漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 第4章 その30

2006年12月28日 03時44分13秒 | 漫画
( この写真は、東京の西武池袋線練馬駅である。23年前とはすっかり変わりました・・・・。今、
 埼玉県に暮らすマツさんもここを訪れる事は、もうないでしょう・・・・・・。《 2006年12月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
 
               その30
 
 
1983年( 昭和58年 )から85年( 昭和60年 )までのJプロの仕事は比較的
ヒマだったのです・・・・・。
 
週刊誌が一本か二本、隔週誌が一本に月刊誌が二本ほど・・・・ 一本の作
品を一日で仕上げてしまうので、一ヶ月に10本( 200~240p )ほどの作品
でも実質10日間の作業で済んでいたのです・・・・。
 
つまり、一月のうち20日間はお休みだったわけです・・・! それで給料は
12~3万円ほど・・・・ アパートの家賃が3,4万円なら、食うにも困らず自
由な時間も十分すぎるほどにあったわけです・・・・・。
 
ところが、Jプロのスタッフはいったいどれほど自分の漫画を描いていたの
か・・・・・。 実は・・・まったく描いていなかったのです・・・・・・!
 
私は当時、漫画作品を描くよりも、本の乱読と映画館通い、そしてクロッキ
ーの練習に集中していました・・・・ その意味では、この時期は毎日同じ
様な事の繰り返しでした・・・・・。
 
他のスタッフも、衣食住にも困らず時間もたっぷりある事から、飲む打つ買
う・・・・ちょっと勉強・・・・。 のような毎日だったのです・・・・。
 
Jプロでは、アシスタントの入れ替わりもほとんど無く、大きな出来事や変化
もありませんでした・・・・・。 
 
この頃の事を書こうとしても、これといった事柄( 事件やイベント )が出て
きません・・・・・つまりそれは・・・・・非常に薄味でたるんだ青年期を送
っていたからなのだと思います・・・・・。
 
私の「 乱読と映画館通い 」ですが、一見漫画とは関係ない無駄な遊びの様に
思われるかもしれませんが、これも突き詰めると結構大きな意味を持ってきま
す・・・・。 数年後にその結果が現れるのです・・・・。
 
一日で朝から2番館3番館のはしご・・・そして、深夜のオールナイトまで10本
の映画を見たり・・・。 一本のロードショー映画を朝一回目から夜のラスト
まで、毎日3,4日つづけて見に行ったり・・・・・・・。
 
アパートで何をしていたかという事や、友人と何処で何をしたかという事より、
映画館へ行った思い出の方が印象に残っています・・・・。
 
蓄積されたエネルギーがいずれ・・・ある瞬間に・・・爆発する・・・・・・・ 
・・そんな事もある様です・・・・・。 

私が1986年にデビュー作品を制作する2年ほど前・・・・ 私の漫画創作欲に火
を付ける契機になったのは、Jプロを漫画家として独立し、連載打ち切りから
失業・・・そして「 山谷の立ちんぼ 」まで経験したガンさん( 仮名:羽賀 司郎、
東京出身。84年当時、34歳 )の復帰でした・・・・・。
 
 
1980年から連載されたJ先生の「 ○ンクのカーテン 」がヒットし、連載が長期
化。1983年には「 Part2 」まで連載が進んでいました。
 
実は・・・ この作品のヒットがガンさんをどん底から這い上がらせる大きな契
機になったのです・・・・・・・・・・・
 
つまり・・・・ 「 ○ンクのカーテン 」がヒットした事で、ガンさんがどん底か
ら漫画家としてカムバックし、その事が私のデビューに大きな影響を与えたので
す。
 
次回より、この辺のいきさつを・・・・・・・・・・
 


  血の教訓

   『 天才ではない者( 私も貴方も )が作家になるためには多量の
 
     蓄積が必要だが、その蓄積物をつねに整理( 何を見たか、何
 
     を読んだか確認 )していないと湿気てしまい( 見っぱなし、読
 
     みっぱなしでは )燃焼力を失うだろう。 もし、十分な燃焼物を
 
     蓄積していればチャンス( 種火 )は必ずやって来る! 』
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その31 」 へつづく・・・



 ★前の記事へ戻る→ 「漫画家アシスタント第4章 その29」へ戻る 】

 
 
 
       * 参考 *   
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  .............. 私(yes)のアシスタント履歴
  
  1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
           4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
     
  1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
           ったのですが、背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)

  1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
           事欠きません。たった1週間しか勤まりませんでした。(21歳)

  1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
           ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
           主演でTVドラマ化されていました。(23歳) 

  2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、タイ・チェンマイにて隠居中。(62歳)

                    
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~          
 
    


 
【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画家アシスタント 第4章 その29

2006年12月21日 20時42分29秒 | 漫画家
( この写真は、東京の西武池袋線「練馬駅」前である。中央の「○ボン」という喫茶店に入っ
  ている数分間にマツさんの人生は変わってしまう・・・・・《 2006年12月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
 

               その29
 
 
漫画家になる事を確信していたマツさん( 仮名:松村 祐樹、広島出身、29
歳 )にとっての最大の武器は、マツさんがもっているネタ帳だったのではな
いかと思います。
 
高校生の時に「 ワシャ~漫画家に成るんじャ~ッ! 」と言って広島から東
京まで家出して来た16歳の頃から13年間書きためてきたアイデアとシナリ
オの「 大資本 」・・・・・・。
 
角のすり切れたノート3冊にビッシリと漫画の素材が書き込まれていたので
す・・・・・・・。まさに作家の命に等しいそれを本皮の茶色いバッグに入
れて、片時も手放す事はありませんでした・・・・・・・。
 
 
1983年( 昭和58年 )の某日・・・・。 マツさんはいつものようにネーム
でも作ろうと練馬駅前の喫茶店「 ○ボン 」へ行きました・・・・
 
店に入り、席についてタバコを吸おうとした時に、うっかりバッグを自転車
の前カゴに置き忘れた事に気付きます。
 
すぐに外へ出て自分の自転車の所へ・・・・・・・
 
あるはずのバッグがない・・・・・!
 
ほんの数分の間に自転車の前カゴから、命にも等しいネタ帳が入ったバッグ
が盗まれてしまったのです・・・・・・・
 
頭の中が真っ白になっていくマツさんの目に、何も無い自転車の前カゴがど
の様に見えたのか・・・・・ 本人にしか分かりません・・・・・・。
 
当時を振り返ってマツさんは・・・・・
 
 「 金は入っとらんかったんよォ・・・・ でも、いっそ金が盗られた方
   が良かったのォ・・・・・・ 」
 
そして・・・・
 
 「 怒りゆ~モンは無かったのォ・・・・ それより、やたら哀しかった
   のォ・・・・・・ 」
 
タバコの煙をゆっくりと吐きながらマツさんは語ってくれました・・・・。
 
高校時代からの13年間のアイデアや作品のシナリオの全てを失った瞬間でし
た・・・・・。
 
勿論、すぐに警察に届けを出しますが・・・・ バッグは戻って来ませんで
した・・・・。
 
この「 ○ボン 」での数分間でマツさんの人生は変わってしまいました・・・・。
マツさんの「 哀しさ 」は、消えていく自分の「 まんが道 」への「 哀しさ 」
だったのではないでしょうか・・・・・・
 
今まで知られる事が無かったマツさんの「 まんが道 」の挫折を・・・ 回想
してくれたマツさん自身が、最後に苦笑いしながら・・・・・・
 
 「 奴( バッグを盗んだ人 )はワシのネームを読んだろォかのォ・・・?
   笑いよったろうかのォ・・・・・? 」
 
マツさんの絶望を20年という歳月が軽い冗談に変えてしまった様です・・・・・。
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その30 」 へつづく・・・



 ★前の記事へ戻る→ 「漫画家アシスタント第4章 その28」へ戻る 】

 
    

 
【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」

コメント (47)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画家アシスタント 第4章 その28

2006年12月14日 17時53分33秒 | 漫画
( この写真は、東京目白にある某マンションのJ・Aプロ、マツさんのデスクである・・・・。30年間の
  氏のダンディズムが染み込んでいます。《 2006年12月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
                その28
 
 
漫画と言えば「 がきデカ 」「 Dr.スランプ 」などが、1980年代のギャグ
漫画界を賑わせていました・・・・・。 そして、漫画界全体を見れば・・
・・ルンルン気分と「 ラブコメ 」の全盛期へ・・・・・・・・
 
こうした状況で、マツさん( 仮名:松村 祐樹、広島出身、29歳 )の「ジョ
フレの魂」( ジョフレとは、ネレル・ジョフレという昔のボクサーの名前。
それを作品のテーマであるハングリー精神の象徴としている『 その27 』
参照 )は、まずJ先生の批評に耐えねばならなかったのです・・・・・・
 
結論から言えば、それはキビシイ結果でした・・・・ 「 ジョフレの魂 」
の感想を後にJ先生は一言でこう表しました・・・・・
 
 『 ギャグが古ィ~ 』
 
当時の新しいギャグに乗り切れずに、テーマや世界観を「 ギャグ 」にし
ぼりきる事ができなかった・・・・・ もっとパワーのある斬新なギャグ
を作らなければならない・・・・・
 
こうしてマツさんの前に新しい課題が提示されたのです・・・・・。
 
しかし・・・・・ ギャグ漫画の連作は、この第三作をもって終わります・・
・・。誰もがマツさんはきっとこれからどんどん作品を描いていくだろう・・
・・・そう考えていたのに・・・・・・!
 
