漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出5

2021年08月22日 14時09分18秒 | 漫画家志望
               

       ( この写真は、私が暮らすチェンマイ、メーアイの隣町にある温泉です。保養地の様になっていて、温浴
        施設やマッサージ店、食堂などもあり、家族でピクニックなんかする場所として利用されています。写真
        に写っている人たちは、カミさんの友人とその家族、左奥の方に温泉の煙が見えます・・・・・《 2021年、
        4月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、私の自宅の南側を正門近くから広角レンズで撮影したものです。一見すると美しいのですが・・・・・ 
        《 2020年、4月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、中庭です。右側がメインベッドルームで、左側にリビングがあります。上部に屋根があるので
        すが、この屋根がたったの2年で雨漏りする様になりました・・・・《 2021年、8月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、リビングルームの天井に雨漏りの跡があります。先日、1週間ほど続いた長雨の影響でかなりの
        量の雨漏りがありました。酷暑と風雨の影響で接合部分に歪みが出来たためですが・・・・・・全面改修には100
        万円かかるそうです。ちなみに、今はすき間を防水シリコンで塞ぐだけの応急処理でごまかしています・・・・
        ・・・・・数年、これで雨風防いでくれる事を祈るだけです・・・・《 2021年、8月、撮影 》 )




       【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                先生との思い出 5


今回も少しだけアシスタント時代の性生活についてお話したいと思います。

前回、私の師匠であるジョージ秋山と1980年代に吉原へ行った時の話を書いたのですが・・・
・・いつも遊んでばかりいるのか・・・・と思われるかも知れませんが・・・・・・・・実際には皆で吉原
へ遊びに行ったのは、40年近いアシスタント勤務の間に2,3回しかありません。

さて・・・・・・・・

師匠は、これ以外にも個人的にソープランドへ遊びに行く事があった様ですが・・・・・・・その
遊び方が尋常ではありません。

ただ遊ぶだけではなく、ソープ嬢に強烈なインパクトを与えないと気が済まないのか・・・・・
・・それとも、自分の集中力を高めるためなのか・・・・・・・ただ、頭がちょっと変・・・・・・・・・・・・
・・・・いや、そんなはずはないのですが・・・・・・・・たぶん、「 洒落 」のつもりなのか・・・・・・・・
・・・・人がやらない様な事をあえてやる悪癖(?)があります。


師匠が一人で、あるソープランドへ行った時の話です・・・・・・・・

入店後、待合室から個室へ案内されます。

担当のソープ嬢について個室へ・・・・・・・・

ソープ嬢は浴槽の湯量と湯加減を調整した後で・・・・・・・・

 「 さぁどうぞ、お入り下さいませ 」

・・・・・と、師匠を振り返ると・・・・・・・・

師匠は、まだ服を着たままで立っているのですが・・・・・・・・

 「 あ・・・・あの、服は全部ぬ・・・・・・・ 」

言い終わる前に、ドカドカと浴槽に近づくと、彼女の眼の前でサングラスに真っ白なスーツ
を着たままドブンッとバスタブへ入り込んでしまいます。

浴槽に浸かった師匠は気持ち良さそうに・・・・・・・・

 「 イ~湯だね~! 」

これを見たソープ嬢は大笑いしながら部屋を飛び出し、他の部屋にいるソープ嬢たちを呼ん
で回ります。

 「 来て、来て、来て見てよ! 」

 「 わッ! スゴイお客さん!」

 「 大変だァ! この人服着たまま入っているッ! 」

 「 なに、この客! 」

 「 ウソでしょ~ッ! 」

お店は大騒ぎの「 バカ受け 」。

その後、ソープ嬢たちがドライヤーを使ったり、アイロンがけして服を乾かしてくれたそう
です。

どうやって女にモテるか・・・・・・・この思考訓練こそが、面白い漫画を発想する原点だと師匠は
よく言っていました。

私にはどうしてもこれが納得出来ず・・・・・・・・40年近く師事していても、この「 発想法 」に
は付いて行けませんでした。


さて・・・・・・・・・

前回、私の師匠であるジョージ秋山と吉原へ行った時の話を書いたのですが・・・・・・

とても面白い体験でしたし、師匠自身も楽しんでいたはずなのですが・・・・・・・・・

何故か、パッタリと吉原へ行かなくなりました・・・・・・・・・・

80年代の半ば頃からは「 エイズ騒動 」で風俗業界は大打撃を受けたのですが、その影響も
あって、我が秋山プロの年末恒例の忘年会とその二次会も、特に「 吉原 」でのお遊びは中
止になってしまいました。

 「 何故だろうね? コンドーム使えば性病は予防できるのに・・・・・・ 」

・・・・・という意見も、スタッフの間にはあったのですが・・・・・・・・

師匠は「 エイズ 」に対してかなり警戒心を持っていて・・・・・・・・

 「 危ねィ~からよ、もう行かねィ~よ 」

 「 おめィ~は吉原へ遊びに行くのか? イイ度胸してるじゃねィ~かよ! 」

奇妙なほど警戒心が強いのですが・・・・・・・実は、これには理由があるのです。

かなり面白い話なので、ここで紹介したいと思います・・・・・・・・・( 先生が存命だった頃なら
公開できる話ではないのです )

少し長くなりますが・・・・・・・・・


まず、4、50年前の昭和40~50年代に話は戻ります・・・・・・・・・・・

アシスタントの先輩であるAさんから聞いた話です・・・・・・・彼は師匠の「 銭ゲバ 」「 アシュ
ラ 」の時代に秋山プロに入った古株ですが、1971年、師匠の引退事件( 「 告白 」発表後、
突然「 引退宣言 」して、3ヵ月ほど失踪 )があった頃の事です・・・・・・・

この事は、最近出版された「 ジョージ秋山本 」( 小学館2021年刊 )の中で、元担当編集
員氏が語ってもいるのですが・・・・・・・・

「 引退 」した時に先生には「 彼女 」らしき女性がいた話が書かれています。( 『 引退 』
というのは先生の嘘で、実際はスタッフと彼女を連れて熱海へ旅行へ行っていたのです )

この「 彼女 」というのが、愛人の「 秘書さん 」です・・・・・・・・といっても、漫画関係の仕
事は何もしないで、毎月のお手当だけもらっていた「 秘書さん 」なのですが。

まだ若かった( 20歳前後 )アシスタントのAさん、師匠の奥さん( 当時30歳ほど )から
は画力もあり、正直で誠実な人だと信頼されていました。

その奥さんから、以下の様な相談を受けたのです・・・・・・・・

 「 ねぇ、A君、先生、浮気してるんじゃないかなぁ? 」

Aさんは、先生がよく銀座や新宿で遊んでいる事も、「 秘書さん 」の事も、全て知ってい
るのですが・・・・・・・・当然、ここは何も知らないフリをします。

 「 A君、本当の事を言ってよね 」

真実を知りたい奥さんは、信頼するAさんに涙を浮かべて訴えかけます。

 「 僕・・・・・・分からないんで・・・・・・・・・ 」

口をモゴモゴさせるAさんに、奥さんは老練な刑事が尋問する様に・・・・・・・・

 「 先生の仕事場を掃除していたらね、ゴミ箱の中からコンドームが出てきたの 」

Aさんはゴクリと唾を飲み込みます・・・・・・もはや奥さんの目を見る事が出来ません。

 「 A君、なぜ、仕事場のゴミ箱にコンドームがあるの? 」

先生を裏切る事は出来ないが・・・・・・・・あまりにも奥さんが可哀そうだ・・・・・・・・

アシスタントの自分なんかに、泣きながら相談する奥さんの姿に・・・・・・つい、もらい泣きす
るAさんは、全てを話してしまうのです・・・・・・・・

銀座のクラブや新宿の若い娘っ子を連れて遊び回るだけではなく、愛人にもマンションを与
えて月々お手当まで出している・・・・・・・・全てを。

この直後、奥さんは先生との離婚を真剣に考えたそうですが・・・・・・・・数年後には、「 浮浪雲 」
の一家の様に幸せな家庭を作っています。

1995年頃に、師匠の奥さんは病気で亡くなります。

そして、10年ほどしてAさんも病気で亡くなりました。

確か、その頃だと思うのですが・・・・・・・・

私は、師匠と昔話のついでに上記の先輩Aさんの話をしたのです。

先生の浮気の事は、Aさんが奥さんに全て話してたんですよ・・・・・・・・と。

私は、師匠が苦笑いでもしながら「 あの時には参ったよな~ 」などと、懐かしそうにするだ
ろうと想像したのですが・・・・・・・・

師匠はニコリともしないで、少し不快そうな表情で・・・・・・・・

 「 そんな事、何も聞いてねィ~ 」

 「 ・・・・・・って、先生、今まで知らなかったんですか? 」

 「 聞いてねィ。だいたい、なんで俺ィの仕事場にコンドームがあるんだよ? 」

 「 はぁ? 」( 先生は仕事場でエッチした事を忘れているのか? )

 「 俺ィはコンドームなんて使った事がねィ~んだよなァ~ 」

 「 はぁあ~? 」

 「 だからよ、コンドームの使い方もよく分からねィ~んだよなァ~ 」

 「 はぁあああああ~~? 」

師匠は、真面目に答えてくれました・・・・・・いや、ホントに!

つまり・・・・・・・・

師匠の奥さんは、「 コンドームがゴミ箱から出てきた 」という嘘で、Aさんを引っ掛けたわ
けです。

そして、この「 コンドームなんて使った事がねィ~んだよなァ~ 」という一言が、エイズ騒
動でパッタリと吉原へ行かなくなった理由なわけです。

そりゃ、怖いだろうなぁ・・・・・・・・エイズ禍の吉原。

でもね・・・・・・・・・・

先生、普通の人は、みんなコンドームを使うもンなんですよ!



           「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その11 」 へつづく・・・・


           ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


             ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出4(後半)」へ戻る 】




   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




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漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出4(後半)

2021年06月25日 03時17分11秒 | 漫画家志望
               

       ( この写真は、チェンマイの私の自宅寝室より撮影した写真です。大雨が降った後で、カラッと晴れた
         と思ったら大きな虹が出ていました・・・・・《 2021年、5月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、自宅寝室の外側の写真です。バラを植えて赤い花やピンクの花を楽しめたのですが・・・・・・下の
         玉砂利には、大きなムカデが巣を作っていて困っていました。一度捕まえたムカデは体長30㎝近くあ
         る大物で、噛まれたら死ぬんじゃないかと恐れた家人が、この玉砂利を全てコンクリートで埋めてし
         まいました・・・・《 2021年、4月、撮影 》 )





       【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                先生との思い出 4 ( 後半 )


前回は、吉原にある風俗店を「 ソープランド 」と表記しましたが、実際には当時「 トルコ 」と呼ば
れていました。( 1980年前後 )

吉原では、右を見ても左を見ても「 トルコ 」の看板がいっぱいあって、初めて来た人は何処へ入っ
たら良いのか絶対に迷う「 トルコ 」の魔窟でした。今回も一応「 ソープ 」と表記させていただきま
す。

師匠と先輩アシスタントの一人がボッタクリ店の「 P 」で、他のアシスタントたちの帰還を待ってい
る話が前回までのお話でした。

さて、私たちアシスタント数人が「 P 」の前で気合を入れてドアを開けるわけですが・・・・・・・・

とにかく一刻も早く師匠をこの店から出す事が第一・・・・・・・・かなり緊張してドアを開けました。

ドアは安っぽい木製のドアで、店内は薄暗くカウンター内の洋酒棚だけが明るい。そのカウンターは
右手に伸びていて、師匠たちが奥の席で飲んでいる・・・・・・・・

私はきっと緊張からカチカチに固くなっていたと思いますが・・・・・・・・

師匠は・・・・・・・・・・

ニッコニコで・・・・・・・・

 「 ど~だったんだァ? 」

・・・・・・・と、カウンターの一番奥の席で先輩アシスタントと笑っています。

 「 良かったのか? 戦果を報告しろよ! 」

ヘラヘラ笑っている・・・・・・・カウンターの中にいる二人の店員も一緒に笑っている。

 「 お帰りなさいませ~ッ、さあ、どうぞどうぞ! 」

50 代で年かさの小太りの店員( いやらしいパンチパーマ男 )が私たちの席と飲物を準備しようとし
ている。

急いで先生の横に立つ私は、顔が引きつって来るのを自分でも感じつつ・・・・・・・

 「 せ、先生、そろそろ食事にでも行きませんか? 」

 「 ん・・・・そうだな、腹も減って来たしなぁ・・・・・・ 」

私は席をセッティングする店員を制しながら・・・・・・・・

 「 じゃあ、早速出かけましょう 」

他のアシスタントが・・・・・・

 「 腹ペコですよ~先生! 」

 「 行きましょう! 」

その時、パンチのオヤジが・・・・・・

 「 だったら、うちで出前を取りますから、こちらで食べて行ってはどうですか? 」

 「 え? 何が注文できるの? 」

・・・・と先生。

 「 先生、何でも大丈夫ですよ! 」

まずい展開になってくる・・・・・・・

 「皆さんは何がよろしいですか?」

 「定食なんかもありますよ」

・・・・・と、もう一人の店員。

この展開は想定外・・・・・・・・こんな所で食事代まで加算されたらどんな金額になるか分からない!

 「 さ、さっき見たんですが、美味しそうな寿司屋がありましたから、そっちの方が落ち着いて
  食事できると・・・・ 」

適当に「 寿司屋 」なんて言ってますが、この土地の食事情は何も知らない私です。

ところが、この時、パンチのオヤジが意外にも助け船を出してくれます・・・・・・・・

 「 交差点にある寿司屋さんならとても美味しいですよ 」

先生はゆっくりとグラスを置きながら・・・・・・・・

 「 んじゃ、行くかな 」

店員が料金の精算を始める・・・・・・・・

問題の「 勘定書き 」・・・・・・・・いったい、いくらになるのか・・・・・・・・

先生はジッとそれを見ている・・・・・・・・ただ、先生の表情は何も変わらない・・・・・・・・

私は口の中がカラカラになる・・・・・・・・

その時である・・・・・・・・

 「 先生、サインをいただけませんか? 」

パンチのオヤジがニタニタ笑いながら先生に色紙を差し出してきた・・・・・・・・

先生が危ない・・・・・・・私には先生が落とし穴へ落ち込んでいくイメージが・・・・・・・・

こんな店にサイン色紙なんか残して、後々、それを「 営業 」に利用されたのではたまったものでは
ない!

私は何がなんでも阻止する覚悟で・・・・・・・・

 「 き、今日は・・・・・・先生の・・・・・・・そのぉ・・・・・・・・お、お忍びでのお遊びですから・・・・・・・またの
  機会に! 」

そう言って、その場を取り繕い、すぐに勘定を済ませて先生の背中を押す様にして店を出ます。

私は店員が渡した「勘定書き」を見ていないので正確な金額は分かりませんが・・・・・・・・

後で聞いたら8万円ほどで、少し高めですが・・・・・・・・「 ボッタクリ 」と言うほどの値段でもなかっ
様です。

ちなみに、歌舞伎町辺りのボッタクリ店なら通常の値段の10倍以上が相場です。


吉原の街の中ほどに「 佐野 」という寿司屋さんがあり、気さくな店主と映画の話などで盛り上がり
ました。

その時、私は先ほどの「P」について「 あそこはボッタクリ店 」だと先生と話したのですが・・・・・・・

 「 そうだったのか・・・・・・・なら、もう一回行ってみるか! 」

 「 はぁ・・・・!? 」

 「 あいつら( パンチのオヤジたち )、ビックリするだろうなぁ! 」

 「 え~ッ・・・・?( 汗 ) 」

 「 こいつらまた来やがった・・・・・・何考えてるんだ・・・・・・なんてなぁ~! 」

・・・・・・この人こそ、いったい何を考えているんだ・・・・・・・・!

呆れる私を見ながら先生はゲラゲラと一人で面白そうに笑っていました。

お寿司を食べて、腹ごしらえを済ませると、最後に吉原の深夜喫茶に行って漫画談義をした後で、
「 初めての吉原 」は、お開きになりました。

ただ、この最後の深夜喫茶での会話が特に印象に残っているので記しておきます。

いかにも、漫画家とそのスタッフのやり取りって感じです・・・・・・・・

先生の冗談話でスタッフが大笑いして気分が盛り上がってきた時でした・・・・・・・・

先輩アシスタントの一人が深刻な表情で先生に質問を始めます・・・・・・・・

 「 なんで、僕らは漫画家になれないんでしょうか・・・・・・・・どうすればいいんでしょうか? 」

先生は、先ほどまでとは別人の様に・・・・・・鋭い目つきの怖い表情に変わります。

私は、先輩が言った「 僕らは 」という言葉にひっかり・・・・・・・・

 『 俺を一緒にして欲しくないよな! 』

・・・・・・などと、斜に構える感じで二人の会話を聞いていました。

先輩は17,8歳の時に師匠に弟子入りして10数年になります。

先生の原稿運び、電話番まで、10年以上務めでいるのに陽の目を見ずに30歳を超えてしまったの
です。( この時、私の年齢は25、6歳 )

映画ファンで、その大好きな映画を元にした「 映画少年 」がテーマの新作も没になって落ち込ん
でいたのです。

 「 まだ、勉強が足らなィ~んだよ 」

先生は、ゆっくりと同情する様に・・・・・・・・やさしく・・・・・・・・

しかし、この時、隣の席で興味津々先ほどからジッと私たちの会話を聞いていた女性が・・・・・・・・

 「 何ンか~、とても面白そ~ですねェ~ 」( 上品な猫の様に )

・・・・と、話に加わり始めたのです!

この女性は、二人組の美人( 20代後半 )でロングヘアーが素敵な人でした・・・・・・・・( たぶん、仕
事上がりのソープ嬢 )

突然、喫茶店で美人が話しかけてくるなんて事が・・・・・・・・この世の中にあるのでしょうか・・・・・・・・

私は、先輩と先生の話よりもこちらの女性に気がいってしまいそうでした・・・・・・・・

 「 さっきからスゴイ話をしてらっしゃるんで・・・・・・ 」

 「 話を聞かせてもらってもイイですかァ? 」

女性の方から声をかけられるなんて経験がまったく無い私の様な人間にとっては、大事件なわけで
す・・・・・・・

酔っ払った風呂上りの男どもに、美人が二人、猫の様に話しかけてくる!(普通ありえない!)

先輩の話を忘れて、私は二人にウットリと見入るのですが・・・・・・・

 「 うるせ~んだよッ! 」

女性たちは、ビックリした表情で固まります。

少しトーンを落として・・・・・・

 「 今、マジな話、してるんだからよ、黙っててくれ 」

 「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

先生の断ち切る様な言葉に全員沈黙。

先輩はうつむいていた顔をやっと上げて・・・・・・・

 「 先生、勉強って言っても・・・・・・・・いったい何を・・・・・・・・ 」

私は先輩の懇願する様な表情を見ながら、ハッキリと心の中で呟いていました・・・・・・

 『 先輩、そんな事は先生がいつも言っていたじゃありませんか・・・・ 』

先生がいつも、私たちの顔を見れば言っていた言葉・・・・・・・・

 「 もっと本を読むんだな 」

 「 先生、本は結構読んだんですが・・・・・ 」

 「 徹底的に読むんだよッ! 」

私にとっては、先生の言葉が「 核心 」の様に心に刻まれるわけです・・・・・・・・

 「 俺ィは一日に10冊読んだ事もあるんだぜィ 」

 「 おめィ~は、まだ全然足らなィ~んだよッ! 」

私は、この日以降・・・・・・・・

徹底的に読書をする事に集中しました。( それまでにも本は読んでいましたが )

何を読むのか、何冊読むのか、お金がいくら必要になるのか・・・・・・・そんな事に気を使っている様で
はダメなのです。

古本屋へ行って、棚にある本を片っ端から手に取って買ってしまう・・・・・・・・これが一番効果的です。

三度の飯よりも大事な事かもしれませんので、お金の心配をした時点で脱落です。

「 徹底的な読書 」なんて、簡単に出来るものではないからです。

まさに人格の変貌「 人革 」です。

私がヤングジャンプの新人賞で準入選してデビューするまで、これから7年かかりました。

まったく、漫画家になるのは大変です。

私はデビューしても、結局30年間うだつが上がりませんでした。

でも・・・・・・それでも・・・・・・・「 まんが道 」って面白いのです。

いや、ホントに!



        「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出 その5 」 へつづく・・・・

 
        ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 先生との思い出4(前半)」へ戻る 】




   


【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
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漫画家アシスタント 古い話で章 その55

2015年06月28日 19時54分44秒 | 漫画家志望

 ( この画像は、仲田さんのトレース台を撮影したものです。原画の用紙には、キャラクターが色指定と共に描かれてい
  ます。そのタッチは正確で洗練されていて、思わず「凄い」とか興奮しちゃいますが・・・・・・本人は、こんなの
  に驚くのかい?・・・・・・と、いたってクールです・・・・・・・・《 2015年、5月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その55


     《 漫画家アシスタントが・・・・・金計算を反省・・・・・!? 》


アニメの原画は一枚の単価が決まっているので、手早くより多く枚数を制作した方が稼げます。

中には、下書きもなしに描いてしまう猛者もいるわけです。

雇われ仕事もいつしか独立し・・・・・・フリーのアニメーターになった仲田さん( ※参照 )は、決し
て早く仕事の出来る人ではなかったので、収入は伸びず苦労した様です。

世の中がバブルだろうと、ヒットアニメが世の中を騒がせようと、ギャラが増えず、生活できず・・・
・・・・・結局、辞めていく若者が沢山いる業界なのです。
 
 
 「 自分の描いたアニメなんて観た事ないね 」
 
元々、アニメに憧れや夢を持って入って来たわけではないので、完成したアニメを鑑賞する事などな
かった仲田さんです。
 
 「 本当は、ちゃんと完成したフィルムを見て確認するべきなんだと思うよ、それがプロっ
   てもんなんだと思う・・・・・・・・・・ 」
 
そう言って、自分の姿勢を反省する仲田さんは、苦そうにコーヒーを飲みます・・・・・・・
 
 「 元々、アニメーターになりたかったわけじゃないしね・・・・・・ 」
 
20代は漫画家への道を夢中で歩んでいた・・・・・・・・それなのに、アニメを描いている自分・・
・・・・・・・・
 
心底、『 アニメ馬鹿 』にはなり切れなかったのかも知れません。

 「 でも、仕事はしっかり時間をかけて丁寧にやる・・・・・・・それだから評価が
   もらえていると思う・・・・・・・ただ、採算度外視で一日で3千円、4千円な
   んて日もあるけどね 」( 苦笑 )
 
仲田さんがフリーになって、もう24年になります。
 
私は、お代わりのカルピス( ドリンクバー )を飲みながら仲田さんに質問します・・・・・・・
 
 「 フリーって、会社にいる時よりも稼げるんですか? 」
 
 「 そうだね・・・・・・・1カット1500円が、フリーだと2000円・・・・・・・
   ただ、電気代とか光熱費は自分で出さなきゃいけないけど 」
 
ここで・・・・・・

最近のアニメ事情を少し・・・・・・・

 「 今ではアニメも、韓国や中国に依頼しているケースが多いそうですが・・・・・ 」

 「 とっくの昔から下請けに出しているよ 」

 「 つまり、『 メード・イン・チャイナ 』とか『 メード・イン・コリア 』のアニメ
   が日本で上映されているわけですね」

 「 そうだね、技術的にも優れた人が多いよ。中国は人材が豊富だから当然、上手い
   人も多いんだよね・・・・・・・ただ・・・・・・・ 」
 
 「 ただ・・・・・・・? 」
 
 「 ただ・・・・・・・国民性というか・・・・・・・20年も前からやっている
   のに優秀な監督は出て来ない・・・・・・『 メイド・イン・○○ 』で凄い作
   品ってあんまり無いでしょ? 」
 
 「 そうですね・・・・・・・確かに・・・・・・・聞きませんね 」
 
 「 最初から『 金 』の計算をしているからね・・・・・・・韓国なんてものすごく
   昔からやってるんだけど・・・・・・・上手い人は沢山いるけど、すぐ『 金 』
   計算しちゃうから・・・・・手数料がいくら、給料がいくら・・・・・ってね 」
 
 「 ・・・・・・・・・・・・・・ 」
 
 「 アニメの仕事は最初から『 金 』計算してたら出来ないし、続かないよね 」
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その56 」( 7月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その54」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 
 
 
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化! 
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
   
 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
 
 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 

【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その50

2015年05月05日 14時32分48秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、東京池袋にある『芸術劇場通り』を椎名町方向から撮影した写真です。 およそ芸術劇場とは無縁な通
  りには風俗や飲食店の入る雑居ビルが並び、奥の方へ進むと美しい並木道になるのですが・・・・・・・・ヤクザの
  事務所や、風俗嬢の置屋などが目立つ・・・・・・・・新しい様に見えて古いままの雑然とした街なのです・・・・
  ・・・・《 2015年、4月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                     その50


    《 漫画家アシスタントが・・・・・自分のデビューに驚く・・・・・!? 》


 「 デビュー?・・・・・・そう言えば・・・・・・したね 」

ゴミ屋敷の様な4畳半で、ゴキブリとムカデを飼育(?)しつつ漫画家になる事を夢見る仲田さん( ※参
照 )も、Jプロ( ※参照 )に入ってから丸5年が過ぎていました。

風呂嫌い、洗濯嫌い、長身に長髪で人を寄せ付けない暗い人柄、才能があるんだかないんだかさっ
ぱり分からない・・・・・・・・・・
 
・・・・・・こんな人がホントにデビュー出来たのだろうか?
 
そんな疑問も残る・・・・・・・いや、ひょっとすると氏の話は嘘かもしれないと・・・・・・・・
 
でも、そんな嘘ついても余計にみじめになるだけだし・・・・・・・・・・・・・・
 
私は、すっかり白髪頭になった仲田さんの話を聞きながら( つい )失礼な事を考えてしまいました・・
・・・・・・・
 
でも・・・・・・確かにデビューしたのは本当の様です・・・・・・・・・・

それも、J先生( ※参照 )の一番弟子であると同時に、一番最初にデビューしたのがこの仲田さんだっ
たのです。
 
よほど人材に恵まれなかったJプロだったのかどうか・・・・・・・・とにかく、1974年前後に他の
スタッフ( ※参照 )よりも早くデビューするわけです・・・・・・・・。
 
J先生の弟子になってから約6年目( 1975年 )仲田さんが23歳の時でした・・・・・・・
  
当時、先生は盛んに若い弟子たちに作品を見せに来るように奨めていました。
 
ギャグ漫画が好きな仲田さんは、数本の作品を持って行っていました。
 
他のアシスタントも同じ様に漫画原稿やネーム( 漫画シナリオ )を持って行っていましたが・・・・・
・・・・何度もダメ出しされるうちに描かなくなってしまうのです。
 
しかし、仲田さんはあきらめずに先生に向って行きました。
 
画風は、当時有名だったY山光輝先生( ※参照 )の画風に似たキャラクターでギャグ漫画を描き続け
ていました。
 
いつもの様に持って行った作品(16ページ)ですが・・・・・・・・意外にも先生が褒めてくれたの
です・・・・・・・・
 
そのまま原稿を預けて数日・・・・・・・・・・何も知らされぬまま時は過ぎ・・・・・・・・・
 
その間、先生は独断で漫画雑誌Jの増刊号に掲載を推薦してくれていました。

『 月刊少年J 』の別冊はS英社の雑誌で、当時「 新人特集 」をやっていた4人の新人の中の一人と
して掲載される事に決まったのですが・・・・・・・描いた本人は知りません。
 
 「 おめィ~の漫画、新人特集に出るから 」
 
・・・・・と、告げられてビックリしたのは仲田さんです。
 
 「 1ページ削って15ページで載るからな 」
 
 「 ・・・・・ええッ? 」
 
仲田さんのギャグ漫画がデビュー作になった瞬間です。
 
ちなみに、この4人のうちの一人がY沢きみお先生( 後に『 ○んだカップル 』でブレークする )でし
た。
 
つまり、Y沢先生と同期でデビューしたわけです。
 
私は、それを知りませんでしたから、改めてJプロの先輩である仲田さんを見つめます・・・・・
 
 「 23歳でJ系の雑誌でデビューなんてすごいじゃないですか! 」
 
 「 そんな事ないよ。当時の『 少年J 』なんてマイナー雑誌で、全部新人ばっかりだったし 」
 
 「 それで、担当の編集員とはどんな話を・・・・・? 」
 
 「 担当? 知らない。 会ってない 」
 
 「 編集部へ行ってないんですか? 」
 
 「 編集? 行ってない。 全部先生がやってくれた 」
 
そして、この輝かしいデビュー作品が・・・・・そのまま最後の作品になってしまいます・・・
・・・・・・・
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その51 」( 5月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その49」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
  在籍。しかし今年2014年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 ・他のスタッフ・・・1975年当時、22歳~25歳ほどの若者が2,3人、Jプロで働いていました。
 ・Y山光輝先生・・・・・1960年代に手塚先生と漫画界の人気を二分した大御所漫画家。ロボット
  漫画の「○人28号」や忍者漫画の「○賀の影丸」は少年ファンに絶大な人気があった。
 
 
 
 

 
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   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

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   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
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          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その47

2015年04月04日 01時39分22秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、池袋にある「上がり屋敷公園」の桜を撮影したものです。 いつも、池袋駅から目白の仕事場までこの
  公園の前をテクテクと歩いて行きます。 このブログが公開される頃には満開の桜も散り始めているかも知れません
  ・・・・・・・・《 2015年、4月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その47
 
 
   《 漫画家アシスタントが・・・・・パンツの汚れで熱くなる・・・・・!? 》


私も若い頃には銭湯へ行くのが面倒で、最長で10日くらいお風呂へ入らない事がありましたが・・
・・・・・・
 
仲田さん( ※参照 )は、毎年、盆暮れの2回だけしかお風呂へ入りませんでした。
 
当時(1970年頃)、一緒に仕事をしていた加川さん( ※参照 )は・・・・・
 
 「 仲ちゃんのパンツは真っ黒だし、シャツの襟も真っ黒・・・・・それに、髪の毛は脂
   でベタベタ・・・・・・・・だから髪の毛が固まってたよ! 」
 
 「 そんな姿で、さぞかし臭かったと思いますが・・・・・・・大丈夫だったんですか、
   一緒にいて? 」

 「 それが・・・・・・・・不思議な事に・・・・・・・・・あんまり匂わなかったんだよ
   ね・・・・・・・・・・ 」
 
 「 どうしてでしょう・・・・・・・・・・ホントに不思議ですね 」
 
 「 香水を使ってたのかも知れないな・・・・・ 」
 
 「 ・・・・・香水を? 」
 
私は、後日( 2015年2月 )この話を仲田さんにしたのですが・・・・・・・・
 
 「 当時は、香水を使っておられたとか・・・・・・・・? 」
 
 「 使ってないよ・・・・・なんで私が香水なんか使うの? 」
 
 「 つ、つまり・・・・・そのォ・・・・・・・・・臭いが・・・・・・・・・・ 」
 
 「 香水なんて使った事ないよ。だって、半年に一度しか風呂へ入らない人間が、
   香水なんか使うと思う? 」
 
 「 確かに・・・・・・・・・・使うとは思えませんね・・・・・・・・・・ 」
 
加川さんと仲田さんの話の食い違いはともかく・・・・・・・・・・
 
Jプロ( ※参照 )では、この仲田さんの「 黒いパンツ 」は伝説化していて、特にスタッフの間
では代々語り伝えられて来ました。
 
お風呂へ半年入らないのと同時に、パンツも半年に一度しか取り替えなかったのです。( 想
像を絶するものがあります )
 
白いブリーフパンツは、ネズミ色に変色し、前部が黒く汚れていたそうです・・・・・・・
・・・
 
お風呂へ入らないなら、なぜ、せめて下着くらいは毎日取り替えなかったのか・・・・・・
・・・?

どうして、汚れたパンツを半年もはき続けている事が出来るのか・・・・?

私は、当時の自身の姿を仲田さんに思い出してもらいながら質問しようと思ったのですが・・
・・・・・・・・( 実際には、似たような事を一度質問している )
 
あっさり・・・・・・・
 
 「 別に洗濯しなくても死にはしないでしょ! 」

・・・・・とか何とか、切り返されるだけなので、今回は質問の仕方をちょっと変えてみまし
た・・・・・・・・・・・・・

背の高さが180㎝以上ある仲田さんは、ファミレスのソファに猫背になりながらコーヒーを飲
んでいます・・・・・・・・
 
 「 仲田さん・・・・・・・仲田さんの下着の話ですが・・・・・・・・ 」
 
 「 え~~ッ!? 」( また、くだらない質問をしてきたなという薄笑い )
 
 「 半年も全然下着を取り替えなかったそうですが・・・・・・・・・・ 」
 
 「 うん・・・・・・・・そうだね 」( 否定しないであっさりと認める! )
 
 「 黒く汚れたパンツをはいたまま・・・・・・・・? 」
 
 「 ・・・・・・・・・・ 」
 
 「 キレイに、真っ白に洗濯されたパンツと、黒く汚れたパンツと、どっちが気持
   ちよく着られますかッ? 」
 
 「 ・・・・・・・・・・そりゃ・・・・・・・・・・キレイな方がイイよね 」
 
 「 だったらなぜ、取り替えないんですかッ!? 」
 
 「 わざわざ洗濯する労力と、洗濯しないで済むのと、計りにかけたら・・・・・・
   ・・別にいいかなァ・・・・・・って、ならないかい? 」
 
 「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも、病気になりませんか? 」
 
 「 なんで? 」
 
 「 汚れたままの下着で、かゆくなったり皮膚病になったりとか・・・・・・・・ 」
 
 「 全然 」
 
・・・・・・・・・・だめだこりゃ。
 
 
 
     「 漫画家アシスタント 古い話で章 その48 」( 4月10日以降公開 ) へつづく・・・・


           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その46」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・加川さん・・・・・・・・・・・(仮名)中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
  1969年19歳で、J先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが在
  籍。しかし今年2015年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。






 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その43

2015年02月24日 23時24分16秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、目白の仕事場の押入れを撮影したものです。私が座るデスクのすぐ後ろなのですが、押入れの扉
  は取っ払われ、古原稿がむき出しのまま積み上げられています。今にも崩れそうですので、30年間触った事もあ
  りませんのです・・・・・・《 2014年、4月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その43
 
       《 漫画家アシスタントが・・・ケツを蹴られる・・・!? 》


J先生( ※参照 )は、この当時( 1969年頃 )、2~3本のギャグ漫画の連載を抱えていましたが・・・
・・・さすがに一人で全部描くのは大変だった様で・・・・・・・・・アシスタントを雇う事にな
ったわけです。
 
J先生自身も漫画家M拳次先生( ※参照 )のアイスタントを1年近くやっていたそうですので、自分が
独立して、いよいよアシスタントを雇うまでになった時・・・・・・・・・それはどの様な気分だ
ったのか・・・・・・・・・・まんざらでもなかったでしょう。

ところが、初めて雇うことになるアシスタント志望者は、片腕に障害がある上に真剣にやる気があ
る様にも見えず・・・・・・・・・
 
アシスタント志望者の仲田さん( ※参照 )は・・・・・・・・・
 
 『 漫画家になろうというのに、アシスタント専業で仕事をするなんておかしいじゃない! 』

という変わった( もっともな? )考えの持ち主でしたので・・・・・・・・J先生とのやり取りも他
の人とは変わっています・・・・・・・・・
 
まだ17歳、背が高くて体の細い仲田さんは、右手をポケットに入れながら先生と向かい会っていま
す。

場所は、目白にある小さなマンションの一室・・・・・・・・・
 
仲田さんは、さして緊張もせずに・・・・・・まったく当然であるといった様な態度でJ先生にある
条件を提示したのです・・・・・・・・・・・J先生が弟子入りを許す条件を出したのではありませ
ん、仲田さんの方が一方的に条件を出したのです!
 
 「 先生、僕、仕事は週に一日だけにして欲しいんです・・・・・・・・・ 」
 
 「 あ~~!? 」
 
何を言ってるんだこいつは・・・・・・?・・・・・・・・・J先生はきっと、そんな気分だったの
ではないかと思います。
 
ちなみに、数年後に先生は、アシスタント志望者が来た時に「 アルバイト感覚 」の志望者を一切受
け入れない様になっていました。
 
私の想像ですが・・・・・・仲田さんとのこのやり取りで懲りたのではないか・・・と思います。
 
それはともかく・・・・・・・・
 
先生に条件を出した後、どうなったのかというと・・・・・・・・
 
あっさり、あのJ先生がその条件を飲んで仲田さんを弟子1号に任命します。
 
週に一日しか仕事をしないのですから、給料は薄給ですが・・・・・仲田さんは自宅で両親の世話
になっていますのでたいした問題ではありませんでした。
 
親のスネをかじりながらアルバイト感覚で弟子入り出来たのは、明らかにJ先生が誤解した結果だと
思われます。
 
つまり、右腕に障害があるのに漫画家になろうとする・・・・・・・・涙ぐましい17歳の青年・・
・・・・・・・・・だと。
 
障害者だからきっと苦労している・・・・・・・・可哀そうだ・・・・・・・・俺がなんとかして
やろう・・・・・・・・・・といった思い込みが先生にあったのだと思います。
 
 
最初の仕事は、先生が描くキャラクターの髪の毛などにベタを入れる仕事など、比較的簡単な作業
をまかされます。
 
もっとも、当時の仕事はシンプルなギャグ漫画でしたから、背景もほとんとなく、いたって簡単で
した。
 
仕事中は、先生はまったく口をききません・・・・・・・・本当に静かな重たい沈黙の中で仕事を
します。
 
アシスタントへの作画指示は、原稿用紙に簡単な走り書きを加えている程度、まったく会話があり
ません。
 
例えば・・・・・・・・
 
原稿の余白に・・・・・・・・
 
 「 夜 」
 
とか・・・・・・・・
 
 「 トーン 」
 
とか、書いてあるだけなのです。
 
また、アシスタントと一緒に食事に行ったり、お酒を飲みに行くといった習慣も当時はまだありま
せんでした。
  
  
しばらくして・・・・・・・・
 
週に一回しかやって来ない仲田さんだけでは頼りにならないので、数ヵ月後には新しいアシスタン
トを雇う事になります。
 
丁度、その頃の事ですが・・・・・・・・
 
仕事にも少し慣れて来た頃・・・・・・・・仲田さんの気分がゆるんでダラダラと横になって、先
生の原稿が出来上がるのを待っている時でした・・・・・・・・・・
 
突然、トイレに行こうとした先生が、横になっている( 眠っていたわけではない )仲田さんのそばへ
近づくと・・・・・・・・
 
 「 寝てンじゃねェ~よッ! 」
 
そう怒鳴られて、オシリを蹴られたそうです。
 
仲田さんは、この時18歳。
 
J先生は、28歳。( 当時の私は、16歳 )
 
現在の仲田さんが62歳、J先生は72歳・・・・・・・・もうすぐ後期高齢者。
  
 
 
     「 漫画家アシスタント 古い話で章 その44 」( 3月1日以降公開 ) へつづく・・・・
 

           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その42」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 ・M拳次先生・・・・・・・・・1960年代に売れっ子だったギャグ漫画家、ヒット作「○出だめ夫」は
  1966年に実写テレビ化され、私も小学生の頃に楽しんだ記憶がある。
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その42

2015年02月16日 02時45分56秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、少し前の写真ですが・・・・・・・目白通りの夜景を撮影したものです。 まだ初冬でしたので、イチョウ
  にも黄色い葉っぱが少しだけ残っています。 今ではすっかり葉が落ちていますので、ちょっと寂しい目白通りです・・・
  ・・・《 2014年、12月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その42


     《 漫画家アシスタントが・・・・・面接で嘘をつく・・・・・!? 》


パソコンの不調、体の不調、母親の不調、まったくさえない新年を迎えてたと思っていたら( 正月気
分なんてどこにもありませんでした )、もう2月・・・・・・・・・

パソコンの壊れたハードディスクは交換すれば生まれ変わりますが、私の首のヘルニアはど~にも出
来ません。

肩の痛みがキーボードを打つリズムと共鳴するように響いてきます・・・・・・・・まったく情けな
い話です・・・・・・


では、久しぶりに・・・・・・

ブログの続きを・・・・・・


子供の時に沖田さん( ※参照 )はブランコから飛び降りた時に右ひじを骨折して、神経が断裂する障害
を負いました。
 
しかし、その後、病院でのリハビリで利き腕を右手から左手に代える事が出来て、少年時代を無事に
過ごす事ができたわけです。
 
事故から8年・・・・・・
 
左腕で字を書く事はもちろん、絵を描く事も、元々左利きの人に劣らないほどになっていました。

ただ、障害のある( 手を開く事が出来ない )右手はいつもポケットにいれたままだったり、つい人
の目に触れない様に気を使ってしまうのです・・・・・・・・
 
アシスタントになるために、初めてJ先生( ※参照 )に面会した時の事です・・・・・・・・
 
J先生から、右手の障害について質問されると・・・・・・・・
 
仲田さんは、お天気の話でもするみたいに軽く・・・・・・・
 
 「 子供の頃にケガをして・・・・・・・ 」
 
J先生は、仲田さんの右腕をジッと見つめながら・・・・・・・
 
 「 おめィ~、右利きなんだろ? 」
 
 「 ・・・・・・・いえ 」
 
 「 ・・・・・・・ 」
 
仲田さんは、ウソをつきます。
 
実際、ケガをしてから8年間、左手を使って暮らしているし、ここで右利きだと言ってしまうと「 絵
が描けない 」との誤解を受ける可能性もあります。
 
 「 いえ、僕は元々左利きでしたから・・・・・ 」
 
この時のウソを、今でもJ先生は信じているかも知れません。( ただし、同期のアシスタントは、事実
を知っています )
 
先生は、話題を替えるためか、仲田さんに気を使ったのか・・・・・・・戦争で左腕を失った○木先生
( ※参照 )の話を始めます・・・・・・・・
 
 「 ○木しげるは、左手がないのに漫画家をしっかりやっているしな、大丈夫だよ・・・・ 」
 
 
すっかり中年になった沖田さんがコーヒーを飲みながら笑顔で語ります・・・・・・・・

 「 右利きだろうが、左利きだろうが関係ないよ、子供の頃の事なんだからさ 」

・・・・・と、軽く話してくれる彼は、現在、62歳・・・・・・・背が高くて痩せた銀髪の壮年です。

最近の漫画家は、アシスタントを募集する時に必ず条件にあげるのが「 経験者 」という条項です。
 
今は、仕事を探す人に対して、やたらとスキルを求める時代になりましたが・・・・・・・
 
昔は、仲田さんの様に障害があっても、私の様な馬鹿者でも、絵が描けない頓珍漢でも・・・・・心
意気を買ってくれる作家や先生がいたのです。( 私の場合は『 心意気 』も怪しいのですが )
 
 
 
     「 漫画家アシスタント 古い話で章 その43 」( 2月20日以降公開 ) へつづく・・・・
 

           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 パソコン故障!」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 ・○木先生・・・・・・・・・・・・代表作「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家。1922年生まれですので、
  J先生よりも21歳年上。ニューギニア戦線で負傷、戦後は紙芝居や貸本で生計を立てる。
 
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その38

2014年12月03日 23時30分46秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、私が勤める東京目白のJプロのドア前から撮影した夕暮れ時の風景です。目白通りから椎名町方向
  を向いています。初冬を迎え、日が沈むと一段と冷えてまいります・・・・・・《 2012年、12月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その38


   《 漫画家アシスタントが・・・・・実は、利き腕を失っていた・・・・・!? 》


長い間お休みさせていただきましたが・・・・・・・・・・

休むと言うより、雑用に追われっぱなしの毎日が続いてた・・・・・・・・・・といった感じでしょ
うか。

さて、久しぶりにブログの続きを書き始めるというのは、ちょっと不安な部分もありますが・・・・
・・・・・・・・・

頸椎ヘルニア、腰痛、膝痛、高血圧に鼻炎と早漏・・・・・・ボンヤリと・・・・・・土管の中か井
戸の底にでも居る様な気分のままキーボードに向かう事にいたします・・・・・・・・・・

では・・・・・・・・・・

もうしばらく、Jプロ( ※参照 )に勤めていた私の先輩アシスタントの話にお付き合い下さい・・・・
・・・・・・・・・
 
 
少年の頃から愛らしい加川さん( 仮名、※参照 )が、淫猥な体験をした話からデビュー後の苦労話まで
・・・・・・・・・・続けさせていただいたのですが・・・・・・・・・・今回からは、ほぼ同時期
にJプロのスタッフだった仲田さん( 仮名、※参照 )の話を書きたいと思います。
 
身長が180㎝以上ある長身で細身の体にロングヘアー、クールな感じで鼻筋が通っているのですが、人
を寄せ付けない難しい所がある沖田さん。

この仲田さんがJプロに在職したのは、1969年( 昭和44年 )から1976年( 昭和51年 )までの7年間。途中
で何度か辞めたり戻ったりする放浪タイプの若者でした
 
世相は、自由に反体制、フーテンやヒッピーそして、ロックの時代でしたから「 家出 」や「 放浪 」が
カッコ良かった時代なのです。

仲田さんは、私がJプロへ入る2年前の76年まで勤めていたわけですが・・・・・いくつもの伝説を残
していったJプロの名物アシスタントの筆頭でした。
 
今現在は、フリーのアニメーター( 原画制作者 )として活躍されています。
 
仲田さんがJプロに入った1969年・・・・・・・・・・私がまだ14歳の中学3年生だった頃、悪友から
「 セックス 」やら「 オナニー 」やらを教わって、驚いたりショックを受けたりしていた同じ頃・・・
・・・・・仲田さんは自分の漫画道を直進していたわけです。

Jプロに入る頃の仲田さんの漫画道・・・・・・・・・それを書く前に・・・・・・仲田さんから聞い
た子供の頃の話を書いておかなくてはなりません・・・・・・・・・・
 
 
1959年( 昭和34年 )、まだ白黒テレビが買えるのはお金持ちだけだった時代・・・・・・・・・
 
9歳の仲田さんは、友達と地元( 横浜の鶴見 )の小さな公園で遊んでいました。
 
誰が言い出したのか・・・・・・・・
 
 「 ブランコでどこまで飛べるか競争しよう! 」

男の子たちが何人も、一生懸命ブランコをこいで前方へ飛び出しますが・・・・・一人の女の子が飛
び出した距離に誰も敵わなかったのです。

 「 チェッ、女の子なんかに負けてやがる! 」

舌打ちしながら、カッコ良い所を見せようとブランコを思いっきりこぎ出したのが仲田少年でした・
・・・・・・・・・

 「 馬鹿だよなァ・・・・・・・・ホントに馬鹿だよなァ・・・・・・・! 」

苦々しい思いで少年時代を振り返る仲田さん・・・・・・・・。

ブランコを思いっきりこいで、最も高くまで飛んだまでは良かったのですが、飛躍し過ぎて空中でバ
ランスを崩し・・・・・・・・・・
 
 「 ああッ!! 」
 
観ていた子供たちが声を上げた時には、仲田さんは右腕を下にして上半身から地面に激突していたの
です。
 
全体重が腕にかかり、肘を骨折して神経を断裂してしまいます。
 
近所の町医者から大きな病院へ移送されますが、切れた神経を元に戻す事は出来ません。
 
利き腕だった右腕の自由は永久に失われました。
 
手の神経には、開く神経と閉じる神経があるそうですが・・・・・・・・仲田さんは、開く神経を失
ったために、握った手を開く事が出来なくなってしまったのです。
 
9歳で右腕が使えなくなった仲田さんに、医師はこう告げました・・・・・・・・・・
 
 「 左手の神経を移植すれば、右腕の機能を少しだけど回復できるけど・・・・・・・その
   左手の機能が落ちてしまう・・・・・・・・・どうするね、手術するかね? 」
 
右手を失うか、両腕の機能を中途半端に失うか・・・・そのどちらかを選択する様に、9歳の少年に
求めたのです・・・・・・・・・・・・・・・
  
  
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その39 」( 12月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 今度は介護休暇」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
  在籍。しかし今年2014年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
 ・加川さん・・・・・・・・・・・(仮名)中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
  1969年19歳で、J先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
 ・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。 
  現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
 
 
 
 

 
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   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
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          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
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漫画家アシスタント 古い話で章 引っ越し休暇

2014年11月09日 00時14分46秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、本棚4台分の書籍、DVD、CDを荷造りした写真です。 毎日、少しづつでも荷造りしていますが・・
  ・・・・・・・・・腰を痛めているので休み休み作業をしております・・・・・・《 2014年、11月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
  
                    引っ越し休暇
 
 
首の骨・・・・・・・・第5頸椎にヘルニアができて、毎日の痛みから1時間と眠れない日々を過ご
していましたが・・・・・・・・

「 リリカカプセル 」とかいう薬を飲んで3ヶ月、すっかり痛みから解放されました。

ただ、この薬にはいくつか副作用があり、私の場合「 膨満感 」といってお腹がやたらと膨れる不快
な副作用がありました。

でも、今ではその薬からも解放され、痛みのない日々に・・・・・・・・と思ったら、腰を痛めてし
まい脂汗を流しながら引っ越しの準備をしています。( 軽い荷物でも泣きそうになっております )

同じマンションの4階に引っ越します。

今度は、老母も一緒に暮らす事になりますので、偏屈な私と外人妻と3人で奇妙な会話が楽しめそう
です。

来年で丁度60歳、膝痛、腰痛、頸椎ヘルニア、おまけに腎臓病に蓄膿症と極度の老眼!( 早漏もある )
 
これが老漫画家アシスタントのボロボロの日々です・・・・・
 
 
 
   「 漫画家アシスタント 古い話で章 今度は介護休暇 」( 11月20日以降公開 ) へつづく・・・・


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漫画家アシスタント 古い話で章 その31

2014年09月04日 08時26分17秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、仕事場ちかくの目白通りですが・・・・・・・・・・真夏のカンカン照りの時に撮影した写真です。今は
  もう9月で涼しくなりましたが、この写真を撮影した時は猛暑日で頭がクラクラしていました。ちなみに、写真に写って
  いる人物の中に、うちのスタッフが一人混じっていますが内緒です・・・・・・《 2014年、8月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その31


   《 漫画家アシスタントが・・・・・白髪になっても語り合う・・・・・!? 》


描いた漫画が「 つまらない 」とか「 面白くない 」、「 ダメだね~ 」などと何本も没になると・・
・・・・・・・・普通なら数本で諦めてしまうケースが多いものです。
 
「 ここを直せば良くなるよ 」とか「 これを変えれば面白くなるぜ 」といった先に希望の見える様
な言い方もあるかと思いますが・・・・・・・・・・

当時( 1970年に20歳だった )加川さん( ※参照 )が受けた批評は、ただ赤い『 × 』が各ページにビッ
シリと書き込まれているだけでした。

この繰り返しを毎週々々、続けて一ヶ月、二ヶ月・・・・・半年・・・・・一年・・・・・・・

・・・・・・・・・・よく続いたものだと思います。

私なら、3~4本でダウンしたろうと思います。

これほどの集中と持続力、その結果は「 完全勝利 」とはいかぬまでも、技術的な成長や実力をア
ップさせたものと思われ・・・・・・・・・・

北千住の喫茶店で加川さんに話を聞きながら・・・・・・・私は、ドラマチックな「 覚醒 」を期
待して質問したわけです・・・・・・・・・・・・

 「 それでも・・・・・・だんだん回を重ねていくと、赤ペンの『 × 』も減っていった
   んじゃないですか? 」

 「 そうねぇ・・・・・・良い時もあったかも知れないけど・・・・・・・結局、10コ
   マのうち9コマはダメだったねェ・・・・・・・・ 」
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しばらく・・・・・・沈黙。( 2014年、6月・・
・・・・賑わう喫茶店の中で、私と加川さんは黙ってコーヒーをすすります )
 
 
こうして、Jプロ( ※参照 )での一年が経過するのですが・・・・・・・・それでも加川さんの創作
意欲は衰えませんでした。
 
毎回、同じ様に赤い『 × 』だらけ・・・・・・・・それでも諦めない加川さん・・・・・・・・・

ところが・・・・・・・・・・・・・

さすがのJ先生( ※参照 )も我慢の限界が来たのか・・・・・ついに切れてしまい・・・・・・・

 「 お前ィ~は、描き過ぎなんだよ! 」

 「 はぁ・・・・・・・・・・? 」

 「 もう、描くんじゃね~~よ! 右手に包帯巻いとけッ! 」

そう言われて、加川さんは、本当に右手に包帯を巻いたそうです。

こうして、加川さんの漫画制作は中断します・・・・・・


懐かしそうに・・・・・・加川さんは当時を振り返って・・・・・・・・・・

 「 つまらない漫画ばかり描いて、自分を追い込んでいたんだ・・・・・ 」

そう語りながら、苦笑いするのです・・・・・・・。


先輩の加川さんも私も、頭にはかなり白いものが混じり、すっかり年をとりました・・・・・・

それでも・・・・・・・・・・・・

喫茶店で話す姿は・・・・・・・年金や病気の話でもしている初老に見えるかも知れませんが・
・・・・・・実は「夢」の話をしているわけです・・・・・・・・。

加川さんは、ちょっと笑みを浮かべながら・・・・・・・・

 「 それからさァ・・・・・・・先生はよく『勉強しろ』って言うけどさ・・・・・・ 」

 「 はい。よく言いますね 」

 「 でも、若い頃なんか、その『 勉強 』の仕方も分かんないわけじゃない 」(笑)

 「 確かに、『 勉強 』って具体的に何をど~勉強するのか・・・・・何かを暗記
   するとか? 」(笑)


「 漫画の勉強 」とは何でしょうか?

そもそも、漫画なんて「遊び」だったはずなのに、いつから「 勉強 」になったのやら・・・・

「 勉強 」というと、普通は単語を覚えたり、参考書を読んだり、問題集を解いたりする事です
が・・・・・・・・・

「 漫画の勉強 」とは何でしょうか・・・・・・・?

一言では語れないほど難しい・・・・・・・・・・・・

私は、今、大学で「 漫画背景 」を教えていますが、背景画なら教えられても、「 漫画の勉強 」
を学生に教えられるのかどうか・・・・・・・疑問です。
 
でも・・・・・・・・
 
今更、「 漫画の勉強って何をするんですか? 」なんてJ先生には訊けませんのです・・・・・
・・・・・・。
 
 
 
     「 漫画家アシスタント 古い話で章 その32 」( 9月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その30」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・加川さん・・・・・・・・・・・(仮名)中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
  1969年19歳で、J先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
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漫画家アシスタント 古い話で章 その30

2014年08月27日 02時41分21秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、仕事場の入っているマンションから撮影した目白通りです。 中央遠くが池袋、右側にある銀杏並木の
  道路を進むと目白駅になります・・・・・久しぶりの青空でした・・・・・・《 2014年、8月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その30


    《 漫画家アシスタントが・・・・・全力で空回りする・・・・・!? 》


 「 絵なんて描いていりゃ~上手くなるもんだよ 」
 
・・・・・・とか
 
 「 漫画は、描き続ける事でどんどん良くなるのだ 」
 
・・・・・・とか、言われますが・・・・・・・・・
 
同じ様な( レベルの )絵を何枚描いても、また、同じ様につまらない漫画を何本描いても、まったく
上達はしないものです。

どこに問題があり、どう解決するのか・・・・・・・論理的に解くだけの脳力( 能ではなく脳! )か、
直感力( 才能 )が必要とされるわけです。
 
何本描いてもダメな時に先生に言われるのが・・・・・・・
 
 「 頭を使え! 」
 
頭を使って描いてみても・・・・・・・
 
 「 発想が弱い・・・・・奇抜なアイデアが必要なんだから、もっと勉強しろ! 」
 
 『 勉強しろ・・・・・って今更かよ? 』( 疑い出す )
 
このあたりまで来るとほとんどの人間は、ヘトヘトに疲れてしまい創作どころではなくなります。
 
同じところをグルグルと回り続けている様な空しさに襲われるのです。
 
もっとも、弟子がそうなる事が分かっているのに、批評し続ける先生も複雑な心境かも知れません
・・・・・・・


さて、私の先輩アシスタントである加川さん( ※参照 )が、その創作意欲に火をつけて毎週の様に作
品( 絵コンテ )を持って先生を訪ねます・・・・・・・

自分に向かって『 毎週一本描いてやる! 』という決意を胸に、猪突猛進・・・・・・・

この状態が1970年、加川さんが20歳の頃、ほぼ一年間続きます・・・・・・

毎週、一本描いた絵コンテやネーム( セリフだけのシナリオ )をJ先生( ※参照 )の応接用のデスクの
上に置いておくのです。

すると、次の日には、その絵コンテやネームの用紙に赤ペンで「 × 」が記されて置いてあります。

それを見ると・・・・・・・

ほとんどのセリフやコマに「 × 」が記されているわけです・・・・・・・

ただ、ほんの一カ所か二カ所・・・・・・・「 無印 」になっているコマがあるのですが・・・・・

その意味は・・・・・・・

 『 お前の原稿で使えるのはココだけだ! 』
 
・・・・・・・という意味なのです。
 
J先生の教え方がまるで禅問答の様に難解なのですが・・・・・・・・全てのアシスタントが、この
洗礼を受けます。

何本も何本も、同じ様に赤ペンで「 × 」が付けられるだけの指導( ? )について、私は、当時を懐か
しそうに話してくれる加川さんに質問してみました。

 「 ( 先生は )ここはダメだけど、こ~すれば良くなるよ・・・・・とかいった言い方は
   なかったんですか? 」
 
 「 なかったね 」
 
 「 ここは、こ~すれば面白くなる・・・・・とかも? 」

 「 そんな言い方、一切ない! 」

 「 『 × 』とかダメ出しするだけですか? 」

 「 そう・・・・・・・・とにかく・・・・・・・・『 こっちのコマ全部、無駄、いら
   ねィ 』って言うだけ 」

 「 でも、それで分かるんですか? 」

 「 分かんね・・・・・・・全然、分かんねえ! 」

 「 そ・・・・・それで・・・・・・・・ど~するんですか? 」

 「 また、描いて持って行く・・・・・・ 」

 「 ダメな部分をどう修正したら良いか分かって・・・・・・・? 」

 「 それも、分かんね 」
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その31 」( 9月1日以降公開 ) へつづく・・・・


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  【 ※参照 】
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漫画家アシスタント 古い話で章 お盆休み

2014年08月14日 21時22分49秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、日暮れ時にJR駅武蔵浦和を撮影したものです・・・・・・・・ちょっと小雨が降りました・・・・・・。
  この駅から歩いて5分ほどのところに私が暮らすマンションがあるのです・・・・・・《 2014年、8月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    お盆休み


まだ、背中の痛みに耐えつつ・・・・・・・キーボードを打っております。

軽い頸椎ヘルニア( 第5,6頸椎 )のため、肩、背中の痛みと腕のシビレがあるのですが・・・・・( 骨
はすっかり老人です! )

痛み止めの薬を何種類か試しているところです・・・・・・・・・・

強い薬( リリカカプセル75mg )を使えば痛みが取れるのですが・・・・・長期間使用するのは、良く
ないのですぐに弱い薬に代えるわけですが・・・・・・・・・・

どうも、痛みからは逃れられません・・・・・・・・・・

マッサージ、針、電気、祈祷、お札、念力・・・・・どれも、即解決とはいかないみたいです。

・・・・・・・・・・という訳で。

今回は、お盆ということもあり・・・・・・お休みをいただきたいと思います。

次回は、10日後ですが・・・・・・・・・・

また、拙ブログへお寄りいただけたら・・・・・・嬉しい限りなのですが・・・・・・・・・・

どうか、よろしくお願いいたします。
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その30 」( 8月20日以降公開 ) へつづく・・・・


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漫画家アシスタント 古い話で章 その24

2014年06月04日 15時19分01秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、1969年頃、Jプロのスタッフが仕事場兼用で寝泊まりしたアパートがあった場所を撮影したもの
  です。地蔵菩薩と、中央左にある板塀の奇妙な樹木などは、昔からあるのですが・・・・問題のアパートは、す
  でに建て替えられて、現在は画面中央ピンク色の建物になっています・・・・・・《 2014年、5月、撮影 》 )


  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                   その24


      《 漫画家アシスタントが・・・・気持ちを込める・・・・!? 》


加川さん( ※参照 )の怒鳴り声に仕事場の雰囲気は一変しました。

仕事の初日からケンカです・・・・・・・・・小さな3畳間の仕事場は凍りつきます・・・・・・・

もっとも、男ばかりが狭い部屋で肩を並べて仕事をしていれば、仲良し子良しとばかりとはいきま
せん。( ただ、この場合は、初日です )

茫然とする仲田さん( ※参照 )、そして、幼い表情を強張らせて泣き出しそうなK君( ※参照 )・・・
・・・・・・

すっかりしおれたキャベツの様になった仲田さんに、

 「 てめェ、キンタマついてのかよッ! 」

・・・・・・と、最後の一撃を加えると・・・・・・・・・・しばらく沈黙がつづきましたが・・
・・・・・・・・

突然・・・・・・

 フェッフェッフェッフェ・・・・・・・・・!

例の・・・・・・低い独特の・・・・・・あの人の・・・・・・笑い声が響いてい来ます・・・・
・・・・・

フスマ一枚隣の部屋にいるJ先生( ※参照 )の笑い声です・・・・・・・・・・

ビックリしたのは先生も同じだったと思いますが・・・・・・・・なんだか楽しんででもいる様に
・・・・・・・・・

フェッフェッフェッ・・・・・・・という癖のある笑い声を出しながら・・・・・・・

 「 じゃ、今日は・・・・・・もう終わりにして帰ィ~れ 」

3人は、それぞれに帰り支度を始めます・・・・・・・

帰り道、加川さんは、まだ幼い表情のK君と肩を並べて歩いていました。

加川さんがKさんに気を使ってやさしい言葉でもかけながら歩いていたのだと思います。

しかし、その時、背後からバタバタと足音が聞こえるので、二人が振り返ると・・・・・・・

仲田さんが二人の後を追って走って来るのです・・・・・・・

加川さんは、とっさに『 文句でも言いに来やがったな 』と、緊張した瞬間・・・・・・

息を切らせて仲田さんが、加川さんに向かって手を差し出します・・・・・・その手には・・・・

タバコのショートピース( 10本入りの小さなタバコ )が一箱、しっかりと握られていました。

 「 加川さん・・・・・これ・・・・・ 」

そう言って、仲田さんは、加川さんの手にタバコを渡すと、そのまま、恥ずかしそうに走り去って
行ってしまったのです。
 
二人は、ただ茫然と走り去る仲田さんを見送るのですが・・・・・・・不思議なのがタバコです。
 
 『 何だァ・・・・・このタバコ? 』
 
そう・・・・・・疑問に思ったのですが・・・・・・・

加川さんは、仲田さんのやさしい気持ちが分かった様な気がしました・・・・・・・。

もし、私だったら、『 あいつとは、明日から絶対に口もきかねェぜ! 』とか思って不快な一日を
過ごすかと思うのですが・・・・・・・

加川さんは、一つのタバコから、手のひらに仲田さんの気持ちが伝わって来るのを感じたのでした。

 『 仲田君って、結構いい奴かも・・・・ 』

次の日からは、3人が仲の良い同僚として仕事を始めることになります。

19歳で一番年上の加川さんが兄貴分として、この3人がまとまります・・・・・・・

そして・・・・・・

青年から中年になり、漫画の仕事から離れて、それぞれの家庭を持ち、それぞれの仕事をしていて
も、例えバラバラではあっても、3人の心は、いつもJ先生の漫画原稿の上で結ばれていました。

白髪頭になり、顔のシワもすっかり老人の様に深く刻まれ、体も弱り・・・・・・・一番年下だっ
たKさんが病没してからも、この3人は、いつもお互いのことを想って・・・・・・・・・・・
 
 
 「 それは・・・ちょっ・・・ 」
 
 「 ちょっと、違うな・・・・・・ 」
 
 「 ・・・・・・・・・・・・・・・・?! 」

 「 そんな事、言ってないと思うよ・・・・・ 」

先日、所沢でお会いした仲田さんは、62歳でも若い頃と同じようにスリムで姿勢の良い180㎝の長
身・・・・・・

そんな彼を見上げる私は目をショボショボさせる・・・・・・・

小さな私を見下ろしながら、仲田さんはクールに・・・・・・

 「 まるで・・・・・・俺が悪い奴みたいじゃないか・・・・・・ 」
 
 
 
       「 漫画家アシスタント 古い話で章 その25 」( 6月10日以降公開 ) へつづく・・・・


             ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その23」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
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  1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
 ・仲田さん・・・・・・・・・1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、職を変えながらJプロへ入る。
 ・K君・・・・・・・・・・・・・・1969年当時、16歳、神戸出身、中学を出て東京で就職後、Jプロへ
  入る。
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
  連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
 
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その22

2014年05月12日 08時54分23秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、40年以上前にJ先生の仕事場があったマンションの内部です。階段も廊下も狭く、おまけにほとんど
  日も差さないので薄暗く、ちょっと気味が悪いのですが、当時としては、「近代的」で「モダン」なマンションだ
  ったのです。 ちなみに、写真中央のドアが先生の部屋『301』でした・・・・・・《 2014年、5月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                    その22


      《 漫画家アシスタントが・・・・電話を待ち続ける・・・・!? 》


 「 ここに名前を書け・・・・・ 」

J先生( ※参照 )は、そう言ってアシスタント希望者リストの下を示しました。

沢山の名前と住所が並んだ、その一番下に自分の名前と住所を記入しながら、加川さん( ※参照 )は
思います・・・・・・・

 『 こんなに沢山の希望者がいるなんて・・・・・こりゃダメかもしれない・・・・・・! 』

先生の奥さんが笑顔で運んでくれた二杯目のコーラを緊張感と共に飲み干します。

 「 困ったよなァ・・・・・アシスタントに成りたいって奴が沢山いてよォ・・・・・・ 」

 「 ・・・・・・・・・・・・・ 」( 汗 )

 「 ま・・・・・2,3日したら、連絡すっからよ、もし、無ければ諦てくれィ 」

前に勤めていた○森プロ( ※参照 )の経験からして、簡単にアシスタントに成れると考えていた加川
さんにとって、J先生は不可解な人物でした。

どうなるのか、さっぱり見当もつかないまま先生のマンションを後にします。

毎日、毎日、先生からの電話を待つ日々・・・・・・・・( 今度は、母親に見られない様にハガキ
ではなく電話で連絡を待っている )

2,3日で来るかと思っていたのに、一週間経っても電話がありません・・・・・・・・

 『 こりゃ・・・・・・・やっぱり、ダメだったかな・・・・・・・・ 』

そう諦めようかとも思ったのですが・・・・・・・・・どうしても、諦めきれずにこちらから電話
をしてみる事にしました。

 「 もしもし・・・・・・・加川ですが・・・・・・・・・ 」

J先生は、例の低い声で・・・・・・・・( 静かなのですが、迫力があります )

 「 う・・・・・・・・おめィ~か 」

不安と緊張で受話器を持つ手はビチョビチョです・・・・・・・・・・

 「 ・・・・・・仕事の・・・・・・事なんですが・・・・・・・ 」

 「 待ってたぜ 」

 「 ・・・・・・・・・! 」

 「 明日からな 」

 「 は・・・・・はいッ! 」


J先生は、他の先生とちょっと違っていて技術的な事でアシスタントの採用不採用を決めるのでは
なく、その本人の切迫感によって決める事が多いのです。

どれほど高い技術を持っていても、「 なんとなく 」とか「 アルバイト感覚で 」とかいった動機の
「 薄い 」人を雇う事はありませんでした。

 「 あの時、電話をしなかったら・・・・・・ 」

加川さんは、当時を振り返りながら・・・・・・あたかも通って来た崖っぷちを振り返る様に話し
ます。

 「 それで、終わっていただろう・・・・・・ 」
 
 
19歳の加川さんの新しいアシスタント生活が始まります。
 
9年後に連載漫画を得て独立するまで、J先生のアシスタントを勤めることになるのです・・・・。


ちなみに、先ほどの「アシスタント希望者リスト」ですが、あれはやっぱりJ先生の「 見栄 」( 創
作物 )だった様です・・・・・・・・・ホントに、何を考えているんだか分からない先生なのです。
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その23 」( 5月20日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その21」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には
  週刊連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
 ・加川さん・・・・・・・・・・・中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
  1969年にJ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
 ・○森プロ・・・・・・・・・・漫画界の大御所と言われた○ノ森章太郎先生の仕事場。1968年当時は
  「幻魔大戦」などを制作していた。
 
 
 
 

 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その19

2014年04月14日 16時48分06秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、東京目白の住宅街を撮影したものです。俗に高級住宅街というやつですが、人の気配というものがあ
  まりありません。ちなみに、師匠のJ先生の家は、この場所からさほど遠くない所にありますのです・・・・・・
  《 2014年、4月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その19


      《 漫画家アシスタントが・・・・母親について想う・・・・!? 》


 「 覚えてるよ、加川君( ※参照 )だろう! 」
 
 「 先生、お久しぶりです! 」
 
1968年から69年にかけて、当時の○ン月影先生がアクション劇画を描いていた事は前回もお話しま
したが、その仕事場へ行った時に、○ン先生は加川さんを覚えてくれていました。

実は、加川さんは3年ほど前の中学生の時にファンとして○ン先生を訪ねていたのです。

中学生だった当時の加川さんが少し大人になった姿を嬉しそうに眺めながら、静かに話を聞いてく
れました・・・・・

 「 近いうちに俺のアシスタントになるか・・・・ 」

仕事のない加川さんに、そう言ってくれたのです。

そして、別れ際に・・・・・

 「 その時には、こちらから連絡するからな 」

確かに、そう言ってくれたのです・・・・・・・・

その言葉に期待して、加川さんは毎日、○ン先生からの連絡( 手紙 )を待つことになります・・・・

しかし、いつまで待っても・・・・・その手紙が来る気配もありません・・・・・・・・

何で連絡がないのか・・・・・・・・・・毎日、悶々として過ごすのですが・・・・・・・・・・
連絡してくれない理由が思い当たりません・・・・・・・・・・

しばらく経ったある日、加川さんは母親に・・・・・・・

 「 ○ン月影って人から手紙か何か届かなかったかなぁ・・・・・? 」

・・・・・と、問いただすと・・・・・・・

 「 ああ、来てたけどね 」

 「 えッ!? 」

 「 破いちまったよ! 」

母親のキッパリとした返事に茫然とする加川さんですが、同時にムラムラと怒りが込み上げて来ま
す・・・・・・・・

 『 俺の人生をメチャメチャにするつもりなのかよ! 』

怒りと憎しみを爆発させ、怒鳴りあいの親子喧嘩が始まります・・・・・・・・

当時を振り返る加川さんは、真剣な表情で話してくれますが・・・・・ふと、表情を和らげると・・
・・・・

 「 あん時は、腹が立ったけど・・・・・・その結果としてJ先生との出会いがあった
   んだから、恵まれてたと思うよ・・・・・本当に 」

確かに、この事があって後に加川さんは、J先生の仕事場を訪ねる事になるわけです・・・・・・・

当時、水商売をしていた加川さんの母親は、自分の息子だけには堅気の仕事をしてもらいたいと、
漫画を描くこと自体に反対していたのです。

あの時代、漫画なんてバカの読むもの、漫画家なんて職業を誰も「 仕事 」とは認めていませんでし
た。

ただの「 道楽者 」とか「 遊び人 」としか見てはいませんでした・・・・・・・・そんな時代でし
たから、母親がわが子の将来を思って○ン先生の手紙を破いた事も無理のない・・・・・・・時代
だったのかも知れません。

私も子供の頃に、母親に怒られる時に、「 マンガなんか読んでるからバカになるんだ! 」と怒ら
れ、「 マンガ本なんか全部捨てちゃいなさい! 」と脅された事が何度もありました・・・・・・

ところで、加川さんの母親ですが、私は2,3度会った事があります。

確かに漫画や、漫画を描いている人間を嫌っている雰囲気があって、ちょっと怖い様な雰囲気が少々
・・・・・・・・

加川さんの母親について、後日談があるのですが・・・・・・・・・・それは、次回に!
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その20 」( 4月20日以降公開 ) へつづく・・・・
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
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