漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 古い話で章 その14

2014年02月24日 10時02分13秒 | 漫画家志望

 ( この写真は、私が通勤で利用している武蔵浦和駅で写したものです。 中央に写っている白い点が、朝の半月
  です。 時間は7時過ぎだと思いますが、ホームで長い行列に並んでいる時に、ふと見上げるた時の風景です・・
  ・・・・《 2014年、1月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その14
 
 
     《 漫画家アシスタントが・・・・長年の疑問をぶつける・・・・!? 》


何年漫画を描いたら漫画家に成れるのか・・・・・?

そんな事は誰にも分からない。

高校生でデビューする人や、18歳で連載漫画を描く人もいる。

私の様に40年、漫画に関わっても漫画家に成れないドジもいる。

私にとって個人的に重要なテーマは、どうやったら連載漫画を取れるか・・・・・という問題なの
ですが・・・・・・・・

つまり、デビューする事は、そんなに難しくはないのですが・・・・・・・・連載漫画を持つこと
( 漫画家に成る事 )は、結構、難しいのです。

デビュー作を描く延長線上に連載漫画があるのではなく、デビュー作よりも一段高いレベルが要求
されるからです。

私の長年の疑問は、この「 一段高いレベル 」とは、何なのか・・・・・・・・というものでした。

もちろん、それは、人によっては様々な解釈があるかと思いますが・・・・・・・・・
 
 
去年(2013年)の暮、私はある漫画関係の忘年会から、お誘いを受けて出かけたのです・・・・・・
 
その時に、一人の漫画家に紹介されました・・・・・・それが、少年○ャンプで有名なプロレス漫画
を連載していた人物、私より5歳若いS先生でした。( 氏の功績で出版社の社屋が一つ増えたとの噂も
ある )

ドリフターズの高木ブーが気持ち良さそうにウクレレを弾いている様な感じの人。

せっかく紹介されても、初対面の人に何を喋ったらよいのか分からないし、ただでさえコミュニケー
ション不足で話ベタな私ですので、一瞬・・・・・・沈黙が続くわけです・・・・・・・・・・・・

 「 こちらが、J先生( ※参照 )のところでアシスタントをしているYさんです 」

と、紹介してもらったのですが、S先生、まったく興味が無さそう・・・・・・

さらに・・・・・・

 「 『 漫画家アシスタント物語 』というブログをやっていて・・・・・・ 」

と紹介を続けても、まったく興味が無さそう・・・・・・( 当然だ )

私の様な万年アシスタントを大御所とも言える漫画家先生に紹介するのも大変だったろうとは思い
ますが・・・・・・・・・
 
私は、長年疑問だった事・・・・・・
 
 『 デビューしてから連載をもらうために必要なこと 』
 
この疑問を、率直に訊いてみたい衝動にかられました。
 
 「 私は、デビューしてから30年近く・・・・・結局、連載は取れませんでした・・・・・ 」
 
と、前置きしてから・・・・・・・
 
 「 先生がデビューした後で、連載をもらう事ができたのは、なぜでしょうか? 」

急に質問された事に戸惑われたのか、すぐには返事をされません・・・・・・・

そこで、私は、ちょっと失礼かな・・・・・・・と思いつつも、どうせ、一期一会のチャンスだと
思って・・・・・・

 「 運が良かっただけなのか・・・・・・・それとも、よほど優れた才能にあふれて
  いたのか・・・・・・? 」

・・・・・と、S先生を見つめます。

黙っている先生でも、「 運が良かっただけ 」という言葉には、きっと反応してくれるだろうと思
ったのですが、さすがにちょっと失礼だったか・・・・・・・・・・
 
 「 運じゃないです 」
 
・・・・・と、キッパリ返答。
 
 「 運じゃないですね。連載を始めた時は、まだ19歳位で何も分かりませんでしたから・・
  ・・・・・ 」
 
そして、最も印象深い一言が続きます・・・・・・・
 
 「 楽しかっただけですよ 」
 
ニコニコと笑顔をみせながら・・・・・・

 「 楽しくて夢中で描いていただけですよ 」

私は、とっさにバカにされているんじゃないかと思いましたが・・・・・・・

よく考えてみれば、苦しみながら描き続けた私と、「 楽しかった 」というS先生との違いは明白
です。

ただ・・・・・・・

19歳で、「 先生、面白いです、もっと描いて下さい! 」と一流雑誌社から連載を依頼されて、楽
しくなかったら精神に異常があると言わざる得ないでしょう。
 
 
さて・・・・・・・
 
次回は、18歳、19歳の倉さん( ※参照 )がどの様にして漫画道を歩んで行ったのか・・・・・・・
・・・また、歩めなかったのか・・・・・・・そんなお話をしたいと思います。
 
 
 
       「 漫画家アシスタント 古い話で章 その15 」( 3月1日以降公開 ) へつづく・・・・


            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その13」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊誌同時連
  載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
 ・倉さん・・・・・・・・北九州の小倉生まれ。14歳の時に広島へ転居。1969年に17歳でJ先生
  に弟子入り後、52歳までアシスタントを務めた。現在61歳、東京練馬区石神井在住。
 
