漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 第7章 その37

2010年05月31日 22時01分50秒 | 漫画家アシスタント
( この写真は、私がアシスタントの仕事で使用する定規類です。画面下に雲形定規がありますが、
 いつも、この雲形一つで全ての曲線をカバーしています。《 2010年4月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その37
 
 
 
前回、「 ウソの様なホントの話 」と書きましたが、実際に私自身信じられない
事が起きたのでした・・・・
  
それは、J先生( ※参照 )からの電話があってから1週間ほどしたある日、保険会
社から医療保険( 積立金付 )が満期になり、まとまった満期金( 40~50万 )が入る
と連絡があったのです。
 
 『 確かに・・・5,6年前から保険金を毎月払ってたよ~な・・・・満期に
  なったんだ! 』
 
某保険会社からの通知ハガキをガッチリと手にしつつ・・・・
 
 『 こ・・・この金で・・・・ 』
 
私は引いた血の気が戻って来たような高揚感に包まれて・・・・
 
 『 この金で、12月の「 危機 」をなんとかやり過ごせる・・・! 』
 
・・・と、思わず・・・嬉し泣きに号泣してしまい・・・というのはウソですが
・・・。とにかく、ホント・・・嬉しかったのは事実。
 
さて、そんなこんなで、私はJ先生へ話した退職の相談を撤回させてもらったの
ですが・・・・・
 
それと同時に・・・・私の先輩アシスタントであるSさんが仕事場を去って行き
ました・・・・・
 
Jプロも、新しい世紀に入ってからの日本の憂鬱な経済状態から、逃げる事は出
来ませんでした・・・・・
 
 
この年( 2003年 )の12月・・・
 
私の懐に保険の満期金が入ると言っても、一時的なことですから・・・その後の
事も考えなくてはなりません。
 
もはや・・・のん気にアシスタント暮らしをしている訳にはいかなくなってしま
ったのです。
 
ついこの間まで・・・「 ゲームとバラの日々 」を楽しんでいた浦島太郎が、これ
からは、アシスタント業以外の副業にも精を出さなくてはなりませんでした・・・
・・・・
 
そこで、以前から私のカミさん( ※参照 )が希望していた「 タイ式マッサージ店 」
( ※参照 )の開店計画を本格化する事にしました。
 
しかし、先立つものもなく、商売の経験もノウハウもない・・・・・
 
とりあえずカミさんの友人( 既婚タイ人女性 )が何人か手伝ってくれるとの話もあ
り・・・・・
 
私は、一歩前へ踏み出す覚悟を決めました・・・・・
 
・・・それにしても商売の元手が必要です。
 
借金しかない私ですから、私以外の人間の財布をあてにするしかありません。
( 情けない話で申し訳ありません・・・ )
 
そこで、仕方なく・・・カミさんと銀行強盗を計画しますが・・・・・・強盗し
てまで「 マッサージ屋 」を開く意味がよく分からず・・・・・
 
一晩だけ悩んで、もうすぐ80歳になる私の母親にお金を借りる事を決心します・・
・・・・( ホントに、情けない話で申し訳ありません・・・ )
 
私は、適当に「 事業計画 」を作り、収支決算の予想や集客率などを都合よく書
き込んだものを母親に見せて・・・・・
 
 「 きっと儲かるよ! 」
 
などと、白々しい事を言って説得工作に入ったのです・・・・・
 
 「 バカだね、お前は・・・。そんな素人考えで商売が出来るわけないよ! 」
 
と、相手にもされないのが普通なのですが・・・・・
 
 
このつづきは・・・次回よりはじまる「 第8章 」にて・・・・・・
 
サブタイトルは・・・・・・
 
 「 漫画家アシスタント、タイマッサージ屋のオヤジになる 」
 
・・・ってのは、どうでしょうか?

  ( ホントに、情けない話で申し訳なく・・・)
 
 
 
            「 漫画家アシスタント 第8章 その1 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その36」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
  週刊連載6誌という逸話もある。現在は2誌に連載中。03年当時、60歳。
 ・カミさん・・・1995年、タイのチェンマイ出身。1995年に結婚して来日、
  とても明るいが・・・いったん怒ると鬼より怖い。酒を飲んだら乱暴者。
 ・タイ式マッサージ店・・・2000年頃からのエスニックブームで、新宿、新
  橋、池袋などを中心にポツリポツリと開店し始めた施術院。(風俗店で
  はありませんが、盛り場辺りには、怪しげなお店も・・・)
 
 
 

 
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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




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漫画家アシスタント 第7章 その36

2010年05月23日 14時29分46秒 | 漫画家アシスタント
( この写真は、私がアシスタント仕事で使用するカッターとその替刃を写したものです。このカッ
 ターでスクリーントーンを切ったり削ったりしています。《 2010年4月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その36
 
 
 
多くの漫画家が、この不況の中で連載の仕事を失ったり、出版社の倒産などで、
あてにしていた原稿料を受け取れずに泣き寝入りしたり・・・・・
 
そんな中、私が務めるJプロ( ※参照 )でも初めてのリストラがありました。
 
私がJプロに来た1978年から25年経った2002年・・・
 
その人がリストラされた時には、なんだか皮肉な気持ちになったものでした・・
・・・
 
それは何故かと言うと・・・・リストラされたのが、私が知るJプロスタッフの
中で、最もJ先生を崇拝し、敬愛していた人物だったからです。
 
ひょっとすると、J先生( ※参照 )のためなら火の中にでも飛び込む事の出来る人
物だったかもしれません。
 
彼がJプロを去る時・・・シェークスピアの「 リア王 」( ※参照 )や黒澤明監督
の「 乱 」( ※参照 )の殺伐としたイメージが想起されたものでした・・・・。
 
 
それから、1年ほど・・・・二人目のリストラが・・・・・
 
2003年、11月・・・秋が深まり、目白通りの銀杏並木の落ち葉で歩道が黄色く染
まる頃・・・・・その衝撃は、ある一本の電話から響いて来ました・・・・
 
 「 俺ィだよ・・・ 」
 
私が暮らす、さいたま市のマンションに電話があったのです・・・それは、めっ
たに(10年に一度ほどしか)電話などかけてこないJ先生の静かな声でした・・・・
 
 「 ボーナスにィ~よ・・・ 」
 
Jプロの経営が厳しいのは分かっていましたのですが・・・・あっさりとボーナ
スが今年から無くなると・・・
  
 「 もう・・・銀コに金ィが無ィ~の。だからよ・・ ・」
 
その言葉が冗談なのかお芝居なのか分からない様な・・・なんとも頼りない・・
・・・モワモワした声でそう言われた時に・・・
 
私は・・・自分の足元が地割れして傾き出した様な不安が襲って来ました・・・
・・・・・
 
連載が少ないのに、4人のスタッフに年間・・・約2300万円以上の人件費を払う
事の無理は承知でいた筈ですが・・・実際にその問題が突きつけられた時に・・
・・・・
 
 「 ついに・・・来たな・・・ 」
 
と、諦めに似た気分で、受話器を置きました。
 
私は、この当時・・・
 
300万円ほどの借金があり、その利息の返済などで、どうしてもボーナスを当て
にした( ボーナス時一括支払い等の )暮らしをしていましたので、それが断たれて
しまうのは・・・まさに生命線が切れてしまうのに等しかったのです。
 
来月の12月には、どうしてもまとまったお金( 3~40万円 )を返済しなくてはな
らない・・・
 
そこで、タイ人のカミさん( ※参照 )とも相談し、ここはJプロを辞めてカミさん
のマッサージ技術を利用してお店を開き、私が店長をやって取り合えず急場をし
のぐか・・・と、考えたわけです。( 25年間勤務に比例して退職金も出るのです )
 
 「 もう・・・終わりだな・・・ 」
 
そう思ってJプロを去る覚悟を決めた時・・・不思議な偶然が起きます・・・・
 
自宅の・・・棚から・・・ボタ餅が落ちて来たのです・・・・・
 
・・・正確には「 ボタ餅 」ではなく・・・・・
 
・・・「 現金 」が・・・・!
 
・・・・と、いうウソの様な・・・ホントの話は次回に・・・・!
 
 
 
            「 漫画家アシスタント 第7章 その37 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その35」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・Jプロ・・・・・・東京、目白にある漫画家J・Aの仕事場。94年当時、アシスタ
  ントは5人。連載は隔週誌、月刊誌合わせて4~5本。しかし、2003年以降
  は、スタッフ3人、連載が3本程度へ・・・
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
  週刊連載6誌という逸話もある。現在は2誌に連載中。03年当時、60歳。
 ・「リア王」・・・・1606年にシェークスピアが書いた悲劇。退位するリア王が、
  最も優れた末娘を勘当、悪賢い長女に跡目を相続させた事から起る悲劇。
 ・「乱」・・・・・・1985年に公開された黒澤明監督の映画。「リア王」の物語を日
  本の戦国時代に設定を変えて制作。
 ・タイ人のカミさん・・・1995年、タイのチェンマイ出身。1995年に結婚して来
  日、とても明るいが・・・いったん怒ると鬼より怖い。酒を飲んだら乱暴者。
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 第7章 その35

2010年05月16日 23時34分15秒 | アシスタント
( この写真は、前回に続きアシスタントの仕事で使用するサインペンとロットリングです。どれも
 100円程度の安物ですが、右はじにあるシャープペンは2000円程度のものを使用しています。
 《 2010年4月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その35
 
 
 
1980年代の好景気時代に漫画週刊少年J誌が600万部、ヤングJが400万部( 現在の
3倍以上か )を頂点にどんどん下降線を転がり落ちました。
 
90年代に始まる不況は、2000年に入っても続き・・・・サラリーマンの所得が減り
続けるのと並行して子供のおこずかいも減る・・・・・こうして、漫画出版業界の
苦戦が続くわけです・・・・。
 
2000年頃に、俗に言う「 ITバブル 」で少し、景気が良くなるのですが・・・それも、
パソコンや携帯、そして金融など一部の企業だけが瞬間的にバブリーになっただけ
でした。
 
その後は、ダラダラと景気の折れ線グラフが下がり続け・・・・
 
 
私が当時、ゲームに我を忘れて没頭していた事は、前回まで書かせていただきまし
たが・・・・世間の冷たい空っ風と無縁ではいられませんでした・・・・・

お気楽な暮らしにも警告音が鳴り出す事態がやって来きます・・・・・
 
J先生( ※参照 )が自身の「 自伝的連載漫画 」( ※参照 )でも少し触れているのです
が・・・・・バブル時代の流れで投資に走って、それが失敗に終わってしまいます・
・・・・(詳しい事は、よく分からないのですが・・・)
 
さらに、漫画の連載の打ち切りや雑誌の廃刊など・・・・・作品制作にも、また作
品自体の価値にもこれから・・・という時に編集部の経営上の都合からいつくかの
作品が途中で打ち切りになってしまったのでした・・・・・。
 
しかし・・・当時、勤めていた5人のスタッフは、バブル期からの高い給料がそまま
右肩上がりにアップしていましたから、Jプロ( ※参照 )の経営を徐々に悪化させて
しまったわけです。
 
2002年・・・Jプロではじめて、スタッフが一人・・・リストラされた時はショッ
クでしたが・・・・・それでも・・・社会全体が、すでに倒産と失業、ホームレスや
自殺など暗い話題であふれていました。
 
 『 ついに・・・うちも・・・・ 』
 
仕事場にも暗い気分が漂います・・・・・
 
 『 ・・・オレは大丈夫かな・・・でも・・・連載がもっと減ったら・・・・ 』
 
 
・・・・・今、改めて思うのは・・・・・こんな時代に漫画一つで食べていける事
の凄さです。どんな漫画家でも、自分の漫画一つで生きている事の凄さを・・・つ
くづく感じる昨今の状況です・・・・。
 
本当にたいしたもんだと・・・!
 
 
さて・・・、Jプロでの仕事は、その後も低調で・・・ギリギリの連載数( 2~3本 )
で、やっていましたが・・・・・・( 月刊連載の稿料、年間1000万円。隔週誌ならこ
の2倍 )
 
また一つの連載が終わります・・・・・
 
どんな連載漫画でもいずれは終わりますが・・・雑誌の廃刊、休刊などで予定外に打
ち切りになる事は漫画家の生活に大きな影響を与えるものです。
 
特に、Jプロでは、アシスタントの平均年齢が50歳、・・・つまり・・・・・人件費
が高く、その分、必要経費が大きくなって経営を圧迫するわけです。
 
Jプロ、アシスタント一人当たりの平均人件費が、当時(2000年当時)は年間550~650
万円( 福利厚生費などを含む )だと思われるので、一人減らして4人(年間2400万円)にな
っても大変だったと思います。
 
そして、さらに・・・・一つの連載が終わる時・・・・・・また一人・・・・・・
 
・・・アシスタントがリストラされます・・・・・・・・
 
 
 
            「 漫画家アシスタント 第7章 その36 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その34」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
  週刊連載6誌という逸話もある。現在は2誌に連載中。94年当時、51歳。
 ・「自伝的連載漫画」・・・「※HO are YOU」」○学館から出版されている
  サブタイトルに「中年J・A物語」とあるが・・・実は「老年」。
 ・Jプロ・・・・・・東京、目白にある漫画家J・Aの仕事場。94年当時、アシスタ
  ントは5人。連載は隔週誌、月刊誌合わせて4~5本。しかし、2003年以降
  は、スタッフ3人、連載が3本程度へ・・・
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 第7章 その34

2010年05月09日 23時53分40秒 | 漫画家アシスタント
( この写真は、私がアシスタントをしている時に使用する筆です。左から・・・ベタ用、カラー用、ホワ
 イト用。以上、3本のみ。よく、沢山の筆記具を想像されている方がいますが・・・実際にはこんなも
 んです。はい。《 2010年4月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その34
 
 
 
まるで浦島太郎が竜宮城で過ごした時間の様に・・・・・気が付けば、ただ7年の歳
月が過ぎ去っていたのです・・・・・・
 
もっとも、浦島太郎の様に50年の歳月でなくて良かったのですが・・・・・。
 
それでも、ホントに・・・あっという間に・・・・・
 
 『 中年、老眼、デッ腹、貧乏、漫画家アシスタント生活30数年・・・ 』
 
・・・・と、言う訳です・・・。
 
単行本「 サイコホスピダー 」( ※参照 )が書店でホコリをかぶって早々に返本され始
めた1997年から丸々7年間・・・・・
 
前回もお話をした通り、「 ゲームとバラの日々 」だったのです。
 
1994年12月に発売された「 プレーステーション 」に夢中になり・・・さらに2000年
からは「 プレーステーション2 」へ・・・・・
 
丁度、ゲームが最も流行っていた「 ゲーム全盛 」の時代・・・・・
 
私は自分がもし・・・20歳若かったら・・・・・
 
 『 ゲームデザイナーに成るんだ・・・! 』
 
そんな風にかなわぬ夢を描いていたかも知れません・・・・。
 
私は、「 ファイナルファンタジー 」や「 ドラゴンクエスト 」などのロールプレーイ
ングゲームも好きでしたが、特にシュミレーションゲームに没頭しました。
 
「 提督の決断 」などの戦争ものから「 信長の野望 」や「 三国志 」などの歴史物な
ど。
 
そして・・・あの「 バイオハザード 」・・・・・
 
これらのゲームについて書いていたら「 一章 」が必要になるほどです・・・ただ、
それは・・・まったく軽い、退屈なゲーム解説になってしまうでしょう。 
 
・・・でも・・・今書いている事より面白かったりして・・・・! 
 
 
まさか・・・とは思いますが・・・・・
 
少しだけゲームの思い出を・・・・・・
 
「 サイコホスピダー 」を描く少し前だったか・・・「 信長の野望・武将風雲録 」
( 90年、コーエー )に夢中になり、カップラーメン一杯と缶コーヒーだけで丸々36時
間、一睡もせずにぶっ続けで遊んだ事がありました。
 
30代の頃には・・・結構、タフだった様です・・・・・。しかし、漫画となると3分
間で集中力が切れてしまう私でした。
 
「 サイコホスピダー 」が終わると・・・ダムが決壊した様に・・・「ファイナルファ
ンタジーシリーズ」「ドラゴンクエストシリーズ」・・・そして、「 提督の決断シリ
ーズ 」などの多くのシュミレーションゲーム・・・さらに「 バイオハザードシリーズ 」
・・・どれもこれも・・・・なんと時間と労力を注ぎ込んだ事か・・・・・・!
 
「 提督の決断 」( 89年、コーエー )は太平洋戦争のシュミレーションゲームで初期のソ
フトでは、中国や朝鮮、フィリピンなどの占領政策までゲームの領域があり、かなり生
臭い感じがあって不気味な面白さがありました。
 
しかし、シリーズが進むに従って「 占領 」とか「 対住民政策 」とか「 対日友好度 」
「 物資調達 」などの( 危ない )要素は無くなり、仮想の軍艦対戦のみに主軸が移って行
ったのは、ちょっと残念でした。( 東アジア地域からのクレームが原因しているとか )
 
「 バイオハザード 」( 96年、カプコン )は、研究所のウィルス感染による怪物( 主に研
究者のゾンビ化 )との戦いがテーマになるアクションゲームですが、このゲームの世界
観には感心しました。
 
ゲームの出だしの美しい洋館内部・・・・・その一室にあるピアノが自動演奏でベート
ーベンの「 月光 」を奏でゲ―ム内の謎が一つ解き明かされる演出にグッと来たもので
した。
 
もっとも、最初の方で突然・・・・窓ガラスを破って出現する「 犬のゾンビ 」には、パ
ニックになってコントローラーの操作が巧く出来ずに何度食い殺された事か・・・・。
 
 
若い頃・・・まだ、ゲームを知らなかった頃に、ゲーム機本体やソフトの値段の高さに・
・・・・
 
 「 ただの玩具なのに・・・やけに高いなぁ・・・ 」
 
などと、思っていましたが・・・・・
 
実際にやってみると、難しいシュミレーションや複雑なロールプレイングゲームなどな
ら2~3000円の中古ソフトで1ヶ月近くは遊べるので、私の様なサラ金地獄でスッカラ
カン、外で遊ぶ事も出来ない貧乏人には丁度良いお遊びだったのです。
 

今日は、山本五十六になってアメリカ第一機動艦隊を絶滅し、明日は織田信長になって
武田信玄を田んぼで働かせながら南は九州から北は蝦夷地までを領土にする・・・・
 
まさに・・・ゲームとバラの日々・・・・・時々、汗でベトベトする手を鼻へ近付ける
と・・・・・・
 
 『 ちょっと・・・臭い 』
 
今、思い出しても・・・・・泣けてきそうな・・・・・・
 
  
なんだか人生が分からなくなる・・・・・・

 
 
 
            「 漫画家アシスタント 第7章 その35 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その33」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・「サイコホスピダー」・・・・実録手記「○魔の精神病棟」を原案にした私の
  漫画単行本。
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 第7章 その33

2010年05月02日 21時45分37秒 | 漫画家
( この写真は、Jプロ仕事場の私のデスクにある雑多な筆記具です。かなり酷く埃まみれですが・・・
 ほとんどは、スクリーントーンの削りかすの粉が積っているのです。こんなモノを毎日吸い続けて
 大丈夫なのか・・・ちょっと心配です。《 2010年4月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                 その33
 
 
 
 「 漫画を止めます・・・ 」
 
そう言った私の言葉に・・・
 
 「 そこまで言う事はないよ・・・ 」
 
そうT氏( ※参照 )が言ったのは、同じ様に絵を描く人間として、この言葉の
重さを知っている人だからだと思います。
 
漫画を描いて稼いでいる人間が漫画を描く事を止めるのは・・・・
 
原稿料が安いという事が理由なのではないのです。
 
多くの場合、体調を崩したり、精神的にダメージを受けたりして、どうしても
漫画を描き続ける事が出来ない場合が多いのです。
 
私にとって、この単行本( ※参照 )の仕事( 250p )で得た手取り現金が20万円に
届かなかった事は、残念でしたが・・・・
 
それよりも、漫画を描いた事で誰からも評価されないどころか、クレームだら
け・・・
 
 「 内容が激し過ぎて感情移入出来ない! 」
 
 「 本が高すぎるよ、これじゃ誰も買わないよ! 」
  
 「 やっぱりねェ、こんな本になると思ってたわよ! 」
 
結局・・・・・誰一人として、喜んでくれた人はいませんでした・・・・・
 
仕事の後半は・・・・
 
 『 印税の事よりも、完成させて読者に喜んでもらえれば、それで
  いいんだ・・・ 』
 
そんな気持ちで毎日制作していたので、やっと終わったと思ったら・・・受け
る評価が悪いだけではなく・・・
 
 「 小池さんはそんな人だったのか・・・ 」
 
 「 こんな事をするなんて・・・ 」
 
まるで、人の作品を盗んで勝手に漫画にした窃盗犯( 四面楚歌 )の様な評価に
対して・・・・・私の精神は軟弱過ぎました・・・・・・・
 
ホントに・・・・
 
 『 3年間・・・何をやっていたんだ・・・・・! 』
 
・・・と・・・・・
 
虚無感だけしか残りませんでした・・・・・
 
ただ・・・
 
 『 もう・・・疲れた・・・・ 』
 
 
1996年12月に単行本が出版されましたが・・・・
 
私は、この頃から亀が殻に閉じこもる様に・・・一人でゲームの世界へ没頭
し・・・・・・
 
・・・と、まぁ・・・・実際これが・・・・私が漫画を描かなくなった理由
だった・・・・と、いうわけです。
 
 
この後、約7年間・・・・・毎日ゲームばかりしていましたので、自分の漫画
をまったく描きませんでした。
 
好きなゲームに骨まで浸かる・・・・それは・・・・とても楽しかった・・・
・・・と言って良いのかどうか・・・・・
 
不思議なもので、この当時は、本当にアシスタントの仕事以外はゲームばかり
していましたので、このブログに書く話が何もありません。
 
ゲームに夢中になっていた7年間の事は・・・ゲームの事以外、何も思い出せな
いのです・・・・・。
 
ハッと海岸で目覚めた時の老人になった浦島太郎の様に・・・・・・。
  
 
 
            「 漫画家アシスタント 第7章 その34 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その32」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・T氏・・・・・・・・・洋画家。J大学の特待生として欧州留学、後に画家として、
  アメリカなどで活躍、ロックフェラー家とも親交がある。そのIQはズバ抜け
  て高い。私が漫画化した「○魔の精神病棟」の著者。93年当時49歳。
 ・単行本・・・「サイコホスピダー」。実録手記「○魔の精神病棟」を原案にし
  た私の漫画単行本。
 
 
 

 
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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」





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