 「 ワシャ~これから毎週一本、漫画を描くでェ~ッ! 」
 
と、宣言していたマツさんが・・・・・
 
あと一歩でデビューできると誰もがそう予想していたのに・・・・・・。
 
マツさんの熱気がだんだん冷めていく・・・・・・ それは、家庭の事情や
「ジョフレの魂」がボツになった事・・・・・ いくつかの事情が重なった
事が原因の様でした・・・・・・・
 
桜台の三畳一間のアトリエ( 隠れ家 )も6ヶ月ほどで撤退します・・・・・
 
 「 J先生の批評はともかく、取りあえず賞に応募すれば、何か取れる
   んじゃないですか・・・・・? 」
 
という質問には・・・・・
 
 「 この年( 29歳 )で『 佳作 』だの何だの取ってものォ・・・・・ 」
 
「 漫画なんていつでも描けるでェ! 」そして、すぐデビューできると高をく
くっていたマツさんが、この頃から一枚も原稿を描けなくなります・・・・・。
 
漫画を描く事もデビューする事も簡単だと過信していた事が危険な落とし穴
だったのかもしれません・・・・・・ しかし・・・・・・
 
実は・・・・・ 最大の原因が他に隠されていたのです・・・・・ 
 
誰一人として、予想も出来ない事がマツさんを襲います・・・・・・・・

 (注:読者のみなさんに気を持たせるつもりはありませんが、生命に関わ
   る様な大事ではありませんので、過度な期待をなさらないでください!)
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その29 」 へつづく・・・



 ★前の記事へ戻る→ 「漫画家アシスタント第4章 その27」へ戻る 】


 
    

 
【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画家アシスタント 第4章 その27

2006年12月07日 01時05分13秒 | アシスタント
 ( このキャラクターは、マツさんの作品『ジョフレの魂』に登場する貧しくハングリーな少年である。
  「もう、忘れてしモ~たのォ・・・」と言いながら、サラサラッと描いてくれました。《 2006年12月、
  作画 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
 
 
 
               その27
 
 
アシスタントのマツさん( 仮名:松村 祐樹、広島出身、29歳 )が結婚した
1983年1月。 その頃からマツさんの創作意欲に火が点いたのですが、そ
れまでの7年間、遊んでいたわけではありませんでした・・・・・・。
 
いつも作品のアイデアを練り、キャラクターを作り、せっせとメモを取っ
て、まとめていたのです。 マツさんが7年ぶりに漫画制作に入る時、自
分が一人になれるアトリエ( 三畳一間の木造アパート )を桜台に借りま
した。
 
私は、コタツだけしかない、めっぽう寒いそのアトリエに何度も出かけた
ものです。もちろん、私だけではなく他のスタッフやマツさんの友人が多
く訪ねて来ていた様です・・・。
 
誰もが創作意欲に燃えギラギラとオーラを発するマツさんのパワーにあや
かりたかったのかもしれません・・・・・・・。
 
私はマツさんと一晩中、漫画の話をしました。マツさんは無頼派で自分の
感性に最も重点をおいた考え方。私は技術やテーマにこだわる考え方。
 
お互いに全然違う感性を待っていた事で、時には激しい議論の火花を散ら
します。お互いに一歩も引かないぶつかり合いは、気がつけば夜が明けて
しまうまで続いたものでした・・・・・。
 
 
マツさんの週一本の漫画制作のペースが第三週目にしてくずれるのは、そ
の作品の長さに原因がありました。しかし、別に正規の「 締め切り 」が
あったわけでもありませんから、とにかく時間を気にせず34ページの作品
完成に向けて「 一筆入魂 」に励んだのです・・・・。
 
この作品「 ジョフレの魂 」を私は忘れる事ができません・・・・。 それ
は、物語のテーマが当時、私が描いた「 MASK BOY 」と同じ「 父と子 」
の断絶を描いた作品だったからです・・・・。
 
まったくの偶然だったのですが、不思議な縁を感じました・・・・・。
 
このマツさんのストーリー漫画( 本人はギャグ漫画のつもり )「 ジョフレ
の魂 」は、超大金持ちの少年と貧乏でハングリーな少年との話ですが、そ
の大金持ちの少年が大富豪の父親にスポイルされていくギャグ漫画らしくな
い深刻な結末の物語でした・・・・・・・・。
 
○林よしのりの「 おぼっちゃまくん 」が発表される以前に超大金持ちの少年
をギャグ漫画にしていたマツさんの鋭い感性に、現実の荒波は情け容赦なく・
・・・・・・・
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その28 」 へつづく・・・



 ★前の記事へ戻る→ 「漫画家アシスタント第4章 その26」へ戻る 】


 

    

 
【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする