怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

アグレッシブ

2007-03-20 06:19:34 | 教育
乙武さん、小学校の先生に 東京・杉並で4月から(共同通信) - goo ニュース

ひゃー。どの学校に配属になるのだろう。
担任をもつのかしら?
体育軽減はつくとして、教室でどのように授業をやるのかしら?
いろいろな経験のある人だから、同僚とどう連携して学年をやっていくのか見てみたいものだ。

期限付き採用であるし、ニュースから憶測するに、杉並区独自の採用枠だと思うから、いろいろな意味でどういう扱いになるのか注目したい。

乙武洋匡オフィシャルサイト

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乙武さんにはケチをつけるつもりは今のところないが、杉並区にはある。

教員の独自採用枠を確保し、教師塾のようなものを作っていながら、採用に関して予算を用意できず、養成された人の受け皿ができなかったようだ。
事実を確認したい。

また、学校教育とは直接的には離れた話題だが、児童館や学童保育の嘱託員を募集しておきながら、実はパートを斡旋するということをやっている疑いを私はもっている。
これも予算を口実にしているようで、行政の恣意性と作為を感じてしまうのを禁じ得ない。

少年時代(井上陽水)を唄う

2007-03-20 05:45:33 | 教育
時季外れだと思う。
だけれど調子っぱずれの私には丁度いいのかもしれない。
「少年時代」は夏から秋への曲だと思う。
(8月をどう解釈するかだが・・・)
今日は、みんなでそれを唄ってみたい。

この提案はクラスのある児童からのものだ。
時季が違うので驚いたし、キーの設定が難しいのでちょっと敬遠した曲だったから即答は出来なかった。
でも、その子が転出していってしまうので、「何かやる」というのを無下に止めるのは気が引けた。

曲のよさを想像して思った。

季節感ではなく、名残を惜しむ詩と考えたらいいではないか?
「私の心は夏模様」
ならば、そう想えばいいではないか?
歌は歌。楽しく歌い、慈しめればいい。

今年度は、1年間通して詩を紹介し、詩を作り、言葉の自由な発想に慣れ親しんできたではないか?

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昨日、音合わせのために、その子が弾くバイオリンに合わせてギターを弾いた。
何と説得力のある音なのだろう。
バイオリンにあらためてほれた。
バイオリンの横で歌うのはできないなと感じた。

たっぷりバイオリンの音を聴いてもらってから、みんなで歌うことにする。

今、いつもクラスを閉じるときに使っている「チェリー(スピッツ)」を、どうしようかと思案している。

文集の完成その2

2007-03-19 19:37:15 | 教育
我ながら、
「なんで完成したのに、その2やねん!」
と、突っ込みを入れたくなるが、その2。

文集が完成したので読み合わせをした。

扉の裏に、私も子ども達の書式に合わせてメッセージを入れた。

文章は未来につながるテキストデータなのだけれど、単にそれだけでなく、未来の時点から見るならば、それは振り返りだから過去の記憶を呼び覚ます「きっかけ」になるのだよ。
その時は、鮮明に記憶がよみがえるといいね。
だから、この文集を大切にすることは記憶を、ひいては自分を大切にすることになるよ。

ま、そういう意味のメッセージにした。

いつも通りにしんとして聞いていた子ども達が、
「へぇー!」
と、感嘆の声をもらし、自然と拍手が起こった。

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思わずあらためて彼らの顔を見回すと、みんなうなずいている様子。

結構手短にまとめたので決していい文章ではない。
この文集の主旨は「(2年生になって)できるようになったこと」だから、そこからも外れる。
自分としてはなんとも不似合いな文章だなと、居心地の悪さを感じていただけに、琴線に触れたことは素直に嬉しかった。

文集に合わせて、親御さんからのメッセージを挿入して編集してある。

子どもは自分の文を読み上げた後、私は親御さんに代わってそれを読み上げる。
子ども達はもぞもぞしたり、身体をよじらせたり、顔をふせたり、横を向いたりして聞いている。

授業をやっていてよく思うのだが、こういうのはビデオに撮って親に見せたいシーンだ。
でもできない。
それが生ものである授業の宿命なのかもしれない。

文集の完成

2007-03-19 04:56:21 | 教育
インフルエンザの蔓延で、遅れに遅れた文集が完成。

読み合わせをして持ち帰らせる予定。

文集の割には、後段に「思い出」になる部分があり、卒業アルバムめいたものになってしまった。
(写真はないのだけれどね。)

だからというわけではないが、文集に寄せた私の文章は「思い出」がテーマになった。
私も子ども達に合わせて、「できるようになったこと」を書けばよかったかもと、今ごろ後悔。

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もう、ほんの数日で彼らとオサラバ。
思えば卒業生を含め、学校内の半分の子ども達と関わり合う機会があったのだなと感慨深くなる。
力を出し尽くしたような、そうでないような、なんとも切ないところがある。

ようやく0.7

2007-03-18 23:30:26 | 戯言
一日のエントリー更新率が0.7になった。

半年近く、ブログを放棄した時期があったから、早く更新率1.0(つまり、1日1回)に戻りたい気分なのだが、変に強迫観念でももっているのかしらん?

