( この写真は、東京の西武池袋線練馬駅である。23年前とはすっかり変わりました・・・・。今、
埼玉県に暮らすマツさんもここを訪れる事は、もうないでしょう・・・・・・。《 2006年12月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その30
1983年( 昭和58年 )から85年( 昭和60年 )までのJプロの仕事は比較的
ヒマだったのです・・・・・。
週刊誌が一本か二本、隔週誌が一本に月刊誌が二本ほど・・・・ 一本の作
品を一日で仕上げてしまうので、一ヶ月に10本( 200~240p )ほどの作品
でも実質10日間の作業で済んでいたのです・・・・。
つまり、一月のうち20日間はお休みだったわけです・・・! それで給料は
12~3万円ほど・・・・ アパートの家賃が3,4万円なら、食うにも困らず自
由な時間も十分すぎるほどにあったわけです・・・・・。
ところが、Jプロのスタッフはいったいどれほど自分の漫画を描いていたの
か・・・・・。 実は・・・まったく描いていなかったのです・・・・・・!
私は当時、漫画作品を描くよりも、本の乱読と映画館通い、そしてクロッキ
ーの練習に集中していました・・・・ その意味では、この時期は毎日同じ
様な事の繰り返しでした・・・・・。
他のスタッフも、衣食住にも困らず時間もたっぷりある事から、飲む打つ買
う・・・・ちょっと勉強・・・・。 のような毎日だったのです・・・・。
Jプロでは、アシスタントの入れ替わりもほとんど無く、大きな出来事や変化
もありませんでした・・・・・。
この頃の事を書こうとしても、これといった事柄( 事件やイベント )が出て
きません・・・・・つまりそれは・・・・・非常に薄味でたるんだ青年期を送
っていたからなのだと思います・・・・・。
私の「 乱読と映画館通い 」ですが、一見漫画とは関係ない無駄な遊びの様に
思われるかもしれませんが、これも突き詰めると結構大きな意味を持ってきま
す・・・・。 数年後にその結果が現れるのです・・・・。
一日で朝から2番館3番館のはしご・・・そして、深夜のオールナイトまで10本
の映画を見たり・・・。 一本のロードショー映画を朝一回目から夜のラスト
まで、毎日3,4日つづけて見に行ったり・・・・・・・。
アパートで何をしていたかという事や、友人と何処で何をしたかという事より、
映画館へ行った思い出の方が印象に残っています・・・・。
蓄積されたエネルギーがいずれ・・・ある瞬間に・・・爆発する・・・・・・・
・・そんな事もある様です・・・・・。
私が1986年にデビュー作品を制作する2年ほど前・・・・ 私の漫画創作欲に火
を付ける契機になったのは、Jプロを漫画家として独立し、連載打ち切りから
失業・・・そして「 山谷の立ちんぼ 」まで経験したガンさん( 仮名:羽賀 司郎、
東京出身。84年当時、34歳 )の復帰でした・・・・・。
1980年から連載されたJ先生の「 ○ンクのカーテン 」がヒットし、連載が長期
化。1983年には「 Part2 」まで連載が進んでいました。
実は・・・ この作品のヒットがガンさんをどん底から這い上がらせる大きな契
機になったのです・・・・・・・・・・・
つまり・・・・ 「 ○ンクのカーテン 」がヒットした事で、ガンさんがどん底か
ら漫画家としてカムバックし、その事が私のデビューに大きな影響を与えたので
す。
次回より、この辺のいきさつを・・・・・・・・・・
血の教訓
『 天才ではない者( 私も貴方も )が作家になるためには多量の
蓄積が必要だが、その蓄積物をつねに整理( 何を見たか、何
を読んだか確認 )していないと湿気てしまい( 見っぱなし、読
みっぱなしでは )燃焼力を失うだろう。 もし、十分な燃焼物を
蓄積していればチャンス( 種火 )は必ずやって来る! 』
「 漫画家アシスタント 第4章 その31 」 へつづく・・・
★前の記事へ戻る→ 「漫画家アシスタント第4章 その29」へ戻る 】
* 参考 *
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが、背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、タイ・チェンマイにて隠居中。(62歳)
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
埼玉県に暮らすマツさんもここを訪れる事は、もうないでしょう・・・・・・。《 2006年12月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その30
1983年( 昭和58年 )から85年( 昭和60年 )までのJプロの仕事は比較的
ヒマだったのです・・・・・。
週刊誌が一本か二本、隔週誌が一本に月刊誌が二本ほど・・・・ 一本の作
品を一日で仕上げてしまうので、一ヶ月に10本( 200~240p )ほどの作品
でも実質10日間の作業で済んでいたのです・・・・。
つまり、一月のうち20日間はお休みだったわけです・・・! それで給料は
12~3万円ほど・・・・ アパートの家賃が3,4万円なら、食うにも困らず自
由な時間も十分すぎるほどにあったわけです・・・・・。
ところが、Jプロのスタッフはいったいどれほど自分の漫画を描いていたの
か・・・・・。 実は・・・まったく描いていなかったのです・・・・・・!
私は当時、漫画作品を描くよりも、本の乱読と映画館通い、そしてクロッキ
ーの練習に集中していました・・・・ その意味では、この時期は毎日同じ
様な事の繰り返しでした・・・・・。
他のスタッフも、衣食住にも困らず時間もたっぷりある事から、飲む打つ買
う・・・・ちょっと勉強・・・・。 のような毎日だったのです・・・・。
Jプロでは、アシスタントの入れ替わりもほとんど無く、大きな出来事や変化
もありませんでした・・・・・。
この頃の事を書こうとしても、これといった事柄( 事件やイベント )が出て
きません・・・・・つまりそれは・・・・・非常に薄味でたるんだ青年期を送
っていたからなのだと思います・・・・・。
私の「 乱読と映画館通い 」ですが、一見漫画とは関係ない無駄な遊びの様に
思われるかもしれませんが、これも突き詰めると結構大きな意味を持ってきま
す・・・・。 数年後にその結果が現れるのです・・・・。
一日で朝から2番館3番館のはしご・・・そして、深夜のオールナイトまで10本
の映画を見たり・・・。 一本のロードショー映画を朝一回目から夜のラスト
まで、毎日3,4日つづけて見に行ったり・・・・・・・。
アパートで何をしていたかという事や、友人と何処で何をしたかという事より、
映画館へ行った思い出の方が印象に残っています・・・・。
蓄積されたエネルギーがいずれ・・・ある瞬間に・・・爆発する・・・・・・・
・・そんな事もある様です・・・・・。
私が1986年にデビュー作品を制作する2年ほど前・・・・ 私の漫画創作欲に火
を付ける契機になったのは、Jプロを漫画家として独立し、連載打ち切りから
失業・・・そして「 山谷の立ちんぼ 」まで経験したガンさん( 仮名:羽賀 司郎、
東京出身。84年当時、34歳 )の復帰でした・・・・・。
1980年から連載されたJ先生の「 ○ンクのカーテン 」がヒットし、連載が長期
化。1983年には「 Part2 」まで連載が進んでいました。
実は・・・ この作品のヒットがガンさんをどん底から這い上がらせる大きな契
機になったのです・・・・・・・・・・・
つまり・・・・ 「 ○ンクのカーテン 」がヒットした事で、ガンさんがどん底か
ら漫画家としてカムバックし、その事が私のデビューに大きな影響を与えたので
す。
次回より、この辺のいきさつを・・・・・・・・・・
血の教訓
『 天才ではない者( 私も貴方も )が作家になるためには多量の
蓄積が必要だが、その蓄積物をつねに整理( 何を見たか、何
を読んだか確認 )していないと湿気てしまい( 見っぱなし、読
みっぱなしでは )燃焼力を失うだろう。 もし、十分な燃焼物を
蓄積していればチャンス( 種火 )は必ずやって来る! 』
「 漫画家アシスタント 第4章 その31 」 へつづく・・・
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.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが、背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、タイ・チェンマイにて隠居中。(62歳)
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