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漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 第7章 その29

2010年03月28日 23時33分48秒 | 漫画家アシスタント
( この写真は、私がアシスタントをしている目白のJ・Aプロ内部です。私の席の向かい側にあたるデ
 スクです。丁度、仕事が終わってスタッフが帰宅した時に撮影しました。《 2008年2月頃、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その29
 
 
 
 「 単行本の印税について・・・話があるんですが・・・ 」
 
私は担当の編集員М氏( ※参照 )に、「 サイコホスピダー 」( ※参照 )の印税
と原案となる本の著者であるT氏( ※参照 )の印税について質問したのです・
・・・・
 
 「 私の印税が12%なのは、確かだと思うのですが・・・T氏の原案料は
  どの位になるのですか? 」
 
この質問にМ氏は、どうもスッキリとした返答がありません・・・・・その
内容はおおよそ以下の様な感じでした・・・・・
 
 「 それは、Yさん(私)が心配する事ではなくて、うち( 出版サイド)と
  Tさんとの問題ですから・・・ 」
 
そう言われて私は、一瞬・・・ホッとしたのですが・・・・・次の言葉が・
・・・・
 
 「 でも、Yさんの方で、何か・・・お礼を出すのでしたら・・・うち
  の方では構いませんが・・・・ 」
 
私はこの時、本が完成したら・・・いくらかの謝礼( 数万円 )を用意してお
けば大丈夫かな・・・・と、判断したわけです。
 
 『 具体的な交渉事は、編集部にまかせるかな・・・ 』
 
・・・そう、自分で納得したのが・・・大きな間違いでした・・・・・。
「 漫画 」は「 趣味 」ではなく「 ビジネス 」ですから、お金に関する事
は、好き嫌いを問わず明文化しておくべきだったのです・・・・・
 
私の小さな脳ミソにとって深刻だったのは・・・お金の問題よりも漫画制
作の進行が遅れている事でした。第一、お金( 印税 )といってもワクワク期
待できるほどの印税ではありませんでしたし・・・・・。
 
 
J先生の所でアシスタントの仕事をし、自宅に帰って単行本の仕事をする
・・・はじめの締め切りだった「 1年半 」はとっくに過ぎてしまい・・・
・・・気持ちが焦るばかりの2年目( 1995年 )に突入・・・・・
 
私は、この長期戦の中でどうしても「 集中力 」を維持できませんでした( ゲ
ームに明け暮れた時期、そして、時間ばかりかかる作業への苛立ちなど )。
 
それでも、編集サイドからの「 催促 」なンぞもまるでなく・・・( 私に遠
慮していたのかもしれませんが・・・ )。
 
緊張感や集中力を維持するために、私は原稿の制作と仕上げをまとめてや
るのではなく、少しづつ個別にやる事にしました。
 
それは、一ヶ月に一度、出来た分だけの原稿を編集部へ持ち込むやり方で
した。
 
こうして、毎月原稿を届ける事で張り合いもできペースがグッと上がるので
すが、それでも遅れ過ぎている事に変わりはありません。
 
漫画のクライマックスの場面では、数ページ、先輩アシスタントに助けても
らったりしながらバタバタと最終コーナーを走っていたのです。
 
 
実は・・・この頃・・・T氏との関係は、あまり良い状態ではありませんで
した・・・・。 
 
私のT氏への感情に変化があったのです・・・・・
 
私はあくまで仕事の範囲で接していたつもりだったのですが・・・T氏の気
持ちは違っていたのです・・・私への対応が「 同志 」とか「 弟子 」とか
「 パシリ 」とかいった感じの印象がありました。・・・つまり、「 取引相
手 」という関係を越えていたのです・・・・。
 
ある日、T氏が築地でいい塩鮭の切り身を買ったから分けて下さるとの事で、
T氏の自宅まで電話で呼び出されたのですが・・・
 
埼玉県の浦和から何本もの電車を乗り継いで目黒にある氏のアパートまで出
掛けて、一切れか二切れの塩鮭の切り身を頂いて帰る・・・・・
 
このブログをお読みの読者の中には、そんな事、「 今、忙しいです 」って断
ればいいじゃないか・・・と、思われる方もあるでしょうが・・・・・これ
が、請負仕事の辛いところなのです。
 
どうしても・・・断れない・・・・「 NO 」と言えない哀しい渡世・・・・!
  
 
 
            「 漫画家アシスタント 第7章 桜満開 特別休養 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その28」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・編集員М氏・・・・S出版社編集員。私の担当編集員。全共闘世代の元ラガ
  ーマン。ガッチリとした体格と筋金入りのガッツマンだが気立ての優しい好
  人物。93年当時40歳代。
 ・「サイコホスピダー」・・・「○魔の精神病棟」を原案にした私の漫画単行本。
 ・T氏・・・・・・・・・洋画家。J大学の特待生として欧州留学、後に画家として、
  アメリカなどで活躍、ロックフェラー家とも親交がある。そのIQはズバ抜け
  て高い。私が漫画化した「○魔の精神病棟」の著者。93年当時49歳。
 ・漫画業界の実態・・・・・単行本が出れば、数千万円~数億円の印税が入る
  という例は実際にはほとんどなく、9割以上の単行本は、その印税総額が
  百万円前後にすぎない。
 
 
 

 
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          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




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漫画家アシスタント 第7章 その28

2010年03月21日 20時40分38秒 | 漫画
( このイラストは、拙作「サイコホスピダー」のカラー口絵です。単行本を制作する時にコスト
 アップになるります・・・たいして心配もせずに企画し、後々苦しい思いをする事になりました。
 《 1996年の春頃、作画 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その28
 
 
 
裁判の傍聴を終えて、T氏( ※参照 )と編集員のМ氏( ※参照 )の3人で東京地裁の
近くにあるレストランでコーヒーを飲んだのですが・・・
 
私はお昼からの仕事に遅れそうになり・・・
 
 『 ヤバ・・・もうすぐ仕事が始まる・・・! 』
 
・・・・うっかり時間を忘れてしまい、あわてて席をはずすとJ先生( ※参照 )に
電話をかけたのです・・・
 
 「 すいません・・・仕事に1時間ほど遅れそうなんです・・・ 」
 
この時、売れない漫画しか描けない私が、一人前に仕事の打ち合わせをしている
・・・と、いう事に愚かな甘えが・・・・
 
つまり・・・ダメな弟子が一人前に仕事をしている事を師匠が喜んでくれる様な
・・・・・そんな甘えた感情が心の片隅にあったのだと思います・・・
 
J先生は例の低い声で静かに・・・
 
 「 何ンでィ・・・? 」
 
 「 仕事の・・・う・・・打ち合わせが・・・ 」
 
私の声が震え出す・・・。J先生の声は静かなまま・・・
 
 「 仕事ォ? 」
 
 「 は・・・はい、あの・・・れ・・・例の・・・単行本の・・・ 」
 
・・・と、言い終わらないうちに・・・
 
 「 おめィ~の儲け話なんて関係ィ~ねィ~~んだよッ! 」
 
 「 ・・・・・・! 」( 冷や汗 )
 
 「 こっちの仕事があンだろッ! 」
 
 ガチャンッ!
 
私は受話器を耳に当てたまま・・・血の気が引いて・・・真っ青になっていたの
ではないかと思います。
 
テーブルで談笑しているT氏と編集員のМ氏に、挨拶して早々に仕事場へ向かい
ました。
 
あまりにも気が重い時には・・・・ゲロでも吐きそうになるものです・・・・・
 
私は、今・・・この時の事を思い出しただけでも・・・・
 
・・・吐きそうになるのです・・・
 
 
U精神病院を舞台にした漫画単行本「 サイコホスピダー 」( ※参照 )が完成する
のは、この時からさらに2年後の1996年の秋・・・
 
実は・・・私にはこの漫画制作を始めた当初から一つの懸念がありました・・・・
 
私の印税が12%だとしても・・・原案となるT氏への著作権料などは、どうなる
のか・・・・・
 
私個人が漫画を制作する上での私個人のギャラについて編集員と話し合う事は出
来ても、原案の使用料に関してはどうすれば良いのかを編集サイドと話し合って
はいなかったのです。
 
原案としての使用許諾だけでなく、取材協力から食事などの提供まで・・・T氏
にはお世話になりっぱなしでした・・・・
 
私は、「 原案の使用料 」に関しては全て編集サイドで対応されているものと思い
込んでいたのです・・・つまり、私は単に漫画制作を請け負っただけに過ぎない
と。
 
マネージメントや契約に関する事務的な問題にはまったく無知だったのです。( 今
では常識になっている『 契約書 』は、当時はごく簡単なもので、無いに等しいも
のでした。 )
 
この事が後に悲劇的な終末を迎える原因になります。
 
 
「 サイコホスピダー 」が完成する1年前・・・
 
 「 マンガの単行本は凄く儲かるねェ! 」
 
・・・これは、一般によくある誤解ですが、漫画業界の実態( ※参照 )を何も知ら
ないT氏がその様な事を言った時に・・・
 
私の目の前に・・・忘れていた問題・・・「 原案料 」が・・・クジラの様に浮か
び上がって来たのでした・・・・
 
私は編集部で担当のМ編集員とT氏への謝礼について話し合いました・・・・
  
 
 
              「 漫画家アシスタント 第7章 その29 」 へつづく・・・


                  ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その27」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・T氏・・・・・・・・・洋画家。J大学の特待生として欧州留学、後に画家として、
  アメリカなどで活躍、ロックフェラー家とも親交がある。そのIQはズバ抜け
  て高い。私が漫画化した「○魔の精神病棟」の著者。93年当時49歳。
 ・編集員М氏・・・・S出版社編集員。私の担当編集員。全共闘世代の元ラガ
  ーマン。ガッチリとした体格と筋金入りのガッツマンだが気立ての優しい好
  人物。93年当時40歳代。
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
  週刊連載6誌という逸話もある。現在は2誌に連載中。94年当時、51歳。
 ・「サイコホスピダー」・・・「○魔の精神病棟」を原案にした私の漫画単行本。
 ・漫画業界の実態・・・・・単行本が出れば、数千万円~数億円の印税が入る
  という例は実際にはほとんどなく、9割以上の単行本は、その印税総額が
  百万円前後にすぎない。
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 第7章 その27

2010年03月14日 18時54分48秒 | 漫画家志望
( この写真は、東京目白にある某マンションの夕暮れです。中央のドアが私の勤めるJプロのドア
 です。《 2009年9月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その27
 
 
 
私と同じ様に「 週刊ヤングJ 」誌( ※参照 )で漫画賞を取った新人で、私が最も
会って話をしたかったのが○々木君( ※参照 )でした。
 
私より10歳位( 不確かですが )若かった彼が亡くなったのは16年前の1994年・・・
・・・彼の初連載が始まった時でした・・・。
 
その数年前・・・私が「 蟹工船 」を漫画にしていた同じ頃に、○々木君は夏目漱
石( ※参照 )の「 こころ 」や「 それから 」などを漫画化していたのです。
 
それらの作品を見ると、漱石の描く人物像を見事に表現しています。他の漫画作
品がまったくありきたりで単純なのに比べて○々木君のそれは、深みがあって美し
かったのです。
 
もっとも・・・娯楽漫画としては・・・まったく一般ウケしないものだったと思
います。私は彼の作品が今は一般ウケしなくてもいずれ、その才能は頭角を現す
だろうと思っていました。
 
その後、短編の作品を数本発表していますが、人物と背景が極端に緻密でリアル
になり、画面が陰鬱になって来ている事が少し心配だったのですが・・・・
 
「 遺稿 」( 連載漫画 )には、そんな「 陰鬱 」とした影は微塵もなく・・・完全に
生まれ変わった様に「 週刊ヤングJ 」の明るい「 連載漫画」に脱皮していました。
 
まさに「 大化け 」( デビューから苦節6~7年? )した瞬間・・・○々木君は逝って
しまったのです。
 
コンビニで仕事をしながら何年も漫画を描き続けていた彼にどんな事があったのか
・・・・・・私には何も分かりません・・・・
 
私はただ、ガックリと力が抜けてしまいました・・・・・
 
正直・・・当時の・・・私の日常は・・・・・
 
ゲームを止めて、ただ漫画一筋に頑張る・・・・・・そんな体裁の良いものはなく
・・・・
 
日常の雑事をゆっくりとこなしながら・・・子供の火遊びの様にこっそりと時間を
無駄にしつつ・・・・
 
 『 そろそろ・・・漫画描かないといけないな・・・ 』
 
自分の漫画を描くために、積極的に机に向かうのではなく・・・・
 
果たさねばならない義務を果たすために・・・重い腰を上げる・・・そんな情けな
い有り様でした。
 
まるで、士気の下がった兵士の様に塹壕の中でグズグズと戦うふりをしていたわ
けです。
 
こんな状態でしたから、せっかくゲームを止めても効率良く漫画が描けたわけでは
ありませんでした・・・。
 
さて・・・話を「 サイコホスピダー 」( ※参照 )制作時の出来事に戻しましょう・・
・・・・
 
私が漫画を描く事の喜びや希望を失いつつあったこの頃の出来事で、もう一つ忘れ
る事の出来ない思い出があります・・・
 
 
1994年、秋・・・
 
それは、U病院事件( ※参照 )の民事訴訟の裁判を傍聴した日の事でした・・・
 
私が漫画化しようとしていた「 ○魔の精神病棟 」( ※参照 )の作者であるT氏( ※参
照 )は、病院や事件の関係者を告発していましたので、毎月、霞が関にある地方裁
判所に出廷していたのです。
 
私は単行本制作のために裁判の傍聴に出掛けたのですが・・・その日は、「 サイコ
ホスピダー 」の担当編集員М氏( ※参照 )とT氏の3人で、裁判後に一緒にコーヒー
を飲みました。 時間は・・・11時頃だったと思います・・・
 
私はお昼からJプロ( ※参照 )での仕事があったのですが・・・10分位なら余裕があ
るかな・・・・と、コーヒーにお付き合いしました。
 
しかし、話は裁判の話ではなく、単行本の漫画化作業についての打ち合わせになっ
てしまい・・・10分や20分では済まなくなり・・・・
 
 『 ヤバ・・・もうすぐ仕事が始まる・・・! 』
  
 
 
             「 漫画家アシスタント 第7章 その28 」 へつづく・・・


                 ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その26」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・ヤングJ・・・・・・・90年代のバブルの終わる時期には毎週400万部の発行部
  数を誇った青年漫画雑誌。
 ・○々木君・・・・・・私と同時期に「週刊ヤングJ」でデビュー。数年間の下積
  を経て連載直後に急逝。
 ・夏目漱石・・・・・・1867年生れ、明治の文豪。作品に「吾輩は猫である」「三
  四郎」「こころ」などがある。
 ・U病院事件・・・・栃木県の或る精神病院で1980年代に起きた患者への暴行、
  虐待、リンチ事件。元患者の告発によって社会問題化。
 ・「サイコホスピダー」・・・「○魔の精神病棟」を原案にした漫画単行本。
 ・「○魔の精神病棟」・・・栃木県の或る精神病院で1980年代に起きた患者へ
  の暴行、虐待、リンチ事件を暴露した告発本。
 ・T氏・・・・・・・・・洋画家。J大学の特待生として欧州留学、後に画家として、
  アメリカなどで活躍、ロックフェラー家とも親交がある。そのIQはズバ抜け
  て高い。私が漫画化した「○魔の精神病棟」の著者。93年当時49歳。
 ・編集員М氏・・・・S出版社編集員。私の担当編集員。全共闘世代の元ラガ
  ーマン。ガッチリとした体格と筋金入りのガッツマンだが気立ての優しい好
  人物。93年当時40歳代。
 ・Jプロ・・・・・・東京、目白にある漫画家J・Aの仕事場。94年当時、アシ
  スタントは5人。連載は隔週誌、月刊誌合わせて4~5本。 
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 第7章 その26

2010年03月07日 03時02分38秒 | 漫画
( この写真は、私が横になって休ませてもらったソファです。気分が悪くなって休んだのは16年
 前の事ですが、ソファは当時と同じ同じ様に窓近くに置いてあります。 それにしても随分と不
 要な本が増えました。 《 2010年3月、撮影 》 )
  
  
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その26
 
 
心臓がドキドキと激しく脈打つ感じがするのですが、痛みはありません・・・・
 
私はペンを置いて、立ち上がり・・・・一机おいた( 右隣の机は使用していない )
所で仕事をしているテラさん( ※参照 )に気分が悪い事を告げようとしたのです・
・・・・
 
 「 ・・・・・! 」
 
立ち上がった瞬間・・・・・私の体がゆっくりと傾き始めます・・・・・・
 
グラ~~~ッ ・・・と、世界が一回転して・・・・
 
自分の体をコントロール出来ない・・・・足腰に力が入らないまま・・・・・私
は自分がゆっくりと倒れていく事を意識しながらテラさんの背後にそのまま崩れ
落ちました。
 
この時・・・
 
 「 Y君(私)・・・どうしたァ~・・・何しとるン? 」
 
と、横になっている私にテラさんが声をかけます・・・( 後で話してくれたので
すが・・・この時、テラさんは、私が倒れたのは冗談だと思っていたそうです )
 
