漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その13

2022年02月14日 11時55分03秒 | 漫画家アシスタント
               

       ( この写真は、チェンマイの郊外にある保養地から、市街へ戻る時のハイウェイの夕日です。市街地が
        西側になるため、この様に夕日に向かって走る事になります・・・・・《 2021年、12月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、私が暮らすチェンマイの田舎の自宅近くで農園を営むオーナーさんに招かれてミカン農園を
        見学しました。1㎞四方ある様な大きなミカン畑です・・・・・《 2022年、1月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、上と同じミカン畑ですが、10人以上の人達に手伝ってもらってミカンの取り入れをします。
        右側にあるトラックに積んで集荷して、1t単位で仲買人に売ります。原価は1㎏で30円ほどですが、
        お店に並ぶと1㎏100円位になります・・・・・《 2022年、1月、撮影 》 )




               

       ( ↑写真、ミカンを露店で売っているところです。実は、私がミカン農園を見学した翌日、大きなヒョ
        ウが降って収穫期のミカンに大被害がでました。ほとんどのミカンが集荷前にヒョウで傷ついてしま
        ったのです。そのため、わずかな無傷のミカンを家族で小売しなくてはなりません。値段は1㎏で15
        バーツ・・・・日本円で45円、他のお店の半額ほどのたたき売りです・・・・・《 2022年、2月、撮影 》 )





        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

                    その13


全ての仕事( 漫画家アシスタント、非常勤講師などの仕事 )を辞めて気付いたことについて書いて
みたいと思います。

タイで隠居暮らしを始めてから5年目になるのですが・・・・・・・・

 「 退職してから早5年~♪ 今じゃ呑気な楽隠居ォ~♪ 」( クレイジーキャッツの『 五万節 』調 )

・・・・・・・ってな感じですが、このお気楽ぶりと、今回のブログのテーマには重要な関連があります・・・
・・・・・

私は、若い頃から漫画家アシスタントの仕事が好きだった事は一度もないし、仕事を楽しいと思った
事もありませんでした。

あくまで、目標は漫画家に成る事であり、アシスタントはそのためのステップでしかありませんでし
た。( 跳び箱を越せずに、踏切板の上に40年立ち尽くすのと同じ )

 『 早くアシスタントなんか辞めたい・・・・・早く漫画家に成りたい・・・・・・・ 』

毎日、毎月、毎年・・・・・・そう思って年数だけが過ぎていく・・・・・・・・

気持ちだけがあぶられる様に空回りする・・・・・それは、先へ進めぬ回転する車の中のハツカネズミの様
なもの・・・・・・・・・・

40歳過ぎになって中年太りしたアシスタントの先輩たちが薄暗い仕事場で机に向かいながら・・・・・・・

 「 仕事をしている時って充実するんだよなぁ・・・・・ 」

とか・・・・・・・

 「 そ~じゃの~、生きがい感じるの~ 」

・・・・・・・ってな会話には、とても付いては行けませんでした・・・・・・・。

朝起きてから寝るまで、土曜も日曜日もなく、ただ漫画家に成るために生きているだけ。

それを他人は「 夢のある仕事 」とか思うのかも知れませんが・・・・・・・なんだか味気ない殺伐とした日々
なのです。

食事をしていても、常に本を読んだりDVDで映画をみたり、電車に乗っても本を読み( 皆さんスマホ
を見ていますが、車内で文庫本を読んでいる変わり者は私位なもんです )、映画を観ても常に漫画の
勉強のためと気を張りつめているわけです。

数年に一度だけ旅行したタイでも、毎日旅行記を書いたり本を何冊も読んだり・・・・・・・漫画制作からは
距離があっても、片時も漫画が頭を離れる事がないわけです。

師匠だったジョージ秋山は、自宅にいる時、少しの間は秋山勇二本人に戻り、それ以外の時間はジョー
ジ秋山となって意識を集中( 感性の戦闘モード )させていました・・・・・・・しかし、私の場合はその集中
の深さが全然浅いので、一生うだつが上がらなかったわけです。

さて、初めてアシスタントをやった19歳の時から46年経って、現在は呑気な隠居ジジイになったわけ
ですが・・・・・・・仕事も勉強もクソくらえってな気分の道楽隠居です。

その事で一つ気が付いた事を書いておきたいと思います。

それは・・・・・・・・・「 味 」についてです。

退職して数ヵ月後にタイへ来たのですが、それからしばらく・・・・・・・そう、2年ほどして、タイ暮らしに
も少し慣れてきた頃だったと思います・・・・・・・・

ある時、青空の見えるダイニングで鳥の声を聴きながら・・・・・・何気に食事をしていると・・・・・・その味が
いつもと違うのです。

タイでは、よく家人が味噌汁や焼き魚などの日本食を作ってくれていたのですが・・・・・・・

その味がいつもと違う・・・・・・・いや、料理はいつもと同じだし、味が変わるはずもないのに・・・・・・・なん
だか変だなぁ・・・・・・と思っていたのですが・・・・・・・

数日後、私は自身の味覚が変わってきたのだと分かりました。

いつも、本やDVDを見ながら、セコイ根性でセコイ事をあれこれ考えながら食事していたので、その食
事の本来の味が分かっていなかったのです。

40年、食事の味を十分に味わう事なく生きてきたわけです。

何気ない普通の味噌汁や菜っ葉のおひたしなどが、ホントに優しく懐かしい・・・・・・豊かな味わいに満ち
ている・・・・・・・・

 『 こんなに美味い事に気付かずにいたのか・・・・・・・ 』

すっかり頭は白くなり、脳ミソのHDD容量は激減し、体もすっかり衰え、歯はガタガタ、元気だった
ナニ( 往かせた女は5万人~♪ )も今は昔の話・・・・・・・・・・

アッと言う間に歳を取った「 浦島太郎 」の気分でした・・・・・・・・。

これが人生の味わいと言ったものなのでしょうか・・・・・・・・

古い映画で「 お茶漬けの味 」とか「 秋刀魚の味 」なんて映画がありましたが・・・・・・・・

きっと、似たような味わいなんだと思います。

私の場合は「 おひたしの味 」でしょうか・・・・・・・・


ところで・・・・・・・・

上の写真にあるミカン農園ですが・・・・・・・・

ここのオーナーさんとは親しくしていて、よく食事に招かれたりパーティーに呼ばれたりします。

実は、私が暮らすこの自宅の建築時に2ヵ月も完成が遅れ、住む場所に困っていた事があったのです
が・・・・・・・。

その時に、快くこのオーナーさんが自宅の一部を私たちに無償で貸してくれました。

いくら親しい友人とは言っても、他人( それも夫婦 )を自宅の一部へ1ヵ月も無償で居候させてくれ
る人は少ないと思います。

それを、ニコニコと私たちを迎えてくれたわけです。( ホントにニコニコと嬉しそうに! )

60歳を過ぎたこの農園主さんと、その奥さんに年頃の娘さんが二人、まるで絵に描いた様な穏やかで
優しい家族です。( もちろん、普通の家族としての細々した問題はあると思いますが )

晩御飯もよく作ってくれる時がありましたが・・・・・・・・

その料理は、ごく普通の家庭料理なのですが・・・・・・・・・・・他と何も変わった所はないのですが・・・・・・・
・・・・・・特別高価な料理というわけでもないのですが・・・・・・・何故か、やたらと美味い。

不思議な話ですが・・・・・・・・・・・

食事を作ってくれる人の、その人柄や優しさで味が変わってくるものの様です。

この微妙な味の違いは、漫画家に成る事で頭がいっぱいだった若い頃には、まったく分からなかったの
です・・・・・・・・。

小さな器の中に盛られているものが・・・・・・・

温かい真心だということが・・・・・・・・



             「 漫画家アシスタント移住物語 こりゃタイ編 その14 」 へつづく・・・・


             ( 月一連載を目指していますが、無理だと思います )


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