漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 古い話で章 その52

2015年05月26日 14時18分40秒 | 漫画家アシスタント

 ( この画像は、仲田さんが1974年のデビュー作『ハッスル記者』の絵コンテの一部です。 つい最近になって見つ
  かった絵コンテです・・・・・・・原稿は出版社から返ってきていません。 40年も前の絵コンテですが、キャラ
  クターはとても明るいギャグ調で、本人のクールな人柄とは全然イメージが違います・・・・・・・・《 2015年、
  5月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その52


      《 漫画家アシスタントが・・・・・辞める時・・・・・!? 》


私がJプロ( ※参照 )に入ったのが1978年、その2年前の1976年に仲田さん( ※参照 )はJプロを去っ
て行く事になります・・・・・・・・・・
 
その長い髪の毛や、アクの強い性格、そして風呂嫌いや汚いパンツの話など、多くの逸話を置き土
産にしてくれました。( ホントは、Jプロアシスタントデビュー第1号! )
 
さて・・・・・・・・
 
せっかくデビューしても、その後が続かず・・・・・・・・ダラダラとアシスタントの仕事を続け
ていく・・・・・・・・そんな暮らしに虚しさを感じていた仲田さんは、浮気でもするみたいに違
う環境を求め始めるのです・・・・・・・・・・・・・
 
Jプロを辞めたいと先生に告げた時の事です・・・・・・・・
 
普通の会社なら辞めたいという者の話などたいして聞かずに・・・・・・・・
 
 「 そうか、じゃ・・・・・・・・元気でな 」
 
・・・・・と、あっさりしたものですが・・・・・・・・
 
J先生は、しつこく、粘り強く辞める事を押し留めようと頑張ってくれたそうです。

静かに・・・・・・やさしく・・・・・・・・このまま仕事を続ける事を勧めてくれるわけです。

しかし、仲田さんは先生の言葉に逆らう様に「 でも、辞めたい 」と繰り返します・・・・・・・

それでもJ先生は、やさしく・・・・・・・・

 「 この話は、ここだけという事にしといてよ・・・・・・・また、明日から
   新しい気持ちで仕事に来いよ 」
 
先生の説得に、しっかりと納得した様にうなずく仲田さんなのですが・・・・・・・・
 
 「 でも・・・・・・・やっぱり辞めます 」
 
・・・・・・・・と、頑なに自分の考えを変える事はありませんでした。

それでも、先生の説得は続きます・・・・・・・・

しかし、先生の話を受け入れる様に「 はい、はい 」とうなずく仲田さんがまた・・・・・・・・
 
 「 でも・・・・・・・・やっぱり辞めます 」
 
何度目かの同じ会話の後で、先生はだんだんイライラして来ます・・・・・・・・・・・・
 
仲田さんは、元来社交的なタイプではなく、人と話す時に相手の目を見て話す事がなかったので
すが・・・・・・・・当然、その時も目は伏せがちになっていて・・・・・・・・
 
 「 おい、おめィ~は人の目を見て話せねィ~~のかよ! 」
 
と、例のアルコール性の赤黒い顔で威圧するように怒り出します・・・・・・・・( これが結構
怖い! )
 
 「 これだけ言っているのに! 」
 
あくまで「辞めたい」と言い通す仲田さんに最後の一撃( 愛想尽かしの一撃 )を加えます・・・・
 
 「 俺ィの話を・・・・・受け入れる器量がおめィ~には無ィ~~~のかよ! 」
 
 
私も、何人もの先生に師事した事がありますし、逃げ出すようにして辞めた事もあります。
 
翌日から失業者として職探しに走り回らねばならない・・・・・・・・そんな情けない有様( お
先真っ暗な状態 )であっても、辞めてしまう時には辞めてしまう・・・・・・・・・・よく分か
るのです。
  
1976年、仲田さんはこの時、まだ23歳の若者でした・・・・・・・・
 
 
その当時、私は21歳、お互いに若い頃を思い出しながらコーヒーを飲みます・・・・・・・・
二人とも、すっかり白髪頭になっています。
 
私は、仲田さんに質問しました・・・・・・・・
 
 「 アシスタントをやっていて、一番良かった思い出って何ですか? 」
 
 「 ・・・・・・・良かった思い出? 」
 
少しの間、苦笑いしながら・・・・・・・・・・
 
 「 先生にほめられた事だね・・・・・・・・・ 」

 「 絵をほめられた・・・・・? 」

 「 ・・・・・って言うか・・・・・・・・・ 」

仲田さんがJプロを辞める2,3年前の事です・・・・・・・・・

 「 自分でも良く描けたなぁ・・・・・と思っていたリアルな背景画をね、先生が
   一人仕事場でジ~~ッと見ていた事があってね・・・・・・・・・・ 」
 
 「 仕事が終わった後に、先生が一人で・・・・・・? 」
 
 「 そう、私の絵をジ~~~~ッとね・・・・・・・今でもよく覚えているよ 」
 
Zライトだけの暗い部屋の中で・・・・・・仲田さんの描いた背景画を見つめる先生の後ろ姿が
思い浮かびます・・・・・・・・・・
 
 
 
       「 漫画家アシスタント 古い話で章 その53 」( 6月1日以降公開 ) へつづく・・・・


             ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その51」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
  在籍。しかし今年2015年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2015年現在、72歳。1969年当時は26歳。
 
 
 
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化! 
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
   
 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
 
 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 

【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画家アシスタント 古い話で章 その51

2015年05月13日 14時49分17秒 | 漫画家アシスタント

 ( この画像は、仲田さんがアシスタントになり始めた時に練習した原稿の一部です。 左上の絵は、J先生本人が仲田
  さんの練習用に描き、それを仲田さんが一生懸命に模写してペン使いの技術を修練しています。 つい先日、仲田
  さんから拝借した貴重な昔の資料からダウンロードさせていただきました・・・・・・・・《 2015年、5月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                   その51


    《 漫画家アシスタントが・・・・・デビューして終わる・・・・・!? 》


 「 40年前の若い頃の仲田さん( ※参照 )は、自信にあふれていたんじゃないですか? 」
 
 「 いや、全然、・・・・・・・・だってね、地味な作品だしさ 」
 
 「 地味・・・・・・・? 」
 
 「 そう、新聞記者の話・・・・・・・ 」
 
仲田さんは、デビュー作品について話し始めてくれました。もっとも、今では原稿も雑誌も散逸して
しまっている昔の漫画ですので、記憶は若干あいまいです・・・・・・・・( この取材のすぐ後で当
時の資料が見つかります )

 「 キャラもイマイチだし、話もたいした事なかったよ 」

 「 新聞記者の話って・・・・・・・そのタイトルはどんな・・・・・・・? 」

 「 ・・・・・・え、タイトル?・・・・・・・・・・・・ハッスル記者 」

 「 アハハハハ・・・・・ 」

 「 何が可笑しいの? 」

 「 なんだか、素朴な感じが! 」

 「 汚い家に住む科学者に取材に行くんだけど、廊下の穴に落ちたりとかするの・・・・ 」

 「 く・・・・・くだら・・・・・ 」

  ( 二人爆笑 )

 「 だから連載は無理 」

 「 でも、くだらない・・・・・・いや、くだらな過ぎて面白い! 」

このデビュー作品「 ハッスル記者 」( 15p )の原稿料は、編集員ではなくJ先生( ※参照 )から本の発
売日からしばらくして受け取ります。
 
 「 この間の・・・・・あれィ 」
 
そう言って渡された茶封筒の中には、稿料の約3万円ほどが入っていました・・・・・・・。

仲田さんは、帰郷する時に最新式の圧力ポットをお母さんに買って行ったそうです。昔は、フタを
取ってそそぐだけの魔法瓶しかない時代でしたから。
 
 
先生は、デビュー作がS英社の「 別冊少年J 」に掲載された頃、仲田さんがデビュー後に沈滞する
のを予想していたかの様に・・・・・・・・・
 
 「 これが一生の記念になるな・・・・・・・ 」
 
・・・・・・などと言っていたそうです。
 
 
デビュー出来る様になる前には、何本ものネーム( 漫画の設計図・シナリオ )を先生に見せていた
わけですが・・・・・・・・・全て、先生からダメを出されていました。
 
ただ、「 ハッスル記者 」という作品だけは認められたわけです。
 
各ページに盛り込まれたギャグのネタや、その密度やテンポの良さなどが雑誌掲載へ先生が話を
進める要因になった様です。
 
仲田さん自身は、あまり気にはしていない様ですが、多くのギャグのネタが一生懸命に描き込ま
れていて好感が持てます。( 実は、つい先日私は残された古いネームを見せてもらいました )
 
 「 どうすれば面白いギャグ漫画が描けるのですか? 」
 
・・・・・私の質問に少し考え込みながら・・・・・・・・
 
 「 どうすれば面白くなるか・・・・・・・・ 」
 
・・・・・私の質問を繰り返した後で・・・・・・・・・・
 
 「 アイデアが沢山リズミカルに繋がっている事じゃないかな 」
 
 「 ギャグ漫画ってあまり詳しくないので、よく分からないのですが・・・
   ・・・リズムって? 」
 
 「 小さなギャグから大きなギャグへ、また小さなギャグ・・・・・・・・テンポ
   良く、ポン、ポン、ポ~~ン、とね! 」
 
 「 ギャグのアイデアって、どうやって考えるんですか? 」
 
 「 え・・・・・・と・・・・・・人のやらない様な事をさせるって事かな 」

 「 つまり、想像もしない様な変な事をキャラクターがするって事ですか? 」

 「 普通の人が恥ずかしくて出来ない事をやらせる・・・・・・みたいな。ただ
   真っすぐ道を歩くんじゃなくて、谷底を歩いたり、空を飛んだり・・・・
   ・・・大げさに見せるの! 」
 
 
試行錯誤の末に仲田さんは、自分の漫画道を必死で進んでいたのだと思います。
 
 「 一本で終わっちゃったって事は、評判が良くなかったんだよね 」
 
1969年、17歳でJプロ( ※参照 )に入り、21歳でデビューした仲田さんは・・・・・・・・デビュ
ー後の低迷の中・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・2年ほどしてJプロを去って行く事になります・・・・・・・・・・
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その52 」( 5月20日以降公開 ) へつづく・・・・


            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その50」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2015年現在、72歳。1969年当時は26歳。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
  在籍。しかし今年2015年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
 
 
 
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化! 
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
   
 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
 
 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 

【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画家アシスタント 古い話で章 その50

2015年05月05日 14時32分48秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、東京池袋にある『芸術劇場通り』を椎名町方向から撮影した写真です。 およそ芸術劇場とは無縁な通
  りには風俗や飲食店の入る雑居ビルが並び、奥の方へ進むと美しい並木道になるのですが・・・・・・・・ヤクザの
  事務所や、風俗嬢の置屋などが目立つ・・・・・・・・新しい様に見えて古いままの雑然とした街なのです・・・・
  ・・・・《 2015年、4月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                     その50


    《 漫画家アシスタントが・・・・・自分のデビューに驚く・・・・・!? 》


 「 デビュー?・・・・・・そう言えば・・・・・・したね 」

ゴミ屋敷の様な4畳半で、ゴキブリとムカデを飼育(?)しつつ漫画家になる事を夢見る仲田さん( ※参
照 )も、Jプロ( ※参照 )に入ってから丸5年が過ぎていました。

風呂嫌い、洗濯嫌い、長身に長髪で人を寄せ付けない暗い人柄、才能があるんだかないんだかさっ
ぱり分からない・・・・・・・・・・
 
・・・・・・こんな人がホントにデビュー出来たのだろうか?
 
そんな疑問も残る・・・・・・・いや、ひょっとすると氏の話は嘘かもしれないと・・・・・・・・
 
でも、そんな嘘ついても余計にみじめになるだけだし・・・・・・・・・・・・・・
 
私は、すっかり白髪頭になった仲田さんの話を聞きながら( つい )失礼な事を考えてしまいました・・
・・・・・・・
 
でも・・・・・・確かにデビューしたのは本当の様です・・・・・・・・・・

それも、J先生( ※参照 )の一番弟子であると同時に、一番最初にデビューしたのがこの仲田さんだっ
たのです。
 
よほど人材に恵まれなかったJプロだったのかどうか・・・・・・・・とにかく、1974年前後に他の
スタッフ( ※参照 )よりも早くデビューするわけです・・・・・・・・。
 
J先生の弟子になってから約6年目( 1975年 )仲田さんが23歳の時でした・・・・・・・
  
当時、先生は盛んに若い弟子たちに作品を見せに来るように奨めていました。
 
ギャグ漫画が好きな仲田さんは、数本の作品を持って行っていました。
 
他のアシスタントも同じ様に漫画原稿やネーム( 漫画シナリオ )を持って行っていましたが・・・・・
・・・・何度もダメ出しされるうちに描かなくなってしまうのです。
 
しかし、仲田さんはあきらめずに先生に向って行きました。
 
画風は、当時有名だったY山光輝先生( ※参照 )の画風に似たキャラクターでギャグ漫画を描き続け
ていました。
 
いつもの様に持って行った作品(16ページ)ですが・・・・・・・・意外にも先生が褒めてくれたの
です・・・・・・・・
 
そのまま原稿を預けて数日・・・・・・・・・・何も知らされぬまま時は過ぎ・・・・・・・・・
 
その間、先生は独断で漫画雑誌Jの増刊号に掲載を推薦してくれていました。

『 月刊少年J 』の別冊はS英社の雑誌で、当時「 新人特集 」をやっていた4人の新人の中の一人と
して掲載される事に決まったのですが・・・・・・・描いた本人は知りません。
 
 「 おめィ~の漫画、新人特集に出るから 」
 
・・・・・と、告げられてビックリしたのは仲田さんです。
 
 「 1ページ削って15ページで載るからな 」
 
 「 ・・・・・ええッ? 」
 
仲田さんのギャグ漫画がデビュー作になった瞬間です。
 
ちなみに、この4人のうちの一人がY沢きみお先生( 後に『 ○んだカップル 』でブレークする )でし
た。
 
つまり、Y沢先生と同期でデビューしたわけです。
 
私は、それを知りませんでしたから、改めてJプロの先輩である仲田さんを見つめます・・・・・
 
 「 23歳でJ系の雑誌でデビューなんてすごいじゃないですか! 」
 
 「 そんな事ないよ。当時の『 少年J 』なんてマイナー雑誌で、全部新人ばっかりだったし 」
 
 「 それで、担当の編集員とはどんな話を・・・・・? 」
 
 「 担当? 知らない。 会ってない 」
 
 「 編集部へ行ってないんですか? 」
 
 「 編集? 行ってない。 全部先生がやってくれた 」
 
そして、この輝かしいデビュー作品が・・・・・そのまま最後の作品になってしまいます・・・
・・・・・・・
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その51 」( 5月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その49」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
  在籍。しかし今年2014年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 ・他のスタッフ・・・1975年当時、22歳~25歳ほどの若者が2,3人、Jプロで働いていました。
 ・Y山光輝先生・・・・・1960年代に手塚先生と漫画界の人気を二分した大御所漫画家。ロボット
  漫画の「○人28号」や忍者漫画の「○賀の影丸」は少年ファンに絶大な人気があった。
 
 
 
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化! 
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
   
 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
 
 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 

【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする