漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 第4章 その26

2006年11月30日 00時58分10秒 | 漫画家アシスタント
 ( この写真は、1983年当時マツさんが漫画制作のためにだけ借りた三畳間のアパートがあっ
  た桜台、目白通りの風景である。《 2006年9月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
               その26
 
 
漫画家アシスタントになってから、7年になるマツさん( 仮名:松村 祐樹、
広島出身、29歳 )が、長年のブランクを乗り越えて漫画を描き始めたのは、
1983年の冬。 結婚、奥さんの妊娠、29歳という自分の年齢・・・幾つか
の条件が重なった時でした。
 
休火山が突然、大噴火する様に・・・・・・
 
 「 ワシャ~これから毎週一本、漫画を描くでェッ! 」
 
マツさんの人柄もユニーク( 本音で勝負! )ですが、漫画の感性もユニー
クで深みがありました。 酒、女、博打、無頼派のマツさんが描くペーソス
でナイーブなギャグ漫画の世界。 ソフトで味わい深いキャラクター・・・
・・・・。
 
J先生は、マツさんがJプロでは最も見込みのある人材だと見ていたようで
す。 3年前にJプロを辞めたガンさん( 仮名:羽賀 司郎、東京出身、83年
当時 33歳 )は・・・・
 
 「 マッちゃんは、いつも深い問題意識を持ってたよねェ。彼と話している
   だけで、とてもいい刺激を受けるんだよねェ・・・・・ 」
 
と、私なんぞには電話一本くれないガンさんが、マツさんの話になると、ま
るで息子の自慢話をしている父親の様な目をして語っていました・・・・・・。
 
Jプロのアシスタントたちがよく飲みに行ったスナック「 P 」のママさんも
マツさんが一番に世に出るだろうと予想していました。
 
その時の事をある先輩アシスタントは・・・・・・・
 
 「 他はダメ(!)でもマッちゃんだけは漫画家になれるわね~ッ・・・・
   とか、 言いやがってよォ・・・ あのババア頭にくるぜ・・・! 」
 
 
とにかく、1983年の春は、まさに人生の春でした・・・・。 満開のサクラの
様に創作意欲を開花させたマツさんは、宣言した通りに週一本のペースでギャ
グ漫画を描いていきました・・・・
 
4コマギャグ( 習作 )から短編ギャグ( 習作 )、そして34ページの大作へ・・
・・・・・・・。
 
まさに「 ホップ、ステップ、ジャンプ! 」のはずだったのです・・・・・・
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その27 」 へつづく・・・



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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
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漫画家アシスタント 第4章 その25

2006年11月22日 22時27分48秒 | 漫画家志望
 ( この写真は、Jプロの先輩アシスタントであるマツさんが結婚した当時まで住んでいた東京
  豊島区の要町界隈である。25年前には商店さえほとんど無かったさびしい通りでしたが・・・・
  ・・・。《 2006年11月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】 
 
 
 
              その25
 
 
漫画家志望といっても、毎日毎日、背景しか描けない悲哀と焦燥が、素
直に自分の漫画制作の原動力につながれば問題はないのですが・・・・ 

歪んだストレスとして人間関係に影響すると、その結果はマイナス効果
しかもたらしません・・・・・・。
 
私の場合、ハングリー精神が漫画ではなく、自分と同じ様な状態にある
周りの人( 同僚や友人 )に向かってしまいました・・・・・。 「 同
情や理解 」ではなく、「 苛立ちや詰問 」となって・・・・・・・
 
アシスタント同士がライバル関係にあると考える事は、間違っていない
と思うのですが・・・ しかし、「 おまえ、今月全然描いてないのか
よ! 」とか、「 まだ次の作品を考えてないのかよ! 」などと、創作活
動についてお互いに責め合う様になると、これはもう、まったく陰険こ
の上ないわけです・・・・・・・・。
 
ところが、暗い私にとってこの「 陰険さ 」が嫌いではありませんでした。
一つの「 刺激 」としてとらえていたからかもしれませんが・・・・。 
たとえ、お互いにキズつけ合う結果になっても、それが新たな創作への
肥やしになると漠然と信じていたのです・・・・・・・・。
 
 
1983年( 昭和58年 )1月、Jプロの先輩アシスタント、マツさん( 仮名
:松村 祐樹、広島出身、29歳 )が前年につき合っていた女性と結婚しま
した。半年後に長男が生まれます・・・・。
 
この当時の事を振り返ってマツさんは・・・・・
 
「 あの頃が、女に一番モテたなァ・・・・。ピークじゃったのォ・・・・。 」
 
確かにマツさんは飲み屋のお姉ちゃんによくモテました。そして、少しつ
き合うと逃げられていました。
 
マツさんの顔つきは「 仁義なき戦い、広島編 」といった感じ。髪はショ
ートカットで、ヒゲをはやしていました。声は森進一によく似たハスキ
ーボイス・・・・・。
 
「 わしゃ~、今でもモテるでェ・・・。最近の若い奴らにゃ~、わしの
 様なタイプはおらんけェ~のォ~ 」
 
若い頃とは違い今では、しおれたナスの様なマツさんですが・・・漫画
ではなく女の話で盛り上がる姿だけは、20年前と変わりません。
 
夫となり、父となるマツさんが、7年間( 21歳でJプロに入ってから )の
沈黙を破り、突然創作欲を爆発させるお話は次回に・・・・・・
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その26 」 へつづく・・・
 


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漫画家アシスタント 第4章 その24

2006年11月16日 00時49分04秒 | 漫画背景
 ( この写真は、25.6年前に住んでいた東京練馬区江古田の商店街、目白通り側入り口である。
  《 2006年9月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
  
                その24
 
 
漫画背景を描いているだけでメシが食えるこの幸せ・・・・などと、のん気
な事を考えられる様になったのは、40歳の坂道を下り始めた頃からでした・・
・・・。
 
若い内は漫画背景しか描けない事への悲哀と焦燥を噛みしめていたものです。
 
「 でも好きな事( 絵を描く事 )でメシが食えるんだからイイですよね 」
などと、よく人に言われましたが・・・・ それにはただ沈黙で答えるだけ
でした・・・・・。
 
なぜなら・・・ 想像以上に「 まんが道 」というものが、ぬかるんだドロン
コ道だということを知っていたし、なによりもアシスタントを数年間続けてい
る自分がまるで、学校を卒業できないで何年も落第している生徒の様な気分
で毎日過ごしていたからです・・・・・。
 
 
1982年( 昭和57年 )。 ど~せ漫画家に成れば金はいくらでも手に入る・・
・・( とらぬタヌキの皮算用 )。借金しまくって遊んだり、友人に不義理し
たり、恩師や先輩への礼儀を忘れたり・・・・・ 
 
今から思えば、100パーセント漫画家に成る事を疑っていなかった「 確信 」を
土台に、恥さらしの道化を演じていた様なものでした・・・・・。
 
若い頃には「 自分に才能はないかも・・・ 」などというマイナスイメージは、
一秒たりとも考えませんでした。 漫画をガンガン描いている漫画家志望者は
みんな同じ様なものだと思います。
 
ある漫画家アシスタントの先輩は、自分の奥さんに「 天才! あなたは天才
よ! 」などと毎日言わせるようにしていたとか・・・・・
 
若さとそして、目標に向かって漫画を描き続けている事からくる自信過剰は、
客観的には滑稽な自惚れに過ぎないかもしれません・・・・・。 
 
その上、自堕落な生活を送る事が、作家や芸人にとっては自然な事なんだとか、
芸の肥やしなんだとか言う幻想を真に受けているので手が付けられません・・
・・・。( しかし、読者やお客さんが作者や芸人に『 道徳 』なんぞ全然求め
てはいないという現実もあるのですが・・・・・ )
 
そんなデビュー前の脂ぎった( 20代後半の )男たちの話は次回から・・・・・
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その25 」 へつづく・・・
 


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漫画家アシスタント 第4章 その23

2006年11月09日 02時20分07秒 | 漫画
 ( この写真は、東京の西武池袋線の江古田駅である。私が25年ほど前に住んでいた瓜田さん
  の下宿は駅から徒歩10分ほどの所にありました。《 2006年10月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 

               その23
 
 
漫画制作をたった一回「 ボツ 」になったからと言って止めてしまう人は
少ないかもしれません。 しかし、三回、四回と「 ボツ 」が続けば、た
いていの人は漫画家志望をあきらめてしまう様です・・・が・・・・・・
 
私もリョウさん( 仮名:内海遼一、岡山出身、27歳 )も、J先生に一回酷
評された位の事では、まだまだ諦めきれずに新たな創作活動に入ってい
きます・・・・
 
リョウさんは、幕末と「 坂本龍馬 」の資料に埋もれて、こだわりの「 坂
本龍馬 」伝、200ページの長編へ、そしてさらに「 坂本龍馬 」の少年期を
描いた短編へ。
 
私はそれまでと同じ様に映画館通い、読書三昧、クロッキーの練習など、
基礎固めをしながら、新作の構想をねりはじめたのです。
 
しかし、二人にとってのこの時代は・・・ボツ、ボツ、またボツのボツ人
生のほんの序章に過ぎませんでした・・・・・・。
 
 
ところで・・・・・
リョウさんは、7年後( 1988年、昭和63年 )にJ先生の下を離れますが、
今年( 2006年 )の秋、K談社に52歳という体にムチ打つように自爆テロ
・・・・・ではなく、「 持ち込み 」に出撃!もちろんテーマは「 坂本龍
馬 」!
 
そして、その結果は・・・・・・残念ながら・・・・・・・・・
 
「 持ち込み 」をした経験のない方は、これを笑い話ととらえるかもしれま
せんが、私たちの様に何度もボツの体験がある者にとっては、こらはもう
鬼気迫る「 悲愴 」なのです・・・・・。
 
パワーがいまいちなリョウさんの「 坂本龍馬 」と私の陰気な「 MASK BO
Y 」。この2本の作品が、この時代( 81年 )の中でどの様な位置にあるの
かを明らかにする事は、「 ウケない作品 」が消えていく事の( 当たり前
の )メカニズムを明らかにする一つの参考になるかもしれません・・・・。
 
1981年頃に流行った漫画といえば・・・・ 「 翔んだカップル 」「 Dr
スランプ 」。音楽では近藤真彦、田原俊彦、松田聖子にテクノポップ。映
画では「 影武者 」「 ブルースブラザーズ 」。そして巷では「 ノーパン喫
茶 」「 ジャズダンス」「 漫才ブーム 」。 欧米の景気停滞の中で日本だ
けがバブルに走り始めたまさに「 ギンギラギン 」の時代・・・・。
 
その時代とまったくズレいてる二人の作品・・・・・。
 
しかし、今だからこそ、その「 ズレ 」がよく見えるのであって、当時は二
人ともただ昨日の延長の今日を生き、今日の延長の明日を目指していただけ
だったのです・・・・・。
 
今でも、たいして変わってはいない様ですが・・・・・・・・・
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その24 」 へつづく・・・
 


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漫画家アシスタント 第4章 その22

2006年11月01日 04時16分51秒 | 漫画家アシスタント
 ( この写真は、東京の雨の目白通りである。ちょうど、J・Aプロでの仕事が終わって外へ出て
  来たところ・・・・・。《 2006年10月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】 
 
 
  
               その22
 
 
漫画家アシスタントなら誰でも欲しい「新人漫画大賞」。1981年当時の大
賞々金が、最高額100万円( 当時の大卒サラリーマンの手取り初任給が10
万円ほどでした )。そして、漫画家への片道切符が手に入る・・・。
 
私の頭には100万円の使い道と、連載漫画を依頼された時のための新たな
構想でいっぱいだったのです・・・・。
 
その上、愚かにも私は・・・・ 『 先生からほめられ過ぎたら、感動して
泣いちゃうかもしれないなァ・・・ 』などと、妄想していたのです・・・!
 
J先生の『 おみィ~は暗ェ 』の一言で自分の夢も希望もあっけなく消えて
いきます・・・ まるでローソクの火を吹き消す様に・・・・・・。
 
 『 漫画はエンターテぃーメントなんだぜェ! 』
 
当時流行した「サタデーナイトフィーバー」の主人公の様な真っ白のスー
ツを着て、人差し指を目の高さで上に突き出しながらJ先生はキッパリと
言うわけです。
 
 『 おみィ~はダメだね。暗すぎィ 』
 
「 ・・・ッ ・・・ッ 」と、J先生は口から針でも吹く様に、声を殺して
笑うのです。
 
 『 おみィ~の主人公は嫌なガキだぜェ・・・ こんなのがイイのォ?
   もっといい人間を描けよォ! ステキな事を描けェ~ッ! 明
   るいテーマはいくらだってあんだろうォ! 』
 
もうメッタ斬りにされて、ズタズタになって、一言も返す言葉なく、私とリ
ョウさん( 仮名:内海遼一、岡山出身、27歳 )は深夜の目白通りを帰って行き
ます・・・・・。
 
 「 キツイなぁ・・・・・ 」
 
リョウさんはそう言って、細い目をもっと細くして苦笑いします。 私の頭
の中には、『 漫画はエンターテぃーメントなんだぜェ! 』と、言うJ先生の
言葉が響いていました。
 
 
私の漫画制作に対する、狭い視点から暗い世界をのぞく様な姿勢が、より広
い視点に立脚して明るい(人並みの)世界を目指す姿勢に変わるには、さら
に数年の歳月を必要としたのです・・・・・・・・・。
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その23 」 へつづく・・・
 


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