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漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その23

2023年09月29日 00時19分18秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( ↑写真、これは、タイ北部チェンライにあるミャンマー国境公園です。画面の奥、雲のかかる山岳
         景色一帯がミャンマーになります。手前の丘の上がタイ。そして、人物が立っている場所がトー
         チカです。左手から中央奥に向かって伸びるのが塹壕になります。人物が立っている場所の下に
         は、本来なら銃座が設けられているはずです。現在はこの場所は国境公園として観光施設になっ
         ています・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、画面手前は全部が塹壕、右手にトーチカがあります。中央には、観光用のブランコ。その
         先に簡単な木の柵がありますが、その向こうは全てミャンマーです。柵の手前に若いカップルの
         観光客・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、4年ぶりの東京、羽田空港、丁度、広島サミットと重なって飛行機が遅延して到着、深夜の
         ためにバスも電車もなくなり、タクシー乗り場は大混雑。乗れるまでに1時間以上待たされました
         ・・・・・《 2023年、5月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、宿泊した池袋の「スーパーホテル、ロハス」。ここは、大きめの浴場があって、一泊1万円
         位の料金で充分にリラックスできました・・・・・《 2023年、5月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、ビジネスホテルは狭いです。4畳位の広さかも知れません。それにしても、日本に自宅がな
         いのは淋しい限りです。ここから先生のお墓参りに行きました・・・・《 2023年、5月、撮影 》 )



               

       ( ↑写真、私はyoutubeの「エガちゃんねる」が好きで、江頭氏の好物、モスバーガーの照り焼きバー
         ガーとコーヒーシェイク、ポテトがとても食べたかったのです。期待通り、最高でしたね! 涙が
         出そう・・・・・《 2023年、5月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、バンコクのスワンナプーム空港。やたら広くて、いつも迷う。今回も迷ってしまい、危うく
         乗り継ぎをミスしてバンコク市内に出てしまうところだった。とにかく、いつも時間がかかるし、
         疲れる空港です。チェンマイ行きの国内線に乗り継ぐまでは、気が抜けません・・・・・《 2023年、5月、
         撮影 》 )




               

       ( ↑写真、私が暮らす町の隣町ファーン、そこにある日本が大好きなタイ人のお兄ちゃんがやっている
         店「HAME」。ハンバーガーが美味い。お店は、完全に傾いた危険なボロ屋だが、オシャレにまと
         めている・・・・・《 2023年、8月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、お店の内部、かなり建物は傷み、建具も歪んでいる。クーラーがないので、暑い時には扇風
         機で我慢する。ビーフバーガー1個240円。残念ながら、いつも客が全然いない・・・・・《 2023年、8月、
         撮影 》 )




 
         【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
                  その23


今年の6月頃から小説を書き始めました。

生まれて初めての小説ですので、あまり自慢できる代物ではありませんが‥‥‥

それでも、私のこの処女小説をちょっとのぞいてくれた方々からは、意外ともったいないほ
どの評価をいただき、こりゃ結構いけるかも‥‥‥と調子に乗っているところです。

ただ、全ての精力が小説へ注がれてしまい、こちらのブログの方がなんだかスカスカ状態に
なってしまいました。

本当に、何を書いて良いのやら‥‥‥

このブログを書き始めて20年近くになりますが‥‥‥‥こんなに記事の話題に詰まった事は
ありません。

そこで、今回は、この小説執筆の話をしたいと思います。

まず、2019年に新居がやっと完成して、あっちを修理、こっちを改築と落ち着かない日々を
送りましたが‥‥‥

最近やっと、心に余裕が出来たのか‥‥‥‥

 『 毎日、2,3枚の原稿なら小説くらい書いてもイイかなぁ 』

‥‥という気まぐれから、毎日1ページ( 20×30文字 )で200枚書けば本1冊分になる‥‥‥
‥‥それなら、俺の様なゲーム馬鹿の適当ジジイでもやれそうだ。

‥‥ってなわけで、安直に書き始めたのです。

友人の童話作家、高校時代の恩師( 現在、某大学文学名誉教授 )、そして社会派作家氏、各
氏に作品の批評を頂きながら制作中です。

でもって、出来上がったらど~するのか‥‥‥‥

私にとって縁のある「 ヤングジャンプ 」へ持ち込むわけにもいかないし‥‥‥

ここは、やはり文芸誌への持ち込みかと思いきや‥‥‥‥

なんと、文学界は漫画界とは全然違う!

発行部数、実売部数、総売り上げ、全ての点で「 書籍 」は危機的状況にあるわけです。つま
り、持ち込み原稿なんて、いちいち読んでくれる編集部はない。

多くが、「 持ち込み、問い合わせ、不可 」。新人への対応が「 コストカット 」によって省
かれてる。

だけど、それじゃ‥‥‥どうやって、新人を育てるんだろう?

‥‥まぁ、そんなお家の事情はともかく‥‥‥

ここは、一発、でかい賞狙いでいきたいもの。( 欲だけは一人前 )

そこで、集英社( なんか縁がありそう )の「 小説すばる新人賞 」賞金200万円に挑もうと
‥‥‥‥まぁ、適当ジジイの最後の突撃を慣行しようと。

まさに、黒澤明の「 影武者 」の自滅的なクライマックスみたいな感じでしょうか。

‥‥よしッ!

それで、上等!

それで、本望!

なんだか、面白くなってきたじゃ~ないのッ!


来年の3月が締め切りなので、それまでには約200ページを完成させるつもりです。

で‥‥現在、実は‥‥‥‥

‥‥1

‥‥15‥‥

‥‥150枚以上、書き上げたのですが!

全部で300枚以上になりそうで‥‥‥‥来年は、これを200枚に整理するつもりです。

漫画を描いてた頃は、あんなに苦しかったのになぁ‥‥‥‥

嫌で、嫌で、たまらないほど逃げ出したかったのになぁ‥‥‥‥

なんで、なんだろなぁ‥‥‥‥

小説になると、こんなに気楽にどんどん文章が出て来る‥‥‥‥

も~わかんないッ!

俺は、来年から小説家だ!

俺は狂ってないぞ~!

大丈夫だ~ッ!

心配しないでね!

いや、ホントに!

 ( 注:小説の内容については、応募作品なのでまだ‥‥ひ・み・つ! )
 
 
 
           「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その24 」 へつづく・・・・
 
              ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )
 

               ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その22」へ戻る 】

 
 

 
   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」


【 参考漫画作品 】
 「雨のドモ五郎」
 「死亡少年」
 「親不孝通り・第40話 お父さん」
 「龍馬さんと僕」




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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その18

2022年12月07日 13時12分05秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( ↑写真、タイ、メサローンの「チュイフォンカフェ」です。 一面の茶畑に囲まれた丘の上に立つ素
         敵なカフェです。 タイでもこんなカフェが田舎に建てられる様になりました。 さすがに凄い人
         気です・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )



               

       ( ↑写真、同じく「チュイフォンカフェ」の店内ですが、解放感に満ちたゴージャスな見晴らしです。
         いつも思うのですが、40年前までは欧米人用の小さなカフェが観光地にある程度で、タイ人のため
         のカフェなどただの一軒もありませんでした・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、ほとんど私は自分の写真を拙ブログで掲載する事はないのですが・・・・・久しぶりにお気に入り
         の一枚。 上記と同じ「チュイフォンカフェ」の店内です・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( この写真は、2017年、モーションコミックのDomixによるライブを撮影したものです。 場所は東京、
         西武池袋線の東長崎駅近くにある『テアトルらぽう』。 画面の左側に主演の声優さん、大きなスク
         リーンに漫画が映し出され、右手に他の声優さんたち演技しています・・・・・《 2017年、5月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、主演の声優さんたちによる熱演、100人(?)近くのお客さんたちにも結構評判は良かったみ
         たいです・・・・・《 2017年、5月、撮影 》 )




               

       ( ↑イラスト、「覇王の船」が単行本化されるにあたって、習作した表紙用のイラストです。 あまりイ
         ンパクトがないので、この絵はお蔵入りになりました・・・・・《 2008年頃、制作 》 )




               

       ( ↑写真、タイの精霊流し「ロイカトーン祭り」では、タイ全土の各家庭で行燈をつるしたりしてお祝い
         します・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、「ロイカトーン祭り」で有名なのが、この「コムローイ」(天燈上げ)です。 100円ほどの値
         段でキットで売られていますので、各家庭で組み立てて使用します・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、コムローイの点火です。 燃料のバームクーヘンみたいな紙ボールには油がしみこませてあ
         り、すぐに着火してゆっくり燃焼します・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、家族や近しい友人などと一緒に「家内の安全や健康、希望、宝くじの当せん、等々」を願って
         空に上げます・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、中途半端に上げると、揚力不足で落下して危険です。 最近は観光目的で大勢で一気に上げる
         事がありますが、充分に熱を貯めてから上げず、すぐに落下して事故る場合があるみたいです・・・・・
         《 2022年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、各家庭で数個のコムローイを上げます。 上空にポツリ、ポツリと小さくなってくコムローイ
         をいつまでも見上げている家族や友人たちの嬉しそうな笑顔こそ素晴らしいので、私はいつも『もう
         充分です。何も望むものはありません』と夜空に思うのです・・・・・《 2022年、11月、撮影 》 )






        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 

                    その18


以前、拙ブログでも紹介させていただいたのですが・・・・・・

2008年に文庫本になった私の「 覇王の船 」( 別冊ヤングジャンプにて100p文芸シリーズとして掲載 )
という作品が2017年にDomix( 漫画に声優さんの声をのせて一コマづつ映像化 )によってライブモー
ションコミックとして公開されたのです・・・・・・

その当時( 2013年頃 )、「 YouTube 」に公開された映像が今でも「 生きて 」いるのを発見したので、
ここに改めて紹介したいと思います。( 今回は、この「 覇王の船 」音声収録についてのお話です )

ちなみに、この「 YouTube 」の動画は閲覧数100程度( 現在『いいね』は、たったの1個だけ )で、い
つ消えてなくなるか分かりませんので、興味のある方は、お早めにご鑑賞下さい・・・・・

 「 覇王の船 」( 小林多喜二作「 蟹工船 」より )


実は、このモーションコミックのアテレコ作業に私も同席させてもらっていたのです・・・・・。

2013年6月の声優さんたちの配役決定や、8月の収録など楽しい作業に立ち会えました。

まず・・・・・・

渋谷にあったメディア関係の専門学校( 現在はありません )で、数人の声優さん( 学校でアニメの声優
学習をしている学生さんたち )たちに、どの役をやってもらうかを決める作業です。

構成、演出を担当してくれる樹崎聖氏( ‘09年、月刊アフタヌーンで「 ZOMBIEMEN 」連載、漫画家、演
出家、プロヂューサー )が、予め出演者の候補を絞り込んでくれていました。

声優さんたちは、さすがに声の出し方や演技の練習を毎日されているだけあって、ド素人目には圧倒され
るばかりです。

ちなみに・・・・・・

奴隷船である蟹工船の怖い漁場監督( 主役 )・・・・・・この役を演じるのは、とても難しかったと思います。

私は、この漁場監督の言葉に「 やれッチ 」とか「 てめェッチ 」などと個性的な言い回しを設定したので
すが・・・・・・

声優さんたちからすると、こうした言葉遣いに違和感があるらしく・・・・・・

 「 イエス先生、これどこの方言なんですか? 」

別の学生さんは、蟹工船のイメージから・・・・・・

 「 東北や北海道の言葉なんですか? 」

私は、「 デタラメ 」です・・・・なんてホントの事は言えないので・・・・・・

 「 と・・・・特異な・・・・・・・人物ですので、特定の地域の言葉というわけではなく・・・・・・ 」

・・・・などと、返答に冷や汗をかいたものです。


2013年、9月、いよいよ収録が始まります。

私は、友人である創作童話作家の羽さん( 仮名:羽田ヒロ、‘13年当時57歳 )と一緒に渋谷にある録音ス
タジオへ向かいました・・・・・・

数人のアテレコを学ぶ声優志望の学生さんたちが収録ルームで待っていてくれました。

挨拶もそこそこにさっそく収録です・・・・・・

私の「 覇王の船 」がシナリオになって、各声優さんに配られています。

ゲストの私と、友人の羽さんも一緒に防音室へ入ります・・・・・・なれない設備にすっかり緊張しっぱなしで
すが、さすがに声優を演ずる学生さんたちは、日々練習しているので落ち着いています。

椅子に掛けて見ているだけなのに、映画でも見ている様なワクワク感があって、喉が渇いてきます。

 『 ・・・・よく訓練されているなぁ・・・・・・喋りが明瞭で力強い・・・・・ 』

場面が蟹工船の甲板上でのやり取りになった時、私は奇妙な事に気が付きました・・・・・・

残酷な漁場監督と、その部下である監視員たちの会話なのですが・・・・・・

ある学生が一人だけ、収音マイクから少し離れていたのです。 

シーンの変わり目で、録音が休止している時・・・・・・私は、彼にもっとマイクに近づいた方が良いのではな
いかと声をかけました。

すると彼は、ごく自然に・・・・当然の事の様に・・・・・・

 「 船の大きさからして・・・・甲板も広いと思ったんです。そこで、甲板上の広さと、他の人物たち
   との距離感を出すために、わざとマイクから少し離れていました。 」

音声だけで状況を表現する工夫を彼らなりに、考えながら収録しているわけです。( 時に、うつむいたり、
肩で息をしたり・・・ )

私は、一生懸命に演技する彼らに感心しながら収録を見つめていました。

物語はクライマックスを迎えるまで、収録はスムーズに進みました・・・・・・

ところが・・・・・・

私が想像もしない出来事が起こります・・・・・・

 「 先生もやってみませんか? 」

 「 はぁ? 」

 「 船長の役、やって下さい 」

蟹工船上では、労働者たちがストライキを起こし、漁場監督たちと闘うシーンになるのですが、そこへ船
長が登場するのです・・・・・・

私は、声優の勉強を毎日続けている彼等の様には演技出来ないし、まったく経験のない事をやって、今日
の仕事を台無しにしてしまう事を恐れて固辞しました。

その代わり、群衆が騒ぐシーンなど数ヵ所のシーンで、私と童話作家の羽さんも特別出演する事になりま
した。

 「 わ~、わ~ 」とか、「 やめろ~ 」とか、「 ストライキだ~ 」とか・・・・・・

・・・・・・マイクから少し離れた位置で騒いだのでした。

とても楽しい収録作業でした。

こんな風に、映画やアニメの制作現場が楽しいものなのかどうかは分かりませんが・・・・・・

その緊張感と、演技への集中、テーマへの肉迫、生き生きとした現場の活気・・・・・・・どれもが、貴重な体験
になりました。

でも・・・・・・

演出、プロデューサーの樹崎氏が一番喜んでる感じではありましたが・・・・・・

「 監督業 」って、一度やったら止められないかもですね。



              「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その19 」 へつづく・・・・


               ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


                 ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その17」へ戻る 】





   


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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その13

2022年02月14日 11時55分03秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、チェンマイの郊外にある保養地から、市街へ戻る時のハイウェイの夕日です。市街地が
        西側になるため、この様に夕日に向かって走る事になります・・・・・《 2021年、12月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、私が暮らすチェンマイの田舎の自宅近くで農園を営むオーナーさんに招かれてミカン農園を
        見学しました。1㎞四方ある様な大きなミカン畑です・・・・・《 2022年、1月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、上と同じミカン畑ですが、10人以上の人達に手伝ってもらってミカンの取り入れをします。
        右側にあるトラックに積んで集荷して、1t単位で仲買人に売ります。原価は1㎏で30円ほどですが、
        お店に並ぶと1㎏100円位になります・・・・・《 2022年、1月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、ミカンを露店で売っているところです。実は、私がミカン農園を見学した翌日、大きなヒョ
        ウが降って収穫期のミカンに大被害がでました。ほとんどのミカンが集荷前にヒョウで傷ついてしま
        ったのです。そのため、わずかな無傷のミカンを家族で小売しなくてはなりません。値段は1㎏で15
        バーツ・・・・日本円で45円、他のお店の半額ほどのたたき売りです・・・・・《 2022年、2月、撮影 》 )





        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                    その13


全ての仕事( 漫画家アシスタント、非常勤講師などの仕事 )を辞めて気付いたことについて書いて
みたいと思います。

タイで隠居暮らしを始めてから5年目になるのですが・・・・・・・・

 「 退職してから早5年~♪ 今じゃ呑気な楽隠居ォ~♪ 」( クレイジーキャッツの『 五万節 』調 )

・・・・・・・ってな感じですが、このお気楽ぶりと、今回のブログのテーマには重要な関連があります・・・
・・・・・

私は、若い頃から漫画家アシスタントの仕事が好きだった事は一度もないし、仕事を楽しいと思った
事もありませんでした。

あくまで、目標は漫画家に成る事であり、アシスタントはそのためのステップでしかありませんでし
た。( 跳び箱を越せずに、踏切板の上に40年立ち尽くすのと同じ )

 『 早くアシスタントなんか辞めたい・・・・・早く漫画家に成りたい・・・・・・・ 』

毎日、毎月、毎年・・・・・・そう思って年数だけが過ぎていく・・・・・・・・

気持ちだけがあぶられる様に空回りする・・・・・それは、先へ進めぬ回転する車の中のハツカネズミの様
なもの・・・・・・・・・・

40歳過ぎになって中年太りしたアシスタントの先輩たちが薄暗い仕事場で机に向かいながら・・・・・・・

 「 仕事をしている時って充実するんだよなぁ・・・・・ 」

とか・・・・・・・

 「 そ~じゃの~、生きがい感じるの~ 」

・・・・・・・ってな会話には、とても付いては行けませんでした・・・・・・・。

朝起きてから寝るまで、土曜も日曜日もなく、ただ漫画家に成るために生きているだけ。

それを他人は「 夢のある仕事 」とか思うのかも知れませんが・・・・・・・なんだか味気ない殺伐とした日々
なのです。

食事をしていても、常に本を読んだりDVDで映画をみたり、電車に乗っても本を読み( 皆さんスマホ
を見ていますが、車内で文庫本を読んでいる変わり者は私位なもんです )、映画を観ても常に漫画の
勉強のためと気を張りつめているわけです。

数年に一度だけ旅行したタイでも、毎日旅行記を書いたり本を何冊も読んだり・・・・・・・漫画制作からは
距離があっても、片時も漫画が頭を離れる事がないわけです。

師匠だったジョージ秋山は、自宅にいる時、少しの間は秋山勇二本人に戻り、それ以外の時間はジョー
ジ秋山となって意識を集中( 感性の戦闘モード )させていました・・・・・・・しかし、私の場合はその集中
の深さが全然浅いので、一生うだつが上がらなかったわけです。

さて、初めてアシスタントをやった19歳の時から46年経って、現在は呑気な隠居ジジイになったわけ
ですが・・・・・・・仕事も勉強もクソくらえってな気分の道楽隠居です。

その事で一つ気が付いた事を書いておきたいと思います。

それは・・・・・・・・・「 味 」についてです。

退職して数ヵ月後にタイへ来たのですが、それからしばらく・・・・・・・そう、2年ほどして、タイ暮らしに
も少し慣れてきた頃だったと思います・・・・・・・・

ある時、青空の見えるダイニングで鳥の声を聴きながら・・・・・・何気に食事をしていると・・・・・・その味が
いつもと違うのです。

タイでは、よく家人が味噌汁や焼き魚などの日本食を作ってくれていたのですが・・・・・・・

その味がいつもと違う・・・・・・・いや、料理はいつもと同じだし、味が変わるはずもないのに・・・・・・・なん
だか変だなぁ・・・・・・と思っていたのですが・・・・・・・

数日後、私は自身の味覚が変わってきたのだと分かりました。

いつも、本やDVDを見ながら、セコイ根性でセコイ事をあれこれ考えながら食事していたので、その食
事の本来の味が分かっていなかったのです。

40年、食事の味を十分に味わう事なく生きてきたわけです。

何気ない普通の味噌汁や菜っ葉のおひたしなどが、ホントに優しく懐かしい・・・・・・豊かな味わいに満ち
ている・・・・・・・・

 『 こんなに美味い事に気付かずにいたのか・・・・・・・ 』

すっかり頭は白くなり、脳ミソのHDD容量は激減し、体もすっかり衰え、歯はガタガタ、元気だった
ナニ( 往かせた女は5万人~♪ )も今は昔の話・・・・・・・・・・

アッと言う間に歳を取った「 浦島太郎 」の気分でした・・・・・・・・。

これが人生の味わいと言ったものなのでしょうか・・・・・・・・

古い映画で「 お茶漬けの味 」とか「 秋刀魚の味 」なんて映画がありましたが・・・・・・・・

きっと、似たような味わいなんだと思います。

私の場合は「 おひたしの味 」でしょうか・・・・・・・・


ところで・・・・・・・・

上の写真にあるミカン農園ですが・・・・・・・・

ここのオーナーさんとは親しくしていて、よく食事に招かれたりパーティーに呼ばれたりします。

実は、私が暮らすこの自宅の建築時に2ヵ月も完成が遅れ、住む場所に困っていた事があったのです
が・・・・・・・。

その時に、快くこのオーナーさんが自宅の一部を私たちに無償で貸してくれました。

いくら親しい友人とは言っても、他人( それも夫婦 )を自宅の一部へ1ヵ月も無償で居候させてくれ
る人は少ないと思います。

それを、ニコニコと私たちを迎えてくれたわけです。( ホントにニコニコと嬉しそうに! )

60歳を過ぎたこの農園主さんと、その奥さんに年頃の娘さんが二人、まるで絵に描いた様な穏やかで
優しい家族です。( もちろん、普通の家族としての細々した問題はあると思いますが )

晩御飯もよく作ってくれる時がありましたが・・・・・・・・

その料理は、ごく普通の家庭料理なのですが・・・・・・・・・・・他と何も変わった所はないのですが・・・・・・・
・・・・・・特別高価な料理というわけでもないのですが・・・・・・・何故か、やたらと美味い。

不思議な話ですが・・・・・・・・・・・

食事を作ってくれる人の、その人柄や優しさで味が変わってくるものの様です。

この微妙な味の違いは、漫画家に成る事で頭がいっぱいだった若い頃には、まったく分からなかったの
です・・・・・・・・。

小さな器の中に盛られているものが・・・・・・・

温かい真心だということが・・・・・・・・



             「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その14 」 へつづく・・・・


             ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出3

2021年02月27日 22時29分22秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、新宿区中落合にある聖母病院を撮影したものですが、中央右側の聖母病院側が中落合、
        道路をはさんで左側が下落合になります。道路の先が高田馬場方面です・・・・・《 2008年、11月、
        撮影 》 )




               

       ( ↑写真、高田馬場駅ですが、右側の青信号の先、タクシーの向こう側のガードをくぐって少し行けば
        手塚先生の手塚プロがあります。そして、そのさらに先には赤塚先生のフジオ・プロがあったわけで
        す・・・・《 2008年、11月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、この道路の先に下落合があって、私の師匠であるジョージ秋山の自宅や仕事場のマンション
        がありました。左側へ進むと中落合があり赤塚先生のフジオ・プロがあったわけです・・・・《 2009年、
        5月、撮影 》 )






       【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                 先生との思い出 3


師匠のジョージ秋山と赤塚不二夫先生の仲が悪かった事は、関係者なら誰でも知っている事だと
思います。

ジョージ秋山プロがあったのが新宿区下落合、赤塚先生のフジオ・プロがあったのが新宿区中落
合、編集員からは「 下落合と中落合が喧嘩してる 」と噂されたそうです。

これから話す事は、だいたい事実だと思いますが・・・・・・・・・・

私自身が体験した事ではないし、当事者、特に赤塚先生サイドからの話は全く聞いていませんの
で、一方的な解釈になります・・・・・・・如何せん古い伝聞なので不正確極まりない「 噂 」である事
をご了解下さい。

私の師匠であるジョージ秋山が1968年に「 パットマンX 」で講談社児童漫画賞を受賞後、「 ほ
らふきドンドン 」「 デロリンマン 」などでヒットを連発し、「 銭ゲバ 」や「 アシュラ 」へと
続いた時代の事です・・・・・・・

ちなみに、年代はハッキリしません・・・・・・・・・たぶん、1970年前後だと思われます。

第一ラウンド・・・・・・・・

某テレビ番組のゲストとして呼ばれた時に、ジョージ秋山はタクシーで出かけたわけですが・・・・
・・・・・・

 「 映画監督や小説家ならハイヤーで送り迎えがあるのに、なぜ漫画家だと自分でタクシー
  拾って行かなきゃならないんだ! 」

この時点ですでに、ジョージ秋山の気分は面白からざる心理状態になっていたと思われ・・・・・・・・

ゲストとして呼ばれた他の漫画家たちと簡単な挨拶をすましつつも、緊張の火花が散るわけです・・
・・・・・・漫画家でもその内側は闘争心むき出しです。( 疲れます )

ただ、この程度のつばぜり合いでイジケていたら、漫画業界ではやっていけません。

数人の漫画家( 全てジョージ秋山にとっては大先輩の先生たち )に紹介された時から、すでに戦
闘モードに突入しているわけです。

私なんかが想像すると、「 どうか、よろしくお願いいたします 」「 こちらこそ、よろしくね 」・・・
・・・・・なんて、温和な雰囲気で挨拶するものだと思うのですが・・・・・・・・・・大先生たちは違います。

そして、いよいよ本番が始まります・・・・・・・・・・

赤塚先生は、若くて新しい才能を持った新人を潰しにかかります・・・・・・・・・・

 「 君の漫画はさァ、つまらないんだよねェ~ 」

1943年生まれのジョージ秋山にとって1935年生まれの赤塚先生は大先輩、大先生、ギャグマンガの
大御所です・・・・・・・・

その「 大御所 」から、冗談というオブラートに包んだ劇薬を投げられたわけです・・・・・・・・

私の様なチンカス男なら、すぐにイジケてうつむいて沈黙、半ベソ半泣き小便ちびり・・・・・・・・って
な感じですが・・・・・・・・

ジョージ秋山はものが違います・・・・・・・・・

 「 君の漫画はさァ、つまらないんだよねェ~ 」

・・・・・・ここで、平然と即応します。

 「 赤塚先生は、も~古いんですよ! 」

声は小さいのですが、鋭く、決然としたその言葉は相手をえぐります。

赤塚先生にとっては「 虎の尾を踏んだ 」状態だったと思います。

焦った司会者が、この先をどう取りつくろったかは不明ですが・・・・・・・・・これ以降、二人は犬猿の仲
になります。


実は・・・・・・ジョージ秋山は、他の漫画家とはほとんど付き合いがありません。

なぜ、漫画家と付き合わないのか・・・・・・・・・・それは・・・・・・・・・・・・

 「 漫画家は馬鹿だからよ 」

・・・・・・だ、そうで・・・・・・・・・・・・

 「 馬鹿と話してても時間の無駄 」

・・・・・・・ホントにそう言ってました。私の言葉では決してありません!( 汗 ) 

そのためか、先生の友人と言えば、映画監督や小説家、劇作家、映画俳優などが多かったのです。

小説家の吉行淳之介氏、倉本聰氏、俳優の中村敦夫氏などとは特に仲が良かった様です。

ただ、漫画家では一人だけ、唯一とても尊敬していたのが手塚治虫先生でした。( 師匠にあたる森
田拳次先生にも一目置いていましたが )

初めて手塚先生と会食した時の話が・・・・・・・実は、この赤塚先生との以下のエピソードに少しだけ絡
んでくるのです・・・・・・・・・


第二ラウンド・・・・・・・・

テレビ局での事があってからしばらくして・・・・・・・・

赤塚先生から秋山に電話があります。

たぶん、赤塚先生は酒が入って気分が良かったのかも知れません・・・・・・・・

 「 ジョージ、うちに酒でも飲みに来いよ 」

普通の新人漫画家なら、この言葉に逆らえませんが・・・・・・・・秋山はこの時、赤塚先生が自分を呼び
つけてネチネチと潰しにかかるものと疑った様です。

そこで、すかさずキッパリと答えます・・・・・・・・

 「 お断りします 」

 ガチャンッ!

実際には、赤塚先生は親交を深めようとされただけだったのかも知れませんが。

この事と同時期に手塚治虫先生からも電話があります・・・・・・・・

 「 一席もうけさせていただき・・・・・是非、お会いしたいのですが・・・・・ 」

全然違う。

赤塚先生とは、その招待する言葉も態度も全然違う。

あの( ! )手塚治虫先生のこの言葉に逆らう理由などなにもありません!

 「 さすがだぜ~・・・・・あんな奴とはまるで違うよ、やっぱり凄いよなァ手塚治虫はよ~ 」

・・・・・・・・と、この話を秋山から聞いたのは・・・・・・私がアシスタントを辞める直前( 2016年 )でし
た。

立派な料亭の会席料理でもてなされた時の事を嬉しそうに語るのです・・・・・・・・

 「 あの手塚先生( 敬称付き! )が俺ィにお酌して気を使うんだぜ! 」

ギャグ漫画の発想など、創作上の話をいろいろと質問する手塚先生・・・・・・

秋山は私にニヤッと笑いながら・・・・・・・・

 「 俺ィの感性を探ってるんだよ 」

漫画界のトップに立つ大御所ですら、新しい時代の流れや新人の感性が気になる( 恐れる )わけです。

 「 あんまり緊張してるんでよ、俺ィは言ってやったんだよ 」

何を言ったのか・・・・・・・・

 「 先生、心配しないで下さいよ・・・・・・・・先生は大丈夫ですよ! 」

手塚先生は、嬉しそうに笑っておられたそうです。



         「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出 その4(前半) 」 へつづく・・・・

 
         ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 2021新年」へ戻る 】





   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
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          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 2021新年

2021年01月01日 18時14分52秒 | 漫画家アシスタント
               

         ( この写真は、チェンマイの自宅を夕暮れ時に撮影したものです。建物の南側からやや逆光で
          撮影しました。毎日、朝と夕方に庭の掃除や水やりなどをしています。うだつの上がらない安
          月給の元漫画家アシスタントが、自宅で芝生に水まきなんかしている姿は、想像さえ出来ませ
          んでした・・・・・《 2020年、12月、撮影 》 )




         【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                2021新年


なんやら、かんやら、色々ありましたが・・・・・・・

とりあえず、無事に新年のご挨拶が出来ます・・・・・・・・どうか、本年もよろしくお願い
いたします。

予定では、今回は「 先生の思い出3 」のはずなのですが・・・・・・・・

その点について・・・・・・・・読者諸兄の中には・・・・・・・・

 「 何やってんだよ、正月の挨拶なんかよりも、本文を進めろよなぁ~ 」

とか・・・・・・

 「 手抜きなんじゃないのかッ! 」

とか・・・・・・・

 「 やだぁ、つづきが早く読みたかったのにィ! 」

とか・・・・・・・

 「 そろそろ止めればァ~ 」

等々・・・・・・ご不満の声があがるのは当然であると・・・・・・しかしながら・・・・・・・・・・

・・・・・・・どうか、お許し下さい。( 陳謝・・・・するふり )


話は変わって・・・・・・・・

コロッと変わって・・・・・・・

現在の私の年金暮らしの経済状態をご報告いたします。

賢明なる読者の皆様はきっと、「 年金で暮らせるのだろうか? 」「 アシの年金じゃ
無理だろ? 」「 たぶん、裏があるな! 」などと興味がおありのことと思います。
( あるわけないか )

私の場合、厚生年金ですので支給額は一ヵ月で14万円ほどになります。( ま、平均
的な金額か、やや低めの金額だと思います )

これから所得税( 海外居住者は確定申告出来ません )と復興特別所得税( 合計1.5
万円 )が、源泉徴収で自動的に差っ引かれますので、手取りは12.5万円。

自宅があるので、住居費にはほとんどお金がかかりませんが、電話代( 千円 )、電
気水道光熱費( 2万円 )、Wi-Fi代( 2千円 )などがかかります。

それでも、10万円あれば夫婦二人で食べていくには十分なのです。( 医療保険やお
こずかいも含め )

もし・・・・・・・・・・・・

もし、日本だったらどうなるのでしょうか・・・・・・・・

同じ厚生年金14万円だとして、所得税は確定申告で抑えられても、介護保険料、医
療保険料、が合計4万円、それに住民税7千円、引かれて残りは、9.3万円・・・・・・・・

ここから、住居費、電話代、電気水道光熱費、Wi-Fi代・・・・・・・・

請求書の山の中で、気が狂うか首をくくるか・・・・・・・・

60代の夫婦が仕事を探すにしても大変です・・・・・・・・・・・

そんなわけで・・・・・・・・

私はタイで夕陽を見ながら芝生に水をまいているわけです。

 『 東京オリンピックはどうなるんだろうなぁ・・・・・ 』



         「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出 その3 」 へつづく・・・・


        ( 「 先生の思い出3 」は、来月掲載の予定です )


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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出2

2020年11月10日 22時02分57秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、秋山プロの仕事場で毎日出ていた仕出し弁当である。400円以上するそうであるが、
        コンビニ弁当よりも高い値段の割に味は悪い。こうした冷や飯が仕事の後のアシスタントの腹を満
        たすのである。もったいなくも、文句を言う人間は私ぐらいなものだった・・・・・《 2006年、某月、
        撮影 》 )




               

       ( ↑写真、仕事場のスナップである。この写真を撮影した当時はスタッフの数も激減し、寂しい仕事
        場にゴミ山の様に古雑誌やコピー紙が積まれている。その上に30年のホコリが堆積しているのだが、
        誰も片づけようとはしなかった。もし、下手にいじればゴキブリがウジャウジャと這い出して来る
        事を知っているからである・・・・《 2010年、某月、撮影 》 )






        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                 先生との思い出 2


師匠(ジョージ秋山)の話で面白いのは・・・・・・・・

やはり、他の漫画家との逸話だと思います。( 編集員の間では漫画より面白いとの評価も )

当然、漫画制作に関わる重要な話、創作の秘密など興味深い話は沢山あるのですが・・・・・・・・・・

今回は、特に師匠が話してくれた梶原一騎先生との初対面のシーンを紹介したいと思います。

ちなみに、作家というものは・・・・・・・・

その作品の全世界を創造し、全ての人間の殺生と運命を握る神の様な存在であるために、自分を
神か仏の如く錯覚する危険もなくはないのです。

例えば、自分を神だと思っている人間と、自分を仏だと思っている人間が出会ってしまう様な事
が起きた場合、まるで居合切りの勝負の様な・・・・・・・・緊迫した場面が見られます。

これが、漫画よりも面白いと言われる所以であります・・・・・・・・

この話は、20年以上前( 1990年代 )に聞いた話です・・・・・・・・たぶん当時は、もう梶原先生は亡
くなっておられたかと思います。

師匠は漫画家として自立し、ヒット作を連発、ほぼ全ての週刊少年雑誌に連載を同時進行させる
ほどの超売れっ子の時代がありました。

つまり、一週間で5本以上の連載の締め切りがあった事になります。( 現在では想像もつかない
無茶苦茶な仕事ぶりです )

マスコミの取材や、テレビ番組への出演などもあったりと、超多忙な時代でした。

 「 これだけ連載やってるとよ、考えてる暇なんかねィ~んだよな、もう思い付いたモンを
   ガンガン描くだけよ! 」

1960年代の後半には、すでに梶原氏は「 巨人の星 」や「 柔道一直線 」「 あしたのジョー 」で
超大物の貫禄がありました。

うちの師匠は、新人の売れっ子漫画家です・・・・・・・・・でもただの青白い漫画オタクじゃありません。

二人が初めて出会ったのが銀座の高級クラブです。

漫画家だけでなく、編集員や出版社の役員までを恐れさせていたどこぞの親分みたいな梶原氏と、
「 漫画家なんて馬鹿ばっかりなんだぜ 」と孤独な渡世人の様な師匠が出会うわけです。

はじめてと言っても・・・・・・・・両人はお互いに顔を見知っています。

最初に気付いたのは師匠の方です・・・・・・・・梶原氏が取り巻きと一緒に派手に飲んでいるのですぐ
に分かります。

 「 お・・・・・いるな 」

すると、すぐに梶原氏も気付きます・・・・・・・・

 『 新入の兄ちゃんが来たな 』

普通の漫画家や編集員なら、梶原氏と出会っただけで緊張感が走り、震えだして小便を漏らす人
もいます。( それは嘘です )

角刈り頭にサングラス、格闘技で鍛えた体に暴力的な雰囲気、相手を威圧する目つきと態度・・・・
・・・・・・まったく困った先生です。

ところが、うちの師匠も負けてはいません。

真っ白なスーツに白いエナメルの靴。そして、梶原氏と同じサングラススタイル。

関八州の大親分が若頭たちと酒を飲んでいる所へ、フラ~ッと、やって来た木枯し紋次郎・・・・・
・・・・・みたいな感じですね。( 表現がかなり古いがお許し下さい )

手をあげて、手招きしたのは梶原氏です。

 「 おい 」

師匠はまだ20代の若者です。覚悟を決めて梶原氏のテーブルへ進みます。

 「 ジョージだろ? 」

二人は目と目を合わせてジッと対峙します。

相手を威圧する様に低い声で・・・・・・・・・

 「 梶原だ、ま・・・・・よろしくな 」

そう言って右の手のひらを差し出します。

普通の人だと、そのまま梶原氏と握手するのですが・・・・・・・・・その時、梶原氏は相手の手を握り
つぶす様に( その怪力で )いたぶる事があります。

相手が「 痛てててッ 」と顔をしかめたらそれで終わりです。

男と男の関係が、この瞬間、親分と子分の関係に変わるのです。

こうして冗談の様に、軽く「 男の挨拶 」をするのが、梶原流なわけです。( たぶん )

右手を差し出すその異様な雰囲気を察した師匠は経験上、握りを浅く(!)しました。

 「 俺は、若い頃にワルとも付き合っていたからよ、よく知ってるんだよ 」

師匠は、そう解説しながら、つづきを話してくれました。

案の定( 例のごとく )、梶原氏は師匠の手を怪力で握り絞めます。

しかし、師匠は、浅く握っていたので、指の部分がグニャリとするだけで痛みはほとんどありま
せん。

 「 何ですか? 」

・・・・・・・・といった感じで梶原氏の目を見つめます。

梶原氏はニヤニヤと笑いながら・・・・・・・・・・

 「 チッ、面白ェ奴だな 」

その後、どんな会話をしたのかは聞いていませんが・・・・・・・・・・( もっとしつこく聞いていればよ
かったのにと後悔しています )


さて・・・・・・・・・・

こうした武勇伝の様な話で超有名なのが村野守美先生です。私がアシスタントをしていた時に、
先輩スタッフから聞いた話・・・・・真崎守先生のご自宅へ日本刀を持って殴り込みをかけたり、暴
走族と喧嘩して、その溜まり場へスタッフと共に夜襲をかけて警察沙汰になった話など・・・・・・・・

でも・・・・・・・・・・

それは、いずれ機会があった時に書かせていただくとして・・・・・・・・・・・・・

次回は、ジョージ先生と赤塚不二夫先生との喧嘩について書いてみたいと思っています。

当時の大御所だった赤塚先生に噛みつく師匠の武勇伝という事になります。

赤塚先生のファンの方々には不快な読み物になるかも知れませんが・・・・・・・・・・

まぁ・・・・・・・・洒落だと思って、笑って読んでいただければありがたいです。いや、ホントに。



          「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 2021新年 」 へつづく・・・・


         ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )



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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出1

2020年09月10日 21時16分55秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、前回のブログで書いた先生の夢の話の舞台となる仕事場のスナップです。仕事場
        に入ってすぐ1979年頃に撮影されたものです。夢の中のイメージはこんな感じで暗い室内と外か
        ら入る光が白っぽい霧の様に見えました。写真の奥に先生の仕事場があり、手前がアシスタント
        の仕事場になります・・・・・《 1979年、某月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、秋山プロに入って9年目、すっかりアシスタント暮らしになじんでいます。私の右側にいる
        人物にはブログ掲載の許可なんか取っていないので、どうか、見なかった事にしておいて下さい・・・
        ・・・・《 1987年、某月、撮影 》 )




               

        ( ↑写真、場所は秋山プロのドア前、ヤングジャンプなどで賞を受賞したり、単発の仕事など自
         分の漫画作品を発表できる様になった頃の写真です。服装にも余裕がありますが・・・・・・・本来な
         ら、連載漫画を得るために必死になっていなくてはならない時期だったのです・・・・・《 1992年、
         5月、撮影 》 )






  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

               先生との思い出1


皆さんは貧乏人がどんな夢を見るかご存知でしょうか?

裕福な暮らしをされている拙ブログの読者諸兄には、お分かりにならないと思いますが・・・
・・・・・

実は、いたってその内容はシンプルなのです。

貧乏人の夢は、ただ「 貧乏 」そのものなのです・・・・・・・・

私が漫画家アシスタントをしていた20代( 1980年頃、ジョージ秋山プロ勤務 )に見た夢
はだいたい以下の様なパターンばかり・・・・・・・・・・

夢の舞台は、商店街によくあるベーカリーや、スーパーマーケットのパン売り場など・・・・・・
・・・・

そこには、美味しそうに菓子パンや食パンが並んでいるのです・・・・・・・・

 「 メロンパンかコロネが食べたいなぁ 」

どのパンも美味しそうです・・・・・・・・

 「 レーズンパンも美味そ~ 」

・・・・・などと思っているのですが、財布の中には十円玉が2,3枚しかない。

たった20円か30円で買える菓子パンがあるのだろうか・・・・・・・・

私はどうしたらよいのか夢の中で真剣に悩むわけです・・・・・・・・・・そして、お金が無いんだ
から諦めるしかない・・・・・・・・・・と・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・落ち込んだところで目が覚めるのです・・・・・・・・・グッショリと寝汗をかいて・・・・・・
・・・・

 『 どうぜ夢なんだから、好きな物を好きなだけ食えばいいのに! 』

なんだか訳の分からない怒りで不快な汗が、さらにどっと噴き出す出すわけです。

しかし、時計を見れば午後の1時を回っている・・・・・・・・・・!

12時からの仕事に完全に遅刻しているわけです。

仕事場( 目白にあるジョージ秋山プロ )へ着くとすぐに先輩アシスタントに声をかけられ
ます。

 「 先生が呼んでるよ 」

 「 は・・・・はい 」

私は処刑場へ呼び出される囚人の心境で先生の部屋へ向かいます・・・・・・・・

 「 おめィ~は何考えてっだよ! 」

 「 おめィ~のせいで、皆の仕事のペースが乱れるんだよ! 」

普通なら、ここで「 明日から来なくていいからな! 」で終わり( クビ )だと思います。

ところが・・・・・・・・

茫然と立ち尽くす私のダメージをしっかりと確認する様に、少し間をおいてから・・・・・・・・

 「 いいから、もう行け 」

先生はそのまま、デスクに向かって仕事を続けます。

ダメージは大きいのですが、私は慣れているのでシラ~とした顔をしてアシスタントの仕事
場へ戻って作業を始めます・・・・・・・・

そして、また次の日も遅刻するわけです。


実は・・・・・・・・・・

今回のサブタイトルにある「 先生の思い出 」ですが・・・・・・・・・

真っ先に思い浮かぶのは、上記の様に怒られている思い出ばかりなのです。

スタッフの中には先生から怒られた事なんて一度もない・・・・・・・という人もいます。

でも、私はそんな真面目なアシスタントではありませんでした。

ただ、幸いな事に数本の漫画作品を発表出来ているので、その点( 作品の質や絵柄 )に
ついて褒めてもらった記憶があるにはあるのですが・・・・・・・・・

でも、やっぱり・・・・・・・・・・

ホントによく怒られました。

私が、まったく非常識な弟子だったからなので、仕方がないのですが・・・・・・・・・・・

普通の会社なら、100回以上はクビになっていると思います・・・・・・まったく、ど~~仕様
もないダメ弟子でした。

お昼に仕事が始まるのに、私は2時間も遅れて出社する・・・・・・

上記の様な貧乏臭い夢を見て毎日の様に遅刻するわけです。

しかし、毎日怒られるわけではなく、2,3ヵ月に一回位にピシャリと怒られるのです・・・・・・

 「 もう、陽が傾いてるじゃねィ~かよォ! 」

先生は声は小さいが、何故か迫力がある・・・・・・・・・・日焼けしているその顔を赤くしながら・・
・・・・・・・・

 「 遅刻ばかりしやがってよォ~、何考えてンだよッ! 」

私の怠惰を先生は、本気で怒ってくれました・・・・・・・・・・( 当時は本当に怖かったです )

完全に遅刻をしなくなる様になるまで10年かかりました・・・・・・・・こんな弟子をよく我慢し
たもんです。

ところで・・・・・・

誰でも、「 いったい何故遅刻するのか? 」とお思いになるでしょう・・・・・・・・当然です。

それは、漫画家アシスタントの仕事が「 仕事 」の様な気がしなかったからです。

普通の仕事( 他のアルバイト、ビル掃除や皿洗いなど )では遅刻なんてしないのですが、
何故か漫画の仕事となると緊張感が切れる・・・・・・・・「 趣味の延長 」みたいにしか感じら
れなかったのです。

漫画をバカにしているつもりはないのですが・・・・・・・・・・・・

いや、少しはバカにしているかもですが・・・・・・・・・・・

単純に適当な人間なんだと思います。


それから、私はお金に関してもルーズでした・・・・・・・・・

秋山プロに勤め始めた当初( 2,3年 )は、月末になると先生に「 前借 」( いつも1万
円 )をお願いしたものです。( 毎日、遅刻ばかりしているくせに! )

 「 また前借ィ?・・・・・・毎月じゃねィ~かよ! 」

 「 おめィのは『 前借 』じゃねィ~だろ、ただの一度も返さねィ~んだからよ! 」

確かに、「 前借 」と言っても一度もお金を返しませんでした。

それから27年後、単行本で印税が入った時に( なんとこのブログの本! )お借りしたお
金( 40万円、たぶん全額+α )を返す事が出来ました。

デタラメな人間がほんの少しだけ真面目になるのに「 27年 」かかったわけです。

ちなみに、秋山プロのスタッフの多くが師匠から借金をしていました。

若くて元気な野郎どもが安い月給で満足しているわけがないのです。

月末になると「 先生、前借したいんですが・・・・ 」と泣きつくのが秋山プロの社内風景で
した。

平均で諸先輩方は、10万円以上借金が溜まっていたと思いますが・・・・・・・・

まともに、借金を全額返済したのは私一人です。

この事だけは最後にしっかり記しておきたいと思います。



      「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出 その2 」 へつづく・・・・

 
      ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生は死んでしまった

2020年07月10日 21時16分05秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、1970年頃に撮影されたものです。当時「引退宣言」を発表して話題になった事がある
        のですが、実は「引退」は話題作りで実際にはスタッフたちと熱海へ遊びに行っていたわけです。写
        真手前がジョージ先生で、後ろに立っているのはまだ10代のスタッフです。当時のスタッフは全員20
        歳前後だし、先生もまだ20歳代後半の若者です・・・・・皆、子供の様に若いです・・・・・《 1970年、某月、
        撮影 》 )




               

       ( ↑写真、先生が写っている写真は以上の2枚しかありません。40年もアシスタントをやっていたのに、
        まったく写真を撮る事がありませんでした。この写真は、1979年の忘年会の写真です。中央が先生で、
        右側には少年キングで連載を持っていた元アシスタント、周りに写っている人物もほとんどがアシス
        タントたちですが、右下の人物だけはアシスタントの友人で氏名不詳です・・・・・《 1979年、12月、撮
        影 》 )




               

        ( ↑写真、仕事場のスナップ写真です。87年の夏、クーラーはボロボロで室内が夕方になると最高で
         38度になった事もあります。熱帯夜の夜なのにマンションのドアを開けて外気に触れると、外の方
         がクーラーが効いている様に涼しかったものです・・・・・《 1987年、7月、撮影 》 )



               

       ( ↑写真、仕事場の奥、正面は新宿の夜景が美しいガラス窓、左側に先生の個室がある。手前は小さ
        なリビングになっていて、ソファやテーブルが置いてあるのですが、ゴミがかなり散乱している・・・・・
        《 2006年、某月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、前上の写真と同じ場所の同じソファ。かなりゴミでうずまっています。たまに私がかたず
         けるのですが、書籍やボロ布、クッションなどをどけると、そこには敗れたソファーから出て来る
         大量のチリ屑があふれ出るので、なるべく本やクッションで隠しているのです・・・・・《 2010年、某
         月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、夜の仕事場の風景です。ちょうど仕事が終わって帰る時に撮影しました。私が秋山プ
         ロを辞める3年ほど前にはスタッフも二人だけ、8つあるスタッフの空デスクの上には雑誌やゴ
         ミが山の様に積まれています。とても寂しい風景なのです・・・・・《 2013年、某月、撮影 》 )




               

        ( ↑写真、『弁―、急仕上げ、コピーないよ』という先生からの指示メモです。時々、仕事が始ま
         る前にスタッフデスクの上に置いてあったりします。この意味は、『編集さんの弁当を一つ注文
         すること、今日の仕事は締め切りが迫っているので急いで仕上げること、昨日描いた分の原稿
         のコピーはない。』ってな意味です・・・・・《 2013年、某月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、仕事場の奥、先生が仕事をする椅子とは別の応接用の椅子です。ゴミだらけで分かりに
         くいのですが、茶色のレザーの椅子です。背もたれ部分にはジャケットなどがかけられ、腰があ
         たる部分のレザーが敗れてボロボロになり、黄色いクッションがはみ出しています。椅子という
         よりもゴミのかたまりにしか見えません・・・・・《 2015年、某月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、窓辺に置かれた先生のデスクです。説明しないと、どれが椅子でどれがデスクかまったく
         分からないほどゴミに埋まっています。画面の中央がゴミだらけのデスク、右の方に少しだけ筆記
         具が見られます。その横にはビールの空き缶やお茶などの空きボトル、その下には白いゴミ袋、画
         面の左右には木製のキャビネットがあります。先生は、ここで毎日『浮浪雲』を描いていたわけで
         す。ちなみに先生が留守にする朝のわずかな時間に私が掃除していました・・・・・《 2015年、某月、
         撮影 》 )



               

        ( ↑写真、先生が朝、編集員が来る前に逃げた後。担当編集員○原氏への走り書きです。『そんな
         わけで、どうもすいませんです。さようなら』こうした事は、1970年代から2010年頃まではまったく
         なかったのですが、この10年ほどは『浮浪雲』のネーム制作にかなり苦しんでいました・・・・・本当に
         命がけでデスクに向かっていました・・・・・《 2016年、某月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、応接間にあるテーブルです。これも説明しないと何が写っているんだか分かりません。
         画面の下半分が木製のテーブルです。書籍類がテーブルの半分以上を占領しています。テー
         ブルの右端に鉄の灰皿がありますが、これは40年位使っている代物で、毎日私が綺麗に洗って
         います。基本的にはこのテーブルと灰皿は毎日片づけているのですが、それ以外の先生の私物
         には一切手を付けません。そのため、どんどんゴミが溜まっていくのですが・・・・・《 2016年、
         某月、撮影 》 )






        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                先生は死んでしまった


こうした追悼文の様なものを書く事になるとは思っていませんでした。

先生( ジョージ秋山、1966年デビュー『 銭ゲバ 』『 アシュラ 』『 浮浪雲 』、私は1978
年に師事、2017年退社 )には怒られてばかりだったし、このブログ自体も嫌っていたその
先生を追悼するブログを書くなんて・・・・・・・・・・・なんだか申し訳ない・・・・・・・・・・・・・・

そこで、今回は最近( 2週間ほど前 )見た「 夢 」について書いてみたいと思います。

久しぶりに見た先生の夢です・・・・・・これは、追悼文というより酔狂文に近いかも・・・・・・・・・


先生が亡くなったのが5月12日・・・・・・・・・・それを私たち元アシスタントが知ったのは、だい
たい半月ほど過ぎてからでした。

そして、私が見た先生の夢というのは、それからさらに3週間ほど経った某日という事にな
ります。

先生の夢は、今までに何度か( 何十回か )見ていますが、この夢もいつもと同じ様に仕事
場が舞台になっています・・・・・・・・・・・・

夢の中では、私は先生の死を知りません。

まだ、仕事場で先生と仕事をしているつもりなのです。

仕事場は、他のスタッフが帰宅した後で、私と先生しかいません。

ただ、仕事場の雰囲気がいつもとかなり違います・・・・・・・・・机も椅子もなく、ただ書籍やフ
ァイル、雑多なゴミや空き瓶、空き缶が床に散らばっているのです。

まるで、引っ越しの後かたずけでもしている様な・・・・・・・・・・・・

私は、仕事場の中央に立ち、先生がいる個室に向かって歩いていきます・・・・・・・・・・・・・

 『 今日でいよいよ最後なんだなァ・・・・・・ 』

・・・・・・漠然とそんな事を考えながら・・・・・・・・・・

「 最後 」といっても、私がアシスタントの仕事を辞めるという意味なのか、先生が引退して
仕事を辞めるという意味なのか・・・・・・・・・どちらなのかは分かりません。

窓から差し込む光で床に紙くずや空き缶が散らばっているのが分かります・・・・・・・・・・やけ
に殺風景なのです・・・・・・・・・

 『 最後なんだなァ・・・・・・ 』

外は、曇り空なのか雨でも降っているのか、昼間なのに薄暗い室内・・・・・・・・・・・

私は先生のその薄暗い個室に入ります・・・・・・・・・・・

いつもと同じ様に先生は、こちらに背を向けて机に向かっている・・・・・・・・・

いつもと同じ様に私は先生に声をかける・・・・・・・・・・・・

いつもと同じ様に「 センセ・・・・ 」と小さな声で・・・・・・・・・・・

しかし・・・・・・・・・・・

「 センセ 」と声をかけようとした時に、先生のデスクには、見た事のない漫画のキャラクタ
ーが描かれているのに気づきます。

『 まだ仕事をしているのだろうか 』と思って声をかけ損ねていると・・・・・・・・・・

 「 これは、新しいやつだぜィ 」

先生は新作のキャラクターデザイン( なんだか『 銭ゲバ 』っぽいけど )を描いていたので
す。( 髪の毛に少し薄墨を入れている )

 「 ここに付けるんだよ 」

先生はそう言って、わきに置いてあったA4ほどの大きさの「 厚紙模型 」出して私に見せるの
です。

その模型は、紙で作ったもみの木に雪が積もっている様な、クリスマスのパッケージみたいな
模型で、「 ZENIGEBA 」というロゴが入っていました。

新作なのに、「 ZENIGEBA 」というのは変だなぁ・・・・・・と思いつつも・・・・・・・・・・・・

この模型にキャラクターの絵を重ねてプロモーション用の写真でも撮るのかと・・・・・・私は勝手
に納得するわけです。

 『 きっと、後で編集員がカメラ機材を持って何人もやって来るな・・・・・ 』

先生の部屋を出て仕事場へ・・・・・・

 『 新連載かなぁ・・・・こりゃ、仕事が忙しくなるなァ・・・・・・! 』

私はスタッフを呼ばなくてはならないし、仕事の準備に入らなくてはならないと焦るわけです。

ところが・・・・・・・・・・・・

誰もいないはずの雑然とした仕事場には、もうスタッフが何人も集まっています。

それも、40年も前に辞めたスタッフも一緒にいるのです。

ヌイちゃん、50年以上も前の最初のアシスタント。1年間、風呂にも入らず、パンツも代えな
い伝説の人。今はフリーのアニメーター。

ガーさん、先生よりも女にモテる東京下町育ちのイケメン。少年キングでデビュー。

シンさん、優しく美しい童謡の世界を志向したのに、現実は多重債務で眠れぬ夜。

ケンちゃん、秋山プロ一の背景プロ。他の有名漫画家からもスカウトされていた。( 故人 )

ヨシちゃん、竜馬と維新史に詳しい「 歩く幕末 」と言われた堅物。

ノリちゃん、ユニークで個性的、毎日の様にスナックで朝まで飲んでた最後に一人残ったア
シスタント

先生は、そのスタッフたちに囲まれる様にして立っている。

スタッフの後ろには、担当だった「 ビックコミックオリジナル 」の編集員も来ている。

先生は、いつもの様に冗談( だか何だか分からない )を飛ばして皆を笑わせる。

 「 やってるか? 」

仕事の話かと思うと・・・・・・・・・

 「 女とやんなきゃダメなんだよ! 」

先生・・・・・・

先生の話がもっと聞きたい・・・・・・・・・

皆が笑っている・・・・・・・・・・・

面白そうだなァ・・・・・・

先生・・・・・・・!

「 おめィはいつもよォ~・・・・・・ 」

先生の話が・・・・・・・・

でも、もう夢が覚めている・・・・・・・・・・・

私は、目を閉じたまま先生やスタッフたちを追う・・・・・・・・・・・

しかし、もう誰もいない。

先生はいない・・・・・・・・・・

閉じた目には雑然とした仕事場が浮かぶだけだ・・・・・・・・・

紙くずとビールの空き缶・・・・・・・・・

 「 おめィはよォ・・・・・ 」

もう聞けない先生の声・・・・・・・・・

ごめんなさい先生・・・・・・・・・・

ホントに・・・・・・

馬鹿な弟子でした。

その馬鹿弟子の思い出話は・・・・・・次回に・・・・・・・・・・



        「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出1 」 へつづく・・・・

 
       ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


          ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その10」へ戻る 】




   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その10

2020年05月11日 22時42分40秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、新居の南側になります。中央の赤い部分は小豆色の格子戸になっています。内
         側はリビングルーム、右側が駐車場で左側がメインベッドルームです・・・・・《 2020年、5月、
         撮影 》 )




               

       ( ↑写真、この南側から外側を見ると、こんな感じです。正門の向かい側は道路を挟んで空き
         地になっていて、樹木が生い茂っています・・・・・《 2020年、5月、撮影 》 )




               

        ( ↑写真、新居の西側です。バスルームや洗面所、私の個室などがあります・・・・・《 2020年、
          5月、撮影 》 )



               

       ( ↑写真、建物の西側から見た外の景色です。鬱蒼とした雑木林ですが、先月失火して大騒ぎに
         なりました。近所の人や地元の消防団によって消火されましたが、火は我が家の塀から20m
         ほど近くまで迫っていました・・・・・《 2020年、5月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、建物の北側です。右側に私の個室があり、続いて女中さんの部屋や母の部屋などが
          続き、一番奥がキッチンになります・・・・・《 2020年、5月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、この北側から見た外側の風景です。お隣さんの平屋の住宅が見えます。タイでよく
          見られるコンクリート製の貯水槽が並んでいます・・・・・《 2020年、5月、撮影 》 )




               

        ( ↑写真、建物の東側です。左が玄関、右側には10人ほどが食事できるウッドテラスがありま
          す・・・・・《 2020年、5月、撮影 》 )



               

        ( ↑写真、この東側から見た外側の風景です。道路を挟んでお隣さんの平屋の住宅が見えます。
          田舎のよくある風景です・・・・・《 2020年、5月、撮影 》 )





        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                その10


漫画家アシスタントの仕事を辞めたのが・・・・・・・・4年ほど前になります。

その頃からタイへ移住したわけですが・・・・・・・・・・

タイ語は下手糞だし、自動車の免許もないので自由に外へ出る事も出来ません。

私が埼玉県の武蔵浦和に暮らしていた頃は、JR線で南は新宿に渋谷、東は松戸、北は
大宮、西は国分寺まで、簡単に( 30分ほどで )行けたものです。

でも、ここチェンマイのメーアイでは自動車がなくては何処へも行かれません。

バスも1時間に1本は動いているそうなのですが・・・・・・・停留所が何処にあるのかさえ
分かりません。

まったくこの土地になじむ事もなく・・・・・・・・・・ただ、引きこもってゲームばかりして
いる毎日を送っているのです。

今年に入ってからはコロナウイルス騒動のせいもあって、特に外出する機会が減りま
したが・・・・・・・・・・・

それでも、普段から個室でゲームばかりしているので、これといった違和感もなく過
ごしています。

元々、外へ出るよりも、家の中で一人で遊んでいる方が性分に合うので、「 外出でき
ないストレス 」がまったくありません。

家人からは変人、天邪鬼、引きこもり、人付き合いが悪い・・・・・・・などと毎日卑下され
ていますが・・・・・・・・・・・・

 「 そのためにタイへ来たんですよ 」

・・・・・・・と、開き直っているわけです。

とにかく、大好きなゲームをやったり、大好きなDVDを見たりして過ごす事の快感を
こちらの人に理解してもらうのはかなり難しいわけです。

でも、多くの外国人の隠居老人( 洋の東西を問わず )が引きこもり状態で遊んでい
るのではないかと思います。

もっとも、アウトドア派( ドライブや旅行好き )や、ナンパ派( タイ人女性の尻を
追い回す )、夫婦水入らず派など、隠居といってもタイプは色々あるかと思いますが。

何にしても、自分が大好きな事をしっかり出来るのが「 隠居 」というものだと思い
ますので、誰が何と言おうと、とことん自分の世界を追求する事が出来る素晴らしさ
は、例えようもないわけです。

ちなみに、ゲームはネットゲームでしょぼい戦国シュミレーション、プレイステーシ
ョン3はボロボロ、ソニーのブルーレイは故障・・・・・・・・・・日本から持ってきた物はどれ
もガタがきていて大変なのですが・・・・・・・・・・・・それでも、充分に使えているのです。

ただ、問題なのは・・・・・・・・・・・・

好きな事だけやり続けていると、そこはまさに「 竜宮城 」状態なわけで、時間が経つ
のが早いのです・・・・・・・・・・・・というか、凄まじいほど激早なのです。

あっという間に1年なんて過ぎてしまいます。

そして、振り返ると・・・・・・・・・・・・・・そこには何もない!

あっ・・・・・という間の出来事・・・・・・・・・・・夢か幻か・・・・・・・・・・という感じです。

きっと、この先10年経っても・・・・・・・・・・・・1年過ぎたのと同じ様に・・・・・・・・・・・・

振り返れば「 何もない 」という状態なのだと思います。

鏡を見れば、そこには見知らぬ枯れ果てた老人がいる・・・・・・・・・・・・

まさに、「 玉手箱 」をあけた浦島太郎です!

「 浦島太郎 」なんてただの「 おとぎ話 」だと思っていたのですが・・・・・・・・・・・・・

自分の事だったとは・・・・・・・・・・・・・

ちょっと怖い気もしますが・・・・・・・・・・・・・・

滅茶苦茶・・・・・・・・・・・楽しいのです。

・・・・・・・いや、ホントに!



         「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生は死んでしまった 」 へつづく・・・・


           ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


             ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その9」へ戻る 】




   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その5

2019年03月08日 01時30分10秒 | 漫画家アシスタント
          

        ( この写真は、カミさんの実家の解体風景です。古くなった家を解体して新しく
         建て替えるつもりなのですが・・・・・・家を安く建てるのは、何かと問題が生じや
         すくて大変なのですが・・・・・その話はいずれまた・・・・・《 2018年、10月、撮影 》 )



          

        ( ↑写真、家の解体は、最初に窓やドアなどの建具の破壊から始まります。ハンマ
         ーでドカンドカンぶち壊していきます・・・・・《 2018年、10月、撮影 》 )




          

        ( ↑写真、窓を叩き出したところです・・・・・《 2018年、10月、撮影 》 )



          

        ( ↑写真、作業風景です。ドカンドカンとかなり大きな音がします・・・・・《 2018
         年、10月、撮影 》 )



          

        ( ↑写真、窓枠を処理した後です。同時に屋根の解体も始まります・・・・・《 2018
         年、10月、撮影 》 )



          

        ( ↑写真、正面玄関あたりの写真ですが、かなり解体が進んで廃墟化しました・・・
         ・・《 2018年、10月、撮影 》 )



          

        ( ↑写真、ショベルカーで壁が破壊されます・・・・・一日で、ここまで進みます・・・・・
         《 2018年、10月、撮影 》 )





      【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 


                 その5


    《 漫画業界からタイへ疎開・・・・未払い賃金が欲しい・・・・!? 》


今回は、私のカミさんの家の解体工事について書きたいと思っていますが・・・・・・・そ
の前に・・・・・・・ちょっと他の事を・・・・・・・・・・

アシスタントの仕事を辞めて、もうすぐ2年になります・・・・・・・・・・読者諸兄の中には、
仕事を辞めて寂しい思いをしているだろう・・・・・・・と、思われている方もあるかも知
れません。

実際、仕事を辞めると苦しくなる( 虚しくなる )とは、数人の知人から聞いていま
したのですが・・・・・・・・・・

この2年ほどの間、漫画の事をほとんど考えませんし、描きたいとも思いませんでし
た・・・・・・・・・・・不思議なほど、40年間の漫画人生( 実際には『漫画背景人生』 )が尾
を引く事がありません。

夢にさえ漫画の事が出てきません。

実は、アシスタント時代にはよく仕事の夢を見たのです。

そこで、アシスタントをやっていた頃によく見たその夢について書いてみたいと思いま
す・・・・・・・

これは、最も沢山見た仕事の夢です・・・・・・・


夢に出て来る場所は、いつもの目白にあるJプロ( ※参照 )の仕事場です。

それが夢である事に気付いていない私は、当たり前の様に背景の仕事をしています。

多くの場合、それは時代劇の「 H雲 」( ※参照 )という長期の連載作品でした・・・・・・
・・・・

まず、登場人物だけが描かれている原稿用紙の上段のコマから、背景画を入れてい
きます。

ペン入れまで終わったら、次にその下のコマへ取り掛かります・・・・・・・・・・

軽く下書きを入れて、ペン入れをしたら、また、次のコマへ・・・・・・・・・・

全体のバランスを確認するために上段のコマから見ていくと・・・・・・・・・・

部分的に不完全な個所があるので、改めて描き直すのですが・・・・・・・・・・

その不完全な場所がどんどん増えていくのです・・・・・・・・・・

あちらを直せば、こちらが狂い、こちらを直せば、あちらが狂う・・・・・・・・・

それでも、シャープペンを走らせ、ペンを動かし・・・・・・・・・シャープペンを走らせ、ペン
を動かし・・・・・・・・・・・

哀れなものですが・・・・・・・本人は必死なのです。

完全に夢の世界を現実だと思っています。

 『 おかしいなぁ・・・・・・? 』

・・・・・・・・と、思いつつも・・・・・・・・・

完成目指して何度も、何度もやり直します・・・・・・・・・・

しかし、だんだん不安になって( パニックって )、前のページを確認して、全体のスト
ーリーを把握しようとします。

ところが、前のページを見ると全然違う漫画なわけです!

