漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。
( この写真は、Jプロが入っている東京目白のマンションです。吉さんが亡くなって2週間ほどしてから撮影
した写真です。中央の銀杏は、後に枝打ちされて今は見る影もありません・・・・・・《 2009年12月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その7
《 漫画家アシスタントが・・・お通夜のコーヒーを飲む・・・!? 》
戦場で戦う兵士というものは、同じ戦場で戦った者( 味方 )がたとえ誰であろうとも、まる
で兄弟かそれ以上に親しい関係になるそうです。
それほどではないにしても、10年以上も漫画家を目指して同じ釜の飯を食い、同じ様に漫画を
描いて出版社へ投稿し、毎日、顔を合わせて仕事をしている者同士を「 仲間 」と呼べないな
ら、それは、一体何ンなのでしょうか・・・・・・
私は、吉さん( ※参照 )が亡くなったのを知ったその日のうちに、Jプロ( ※参照 )を去った私の
知る全てのスタッフに連絡しました。
1970年代に一緒に仕事をした先輩たちのショックが大きかったのはもちろんですが、それ以外
にも吉さんの後輩として仕事を一緒にした人もみなガックリと落ち込んだのではないかと思い
ます。
私が連絡した先輩の中には長さん( ※参照 )もいました・・・・・・・・・
「 5ヶ月ほど前から入院していて・・・・・・・・・・・ 」
吉さんが亡くなった事をどう話したかは、よく覚えていませんが・・・・・・・ただ、長さん
が大変驚いていた事が印象に残っています・・・・・・・・
お通夜とか告別式とか、その日程などについて話すと・・・・長さんは即座に・・・・・・・
「 行くよ! 是非、行かせてもらうよ! 」
私は、吉さんが長さんの事をよく思っていない事や、「 地下駐車場での事 」「 無言電話の事 」
なども頭に浮かんだのですが・・・・・・・( もちろん、長さんには何も知らせてはいません )
それらの事は、単純な吉さんの誤解に過ぎない事だし、そんな些細な事よりも「 仲間 」として
の最後の別れの方が重要だと考えたのです。
これだけは、ハッキリしておきたいのですが・・・・・・長さんにとって吉さんは、Jプロの先
輩であり同じ志をもった仲間以外の何者でもないという事です。
2009年、11月21日・・・・・・
郷里の岡山に暮らすリョウさん( ※参照 )から「 香典 」の入った書留郵便が届きました。事情
があってリョウさんはお通夜に出席出来ないため・・・・翌日、私が代わりに荒川区M町での
お通夜に届ける事になりました。
お通夜の夜・・・・・・喫茶店で落ち合う約束をした往年のスタッフが集まって来ます・・・
・・・
滅多に顔を揃える事もないメンバーが黒い喪服に身を固めて味のないコーヒーをすすりながら
黙っています・・・・・・
結局、一口もコーヒーを飲まなかった一番先輩格のガンさん( ※参照 )が・・・・・・
「 そろそろ行こうか・・・・・ 」
夜のM町の葬儀場には、何組ものお通夜が行われていました・・・・白い大きな提灯をいくつ
も通り過ぎながら、せわしなく行き交う会葬者の中をかき分けて吉さんの式場へ・・・・・・
遺影の中の吉さんは、嬉しそうに笑っています・・・・・これほど明るく幸せそうに笑う吉さ
んを初めて見ました。( 愛する家族に囲まれ、幸せいっぱいだった姿を思い出します )
何十年ぶりかで揃ったスタッフやJ先生( ※参照 )を、吉さんは笑顔で迎えてくれている・・・
・・・・そんな感じで・・・・・・・・
この時、私が犯す最大の過ちが・・・・・・頭の中にひらめいてしまいます・・・・・・・・
『 ご家族と先生とスタッフ全員で、吉さん( 遺影 )を中心にして写真を撮ったら
どうだろう・・・・・ 』
吉さんの笑う遺影を見ながらそんな事をボンヤリと考えながら・・・・・・
『 明日の告別式の日に、ちょっと( 吉さんの )奥さんに話してみようかな・・・ 』
翌日の告別式はお昼頃からだったと思います。 私は黒いコートのポケットに小さなデジカメ
を入れて葬儀場へ向かったのですが・・・・・・・
この日の出来事の前哨戦はすでに私の知らない所で始まっていたのです・・・・・・
「 明日も来るよ 」・・・・そう言っていた長さんが告別式に来ていませんでした。
この時、私は全然知らなかったのですが・・・・・・お通夜の日に誰かが( スタッフ以外の
人物 )長さんに例の「 地下駐車場 」の件などを話したのです。
・・・・・・それは、吉さんが長さんを嫌っていた事や、色々な長さんの陰口だったのではな
いかと思います
・・・・・あらぬ濡れ衣や中傷を受けて、傷ついたであろう長さんの気持ちを考えると・・・
・・・申し訳ない事をしてしまったと・・・・・・・・・
私もアシスタント全員も・・・・・吉さんの話をただの冗談か幼稚な誤解とバカにしていたの
ですから、話題にする事もありませんでしたが・・・・・・・それは、甘い判断でした。
まさか、吉さんが第三者( 仕事とは関係のない家族や友人たち! )にまである事ない事喋っ
ていたとは、想像もしませんでした・・・・・・・・
「 漫画家アシスタント 諦めま章 その8 」( 9月1日頃公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント諦めま章 その6」へ戻る 】
【 ※参照 】
・吉さん・・・・・・・・Jプロ勤続40年の大先輩。古株のガンさんとは仲が良かったのですが、
なぜか、一つ年上の長さんとは距離を置いていました。
・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタ
ッフが在籍。しかし今年2012年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この
頃です。
・長さん・・・・・・・・70年から34年間、Jプロに勤務。現在は童話画などを制作し個展を開
いたりしながらサラリーマンをしている。
・リョウさん・・・・「第6章」で紹介した先輩アシスタント。74年にJプロに入り、14年間勤務。
坂本龍馬の大ファンでしたが、最近は少し飽きてきたとか・・・・・。
・ガンさん・・・・・・78年にJプロから独立。しかし、連載が続かずに数種類の職業(山谷の
労働者など)を点々とした後に池袋のソープランド勤務の経験を元にした漫画作品で
カムバック。現在はサラリーマンで良き夫、良き父親として暮らしている。
・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載6誌
という逸話もある。現在は1誌に連載中。09年当時、66歳。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 単行本「漫画家アシスタント物語」にも登場したガンさん(本中では『ハアさん』)
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( この写真は、吉さんが入院中だった09年の9月に撮影した仕事場前の夕暮れです。マンションの前は目白通りで、
画面の奥が南長崎、練馬方面になります・・・・・・《 2009年9月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その6
《 漫画家アシスタントが・・・怒鳴られる・・・!? 》
「 見舞いなんか持って来るなよ・・・ 」
病気で気が重いのに、見舞い客に気を使うのは疲れる・・・・・・そんな感じの話をしていま
した。
仕事場の近くにある喫茶店「 P 」で、吉さん( ※参照 )から病気の話を聞いてから私とスタッ
フは、吉さんの検査入院中、一週間、いつもの様に仕事を続けました・・・・・・・・・
その頃だったと思いますが・・・・私は二人の元先輩アシスタントに連絡をしました。
一人は、昭和天皇が崩御する数ヶ月前にJプロ( ※参照 )を辞めたリョウさん( ※参照 )、そして、
78年に私と入れ替わる様にJプロを退社後、しばらくしてからソープ漫画で業界にカムバックし
たガンさん( ※参照 )・・・・・・
ガンさんは、すでに病気の事を知っていた様子( 昔から吉さんとは親交が深い )でしたが・・
・・・リョウさんは、まだ何も知らなかった様です。
二人とも吉さんとは10年以上も一緒に同じ釜の飯を食いながら仕事をした仲間ですし、また、
吉さんとも大変に仲が良かったので、病気の事をとても心配していました。
この事を長さん( ※参照 )にも知らせるべきか・・・・・・どうか・・・・・・少し考えました
が・・・・・・・長さんが吉さんを見舞いに出かけても吉さんの血圧が上がるだけでしょうか
ら黙っている事にしました。
32年間も一緒に仕事をしていた( 一時期は同じアパートで同居していた )仲間だったのに、何
も知らせないのはどうかとも思いましたが・・・・・・・・仕方がありません。
吉さんが専門病院での検査入院を済ませて仕事場へ戻って来た時の事です・・・・・・・・・
一週間ほど休みを取ってから、仕事場へやって来た吉さんは・・・・・・私のデスクの前に立っ
て・・・・・・
「 何ンでリョウちゃんに知らせたんだよッ! 」
「 ・・・・・・・・・? 」
「 リョウちゃんから見舞いの電話があったんだよ・・・・・リョウちゃんはなァ・・・
自分の体調や家族の事で大変なんだぞ、知ってるだろッ! 」
「 ・・・・・・・・・・・・・・・!? 」
私がJプロで仕事を始めてから31年、吉さんから初めて怒鳴られたのです。( これほど激昂した
吉さんを初めて見ました )
一緒に仕事をした30年間・・・どんなに遅刻しても、どんなにドジな背景画を描いても、印刷さ
れたゲラを見てから私の描き忘れが分かった時でも、ただの一度も怒らなかった人なのに・・・
・・・・・・
「 勝手な事をするなよッ! 知らせるかどうかは俺が判断する事だッ! 」
突然、怒鳴られた私は・・・・ただ茫然自失するしかありませんでした・・・・・・( 後で知っ
たのですが、重い病気を宣告された人は、一時的に他人の日常が『 俺がこんな目に遭っている時
に、なんでそんなに呑気でいられるんだ 』と怒りを感じるそうです )
また、同時に、私の吉さんに対する尊敬、友情、敬愛・・・・・それらの全てがこの一瞬のうち
に消し飛んでしまいました。
吉さんが検査入院して仕事を休んでいる間、私が吉さんのために何が出来るのかと色々考えてい
ましたが・・・・・・・( 元気なうちに吉さんの優れた背景、特に「 H雲 」の背景画を集めて
画集を出版する計画などを一晩中考えていました )
『 吉さんのために・・・・・・・・なんて・・・・・オレも馬鹿だったな・・・・・・ 』
何十年も一緒に仕事をしているのに、理解し合えない事の虚しさをしみじみと感じたものです・・
・・・・・・( 正確には、病人の気持ちを察せなかった私が悪いのでしょう )
しかし、まだまだ私の認識は甘く、浅はかでした・・・・・・・・・
吉さんが私のブログについて「 いつも楽しみにしているよ 」と言ってくれた頃と今とのギャッ
プに戸惑っていたのですが・・・・・・事態は、はるかに深刻だったのです・・・・・・・・
最初は、吉さんは私の事を面白いブログを書く『 仲間 』と思っていたのに・・・・・・それが、
「 無言電話 」やら「 排便 」やらの出来事以降・・・・・・ただ、仕事場が同じ『 奴 』・・・・
・・・となり、「 病気 」になってからは・・・・・ブログで何を書くか分からない『 注意人物 』
・・・・・さらに、リョウさんへの連絡で・・・・・『 大バカ野郎 』・・・・・・へと格下げに
なったわけです。
この大幅な格下げに、当時の私はまったく気付いていませんでした。
私は、ただ・・・・・病気になってからの吉さんは・・・・・・『 何ンだか人が変わっちゃった
なァ 』くらいに考えていたのです。
この私の「 呑気さ 」と吉さんの深刻な立場や意識のズレが、後に起こる出来事の伏線になります
・・・・・・・・・
2009年、11月・・・・・・・・・
私が病院へ何度目かの見舞いに行った日から2週間後・・・・・・・・・
お昼少し前・・・・小雨が降る中、いつもの様に目白にある仕事場のドアを開けようとすると・
・・・・ドアに一枚の小さな張り紙がありました・・・・・・・・・
「 今朝の6~7時に吉ちゃんが死んでしまった・・・・・ 」
・・・・・・J先生( ※参照 )の走り書きでした・・・・・・・・・
「 漫画家アシスタント 諦めま章 その7 」( 8月20日頃公開 ) へつづく・・・・
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【 ※参照 】
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「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( この写真は、目白のJプロ前から撮影した夕焼けです。夏の午後7時頃だと思いますが・・・・・・仕事の終わった後
で、ドアを開けた時に目に入った美しい景色を久しぶりに撮影したものです・・・・・・《 2012年7月、撮影 》 )
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夏休み
《 漫画家アシスタントが・・・アイスクリーム中毒に・・・!? 》
アシスタントの仕事と大学での講義など、1年で最も忙しいのが7月なのですが・・・・・・やっと自
由な時間が持てると思ったら・・・・・・
お腹の調子が悪く、大学病院で診察を受けたら内視鏡検査で・・・・・・というのは嘘ですが・・・
・・・
アイスクリームの食い過ぎですっかりお腹を下しており・・・・・・
連日、オリンピックをテレビ観戦しつつ、腹巻をして脂汗を流しております・・・・・・・・・
皆様も体調に気をつけて下さい。
さて、今回は夏休みをいただきますが・・・・・・・・・しっかり休養をとって、次回からも引き続
き拙ブログの制作に集中するつもりでいるのですが・・・・・・・・・
「もっと、沢山書いて欲しいなァ!」
「まだアップしないのかよ」
「早く読みたいわ!」
「遅過ぎますよ~!」
・・・・・・等々
多くの方々から苦情や励ましの言葉をいただいてはおりませんが・・・・・・・・なるべく頑張るつ
もりでおりますのです。はい。
「 漫画家アシスタント 諦めま章 その6 」( 8月10日頃公開 ) へつづく・・・・
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