漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 第4章 その38

2007年02月22日 22時23分11秒 | 漫画家
( この写真は、前回の写真《 1989年 》と同じ位置で撮影した現在の東京豊島区要町、加藤さん
 の昔あった下宿前である。《 2007年2月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
               その38
 
 
1985年から1986年にかけて漫画制作に本腰を入れた私ですが、同時に夢中
になったものにコンピューターゲームがあります。 この当時はまだ画質
も悪く内容も単純だったN天堂のファミコンです・・・・・。
 
私は特にプロレスゲームや麻雀ゲーム、そしてシューティングゲームなどが
好きでした・・・・・もしこれらのゲームにはまり込んでいたら・・・・・ 
・・・漫画デビューする時期が大幅に遅れていたかデビューさえ出来ないで
終わっていたかもしれません・・・・・・
 
テレビゲーム恐るべしです・・・・・。 しかし、私にとって幸か不幸か当
時のゲームは種類も少なく単純だったために私はすぐに飽きてしまったので
す・・・・。つまり漫画制作には、たいして影響を与えなかった訳です・・
・・・・。
 
もし後3年遅れたら・・・・リアルなシュミレーションや幻想的なRPGなど
が登場する時代に入っていたら・・・・どうなっていたか・・・・・・・・ 
ひょっとしたら漫画自体をやめてゲームデザイナーを目指していたかもしれま
せん・・・・・・・( 年齢的に無理だったかもしれませんが・・・ )
 
ゲームが話題になっていたとはいえ、当時はまだおもちゃ屋さんと家電量販
店などでだけ売っている程度、子供の「 お遊び 」だったのです。 まだ、漫
画が全盛期( ジャンプ400万部時代 )を謳歌していました。( 10年後に漫画
全体の売り上げが大激減してしまうなどとは誰一人予想していませんでした! )
 
 
1986年、私の暮らす下宿の居間にあるテレビのわきのファミコンと4,5本のソ
フトにほこりが溜まってきます・・・・・・。そんな事も忘れて机に向かいモ
クモクとペンを走らせます・・・・・。
 
少年誌、青年誌、それぞれの新人賞に応募するための作品制作に熱中し
てました・・・・・。 少年誌用のアクション物。青年誌用のSFとペーソス
ギャグ。
 
まず始めに取りかかったのは・・・・ 少年誌で新人大賞を取るためのアクシ
ョン物・・・・・・。 主人公は、小学生。なぜか武道の達人。ものすごく強
い! ヤクザの組長襲名披露会場へ殴り込んで、組員全員をブチのめしてしま
うというムチャクチャなストーリーである・・・・。
 
よほどのバカ者でもない限り考えつかない様なストーリーである!
 
すでに結果は見えているが、不思議な事に漫画を描いている当人というのは、
作品の欠点が全然見えない。完全に勢いにノッている!自信に満ちあふれてい
る!
 
ゴムボートで太平洋を横断できると信じて東京湾へパンツ一丁で出かける様な
ものである・・・・・ しかし笑うなかれ、この姿こそ漫画青年の悲しい現実
なのである・・・・・。
 
この時の私が最も思考した事は・・・・少年誌で大賞を取った後で連載を持っ
て、どれくらい長くそれを維持出来るかという「問題」であった・・・・・!
 
 『 少なくとも半年は続けたいなァ・・・・・。出来れば1年以上・・・・。
   2年以上ってのは、やっぱ難しいか・・・・・ 欲をかくのは良く(!)
   ないしィ・・・・・なんてネ・・・・・フフフ 』
 
まず、主人公のアクションのための資料を買いに出かける。「 必殺、極真空手 」
「 柔道入門 」「 ボクシング教室 」「 中国拳法アチョーッ 」・・・等々。

・・・・・本気である!
 
深夜、ペンを握る手に汗がにじむ・・・・・ 主人公( 小学生 )がヤクザの顔
面に跳び蹴りを入れる・・・・
 
 『 とォ~りゃ~あああ~ッ 』
 
 『 バギイイイ~ッ 』
 
などと一人でうめきながら・・・・・・・・・・

   
  
          「 漫画家アシスタント 第4章 その39 」 へつづく・・・




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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
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漫画家アシスタント 第4章 その37

2007年02月15日 22時06分46秒 | 漫画家アシスタント
( この写真は、東京豊島区要町にあった加藤さんの下宿前の退屈な風景である。今では、その
 退屈な風景にありふれたマンションが建ち並んでいます。《 1989年8月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
               その37
 
 
最近では、マスコミにも登場しなくなった革共同中核派( 俗にいう左翼過
激派 )の拠点、要塞の様な前進社ビルから5,6分の所に私の下宿はありまし
た。
 
東京豊島区要町、大家さんの加藤( 仮名 )さんは、美しい未亡人ですが、
亡くなられたご主人の母親と一人息子さんと一緒に生活されていました。
 
大家さん一家は本宅に住み、隣の別宅( 明らかに傾いた様な木造住宅 )が
下宿になっていました。 私は一階のスペース全てを占有。 二階には学
生さんが2人、それぞれ6畳の部屋に暮らしていました。
 
