
( この写真は、新宿区中落合にある聖母病院を撮影したものですが、中央右側の聖母病院側が中落合、
道路をはさんで左側が下落合になります。道路の先が高田馬場方面です・・・・・《 2008年、11月、
撮影 》 )

( ↑写真、高田馬場駅ですが、右側の青信号の先、タクシーの向こう側のガードをくぐって少し行けば
手塚先生の手塚プロがあります。そして、そのさらに先には赤塚先生のフジオ・プロがあったわけで
す・・・・《 2008年、11月、撮影 》 )

( ↑写真、この道路の先に下落合があって、私の師匠であるジョージ秋山の自宅や仕事場のマンション
がありました。左側へ進むと中落合があり赤塚先生のフジオ・プロがあったわけです・・・・《 2009年、
5月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 その1(縮小版)」 よりご覧下さい。 】
先生との思い出 3
師匠のジョージ秋山と赤塚不二夫先生の仲が悪かった事は、関係者なら誰でも知っている事だと
思います。
ジョージ秋山プロがあったのが新宿区下落合、赤塚先生のフジオ・プロがあったのが新宿区中落
合、編集員からは「 下落合と中落合が喧嘩してる 」と噂されたそうです。
これから話す事は、だいたい事実だと思いますが・・・・・・・・・・
私自身が体験した事ではないし、当事者、特に赤塚先生サイドからの話は全く聞いていませんの
で、一方的な解釈になります・・・・・・・如何せん古い伝聞なので不正確極まりない「 噂 」である事
をご了解下さい。
私の師匠であるジョージ秋山が1968年に「 パットマンX 」で講談社児童漫画賞を受賞後、「 ほ
らふきドンドン 」「 デロリンマン 」などでヒットを連発し、「 銭ゲバ 」や「 アシュラ 」へと
続いた時代の事です・・・・・・・
ちなみに、年代はハッキリしません・・・・・・・・・たぶん、1970年前後だと思われます。
第一ラウンド・・・・・・・・
某テレビ番組のゲストとして呼ばれた時に、ジョージ秋山はタクシーで出かけたわけですが・・・・
・・・・・・
「 映画監督や小説家ならハイヤーで送り迎えがあるのに、なぜ漫画家だと自分でタクシー
拾って行かなきゃならないんだ! 」
この時点ですでに、ジョージ秋山の気分は面白からざる心理状態になっていたと思われ・・・・・・・・
ゲストとして呼ばれた他の漫画家たちと簡単な挨拶をすましつつも、緊張の火花が散るわけです・・
・・・・・・漫画家でもその内側は闘争心むき出しです。( 疲れます )
ただ、この程度のつばぜり合いでイジケていたら、漫画業界ではやっていけません。
数人の漫画家( 全てジョージ秋山にとっては大先輩の先生たち )に紹介された時から、すでに戦
闘モードに突入しているわけです。
私なんかが想像すると、「 どうか、よろしくお願いいたします 」「 こちらこそ、よろしくね 」・・・
・・・・・なんて、温和な雰囲気で挨拶するものだと思うのですが・・・・・・・・・・大先生たちは違います。
そして、いよいよ本番が始まります・・・・・・・・・・
赤塚先生は、若くて新しい才能を持った新人を潰しにかかります・・・・・・・・・・
「 君の漫画はさァ、つまらないんだよねェ~ 」
1943年生まれのジョージ秋山にとって1935年生まれの赤塚先生は大先輩、大先生、ギャグマンガの
大御所です・・・・・・・・
その「 大御所 」から、冗談というオブラートに包んだ劇薬を投げられたわけです・・・・・・・・
私の様なチンカス男なら、すぐにイジケてうつむいて沈黙、半泣き・・・・・・・・ってな感じですが・・・・・
・・・・・
ジョージ秋山はものが違います・・・・・・・・・
「 君の漫画はさァ、つまらないんだよねェ~ 」
・・・・・・ここで、平然と即応します。
「 赤塚先生は、も~古いんですよ! 」
声は小さいのですが、鋭く、決然としたその言葉は相手をえぐります。
赤塚先生にとっては「 虎の尾を踏んだ 」状態だったと思います。
焦った司会者が、この先をどう取りつくろったかは不明ですが・・・・・・・・・これ以降、二人は犬猿の仲
になります。
実は・・・・・・ジョージ秋山は、他の漫画家とはほとんど付き合いがありません。
なぜ、漫画家と付き合わないのか・・・・・・・・・・それは・・・・・・・・・・・・
「 漫画家は馬鹿だからよ 」
・・・・・・だ、そうで・・・・・・・・・・・・
「 馬鹿と話してても時間の無駄 」
・・・・・・・ホントにそう言ってました。私の言葉では決してありません!( 汗 )
そのためか、先生の友人と言えば、映画監督や小説家、劇作家、映画俳優などが多かったのです。
小説家の吉行淳之介氏、倉本聰氏、俳優の中村敦夫氏などとは特に仲が良かった様です。
ただ、漫画家では一人だけ、唯一とても尊敬していたのが手塚治虫先生でした。( 師匠にあたる森
田拳次先生にも一目置いていましたが )
初めて手塚先生と会食した時の話が・・・・・・・実は、この赤塚先生との以下のエピソードに少しだけ絡
んでくるのです・・・・・・・・・
第二ラウンド・・・・・・・・
テレビ局での事があってからしばらくして・・・・・・・・
赤塚先生から秋山に電話があります。
たぶん、赤塚先生は酒が入って気分が良かったのかも知れません・・・・・・・・
「 ジョージ、うちに酒でも飲みに来いよ 」
普通の新人漫画家なら、この言葉に逆らえませんが・・・・・・・・秋山はこの時、赤塚先生が自分を呼び
つけてネチネチと潰しにかかるものと疑った様です。
そこで、すかさずキッパリと答えます・・・・・・・・
「 お断りします 」
ガチャンッ!
実際には、赤塚先生は親交を深めようとされただけだったのかも知れませんが。
この事と同時期に手塚治虫先生からも電話があります・・・・・・・・
「 一席もうけさせていただき・・・・・是非、お会いしたいのですが・・・・・ 」
全然違う。
赤塚先生とは、その招待する言葉も態度も全然違う。
あの( ! )手塚治虫先生のこの言葉に逆らう理由などなにもありません!
「 さすがだぜ~・・・・・あんな奴とはまるで違うよ、やっぱり凄いよなァ手塚治虫はよ~ 」
・・・・・・・・と、この話を秋山から聞いたのは・・・・・・私がアシスタントを辞める直前( 2016年 )でした。
立派な料亭の会席料理でもてなされた時の事を嬉しそうに語るのです・・・・・・・・
「 あの手塚先生( 敬称付き! )が俺ィにお酌して気を使うんだぜ! 」
ちょっとだけニヤリと笑いながら・・・・・・・・
「 俺ィの感性を探ってるんだよ 」
漫画界のトップに立つ大御所ですら、新しい時代の流れや新人の感性が気になる( 恐れる )わけです。
「 あんまり緊張してるんでよ、俺ィは言ってやったんだよ 」
何を言ったのか・・・・・・・・
「 先生、心配しないで下さいよ・・・・・・・・先生は大丈夫ですよ! 」
手塚先生は、嬉しそうに笑っておられたそうです。
「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出 4 」 へつづく・・・・
( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )
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「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )