怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

保護者会2

2007-03-04 02:43:29 | 戯言
先日のクラスの保護者会ではなく、こちらは我が子の保育園の保護者会。

我が子を得て、幼児期から児童期への理解が進んだ。
また、保育の様子を伺い知る事で、自分の実践に影響があったのを覚えている。

卒園を前にして、最後の保護者会。

もう公設民営化目前で、保育士の方々も内心戦々恐々のはず。

全国的に公設民営化の保育レベル低下問題が吹き出ているが、そういうつまらない政治的な思惑で失われる実践があるのが惜しい。

わが自治体の場合、公設民営化は構造的なものでなく、極めて政治的な問題なのだが、そういうマイナーな異常性が少子化問題という大きな歪みを生み出している要員の一つなのだ。

なんと口惜しいではないか。
あの強欲な首長。(隠居していてくれればいいものを)

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そういう社会問題に関わった3年間でもあった。
ビラも作ってまいたし、署名も集めた。
何度も話し合った。
それも卒園してしまうことも惜しい。

我が子の成長した姿を見て、更なる将来を考えるにつけ、こんな世の中ではいけないと感じる。

観てしまった「いじめどうする?」

2007-03-04 00:18:48 | 教育
遅い夕食をとりにテーブルについたついでにTVをON。

NHKの「日本の、これから「いじめ、どうすればなくせますか」?第2部?」が始まったばかりだった。

(う!しまった。このクソ忙しいときに・・・観てしまった!)

で、感想。

一番の収穫。
1.大人は子どもの声を聞く為の手段をもっと持たなければならない。
2.子ども達にとって、親も教師も「大人は大人」。大人が協調し合うところを見せられないようでは子どもの信頼を得るのは遠い話。

出席者について。
3.文科省と教委の人も発言していたが、彼らにたよってもダメ。悪くする一方。当事者が基本なのだが、彼らは当事者ではありえない。そう思った。
4.やはり戸田忠雄はダメだ。当事者同士の信頼の前に「評価主義」をもってきている。元校長のくせに、まったくわかっていない。教員であれば内発的に自己改革できるという神話を唱えているにすぎない。精神論といっても過言ではないと思う。
5.諸富祥彦氏を初めてメディアで見た。教員の側から見ていると感じた。これはこれで教員を第三者的に見守る人がいることは画期的だと感じた。

「出席停止」制度について。
6.教員で「ゼロ・トレランス」を口にする人がいたが、制度として言っているようにしか聞こえないため、酷いと思った。
7.「出席停止」を、文科省は指導に際して必要な措置だといい、保護者や子どもは「いじめ」という「罪」に対する「罰」だという視点をもっていた。これは、この制度を強調することで生きにくい者達が生まれる可能性を示している。6にも言えるが、なんのサポートもなしに導入されるととんでもないことになることが番組中確認された。(それでも文科省や教委のようなところは御構いなしに制度化し、単純に実施成果を下に求めるのだろうけれど・・・。)
8.弁護士のような法律家が、「出席停止」をやはり懲罰主義的に捉え、その強化を求めていたが、その影響の波及をあまり考慮せずに発言しているように思えた。言っていることはわかるが、「クラス全員が加害者であれば、全員出席停止」のように、あり得ない発言をしているのは感情に流されている気がする。

9.「いじめ」が、匿名化、複雑化、多層化、ダウンスパイラル化をしている事実は、対応を遅らせ、悪化の進行を早めることがわかる。でも、一つ一つ段階を踏んで解決して行かなければならない。漠然としているが、「親が介入して解決」とか「教員が情報公開しておしまい」ということにはならない。全てが精査されるべきステップをもっているように思う。

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これからの教員の能力として、こういったことに対するマネージメントの力を求められるだろう。

そのとき、こういった力を教員に身に付けさせるには、多数の事例を研究させ、地域や保護者、子どもとふれあい、そして経験の豊かな同僚と交わる機会をうばってはならないということだと思う。

下手な研修では身に付かないのは自明といったら言い過ぎだろうか。