しかし、こうしてエントリを急激に増やすと、読んでもらえないエントリも出て来るよね。

でも、それもかまわない。

ランキングにも参加しているけれど、頭打ちになってきている自分の状況が長く、「こんなもんがオレ」という境地に至ってきた。
(でも、ランキングがあがるとうれしいさ。)

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静岡県の勤務実態調査

2007-03-18 23:25:02 | 教育
県独自の調査かな?
動機と目的が知りたいものだ。

全国的にこんもんだろう。

「日教組のヤツらが!」とか
「不適格教員をどうにか・・・。」とか
そんなことを言っている人たちの多くは、自分たちの声のでかさに気づいていないのではないかな?

ときにそんな風に思う。

「真面目にやっていると馬鹿を見るよ。」
と、ニヒルに笑うと怒る人がいるから気をつけよう。

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勤務実態調査:小学校の先生、忙しい 県公立校教員「毎日仕事持ち帰る」4割/静岡(3月18日12時1分配信 毎日新聞)

 ◇県教委調べ
 小学校の先生の2人に1人は毎日仕事を家に持ち帰っている――。県教育委員会はこのほど、県内の公立学校教員を対象に実施した勤務実態調査結果を発表した。小学校の4割以上、中学の約3割の教員が週5日以上仕事を自宅に持ち帰るなど平日の居残りだけでは足りない多忙な教員の実態が浮き彫りになった。
 調査は「教員の勤務状況に関する調査結果」。教員の教育活動に専念する環境整備と健康保持を目的に県教委が05年9月~06年6月の計3回、県内全小中高養護学校の教員延べ4万625人を対象に実施。▽自宅に仕事を持ち帰る日数▽勤務時間終了後の在校時間など5項目について調べた。
 その結果、平日に3時間以上「居残り勤務」をしているのは中学で41・2%(全体平均24・78%)に上った。さらに小学校の42・1%、中学の29・2%は週5日以上自宅に仕事を持ち帰っていた。仕事内容は「学習活動」(50・4%)が最も多く、「学習計画など校内担当業務」(20・2%)、「学級経営」(19・6%)と続いた。
 県教委は「小学校では勤務時間中は児童につきっきりで、翌日の授業などの準備をする余裕がないのではないか」と分析している。


その昔、右翼の街宣車があまりにうるさいので、じーっと見つめておいた。

ここでポイントは、ちゃんと機動隊か何かがそばにいて、がなりながら車を降りた瞬間突入体制をとっていることが大事。

「おい!そこの!おまえらがなぁー!×××××ー!」
しばらくじっと聞くそぶりで、じーっと見つめる。

「ガン飛ばしてんじゃね-!××××が××××だぁー!」

おもむろに、興味を失ったようにして、鼻を少し上へ傾け、にやりと笑う。
「つまんねえな」と腕組みをして、すぐに目線を離して、軽く首を横にふったりして立ち去る。

血の気の多いヤツは、逆上して車から思わず一歩降りてくる。
「何だオメー!何笑ったー!」

瞬間、機動隊が突入。
こちらは無事に逃げることができる。

後ろで、
「俺はあいつに話があるんだ!あいつに聞きたいことがあるんだ!」
と、叫び声が聞こえる。

別につかまってもいい。
こっちは声一つあげていないのだから。

ああいうやからは無視と嘲笑に非常に敏感だ。

金がない!

2007-03-18 23:05:43 | 教育
一体全体何やってるんだか・・・。

「成果主義、競争主義、格差当然主義」つまりは「能力主義」。
すこぶる強烈なイズム。

ボクシングにおいて、「しぼる」ってのは「勝つ」ための必要条件。

しかしね、ストイックに生きていくならば、それなりに切り捨てなくてはならないものがあろうに、少なくとも現状維持を目的とするならば、「しぼる」って言ったって無理。

「存続させる」が命題ならば、その経緯をふまえて考えれば、どっちにいったら無理なのかは当然分かるというもの。

それをさせるイズムは相手意識の無いものだから、きっと裏がある。

とりあえずは「金がない」のだろうけれど、その裏には、だれかの無駄遣いや、ミスリードがあったはず。
破産してからでは責任追及はできないだろうが、やっておかなければならないってのも本当のところだと思うのだけれどな。

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地方国立大「存続ムリ」 競争型の交付金案牽制(朝日新聞) - goo ニュース2007年3月18日(日)19:07
 日本の半分の県から国立大学が姿を消しかねない――。国立大への国の運営費交付金の配分方法について、経済財政諮問会議の民間議員が「競争原理の導入」を提言したのに対し、文部科学省がこんな試算をまとめた。国立大の危機感を背景に一定の前提を置いて計算したもので、諮問会議側を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。

 発端は、日本経団連の御手洗冨士夫会長ら民間議員4人が2月末の諮問会議に出した提言。運営費交付金が、学生数や設備などに連動して配分されている現状に疑問を投げかけ、配分ルールについて「大学の努力と成果に応じたものに」などとの改革案を示した。

 3月上旬に都内であった国立大学協会の総会では、学長らから悲鳴に近い訴えが相次いだ。「日本の大学教育がほろびかねない」「地方の大学は抹殺される」

 このため文科省は、競争原理を導入した際の各大学の交付金の増減を試算した。研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算すると、全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって「経営が成り立たなくなる」(文科省)との結果が出た。国立大がなくなるとされたのは秋田や三重、島根、佐賀など24県。私立大も少ない地方が多く、地元大学への道が狭まりかねないとする。

 文科省は最近、国立大に対する補助金に「競争的資金」を増やしてきた。科研費のほか、世界的な研究拠点を目指す大学に対する「21世紀COE」などがある。その文科省も運営費交付金については「人件費や光熱費などをまかなう、人間で言えば三度の食事のようなもの」として、大幅な見直しには否定的だ。

 諮問会議の民間議員は改革案を6月ごろに閣議決定される「骨太の方針」に盛り込みたい考えだ。今後、国立大側が反発を強めるのは必至で、議論は紛糾しそうだ。

日曜日に家にいなくてごめんなさい

2007-03-18 22:55:07 | 戯言
今日は「戯れ言」ではなく、「泣き言」を言おう。

家に帰ってあやまった。

長男はクッキー作りをしたらしい。

「パパはペンギンが好きだから、とっておいたよ。」
と、たくさんのクッキーをいれたタッパーを見せてくれた。

こういうとき泣きたくなる。
「いっしょに作って欲しかったんだよなぁ。」

ファミコン(ファミリーコンプレックスの略)な私は、休日に家族と過ごせないとブルーになる。

昨日の土曜日は卒園式。
そのあとの謝恩会は妻と長男で行ってもらって、双子の面倒を見ていた。

双子となんとなく遊んでは、あれもこれもと終わっていない仕事が頭をよぎる。

で、日曜出勤すればこれだ。

あーあ。
「定刻に終わる能力は俺にはないよ・・・。」
そうぼやきたくなる。

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なんだかまた「nonゆとり教育」の方向に流れそうだと噂されている。

給料減らしていいから、俺たちに「誇り」と「ゆとり」をくれよ。

「日本がわかる ちずのえほん」を贈ってもらった。

2007-03-18 09:39:14 | 教育書
にほんがわかる ちずのえほんを息子に贈ってもらった。
うれしいので宣伝リンク。
(こうなると、アフェリエイとをやりたいもんだ。)

妻には学研の友人がいるのであるが、その彼からのプレゼント。
就学前になんとタイムリー。
いい人だ。

たまたま息子は知識的なものを吸収することが好きで、この手の本の内容はどんどん暗記してしまうだろうが、そういう時期があってもいい。
ほっておいている。
(たまにクイズを出してきてうるさいが・・・。)

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全部ひらがなで書かれていて、対象年齢を広げている分、ターゲットをしぼりきれていない気がするが、内容は調べ学習の初期に使えると思う。
そこそこ詳しいし、何より見やすく親しみやすいデザインだ。
大きさ、重さも適度だ。
プロの仕事だなぁ。

要録中

2007-03-18 09:24:29 | 教育
うーん。やっぱり残ってしまった。

普段早帰り(といっても7時くらいに門を出る。)を繰り返しているとダメだなぁ。
持ち帰りも出来ないし、家で残業できないのもイタイ。

で、土日出勤になる。

昨日は愚息の卒園式だったので未出勤(変な言い方)。

で、本日。
「いってきまーす。」

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出がけに竹村がコメンテーターの番組で、主要都知事候補が意見を交わしていた。

吉田万三が、
「ピアノ伴奏判決では負けましたよね。」
とつっこまれて、
「裁判闘争はいろいろある。」
と逃げていた。

ピアノ伴奏判決は判決なのだが、それ以前に、あの事件は
「管理職側の仕組まれた部分」があったり、
教委による、
「一律という強制が行われた式」であったり
することを情報としてもっていなかったのだなと思う。

後者については何とか後で触れていたが、印象を覆すものだったかどうかは不明だ。
ちょっと残念。

それから、ああやって「対石原」という構造になると票割れは避けられないのではないだろうか。

浅野は実績的にはかなり怪しい人であるし(宮城時代は赤字を倍増させ、無用な公共工事も推進したそうだ。)、
もう一人のデザイナー(名前忘れた)は、政治手腕的には他の三者には到底及ばない無実績の人だ。

そう考えると、足立区長時代の実績を全面に押し出した上で、各論に対して素早い議論ができるようでないとキツイかな。
万三さん。

Sidekick Dictionary

2007-03-18 01:45:22 | 戯言
Sidekick DictionaryというフリーのWidgetsを入手した。

非常に簡便な辞書なのだが、ネット環境でないとダメ。
でも、無線の時代。
個人的にはヒット!のソフト。

国語、英和、和英ができるのだが、英語を音声で読んでくれる。

いろいろな単語をいれて試す。

「へえー。これってこういう風に読むんだー!」
と、発音リピートをして遊んでいる。

子どもにやらせても面白そう。
(あ、英単語のスペルを知らないか・・・。)

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Wedgetsはなかなか面白い。
Macに昔からあるDAのようなノリがある。

子育ての間に時代遅れとはいわないが

2007-03-17 18:09:57 | 戯言
何を今さら・・・

Cloudberry Jamの3rd「The Impossible Shuffle」(1997)をじっくり聴いた。

オイオイ!
なのだが、これが通しで聴いた事は何度かあったのだが、購入した時点で2001年だったこともあり、ホントまともに聴いてなかった。

教職について、まっとうにアルバムに向き合うことが少なくなったなと思うし、我がCDコレクションも結婚時の1000枚からは歩みののろいこと。
(でも、今、何枚なんだろう。2000はいっていないハズだが・・・。)

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いかん。本題。「The Impossible Shuffle(Cloudberry Jam)」だ。

彼らの音源はこれしかもっていない。

だいたい購入理由が「スェーディッシュを食わず嫌い毛嫌いしていないでちゃんと聴いて批判しよう!」というのだからアホだ。
他にもいくつかのアーティストを入手している。

で、まともに聴いてみて。

よかったのよー。

以前に聴いた印象は、
「モコモコしやがって、低音のバランス悪いんじゃない?なんかちょっとジャジーな雰囲気だけど煮え切らない。おしゃれサウンドの割にはロックな雰囲気も入っていて、狙いが定まってないんじゃない?アマチュアっぽさを売っているの?」
けんもほろろなことを感じていたわけです。

やっぱりギスギスしたときに聴いたんでは受容度が違うわなー。

大好きなDinosour Jrの「Water」のカバーなんて別物に聴こえていました。
(この曲はこのアルバムのいいアクセントで、このアルバムの印象を分かりやすく語っていますね。)

ああ、ほとんど一回聴いただけ状態のCDを探る春にしようかな・・・。
でも、こんな日ってそうないよな・・・。

早く隠居したいよ・・・。(ひでえな。)

学校でMac

2007-03-17 06:34:20 | 教育
Appleのサイトを見ていたら、Macを始めた人の声(学校編)なんてのがあった。

昔はアメリカの小学校のMacシェア率は高かったようだが、今はどうなのだろう。

東京都もMacがシェアする市区町村はなくなったと聞く。

過去に、導入費用は格段に安かったはずなのだが、単純に(玉石混淆の)ソフトが少ないという理由で導入されていない実態があったようだ。

実際にはPCで指導できる人が少なかった訳で、その人たちがWindowsで育ったというだけ(だから、Windows機を選んだ)の話なのだろうけれど、当時、使えるソフトをもっとアピールできたらMacだったろうになとよく思ったものだ。

最近、大学などでの導入があいついでいるので、そういったレベルでは対費用効果や扱いやすさの認知があがったのかもしれない。

まあ、Macマニアな話はさておき、教育ソフトというレベルでは、そのカテゴリ自体すでに枯れた感じを覚える。
そういった意味で、これから教育へ参入というのは難しいだろうなと思う。

ただ、巷のウィルス騒動やネットワーク管理の困難、研修のボトムアップ強化の困難などを聞く限りでは、早いところMacにした方がいいよといいた。

「だってOfficeあるの?」
とか、
「ビジネスで使えないじゃん。」
とかいうのは、単なる情報不足と頭部の硬直、そして保守精神でしかない。

ただ、一番のネックは、お役所で未だに使われている「一太郎」がMacにないことかもしれない。

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長男が生まれたときの話

2007-03-16 00:18:00 | 教育
長男は助産院で産まれた。

立ち会い出産というより、夫助産型出産だった。
妻が強く握りしめた私の腕には、うっすらと痣ができていた。

産まれてすぐに血まみれの子どもを抱いた。
へその緒を切らせてもらった。思ったより丈夫だった。

明け方の出産だったので、ヘトヘトのままに、川の字(といっても私は畳)で寝た。
笑い声のような鳴き声がふんばり声になったとき、胎便の排出を観る事ができた。大量だ。

紫外線を瞳に浴びるまで赤ん坊の目には色素は発生しないということを知った。目はうす青っぽいグレイ。
初めての屋外散歩をしたのは私とだ。わずか3分だったのに、家に帰ると瞳が黒くなっていて二度びっくり。

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子ども達にそんな話を聞かせた。
写真もいくつか見せた。

家に帰って、自分の産まれたときの話を聞いて来るように言った。

卒業式には来るな(式はだれのものか2)

2007-03-16 00:04:53 | 教育
ここでも卒業式の主体が都教委(=首長:石原)だということが分かる。

参考に、前エントリをリンクしておく。
式はだれのものか(3/3)

この報道記事に対する私のコメントの時期が遅いのは、単に流していたからだ。
(世間的には明白な「おかしな東京」だと感じていたからだ。)
だけれど、他の人のブログに対し、ネット右翼的なコメントがあって、アンチを唱えたくなったので書いた。

ネ・ウヨ曰く、
「国旗国歌を尊ぶのは当然なので、今回の処遇も当然。」
「もっと現場教師は(国粋主義に偏った)研鑽をつみ、自分たちがやってきた過ちを正すこと(偏向)を行え。」
「われわれが世界の常識を伝えているし、世論の多数派であるから正しい。」
そういう論調。

どこにも実態がないヤツラを相手にするのは暇つぶしにもならないのだが、ちょっと気分がむしゃくしゃするので書いてみた。

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卒業式来賓、校長が選別 都立高 恩師も「お断り」(朝日新聞) - goo ニュース2007年3月10日(土)19:58
 今春の東京都立高校の卒業式で、恩師たちが来賓として出席できない事態が相次いでいる。式典で君が代斉唱時の不起立が問題になるなか、中村正彦・都教育長が昨年3月の都議会で、来賓について「校長が慎重に検討し、適切に人選するよう各校に指導する」と答弁し、校長が来賓を選別したためだ。

 「お世話になった先生なのに、何で入れないの」。3日、都立向島商業高校定時制の卒業式。産休代替の先生として教わった女性が出席を拒まれたと知った卒業生たちが声を上げた。

 石関元・校長に掛け合った保護者もいたが、取り合ってもらえなかったという。これに納得しない一部の卒業生が入場を拒み、開始が8分ほど遅れた。

 昨年度までは、他校に転勤しても来賓として出席した。だが、今春は、元担任ら7人は招待されたが、この女性ら2人は出られなかった。

 石関校長は「教育長の答弁を受け、校長の権限でやった。一緒に厳粛な式をやってきた先生となら、式を適正にできると考えた」と話す。

 3日あった新宿高校定時制の卒業式では、卒業生の元クラス担任を含む「旧職員」は1人も招かれなかった。高木克校長は、昨年の式で君が代斉唱で起立しなかった教師が1人いたことを挙げ、「特定の先生だけを招かないのはむしろ問題が大きいと考えた」と話す。

 昨年転任した女性教師は、卒業生から「来てね」と言われ、式が終わる直前に赴いた。式場の外で待って花束を渡した。「教え子と卒業式で会うのはごく自然なこと。こんなのは前代未聞です」

 都立久留米高校では、04年春まで務めた前校長、渡部謙一さん(63)の招待が取り消された。

 同校の全日制は今年度でなくなるため、3日の卒業式と閉課程式には歴代校長らが招待された。

 渡部さんによると、今年1月末、現在の堂山勇校長から「出席しないでほしい」と電話で要請された。堂山校長は渡部さんに「都教委の方針に従わない者を呼ぶことが都議会で問題になった」と説明。渡部さんが市民団体の集会で講演し、朝日新聞の「私の視点」に寄稿したことが都教委で問題にされていると告げたという。

 渡部さんは「東京の教育行政は徹底して異論を排除しようとしている」。一方、堂山校長は朝日新聞の取材に「この件に関しては話すことはない」と言っている。