漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出2

2020年11月10日 22時02分57秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、秋山プロの仕事場で毎日出ていた仕出し弁当である。400円以上するそうであるが、
        コンビニ弁当よりも高い値段の割に味は悪い。こうした冷や飯が仕事の後のアシスタントの腹を満
        たすのである。もったいなくも、文句を言う人間は私ぐらいなものだった・・・・・《 2006年、某月、
        撮影 》 )




               

       ( ↑写真、仕事場のスナップである。この写真を撮影した当時はスタッフの数も激減し、寂しい仕事
        場にゴミ山の様に古雑誌やコピー紙が積まれている。その上に30年のホコリが堆積しているのだが、
        誰も片づけようとはしなかった。もし、下手にいじればゴキブリがウジャウジャと這い出して来る
        事を知っているからである・・・・《 2010年、某月、撮影 》 )






        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                 先生との思い出 2


師匠(ジョージ秋山)の話で面白いのは・・・・・・・・

やはり、他の漫画家との逸話だと思います。( 編集員の間では漫画より面白いとの評価も )

当然、漫画制作に関わる重要な話、創作の秘密など興味深い話は沢山あるのですが・・・・・・・・・・

今回は、特に師匠が話してくれた梶原一騎先生との初対面のシーンを紹介したいと思います。

ちなみに、作家というものは・・・・・・・・

その作品の全世界を創造し、全ての人間の殺生と運命を握る神の様な存在であるために、自分を
神か仏の如く錯覚する危険もなくはないのです。

例えば、自分を神だと思っている人間と、自分を仏だと思っている人間が出会ってしまう様な事
が起きた場合、まるで居合切りの勝負の様な・・・・・・・・緊迫した場面が見られます。

これが、漫画よりも面白いと言われる所以であります・・・・・・・・

この話は、20年以上前( 1990年代 )に聞いた話です・・・・・・・・たぶん当時は、もう梶原先生は亡
くなっておられたかと思います。

師匠は漫画家として自立し、ヒット作を連発、ほぼ全ての週刊少年雑誌に連載を同時進行させる
ほどの超売れっ子の時代がありました。

つまり、一週間で5本以上の連載の締め切りがあった事になります。( 現在では想像もつかない
無茶苦茶な仕事ぶりです )

マスコミの取材や、テレビ番組への出演などもあったりと、超多忙な時代でした。

 「 これだけ連載やってるとよ、考えてる暇なんかねィ~んだよな、もう思い付いたモンを
   ガンガン描くだけよ! 」

1960年代の後半には、すでに梶原氏は「 巨人の星 」や「 柔道一直線 」「 あしたのジョー 」で
超大物の貫禄がありました。

うちの師匠は、新人の売れっ子漫画家です・・・・・・・・・でもただの青白い漫画オタクじゃありません。

二人が初めて出会ったのが銀座の高級クラブです。

漫画家だけでなく、編集員や出版社の役員までを恐れさせていたどこぞの親分みたいな梶原氏と、
「 漫画家なんて馬鹿ばっかりなんだぜ 」と孤独な渡世人の様な師匠が出会うわけです。

はじめてと言っても・・・・・・・・両人はお互いに顔を見知っています。

最初に気付いたのは師匠の方です・・・・・・・・梶原氏が取り巻きと一緒に派手に飲んでいるのですぐ
に分かります。

 「 お・・・・・いるな 」

すると、すぐに梶原氏も気付きます・・・・・・・・

 『 新入の兄ちゃんが来たな 』

普通の漫画家や編集員なら、梶原氏と出会っただけで緊張感が走り、震えだして小便を漏らす人
もいます。( それは嘘です )

角刈り頭にサングラス、格闘技で鍛えた体に暴力的な雰囲気、相手を威圧する目つきと態度・・・・
・・・・・・まったく困った先生です。

ところが、うちの師匠も負けてはいません。

真っ白なスーツに白いエナメルの靴。そして、梶原氏と同じサングラススタイル。

関八州の大親分が若頭たちと酒を飲んでいる所へ、フラ~ッと、やって来た木枯し紋次郎・・・・・
・・・・・みたいな感じですね。( 表現がかなり古いがお許し下さい )

手をあげて、手招きしたのは梶原氏です。

 「 おい 」

師匠はまだ20代の若者です。覚悟を決めて梶原氏のテーブルへ進みます。

 「 ジョージだろ? 」

二人は目と目を合わせてジッと対峙します。

相手を威圧する様に低い声で・・・・・・・・・

 「 梶原だ、ま・・・・・よろしくな 」

そう言って右の手のひらを差し出します。

普通の人だと、そのまま梶原氏と握手するのですが・・・・・・・・・その時、梶原氏は相手の手を握り
つぶす様に( その怪力で )いたぶる事があります。

相手が「 痛てててッ 」と顔をしかめたらそれで終わりです。

男と男の関係が、この瞬間、親分と子分の関係に変わるのです。

こうして冗談の様に、軽く「 男の挨拶 」をするのが、梶原流なわけです。( たぶん )

右手を差し出すその異様な雰囲気を察した師匠は経験上、握りを浅く(!)しました。

 「 俺は、若い頃にワルとも付き合っていたからよ、よく知ってるんだよ 」

師匠は、そう解説しながら、つづきを話してくれました。

案の定( 例のごとく )、梶原氏は師匠の手を怪力で握り絞めます。

しかし、師匠は、浅く握っていたので、指の部分がグニャリとするだけで痛みはほとんどありま
せん。

 「 何ですか? 」

・・・・・・・・といった感じで梶原氏の目を見つめます。

梶原氏はニヤニヤと笑いながら・・・・・・・・・・

 「 チッ、面白ェ奴だな 」

その後、どんな会話をしたのかは聞いていませんが・・・・・・・・・・( もっとしつこく聞いていればよ
かったのにと後悔しています )


さて・・・・・・・・・・

こうした武勇伝の様な話で超有名なのが村野守美先生です。私がアシスタントをしていた時に、
先輩スタッフから聞いた話・・・・・真崎守先生のご自宅へ日本刀を持って殴り込みをかけたり、暴
走族と喧嘩して、その溜まり場へスタッフと共に夜襲をかけて警察沙汰になった話など・・・・・・・・

でも・・・・・・・・・・

それは、いずれ機会があった時に書かせていただくとして・・・・・・・・・・・・・

次回は、ジョージ先生と赤塚不二夫先生との喧嘩について書いてみたいと思っています。

当時の大御所だった赤塚先生に噛みつく師匠の武勇伝という事になります。

赤塚先生のファンの方々には不快な読み物になるかも知れませんが・・・・・・・・・・

まぁ・・・・・・・・洒落だと思って、笑って読んでいただければありがたいです。いや、ホントに。



          「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 2021新年 」 へつづく・・・・


         ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )



            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出1」へ戻る 】





   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




コメント (19)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする