怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

スーホの白い馬その5

2007-03-10 10:25:32 | 教育
殿様の望む婿像

A「お金持ち、娘が今と同じ生活ができる、まずしくない」
B「かっこいい、ハンサム、人気者」
C「速い馬を持っている、競馬が上手」
D「少年ではない」
E「羊飼い」
F「やさしい」

などなど

Aはみんな同意。
BはCと関連づけてOK。
Dは結婚のために可能性は高い。
Eは予想されていたハズ。
Fは思い込みなので却下。(文中に根拠がない。)

そんな風にしてイメージを固めていった。

殿様が競馬を行う事で得られる婿のイメージは、
「上手な馬乗りの(お金の面で)将来性のある結婚適齢期の羊飼い」
というものだっただろう。

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しかし、スーホは上手な馬乗りができる羊飼いではあるかもしれないが、後半の将来性の点も結婚適齢期の点も(現状では)条件不足である。
そして、ここは読みが難しいが、同時に殿様は白い馬の優れた特性を見抜いていた。

殿様は、「知らんふり」でごまかして、お金で解決をはかるわけである。
しかも、約束を反古にするだけでなく、白い馬を手に入れることに目標を変更しているのだ。
だから、やはり「銀貨三枚」は「競馬の報償」でもあるが、どちらかというと「白い馬の買い取り料」であるのだ。
(殿様は、もしかしたら、子どもが自分の馬を競馬で自慢しにきたと解釈したのかもしれない。)
そして、相手を生意気な少年と見るや、無体な事に、力づくで白い馬を手に入れようとするわけである。
(つまり、金を払ったのだから、まずしい羊飼いは馬をよこして当然という一方的な契約論理を行使している。)
ここに、外的な「みかけ」から、その「関係性」:この場合、「スーホと白馬の強い絆」は判断できないのであり、社会的な構造が生み出す齟齬により「感情が無視される」仕組みが存在するリアリティを感じることもできるかもしれない。

この作品の山場は、死別とそこからの立ち直りであるし、競馬はそのためのエピソードでしかないのだが、なかなか解釈が難しく、想像力を必要とするのはこの競馬のシーンだと私は思う。
(因に、業者テストなどは心情を解釈しやすい死別のシーンに集中している。会話も多いからだろう。)
だから、スーホの白い馬において、ここに力を入れるという方向はあってもいいと思う。

気持ちをシンクロさせる営みやその理解も国語学習の方向としてあるだろうが、そうではなくて、一方的なものや外的なものとの関係性を考えて行くのも方向の一つではないだろうか。

馬か国語か(独り言)

2007-03-10 09:20:31 | 戯言
ここのところやたらPV値が増えている。
その割にはランキングボタンは増えていない。
「スーホの白い馬」が検索で引っかかるのだろうな・・・。

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(暇な教委のチェックとかだったらうんざりだな・・・。)