1985年、私は30歳になり、Jプロに入ってからは7年目。 絵の勉強のため
につづけたクロッキーの練習、そして乱読、演出の勉強のための映画鑑賞、
最後に少しエッチ。
 
それらが漬物樽の中の野菜のように発酵して、いよいよ食べ頃( 遅すぎた
くらい! )になっていたのです。 そして、これから始まる漫画連作の起
爆剤になったのが、前回まで書きましたガンさんの「 ○不孝通り 」の背景
を手伝った事でした。
 
 『 次はオレだ! 』
 
文学青年と漫画青年( 豊かな感性や才能に恵まれない多くの青年たち! )
の大きな違いはこの単純さにあると思います。 誇るほどの才能は無くと
も、誇るべき「 素直さ 」があるのです!
 
 
ジャンジャン描いて、ジャンジャン賞に応募する! しかし、いったい何
を描くか・・・・? この頃すでに多くのアイデアが蓄積されていたので、
描くネタに困る事はありませんでした! ただ困ったのは、その中でいっ
たい何を描くか? どれを選ぶか・・・・? と、いう事でした。
 
とりあえず、色々なジャンルの作品を片っ端から描き、S学館、K談社、
S英社、それぞれ大手の新人賞に投稿しようと考えたのです!
 
悩んだり考えたりするよりも、勢いに乗っていたのです!
 
数年間に及ぶ、絵の勉強、読書、資料集めに作品の構想・・・・ いよい
よ「 出撃だ!」という昂ぶった気持ちで目を血走らせていた・・・・と、
書けば・・・まるで漫画ですが、本当はたんたんとのん気に・・・・・
 
 『 えーとォSFがイイかなァ・・・・それとも、ほのぼのしたギャグ
   も描こうかなァ・・・・ 』
 
 『 それにホラー物もやりたいしィ・・・・ 』
 
 『 それぞれの作品をメジャー誌に投稿して、全誌で大賞を総ナメにし
   て・・・・ 全誌から連載の依頼があったりしてェ・・・・ こ
   りゃ大変な事になるぞォ・・・・ 』
 
 『 どれか一誌を選ぶとしたらどれがイイかなァ・・・・ 他の雑誌の
   依頼は何んて言って断ったらいいんだろう・・・・・・・・・? 』
 
 『 弱ったなァ・・・・ これは深刻な問題だぞ・・・・ 賞金はいただ
   いといて、仕事の依頼は断るなんて・・・・! 』
 
 『 なんだか・・・・ 疲れてきたなァ・・・・・・・・・・・・・ 』
 
   
  
          「 漫画家アシスタント 第4章 その38 」 へつづく・・・



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漫画家アシスタント 第4章 その36

2007年02月08日 21時56分46秒 | 漫画
( この写真は、東京都練馬区西武池袋線の富士見台駅近くの住宅街である。1980年代にガン
 さんが暮らした町並みである。《 2007年2月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
               その36
 
 
漫画の連載が終わった時に、意外なほどあっさりとガンさん( 仮名:羽賀
司郎、東京出身、34歳 )は漫画から離れていきました。 まるで、古くな
った靴を脱ぎ捨てる様に漫画から足を洗ったのです。
 
5年前のガンさんとは違い「 なにがなんでも漫画家に成らねば! 」という
崖っぷちの人生観から「 なんで漫画家にこだわるの? 」という広い人生
観に変わっていたのです。
 
 「 Yちゃん(私)、人間何やったって生きていかれるんだよ・・・・! 」
 
ガンさんと別れた日、明るい笑顔で去って行ったガンさんの顔はとてもさ
わやかでした・・・・。
 
 「 Yちゃん、漫画、ガンバって! 」
 
そう言って力強く私の肩を叩いてくれました。 しかし・・・・・ その、
「さわやかさ」「いさぎよさ」が、当時の私には、理解できませんでした。
 
「 まんが道 」の終わりは、「 別の新しい人生の道 」だという事が・・・・
 
「 道 」だの「 夢 」だの気取った言い方をしても、それはまるでドロの中
をかすかな光を目指して這いずり、もがき進んで行く様な惨めものでした。 
自分の事しか頭に無い私は、希望を持って、ガンさんの後姿を見送る事が
出来ませんでした。
 
ガンさんの新しい門出を見送ると言うより「戦線を途中で離脱」していく
兵士を見送る様な複雑な気持ちだったのです・・・・・。
 
私は、まだ「30歳の子供」だったのかもしれません・・・・・・。
 
ガンさんは、その後結婚し家庭を持ち、最近では介護福祉の仕事をされて
いると聞きいています・・・・・・・
 

1985年、ガンさんの漫画を手伝っていた頃に、私は自分の漫画制作の意欲
を燃やしていました。 これは、つまり・・・・・
 
J先生の「 ○ンクのカーテン 」がガンさんを刺激し、ガンさんの漫画制作
が私を刺激したというわけです・・・・・。
 
 
日当たりの良かった江古田の下宿も、いつしか資料の山で窓が塞がり、穴
蔵の様になってきた頃、豊島区要町の下宿に引っ越しました。 8畳、4畳
半、3畳、台所、トイレ、縁側、庭付き( ! )で月の家賃が4万5千円とい
う超破格の下宿でした。( 1985年当時、要町6畳一間の家賃相場は3万か
ら4万円でした )
 
もっとも、このボロ下宿、4年後には取り壊されるという運命にあったので
すが・・・・・・・・。
 
朝日が差し込む理想的な環境で、いよいよ、私は自分の漫画制作を本格化
させていきました・・・・・・・。
 
 
 
  血の教訓
 
   『 人でなしでも漫画は描けるし、やさしくなくても漫画は売れる。
 
     だけど、人でなしじゃあ漫画を描く資格がない。やさしくなけ
 
     りゃあ漫画が泣くよ! 』

   
  
          「 漫画家アシスタント 第4章 その37 」 へつづく・・・



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漫画家アシスタント 第4章 その35

2007年02月01日 23時07分01秒 | 漫画
( この写真は、東京豊島区椎名町の飲み屋街である。このあたりの赤提灯やスナックでガンさん
 やJプロスタッフがよくハシゴ酒をしていたのです。《 2007年1月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その35
 
 
漫画雑誌の人気投票は、テレビの視聴率とよく似ている。 人気作品の延
長と不人気作品の打ち切りがその数字で決まるのだ・・・・。
 
 「 Yさん(私)、読者投票はあくまで参考程度のもんですからァ・・・ 」

と、軽く笑う編集員もその目は笑っていないのである。
 
3週間下位に甘んじつづければ、ヒモにぶら下がる使い捨てのティーバッグ
の様に、そのままつまんでゴミ箱行きである。
 
ソープランドの漫画「 ○不孝通り 」が連載されていた頃( 1984年 )のガン
さん( 仮名:羽賀 司郎、東京出身、34歳 )は、いつもこの数字に一喜一憂し
ていたのです・・・・・
 
最初の危機は、連載してから3ヶ月ほどでやって来ました・・・・・・。
 
ガンさんの顔を見ないで、うつむいたまま担当の編集員は申し訳なさそうに
・・・・・・・
 
 「 一応・・・・・今月いっぱいという事で・・・・・・ 」
 
そう、言われてもガンさんは・・・・・
 
 「 は・・・・・ は・・・い・・・・・・ 」
 
と、答える。
 
 『 5年前と同じ・・・・やっぱりダメか・・・・・ 』 ( 5年前の「 少
   年○ング 」の連載打ち切りと同じ様に・・・・・ )

ガンさんがあきらめの心境にあったとしても、仕方なかったのではないでし
ょうか・・・・・
 
覚悟を決め、最後のつもりで描いた一筆入魂の作品・・・・・・ その作品
が人気投票で上位に入って来たのです!
 
 「 終わったな・・・・・・ 」
 
と、あきらめていたガンさんには、飛び上がるほどの朗報でした!
 
こうして連載の延長が決定する・・・・・。 しばらくするとまた低迷・・
・・・・。そして、打ち切りの話が出て来ると・・・・・また作品に輝きが
戻る・・・・・。

これを繰り返すうちに半年以上の時間があっという間に過ぎて行きました。
 
いつしか連載が終わりに近づいて、ガンさんはあわてる事もなく、季節が変
わるのを眺める様に最終回のラストページにペンを入れたのです・・・・・。 
 
たぶん・・・・・ 自分の漫画を読んでくれた全ての読者へ感謝を込めて・・・・

 
ガンさんの頭にあったのは次の作品! 次のテーマ! 次の世界!・・・・・
・・・・・・でした。 もう、ソープランドの漫画には未練が無いかの様で
した・・・・・・。
 
人ずてに、それを知ったJ先生は・・・・・
 
 「 あァ~? 新しいテーマだァ~? 羽賀君にはソープランドしか無ェ
   ~だろォ! 何んでィ? 何んでィそこで、ねばらねィ~んだよォオ
  オッ! 」
 
 
 
          「 漫画家アシスタント 第4章 その36 」 へつづく・・・
 
 
 
  後記 : ガンさんのこの作品「 ○不孝通り 」が単行本化された
       のは、連載が終わるのとほぼ同時でした。この作品はす
       でに絶版しいますが、今回、特別にその中の1篇を公開
       できることになりました。 以下のURLよりどうぞ!

       「親不孝通り 第40話」
       




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