 『 あれえええええッ!? 「 H雲 」じゃないのかよぉおおおお~ッ! 』

私は、先ほどまで描いていた原稿をもう一度手に取ります・・・・・・・・・・

すると、さっきまで必死で背景を描き込んだはずの原稿は、真っ白になっているので
す・・・・・・・・・・・!!

私は、悶絶する様に目を覚まします。

なぜだかは分かりませんが、実に沢山同じ様な夢を見たのです。

そして、たいてい目が覚めるとお昼過ぎで、仕事の時間に大幅に遅刻しているわけ
です。

ゲロ吐きそうな気分で、大急ぎでアパートを飛び出して仕事場へ・・・・・・・!

夢から覚めても、悪夢の様な現実が待っているわけです。

まったく救いようがありません。


でも・・・・・・

仕事を辞めて2年近く、この様な悪夢はまったく見ていません。

そして、たぶんこれからも見る事はないでしょう。

二度と見たくもありません。


私は、アシスタントの仕事が大嫌いでしたが、40年も背景画を描いてきました。

その大嫌いな仕事を夢にまで見ていたのですから、実質の労働時間以外の「 夢残
業時間 」が、どれほどになったのやら・・・・・・・


起きれば、漫画家になる夢を見、寝ればアシスタントの夢を見る。

なんともかんとも・・・・・・・逆説的な人生であるといえましょう。


今回、夢の話が長くなってしまったので・・・・・・・・・・・

家の解体工事についての話は、次回にしたいと思います。

すいませんでした。

・・・・・・・ってなわけで。

次回もあまり期待しないで下さい。


 ( 追記 )

仕事の夢を見て、汗びっしょりかいて目が覚めた時に思う事はただ一つ。

 『 結局、ただ働きしてたのかぁああああ~ッ! 』

バカみたいですが、本気でそう思ったものです・・・・・・・



        「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 臨時休養 」 へつづく・・・・


       ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


          ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 謹賀新年」へ戻る 】




  【 ※参照 】

・Jプロ・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタ
       ッフが在籍。しかし2017年に唯一の連載「H雲」が終了、ちょっと寂しい
       今日この頃です。
・H雲・・・・・・・・漫画家J先生の有名な作品。「○ッグコミック・オリジナル」に40年以上
       連載していた時代劇。渡哲也主演と北野たけし主演、合計、二度テレ
       ビドラマになっている。



   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




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漫画家アシスタント もう終わりで章 その13 最終回(後編)

2018年02月16日 04時03分42秒 | 漫画家アシスタント

        ( この写真は、私が現在、隠居暮らしをしているチェンマイの夕暮れです。私が住む借家の前でドイ
         ステープ山に沈む夕日を撮影しました。毎日、この様に見事な夕焼けが見られます。特に6月の雨
         期になると激しく変化する気候のために、ドラマチックな夕空を見る事が出来ます・・・・・《 2018年、
         1月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

             その13 最終回( 後編 )


     《 漫画家アシスタントが・・・・退職金を受け取る・・・・!? 》


39年間、私がアシスタントをしたJ先生は73歳。

2017年6月末・・・・・・・・

その時、私は61歳。

老人が二人、ゴミ屋敷の様な場所で猫背になって話し合っている・・・・・・・・・・そんな不潔
で陰気、腐ったコーヒー缶と紙屑、山の様な古雑誌と単行本、ホコリと老人臭・・・・・・・・
・・・皆さんが想像される通りの、まさにそのまんまの姿こそ・・・・・・・・・ピッタリと現場の
実相を表していると思います。

J先生は、退職する私に向けて最後の言葉を贈ってれるのですが・・・・・・・・

それは、私が想像もしない・・・・・・・・まったく唐突な・・・・・・・・不可思議な言葉でした・・・・
・・・・・・・・

 「 おみィはよ・・・・・・・・ 」

 「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

 「 おみィは・・・・・・天才にはなれなかったな 」

 「 ・・・・・・・・? 」

私は、天才になりたいと話したり、天才一般についてJ先生と議論した事もありません
でした。

ですから、突然言われてたこの言葉を、どう解釈してよいのか・・・・・・・一瞬、混乱したの
です・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・と、同時に、頭の中で不思議な事が起こりました・・・・・・・・・・・・・

 「 おめィは天才になれなかったな 」

この言葉によって、記憶の封印がはじけ飛んだ様に・・・・・・・・

まるで、走馬燈の様に・・・・・・・・過去の先生の言葉が頭を駆け巡りました!( ほんの数秒
間のことです )


勤め始めてすぐの頃( 1978年秋 )、私が20歳の頃からやっていた同人誌の話をした時、
先生が軽蔑する様に吐き捨てた言葉・・・・・・・・

 「 同人誌なんかやめろッ! 」

Jプロに勤めて5,6年経った頃( 1983年頃 )に、私が失業保険について質問した時には・・
・・・・・・

 「 サラリーマンみたいな事言うんじゃねィ~ッ! 」

多くの若手の漫画家が生まれては消えていく過酷な現状を話してくれた時、なるべき漫画
家の姿を指し示す様に・・・・・・・・

 「 苦しくて泣きながら机に向かう様な漫画家には、なりたくねぇ~だろ? 」

少年ジャンプで海洋物の漫画を連載している時に描いた、私のフニャフニャした描き文字
( 効果音 )について、キッパリと・・・・・・・・

 「 おめィ~の字は死んでるんだよッ! 」

私が中学生の時に芸者と逃げた私の父・・・・・・・・その父の話を何気なくした時、私にさっき
食べた昼飯の感想でも言う様に・・・・・・・・

 「 おめィのオヤジはよォ、腐れ外道なんだよ 」

私が13年前に池袋でタイ式マッサージ店を開こうとした時には・・・・・・・・

 「 ど素人が店なんか出すんじゃねィ~ッ! 」

私がこのブログを始めている事を編集サイドから聞き知った時には・・・・・・・・

 「 ブログなんかやめちめ~~ッ! 」


全ての言葉に、天才ではない私には、応えようがありませんでした・・・・・・・・・・・・

それぞれは、違う時間、違う局面で言われている言葉ですが・・・・・・・・実は、同じ事を言っ
ていたのです。

全ては、ただ一つ・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・天才性を呼び覚ませと!

・・・・・・・・・・・・・・・今すぐ悟れと!

・・・・・・・・・・・・・・・迷うなと!

天才か、凡人か、どちらか選べと!

しかし、悲劇的なことに・・・・・・・・・優秀な人間とそうでない人間の間には、越えられな
い裂け目があるのです。

暗くて深い裂け目が・・・・・・・私はその裂け目の前で立ち止まって怯える、振り返れば覗
き込む様に師匠がいる・・・・・!


馬鹿には優秀な人間が理解できないものです・・・・・・・

そして、同時に優秀な人間には馬鹿が分からないものです!


 「 おめィは天才になれなかったな 」

茫然と、息する事も出来ずにいる私に、J先生はニヤリと笑いながら・・・・・・・

・・・・・・・静かに・・・・・・・・しかし、確信に満ちた声で・・・・・・・・( 先生の声はいつも低音で
静かですが、迫力があり威圧的です )

 「 おめィはよ、俺ィにはなれねィ~んだよッ! 」

J先生は、さらに畳みかけてきます・・・・・・・・

 「 おめィはJ・A( 先生の名前 )には絶対になれねィ~んだよッ! 」

なんだか、訳も分からず落ち込んでいく私を救うように・・・・・・・・

 「 ま・・・・・・・・おみィは、おみィでい~んだよ 」

先生は、気持ちをリラックスさせる様に( さらに集中する様に )、深く、ゆっくりと
息を一つ吐き出す。

 「 俺ィは、誰かに憧れた事なんかねィ~よ 」

 「 ・・・・・・・・・・ 」

 「 俺ィは、俺ィだからよ! 」

 「 ・・・・・・・・・・・・ 」

 「 おめィは、おめィ~でいいんじゃねィ~か! 」

J先生は、優しく最後の言葉を締めくったのです。


ちなみに、こうした言葉( セリフ )を普通なら一日中考えてもなかなか思い浮かびは
しないと思うのですが・・・・・・・・・・・・

このレベルの人間は、一瞬の即興で名台詞がポロポロ出てきます。

24時間、常に自分にそうした( 切迫した )状況を強いているのです・・・・・・・・言い換え
れば、マゾの極致とも言えます。( 本人は、結構快感なんだと思います )



さて・・・・・・・

そろそろです・・・・・・・

私の漫画家アシスタントとしての人生は終わり、今はタイのチェンマイで楽隠居させて
もらっています。

6月いっぱいで仕事を辞め、ありがたい事に退職金( 毎月、1万円ほど退職金が積み立て
られていました )も頂くことができ、こうして楽隠居のゲーム三昧でしっかり惰眠と怠
惰をむさぼって暮らしております。


最後に・・・・・・・・

「 おめィはJ・A( 先生の名前 )には絶対になれねィ~んだよ! 」

突き放す様なこの言葉の後で・・・・・・・・・・

「 おみィは、おみィでい~んだよ 」

勤続39年間、色々な事がありましたが・・・・・・・・最後に救ってくれたのです・・・・・・・・・・

これこそが、私にとっては先生からいただいた「 退職金 」だったのではないか・・・・・・・・
・・・・そんな気がするのです。

この言葉・・・・・・・・

これからも、死ぬまで使えそうな気がします。



  『 最後の血の教訓 』 ( 漫画家を目指す、若い方々へ )( 中年の方々へも )


面白い漫画を描けば誰でも売れる。

バカでもアホでもチンチクリンでも売れる。

しかし・・・・・・

誰もが面白い漫画を描くのに苦しむが・・・・・・

その苦しみ( もがき )や迷いからは・・・・・・・・・残念ながら「 面白さ 」は生まれない。

面白い漫画は、楽しく描く事によって生まれるからである。

楽しく描けない人間が生むのは、苦痛と混迷と・・・・・・・・敗北である

では・・・・・・・・・・・・・どうやって「 楽しく描く 」事が出来るのか?

理屈は簡単・・・・・勝利し続けるのである!

だから、絶対に勝利しなくてはならない!( 必要なのは戦略と実行力だ )

賞取り、連載取り、人気ランキング・・・・・・・・競争に勝てなければ・・・・・私の様に消える
だけのことだ!

漫画道は、いばら道、迷い道、嘘つき道、憂鬱な道・・・・・・・無数にあるかもしれないが、
勝利の道はたった一本しかない。

気が付いた時には手遅れなのだ!

時計は今も進んでいる。




                     「 漫画家アシスタント物語 」  ― 完 ―



         次回よりタイでの隠居暮らしのブログが始まります・・・・・・まだ先ですが、
         ココ ↓ にバナーが出来ます。

          「 漫画家アシスタント移住物語 予告編 」 へつづく・・・・


 ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 最終回(中編)」へ戻る 】



                あとがき


読者の皆様、長い間( ブログ開始は2004年11月 )、本当にありがとうございました。

読んでいただいた方、コメントを書いていただいた方、多くの方々から励まされてここ
までやってくる事が出来ました・・・・・・・・いや、ホントに!

拙ブログにお付き合いいただいた全ての方々が、日本で平安にご壮健に暮らせる事を、
タイの田舎で切に願っております・・・・・・・・・・・・・・ってのは嘘ですね。

ま・・・・・・・・皆さんの事をコロッと忘れて、気楽な毎日を過ごしている感じです・・・・・・・・
・・・・たぶん。( 冗談です )

さて・・・・・・・・

そんなわけで・・・・・・・・

ブログで、「 元漫画家アシスタントの適当大好きタイ移民 」( 仮題・採用見込みゼロ )
を始めるつもりでいます。

上記の場所に、バナーを設置するつもりですので、よろしかったら折を見て覗いてみて
下さい。

では、少しの間・・・・・・・・・・休息させていただきます。


新しいブログでは、タイでの暮らしや漫画の話題など、なんでも記していきたいと思って
います。

是非、以下のコメント欄に一言いただけたら幸いです!( ホントに嬉しい! )

どなたでも、お気軽にどうぞ!



              「 漫画家アシスタント移住物語 予告編 」 へつづく・・・・






 
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   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
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漫画家アシスタント もう終わりで章 その13 最終回(中編)

2017年12月19日 19時00分54秒 | 漫画家アシスタント

       ( この写真は、仕事の最終日に撮影したJプロのアシスタントの仕事場風景です。室内には、8つのデスク
        がありますが、今は一人しかスタッフがいません。そして、画面に写っているのは、ほとんどが古本と古
        資料、そしてゴミの山です。ホコリが酷いのでいつもマスクをして仕事をしていました・・・・・《 2017年、
        6月、撮影 》 )

 
        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

             その13 最終回( 中編 )


     《 漫画家アシスタントが・・・・師匠に質問する・・・・!? 》


今回で、最終回になります・・・・・・・・

長い間、拙ブログにお付き合いただきまして、どうもありがとうございました・・・・・・・・・・
・・・・・って、「 後編 」のはずが、急遽「 中編 」に代わりました!

本編を書き始めたら・・・・・・・・ちょっと長くなってしまったので・・・・・・・・・最後の「 後編 」
は、次回までしばしお待ち下さい・・・・・・・!


さて、ブログの「 中編 」「 後編 」は、先生との最後の会話を中心に書かせていただき
たいと思います。


2017年、6月いっぱいで退職する事になっていましたので、6月の終わり頃、連載中だっ
た「 H雲 」( ※参照 )の仕事が一段落した時に、J先生( ※参照 )の個室へお別れの挨拶に
行きました。


仕事場の先輩Mさん( ※参照 )からは「 なんだかやけに寂しくなるのォ・・・・・ 」と言われ
ましたが、私は、仕事( アシスタント業 )そのものが嫌いな人間ですので、仕事を辞め
る事は長期の夏休みでももらえるようなウキウキ感でいっぱいでした・・・・・・そのため、
先輩にはあっさりした対応しかできませんでした。( しんみりしている先輩には申し訳
ありませんでした )

自分のデスクから貴重品だけまとめて紙袋へ納め( ほとんどの私物はゴミ同然ですので
残しておきました )、帰り支度だけしておいてからJ先生の部屋へ向かいます・・・・・・・。

J先生とは最後の対話になりますが・・・・・・・・・・緊張の度合いはいつもとまったく同じ。
( 勤続39年間、ずっと緊張しているわけです )

いつもの様に、デスクに向かう先生の背後から静かに・・・・・・・・・・

・・・・・・と、思ったら先生は仕事が終わったので、自分のソファーにかけて入口に立つ私
をジッと見ている・・・・・・・・・・!

 「 先生、長い間お世話になりました 」

 「 う・・・・・・・ 」

 「 どうも、ありがとうございました・・・・・ 」

 「 ま、おめィ~はよく勤めてくれたよなァ 」

 「 ・・・・・は、い・・・・・いえ、そんな・・・・・・・・・ 」

 「 ほんとだよ、よく勤めてくれたよ 」

先生に、近くのソファを勧められて座る・・・・・・・・担当編集員が完成原稿を取りに来るま
で、少し時間があったので、二人だけで喋る機会を得たわけです・・・・・・・・

私は、「 退職の挨拶 」しか頭にはなかったのですが・・・・・・・・・・ふと思いついたある質
問をしてみました・・・・・・・・・・

 「 先生は、若い頃、デビューする前に誰か漫画家で憧れるような人っていたの
   ですか? 」

 「 俺ィは、いなかったね 」

 「 こんな漫画家になりたいとか、尊敬する漫画家とかは・・・・・ 」

 「 そんなのは、なかったね 」

J先生は以前から漫画家を軽蔑している節がありました・・・・・・・・その理由は、簡単で・・
・・・・・・・

 『 漫画家はバカだから 』

・・・・・というもの。

普通の漫画家志望者や関係者だったら、「 誰々が好き 」とか、「 ○○先生を尊敬して
ます 」、なんて話にすぐなると思うのですが・・・・・・・・・・J先生は、そういった人ではあ
りません。

もう一度、書きますが・・・・・・・・・・

 「 漫画家なんてバカばっかりなんだよ! 」

・・・・・とか

 「 パーティーだの忘年会だのって、そんな事にエネルギー使ってる暇あるのかよ! 」

・・・・・・・・・・などという話を何度も聞かされた記憶があります。( もっとも、その『 バカ
ばっかり 』にすら私はなれませんでしたが! )


先生の話は、自分が若かった頃( たぶん1970年前後 )の逸話へと移っていきます・・・・・

 「 前に・・・・って随分前だけどよ、赤○から電話がかかってきた事があってよ・・・・・ 」

まだ、J先生が若い頃、デビューして連載を取り新進気鋭の漫画家として注目を集め出し
た頃の事です・・・・・・・・・・

赤○先生といえば、天才ギャグ漫画家として有名な大御所です。 逆らえる新人なんてい
ないのですが・・・・・・・・若いJ先生は・・・・・・・・・・・

 「 俺ィに『 来い 』って言うんだよ 」

 「 ・・・・え・・・・・赤○先生から・・・・・・・ 」

 「 断ったぜ、行かねィ~よって! 」

 「 ・・・・・・・・・ 」

 「 俺を探ろうとしてたんだよ! それに『 来い 』だなんてよ~、誰が行くかいッ! 」

 「 ・・・・・・・・・・・・・! 」

 「 新人のよ、才能を探りたいんだよな・・・・・・・・・山○( ※参照 )なんか呼びつけられて、
   酷ェ目に合ってるんだぜェ 」

山○先生も当時は、新人のギャグ漫画家でしたが・・・・・・・・・その後、「 がき○○ 」で超ブ
レークした鬼才です・・・・・・・・・・J先生とは気が合うみたいです。

赤○先生は、新進漫画家の山○先生を呼んで、メチャクチャに批判したそうです。すっか
り落ち込んだ( そりゃそうです、大先生の赤○先生からケチを付けられたんですから )
山○先生が酒場でJ先生に事情を話したそうです。

赤○先生とJ先生は、若い頃にテレビ番組の撮影中にケンカしたりして、仲が悪いのです。
当時、業界では二人の仕事場の住所をかけて「 中落合と下落合の戦い 」などと言われて
いたそうです。

 「 それから、手○治○( この先生は名前付き )からも電話があったよ 」

この手○先生については・・・・・・・・・説明なんて不要ですね!

 「 え~~手○先生からですかァ!? 」

 「 ああ、『 一席設けさせていただけませんか 』ってな! 」

 「 ・・・・・・おお~ッ、凄いですね・・・・・・! 」

手○先生の話まで出てくるのか・・・・・・・話を聞きながら私はワクワクしてくる!

 「 会いに行かれたんですか!? 」

 「 う・・・・・・・・ 」

J先生は、黙ってうなずく・・・・・・・・

 「 怖いんだいよな、新しい才能が・・・・・・・・・・ 」

手○先生は、新人だったJ先生に色々な質問をぶつけて、その発想の源を探ろうとする・・
・・・・ちょっと焦りでもあったのだろうか・・・・・・・・・・( 1970年前後の新しい漫画の台頭と、
自社の経営問題など )

 「 あんまり、色々訊くからよ・・・・・・・・言ったんだよ俺ィは・・・・・・・ 」

J先生は真剣な表情を少し和らげながら・・・・・・・・

 「 心配いりませんよ、先生は大丈夫ですよ・・・・・・・・・・ってな! 」

 「 ・・・・・・・・・・! 」

 「 そしたらよ、嬉しそうに笑ってたよ 」

 「 ・・・はは・・・・・・・・ 」

私も緊張感が溶けた様に、乾いた感じの笑いが出る・・・・・・・・

 「 手○治○は『 来い 』なんて言わねィ~よ、『 一席設けます 』だぜ! 」

 「 はぁ・・・・・・ 」

 「 手○治○は、さすがだぜ 」

いつも「 漫画家なんてバカばっかり 」とけなしていたJ先生が、「 手○治○はさすがだ
ぜ 」なんて褒めちゃったりして・・・・・・・・ホントは、尊敬してる漫画家が何人もいるん
だと思います。

もっとも、こうした話は真偽のほどは分かりません。 漫画家の話ですので、どの程度
信じてい良いか・・・・・・・・私も実は、測りかねるところではあるのです・・・・・・・・


・・・・・・・と、ここまでは・・・・・・・・ご挨拶みたいなお話。

この後、J先生の最後の打ち込みに、私は、あっけなく吹き飛ばされます・・・・・・・・


J先生は、深いため息でもする様に・・・・・・・・最後の「 贈る言葉 」を私に投げかけます・・
・・・・・・

 「 おめィはよ・・・・・・・ 」

ゆっくりと、一つ息を吐きながら・・・・・・・・

 「 おめィは・・・・・・・・ 」



        「 漫画家アシスタント もう終わりで章 最終回(後編)  」 へつづく・・・・

 
       ( いよいよ最終回の最終回ですが、アップはいつになるやら・・・・ )
 

         ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 最終回(前編)」へ戻る 】

 
 
 
  【 ※参照 】
 ・H雲・・・・・・・・1973年に「ビッグコミックオリジナル」に連載が開始かれてから44年、2017
  年9月、ついに完結して連載終了。斬新で特異なキャラクターで数回テレビドラマ化さ
  れた、この作品が好きで私はJ先生のアシスタントになりました。
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載6誌
  という逸話もある。現在は長期連載を終え休養中。2017年現在、74歳。
 ・Mさん・・・・・・・・広島出身の漫画家アシスタント、Jプロでの勤続は私より1年ほど長い。
  拙ブログ本編でも以前に登場していただいた。個性的で気取らない性格で人から好か
  れるため、金はないが友人が沢山いる。
 
 
 
 

 
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漫画家アシスタント もう終わりで章 その13 最終回(前編)

2017年10月21日 15時29分17秒 | 漫画家アシスタント

     ( この写真は、私のカミさんの実家の玄関先で撮影たしものです。 チェンマイ市街から遠く離れた古い家
      で、隣の家の鶏小屋が毎朝うるさいド田舎です。 来年には、この古い家を建て替えて、ここで暮らす予
      定です・・・・・《 2017年、10月、撮影 》 )


      【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】


 

             その13 最終回( 前編 )


    《 漫画家アシスタントが・・・・段ボール紛失に泣く・・・・!? 》


J先生( ※参照 )のアシスタントを辞めてから3ヵ月があっという間に過ぎてしまいました。

仕事を辞める経緯については、いろいろとノートにメモしてきたのですが・・・・・・・・・・そのノ
ートを船便でタイ( ※参照 )へ送ったためにすっかりブログの更新が遅くなっていたわけで
すが・・・・・・・・・・

いよいよ、そのノートを基にしてリアルな最後の瞬間をブログに・・・・・・・・・・と思ったら・・・・
・・・・・・

なんと、その船便で送った段ボールが紛失!

待てど暮らせど・・・・・・・ついに届かず!

まさかの事態に呆然としているわけですが・・・・・・・・・・この段ボールは、最後に送った段ボ
ールの一つだったので、かなり貴重なメモやノート類・・・・・これが、そっくり紛失してしま
ったので泣くに泣けない状況に立ちいたってしまいました・・・・・・・・・・

漫画シナリオ( 100編以上 )の紛失にもガッカリですが・・・・・・・・アシスタント時代の最後
のメモがなくなったのは痛かったです・・・・・・・・・・・・

この最後の、アシスタント退職までの幾日かの出来事・・・・・・・・それを、しっかりメモして
おいた事で、逆にすっかり油断しきっている間( 3か月間! )に、その記憶は・・・・・・・・・・
・・・・頭の中から真っ白に消えてしまっているのです!

無残・・・・・・・・・・!

そりゃね~~だろォ~~っ!!

でも・・・・・・・・・・

ま・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ま・・・・・・人生こんなもんか・・・・・・・・・・!( 意外と諦めが早い )

これが、このブログの最終回なのか・・・・・・・・・・

仕方がないので・・・・・・・・・・・・

おわり

・・・・・・・・・・・・です。

・・・・・・・・・・ってなわけにもいかないのであり・・・・・・・・・・

なんとか、印象に残っている部分だけでも書いておこうかと・・・・・・・・・・

それにしても、綺麗なほど記憶がなくなっているので・・・・・・・・・・

かなりイ~加減に書かざる得ない・・・・・・・・・・かも知れず・・・・・・・・・・

申し訳ありませんが・・・・・・・・・・

どうか、その辺のところはご容赦( ご同情 )のほど・・・・・・・・・・!


拙ブログ「 その12 」は、J先生に退職願いを申し出るところで終わっています・・・・・・・・

早速、その続きから書き始めたいと思います・・・・・・・・


J先生に声をかける時には、かなり緊張する( 非常に嫌な緊張感です )・・・・・・・・

40年間も一緒に仕事をしているのに、まるで初めて会う人の様に緊張する・・・・・・・・

この事を、人に分かってもらうのは難しい・・・・・・・・何故なら、普通なら毎日接している様な
人と、会うたびに初めて会うような緊張を感じるなんて奇妙な話だからです。

勤続39年間で、「 普通に 」接した事も、接して貰った事も、ただの一度もない「 貴重な体
験 」も・・・・・・・・いよいよ終わりが近づいています。


2017年6月の初旬・・・・・・・・

私は、仕事の終わりの時間にJ先生の背後から声をかける・・・・・・・・

 「 センセ・・・・・・・・ 」

 「 うィ・・・・・ 」

私は、自分に鞭でも入れる様な気持ちで・・・・・・・・

 「 あの・・・・・・・・長くお世話になりましたが・・・・・・・・今月いっぱいで・・・・・・・・ 」

 「 ・・・・・・・・ 」( 『 来たな 』・・・・という感じがJ先生の背中ににじむ )

 「 仕事を辞めてタイで隠居したいなぁ・・・・・・と・・・・・・・ 」( 後半の声は消える様に・・・・ )

J先生は即座に・・・・・・

 「 うィ、それもイ~んじゃねィ~か 」

とても静かに・・・・・・・・

 『 ここの店は、ギョーザも美味いな・・・・・ 』

みたいな感じで何気なく応えていただきました。

私が辞める事は、以前から仕事場の先輩にも話していたし、今年の年賀状の挨拶文にも
「 楽隠居したい 」と書いていましたので、先生は薄々察してくれていたのだと思います。

 「 長い間、本当に、いろいろとお世話になり・・・・・・ありがとうございました 」

 「 ・・・・・・うィ・・・・・・・・ 」

ま・・・・・・・・

こんなもんです。

6月は、まだ仕事が一本残っているので、その作品が最後の仕事になるわけです。

少し、時間があるので後任のアシスタントや仕事場の管理上( 用具購入や掃除など )の引
継ぎなど、若干の問題を軽く処理・・・・・・・・

時間はあっという間に過ぎていきます・・・・・・・・


実は、私が辞める事をJ先生に告げる1ヵ月ほど前に、アシスタントの先輩であるMさん( 62
歳 )( ※参照 )が脳溢血で倒れるという事件がありました。

公営ギャンブルで遊んだ帰り道に具合が悪くなり、自宅に帰り着いた時には意識を失う寸前
だったのです。( 出血の場所が1㎝ズレていたら植物状態になっていたそうです )

息子さんが救急車を呼び、幸いにも軽い症状で済んだため、2週間の入院と1週間ほどの休養
で仕事に復帰する事が出来ました。( 一時は皆、復帰は無理かもと考えていました )

休養後に仕事場へ復帰した時には、まったくいつものMさんでした。

私は、数日、ガリガリと作画作業に向かうMさんの姿を見て、安心して退職願いを申し出る
事が出来たわけです。

脳溢血で倒れる前のMさんは・・・・・・・・

 「 わしャ~の~、酒もタバコも絶対にやめんケ~の~! 」( 酒もタバコも健康の秘訣だ
  と言わんばかりに )( 43年間の東京暮らしも関係なくベッタベタの広島弁! )

・・・・・・・と、大きなお腹をゆすってタバコをブカブカふかしていたものですが・・・・・・・・

脳溢血で倒れた後は、人が変わった様におとなしくなって、酒もタバコも完全に絶ってしま
いました。

Mさんが入院していた数週間の間は、助っ人のアシスタントを編集部で準備してもらって急
場をしのぎましたが・・・・・・・・今度は、私が辞めるのでMさんが若い臨時のアシスタントたち
と共に頑張る事になったわけです。


さて・・・・・・・・・

44年間連載が続いたJ先生のライフワークである「 H雲 」についてですが・・・・・・・・・・

私がJ先生に退職願い申し出てから少しして・・・・・・・・・・

担当編集員氏から連載の終了が近いかもしれないとの話を聞きました・・・・・・・・・・・・・

 「 9 月に『 H雲 』( ※参照 )が終わる事になりそうです・・・・・・うちとしては続けて欲し
  いんですが・・・・・・・・ 」

まさか、私の退職がJ先生の連載終了の契機になったわけではないと思うのですが・・・・・・・・

この事は、どうも、先生は随分と前から考えていた様です・・・・・・・・

「 H雲 」の連載が44年、私のJプロでの勤続年数が39年・・・・・・・・

長い様な・・・・・・短い様な・・・・・・・・

過ぎてしまえば・・・・・・・・

あっという間・・・・・・・・

いや、ホントに!



           「 漫画家アシスタント もう終わりで章 最終回(中編) 」 へつづく・・・・

 
          ( 不定期連載、目標は、毎月2回アップだが・・・・実際は月1回でもムリムリ状態 )


            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 閑話休題」へ戻る 】




  【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載6誌
  という逸話もある。現在は1誌に連載中。2017年現在、74歳。
 ・タイ・・・・・・・・30年前から老後は、タイへ移住しようと考えていました。日本で安い年金
  で暮らすのは、生活保護を受けて暮らすより過酷だからです。タイが天国だというわけ
  では決してありません。
 ・Mさん・・・・・・・・広島出身の漫画家アシスタント、Jプロでの勤続は私より1年ほど長い。
  拙ブログ本編でも以前に登場していただいた。個性的で気取らない性格で人から好か
  れるため、金はないが友人は沢山いる。
 ・H雲・・・・・・・・1973年に「ビッグコミックオリジナル」に連載が開始かれてから44年、2017
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漫画家アシスタント もう終わりで章 閑話休題

2017年08月28日 22時13分43秒 | 漫画家アシスタント

      ( この写真は、私が移住を予定しているチェンマイの田舎を撮影したものです。画面の左側にカミさんの青い
       屋根の実家がちょこっと写っています。その庭にある大きな樹がランブータンで、毎年収穫期になると1万円
       分ほどの副収入をもたらしてくれます。ちなみに、この家は建て替える予定ですので、移住直後はチェンマ
       イ市街の借家に住むことになりますのです・・・・・《 2017年、6月、撮影 》 )


       【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】 

 

                 閑話休題


最後の「漫画家アシスタント物語」を期待されている皆様には、大変申しわないのですが・・・
・・・・・・

今月から来月にかけては、タイへの移住の準備が煩雑なため・・・・・・・・・・どうしても「最終話」
への気持ちが乗ってこないのです・・・・・・・・・。

ズルズルと記事を書くことが出来ないまま時間が過ぎてしまいました・・・・・・・・ってな訳で、今
回はお休み。


タイへ向かうのは、9月上旬ですので・・・・・・・・・今は、荷物の整理やら移住手続きの書類記入や
らと雑務に追われっぱなしなわけです。

先月は、移住するタイ北部の街、チェンマイで賃貸物件の一軒家をやっと見つけて契約してき
ました。

今は、母親と私、そしてタイ人のカミさんの引っ越しや移住手続きに追われる毎日です。

そんなわけで・・・・・・・・・・

移住が無事に済んだ後で、「最終回」をアップしたいと思っています。

実際には、退職する時にも色々な事があって、すぐにその事を記事にするって事に・・・・・・・・・
・・・・・・なんだか生臭いものを感じているのです。

漫画家アシスタントを辞める時の話は、もう少しお時間をいただき・・・・・・・・・・少し発酵させ
てから書かせてもらいたいなァ・・・・・・と。

それに、J先生( ※参照 )との最後の会話などをメモしたノートを、うっかり先に船便で郵送し
てしまっているので、正確な文章表現が出来ないってのもあり・・・・・・・・・

ホントに、申し訳ありませんが・・・・・・・・・・・・

「最終回」まで・・・・・・・・・・・・

しばらくの御猶予を・・・・・・・!



          「 漫画家アシスタント もう終わりで章 その13 最終回(前編) 」 へつづく・・・・


          ( 不定期連載、目標は、毎月2回アップだが・・・・実際は月1回でもムリムリ状態 )


              ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 その12」へ戻る 】



  【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載6誌
  という逸話もある。現在は1誌に連載中。2017年現在、74歳。





 
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漫画家アシスタント もう終わりで章 その12

2017年06月29日 02時19分38秒 | 漫画家アシスタント

        ( この写真は、40年近くアシスタントの仕事をした私のデスクを撮影したものです。中央にある原稿は、
         私が描く最後の「H雲」の仕上がり原稿の一部です。ちなみにデスクの周りはゴミとホコリの山なので
         す。 なるべく触らない様にしないと危険で・・・・・《 2017年、6月、撮影 》 )

 
         【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                 その12


   《 漫画家アシスタントが・・・・先生より先に引退する・・・・!? 》


先日、6月23日の金曜日に私は漫画家アシスタントを引退しました。

というわけで・・・・・・・・・・・・

この「 漫画家アシスタント物語 」もいよいよ、次回で最終回となります。

ちょっと寂しい気もしますが・・・・・・・・この寂しさは、漫画作品が描けなくなった頃( 10
年前 )からずっと続いていた気もします。

・・・・・・・・ですので、今は、なんだか少しホッとしている感じです。

さて・・・・・・・・

私の師匠であるJ先生( ※参照 )は、軽い糖尿病を患っているとはいえ、まだまだ元気に酒
を飲み、マルボロたばこをバッカバカ吸いまくるほどの精神力ですから、しばらくはその
創作活動がストップする事はないと思います。

しかし、私の方の体調が良くありません・・・・・・・・

ここ数年、腎臓病とヘルニアに悩まされてきた上に、頭の回転もすっかり衰えてしまって・
・・・・・・・・・

あああ・・・・・・・・頭の回転が・・・・・・・・やけに・・・・ゆっ・・・・・くり・・・・・に・・・・・・・・・・・・

この不愉快な脳の愚鈍ぶりにも嫌気がさして大学を辞めたわけですが・・・・・・・・

突然倒れたり、パ~になったりして、学生や周りの方々に迷惑をかける前に・・・・・・・・・・
・・・老兵は去って行った方が良かろうと・・・・・・・・・・・・

そして、年金や退職金をあてにしつつ・・・・・・食っていけない日本を離れて東南アジアへの
移住を選択する・・・・・・・・・・ま・・・・そんな次第なのです。

2017年6月23日(金)・・・・・・・・

東京、目白のJプロ( ※参照 )で・・・・・・・・

私が最後に描いた背景画は・・・・・・・・

大きなお月様の絵でした・・・・・・・・

今週、発売される「 〇ッグコミックオリジナル 」の「 H雲 」に出ているはずです。

夜の江戸の町に浮かぶ月。その下の大きなコマにアップで雲に半分隠れたお月様の絵・・・・
・・・・それが、私の最後の背景画になりました。

この日も、締め切りがギリギリで・・・・・・編集にはあおられ、一人で6枚の背景を処理しな
くてはならないハードな作業でした。( 通常は1日で2~3ページ )

背景画の制作がとても間に合わずに、連載された過去の原稿を段ボール箱から引っ張り出
してそれを切り張りしたり・・・・・・・・・・かつて経験した事がないほど、無茶苦茶な進行状況
でした。

それでも、なんとか間に合わせるのが、Jプロの凄い所ではあるのですが・・・・・・・・・・・・・

さて・・・・・・・・・・・

私がいなくなったらどうなるのか・・・・・・・・・・・・ま・・・・そんな事は知った事ではないので・・
・・・・・・・・・・別に心配はしていません。

 「 辞めないでくれよ、今辞められたら困るんだよ! 」

・・・・・・・・ってな事言われりゃ別ですが・・・・・・・・・・・・

意外とサバサバと簡単に辞められてしまったわけで・・・・・・・・・・・・

 『 アシスタントの代わりなんていくらだっているからな・・・・・・・・ 』

・・・・・・・・ふと、そんな風に考えてしまうわけで・・・・・・・・・・( ちょっと無情な風が吹いて
いる )

ですが・・・・・・・

これからもガンガン続くであろう「 H雲 」・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・と言いたいところですが・・・・・・・・・・・・

噂によると、この40年続いた連載漫画もいよいよ終わりの時が来るとか来ないとか・・・・・

問題のXデーは、秋頃との事ですから・・・・・・・・・・まだ、6回か7回は続きそうですが。( あ
くまで噂ですので、この先2.3年続いちゃったりするかも知れませんが )


私が先生に、仕事を辞める話をしたのが・・・・・・・・6月7日。( 正式な退職日23日の2週間以
上前 )

その日は、仕事の量が少な目でちょっと早めに作業終了。

仕事の後で私は先生の部屋へ行って「 辞める 」話をしました。

普通の会社だと「 辞表 」ってやつなんかを上司に提出するんでしょうが・・・・・・・・

私の場合は、「 辞表 」なんて書かずに、いつもの様に・・・・・・・・

恐る恐る師匠に近づき・・・・・・・・・・・・

こちらに背中を向けたまま、黙々と原稿に向かう師匠に小さな声で・・・・・・・・・・・・

 「 せんせ・・・・・・・・ 」

黙って背中を向けたままのJ先生・・・・・・・・・・・・

 「 ・・・・・・・・うィ・・・・・・・・・・・・・ 」

予想以上に、こうした話は切り出しにくい・・・・・・・・

でも、キッパリと私は自分にムチでも入れるつもりで・・・・・・・・

 「 あの・・・・・・・・・・・・ 」



         「 漫画家アシスタント もう終わりで章 閑話休題 」 へつづく・・・・

 
        ( 不定期連載、目標は、毎月2回アップだが・・・・実際は月1回でもアップアップ状態 )


            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 ちょっとお知らせ」へ戻る 】



  【 ※参照 】
・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連
  載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2017年現在、74歳。
・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人の
  スタッフが在籍。しかし2013年以降スタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋
  しい今日この頃。





 
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 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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