開催など、イラストレーションを広めるべく、様々な活動を行った。


宇野亞喜良によるミュージカル作品のポスター〈1967年〉
作曲:和田誠、美術:横尾忠則の名前がある。

山口は、高校生の頃にみた和田のポスター「夜のマルグリット」に影響を受け、進むべき道が見えたという。

5、イラストレーションの広がり
1967年、和田はライトパブリシティを辞め、独立。
そして、雑誌の表紙、絵本の挿絵、音楽のジャケットや演劇のポスターなど幅広い分野の仕事を手がける。
さらに、湯村輝彦、安西水丸、南伸坊、矢吹申彦など多くの後輩イラストレーターに影響を与え、イラストレーションは広がっていった。






1977年5月から描き始めた「週刊文春」の表紙は、2017年7月に2,000作目を迎えた。


●1978(昭和53)年11月、渋谷の公園通りに「たばこ」と「塩」の歴史と文化をテーマとする博物館として、日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)により設立された「たばこと塩の博物館」。
渋谷という場所と、当時は紙巻やパイプタバコなどを楽しんでいたこともあって、何度か訪れた博物館だったが2013年に閉館。

2015年4月、墨田区横川に移転・リニューアルオープンしてから初めての訪問だったが、敷地や展示空間が以前の何倍もの規模で充実した設備となった。

高速バスの浅草停留所から徒歩 で約15分、アクセスは若干悪いが、さほど不便というほどでもない。スカイツリーにも近い。
スカイツリーには「郵政博物館」もあり、墨田区は新たな文化ゾーンを形成している。