ところが、起き上がろうとしない私を見て、さすがに驚いたテラさんは、椅子か
ら立ち上がって私に手を掛けます。
 
これが、「 脳梗塞 」や「 心筋梗塞 」だったら死んでいたかもしれませんし、後
遺症が残ったかもしれません。少なくとも、このブログは存在しなかったかもし
れません。
 
しかし、幸いにして意識もハッキリしていましたし、少しして自分で立ち上がる
事も出来る程でしたので、大事には至りませんでした。( 貧血状態だったのかも
しれません )
 
私はフラフラしながら・・・
 
 「 少し、休ませて下さい・・・ 」
 
そう言って、部屋の隅にあるソファに横になりました・・・・・。
 
他のスタッフは、「 大丈夫か? 」とか、「 病院へ行った方がいいんじゃない? 」
とか心配してくれましたが・・・
 
 「 大丈夫だと思います。しばらく休めば・・・大丈夫だと・・・・・ 」
 
・・・・・確か・・・・2時間ほど休んでから気分が回復したのだと思います。
 
その後、何事もなく仕事に戻りました。
 
私は、この経験から自分の漫画制作とゲームは両立出来ないと・・・少なくとも
私には出来そうもないと・・・・・・
 
ソニー・コンピュータエンタテイメントには、申し訳ない事ですが・・・・・私
は、それっきりゲームの楽しみを封印したのです。( もちろん、単行本の仕事を
やっている間だけですが! )
 
今でも徹夜して仕事場に来る事はありますが、その日、帰宅後には充分な睡眠を
取る様に心がけています。
 
 
この当時(94年)・・・私にとっては、もう一つ・・・・・・とてもショックな出
来事がありました・・・・・
 
それは・・・ある日・・・週刊漫画誌の「 ヤングJ 」( ※参照 )に奇妙な漫画が
掲載されたのですが・・・・・
 
その漫画が、下書きだけの未完成の漫画だったのです・・・!
 
連載漫画の第一回分なのですが、全て下書きだけ・・・・つまり鉛筆でラフに描
かれただけの作品なのです。(下書きだけの未完成作品が掲載された例を他に知り
ません)
 
作者は○々木亮君( 現在、同姓同名の作家がいますが別人です )。私と同時期に
「 ヤングJ 」の漫画賞に応募していた漫画家志望者で、文学的な感性と現代的
なセンスを持った有望新人でした。
 
その彼の連載第一作目が「 遺稿 」( 未完成原稿 )として特別掲載されていたので
す。
 
94年当時の私が39歳。○々木君の年齢は・・・私より10歳位若かったので・・・
まだ20代後半ではなかったかと思います。
 
私と同じ様に「 ヤングJ 」で漫画賞を取って、私と同じ様に「 100ページ文芸
シリーズ 」を制作し・・・そして、コンビニでアルバイトをしながら漫画を描き
続け・・・何年もかかって、やっと・・・やっと連載がもらえたのに・・・・・
 
 『 無理しやがったな・・・!? 』
 
私は白っぽい・・・まるで骨灰の様な( 鉛筆で人物が下書きされているだけ )
漫画をめくりながら・・・

 『 アルバイトの仕事と連載の準備で無理しやがったな! 』
 
・・・そんな事を考えながら・・・だんだん体の中心から空気が抜けていくよう
な・・・・・ガックリとした・・・虚脱感を味わったのでした・・・・・・・・。
 
「 遺稿 」には、「 死因 」が「 心不全 」だった様な事が記されていました。f
 
 
 
            「 漫画家アシスタント 第7章 その27 」 へつづく・・・


                ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第7章 その25」へ戻る 】

 
 
 
 【 ※参照 】
 ・テラさん・・・・・・仮名:寺山新一、博多市出身の漫画家アシスタント。J
  プロ勤続25年目。94年当時、42歳。
 ・ヤングJ・・・・・・90年代のバブルの終わる時期には毎週400万部の発行部
  数を誇った青年漫画雑誌。
 
 
 
 

 
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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」





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