 
 
 

 
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   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
   
 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
 
 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
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漫画家アシスタント 古い話で章 その13

2014年02月14日 14時19分01秒 | 漫画家アシスタント

 ( この写真は、Jプロのあるマンション近くから撮影した目白通りです。 秋には見事なイチョウ並木も、今
  は冬枯れていて、ちょっと寂しい風景です。・・・・・・《 2014年、2月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                   その13


    《 漫画家アシスタントが・・・・異例な評価を受ける・・・・!? 》


これは、倉さん( ※参照 )がJプロ( ※参照 )に来てから少し経った頃のことです・・・・・

J先生( ※参照 )の仕事場は、6畳ほどの部屋で、窓の前にデスクが置かれ、その周りを本棚が
囲んでいました。

いつもの様にキャラクターの描かれた原稿を先生から受け取って、それをアシスタントが待
機しているアパートへ運ぶのですが・・・・・・・

先生から原稿を受け取った時に・・・・・

ふと、見上げると・・・・・

先生の部屋の窓の上・・・・・つまり、先生のデスクの上・・・・・・・天井近くの壁に小
さな紙が貼り付けてある事に気が付きました。
 
倉さんは、じっとその紙を見つめます・・・・・・・・・・
 
それは、薄黄色くなった一枚のハガキです・・・・・・・・・何か、絵の様なものが描かれ
ているのですが、その絵には、ハッキリとした見覚えがあります・・・・・・・・
 
 「 あ、ああああ・・・・・・・・・・! 」
 
倉さんが思わず声をもらすと・・・・・・・先生がニヤリと笑います・・・・・・・・・・
 
ハガキは、以前、倉さんが先生に出したファンレターだったのです。それも4コマ漫画を描い
たものです。

確かに・・・・・見間違いではない・・・・・・・本当に自分の4コマ漫画が先生の部屋の壁、
それも、先生のデスクの真上にしっかりと貼られている・・・・・!

倉さんが驚いて、思わず「 あああああ! 」と声をもらすのも無理はありません。

当時、倉さんは、仕事にもまだ慣れていないし、背景画の実力を先生に認めてもらってもいま
せんでした。

時には、先生から「 この原稿は、おめィ~は描くんじゃねェぞ! 」と、特に大切なシーンを
描いたページには、手を触れる事さえ禁じられるほどでした。

もっとも、以前、禁じられていたページに手を入れてしまい、先生に怒られたこともあったの
ですが・・・・・・・・・・それは、ともかく・・・・・・・・・・

スタッフの中でも画力はイマイチだし、特に先生が警戒していた存在だったのに・・・・・・
・・・・その倉さんの絵を・・・・・・・いったい何故?

先生は、倉さんが高校生の時に描いた4コマ漫画を高く評価してくれているのか・・・・・?

しかし・・・・・・・ニヤリと笑った先生の目はクールでした・・・・・・・

 「 あんまりつまらねィ~んで、飾ってあるんだよ! 」

それにしても、あの変わり者のJ先生が・・・・・・・どんな漫画家の絵さえ、ただの一枚だっ
て飾る様な事など絶対にしない先生が・・・・・・・
 
その4コマ漫画がどんな漫画だったのか・・・・・・・とても興味深い4コマ漫画ですが・・・
・・・・残念ながら、そのハガキは現存しません・・・・・・・。

しかし、当時の4コマ漫画がどんな作品だったかは、倉さんがよく覚えていました。

それは・・・・・・・

こんな感じの4コマ漫画だったそうです・・・・・・

 1、寒いので、子供が古くなったストーブを出して来る。

 2、そのストーブを点火する。

 3、ストーブが爆発する。

 4、「 あ、寿命だ 」( スミだらけになった少年 )

先生は笑いながら・・・・・・・

 「 本当にくだらねィ~~よ! 」

 「 ・・・・・・・・・・・・?! 」

 「 よくも、こんなつまらねィ~~もの描きやがって! だから飾ってあるんだよ! 」

茫然とする倉さん・・・・・・・ただ、苦笑いするだけで、言葉が出ません・・・・・・・

 「 これだぜ! これだけつまらねィ~ものはねィ~~ッ! 」

 「 ・・・・・・・・・・・・・・ 」(汗)

 「 これを目指せ! 」

そんなこと言われても、何をど~したら良いのか分からない18歳の倉さんでした。
 
 
 
      「 漫画家アシスタント 古い話で章 その14 」( 2月20日以降公開 ) へつづく・・・・
 

           ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その12」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・倉さん・・・・・・・・北九州の小倉生まれ。14歳の時に広島へ転居。1969年に17歳でJ先生
  に弟子入り後、52歳までアシスタントを務めた。現在61歳、東京練馬区石神井在住。
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。1970年前後に東京新宿区中落合にあったマン
  ションの一室。当時は、J先生専用の仕事場で、アシスタントたちは、違うアパートで仕
  事をしていました。
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊誌同時連
  載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
 
 
 
 

 
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   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
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漫画家アシスタント 古い話で章 その12

2014年02月03日 23時51分44秒 | 漫画

 ( この写真は、JR池袋メトロポリタン改札口の写真です。 いつも、この改札口から出て、目白通りの
  仕事場へ歩いて向かっております。 中央の塔の様なものは、池袋の北にある清掃局の煙突です。普段
  は煙を見る事は出来ませんが、深夜、モクモクと煙を出しているのを稀に見る事が出来ます・・・・・
  《 2014年、1月、撮影 》 )
 
 
  【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                  その12


  《 漫画家アシスタントが・・・・バイト女性をナンパする・・・・!? 》


1971年頃のJプロ( ※参照 )は、大変忙しい時期で、週刊誌の連載だけで3誌以上ありました。

前回、お話しした様にマスコミでもJ先生( ※参照 )が話題になっていたのです。

さすがに超多忙な中で、J先生は本を読んで勉強する時間がまるでなくなっていました。

毎週の連載をこなすだけで精一杯、まったくプライベートな時間すらままならないのに、勉
強する時間なんて全然ないわけです・・・・・

そこで、自分が読みたいと思っている本を朗読してもらい、それをテープに録音し、仕事を
しながらそのテープを聞くという勉強法をとっていました。

本を朗読してもらうのは、アルバイトの若い女性に頼んでいたのです。

20歳ほどの若いOLに流行りの小説やエッセーなどを朗読してもらう・・・・・・・そこで、
先生の仕事場に時々、彼女が顔を出すのですが・・・・・・・・

その可愛らしい女性に惹かれてしまったのが倉さん( ※参照 )でした。

若さ故か、度胸があるのか・・・・・・・・倉さんは、『 ダメで元々! 』と、女性に声を
かけます・・・・・・・・・・

 「 今度、映画でも観に行きませんか? 」

この時、倉さんは、18歳前後でしたから、相手の女性は明らかに年上です。

それも、J先生に小説を朗読している人です・・・・・!

普通なら絶対無理なんじゃないかと思うのですが・・・・・・いや、私もこの話を聞いた
時には、なんて無謀な・・・・・・とか思いましたが・・・・・・・・・・

彼女は・・・・・・

 「 はい。イイですよ~! 」

・・・・・と、軽くOKしてくれたそうです。

ちなみに、このお付き合いは、半年ほどは続いたそうです・・・・・・・・。
 
 
さて、倉さんの調子のよい話をもう一つ・・・・・・・・
 
ある時、倉さんが広島から東京へ出発する日( 1969年、倉さんが高校3年生の時 )に、駅ま
で見送りに来てくれた友人の一人が、東京で仕事をしていたのですが、その友人から突然、
連絡をもらったのです。
 
 「 広島のおじさんが亡くなったよ! 」
 
「 おじさん 」というのは、倉さんが高校生だった頃に、友人共々お世話になった近所に
住む「 おじさん 」の事ですが・・・・・・・

倉さんは、友人が哀しそうに告げる言葉に「 え、そうか亡くなったのか・・・・ 」と答
えるだけです・・・・・・・・
 
 「 広島へ帰ろうよ、倉ちゃん、俺と一緒に広島へ帰ろうよ! 」
 
 「 え~~~?! い、いや・・・・・・俺は仕事があるし・・・・・・・・ 」
 
・・・・と、断るつもりだったのですが・・・・・・・・
 
 「 何言ってるんだよ! お世話になったおじさんじゃないか! 」

『 お世話になった 』と言われても、倉さんにとっては、命の恩人とか、深いお付き合い
のある人物というわけではありません。
 
つまり、仕事を休んで広島に帰らなくてはならないほどの事とは思えなかったわけです。
 
しかし・・・・
 
 「 帰ろうよ! 別れの挨拶はしなくちゃ! 絶対に帰らなくちゃダメだよ! 」
 
・・・・そう説得されて、仕方なく・・・・・・広島へ帰る事に決めたのですが・・・・
・・・・

毎週、ギッシリと連載が詰まっている状態で、自分だけ休みをもらう事に後ろめたさを
感じつつも・・・・・・・・先生に恐る々々・・・・・・・・休みをいただこうと・・・
・・・・・・・・・
 
先生の仕事場の緊張感を、その日は特にヒシヒシと感じつつも、勇気を出して先生に向
かいます・・・・・・・・
 
 「 先生・・・・ 」
 
 「 う・・・・・・ 」
 
 「 身内に不幸がありまして・・・・・・ 」
 
 「 う・・・・・・ 」
 
 「 叔父さん(?)が急に亡くなりまして・・・・・・ 」
 
 「 う・・・・・・・ 」

 「 お・・・・お休みを・・・・・・ 」
 
 「 ん~・・・・・・ 」(了承の意)
 
 「 え!? 」
 
 「 いいよ、俺ィも丁度、仕事を少し休みたいと思ってたんだ 」
 
 「 ・・・・はい 」
 
 「 3日休もう・・・・・・おめィもゆっくりして来い 」
 
 「 あ・・・・ありがとうございます! 」
 
ここで、さらに倉さんは、追加のお願いをするのです・・・・!( 私には、とても真似
できません! )

 「 先生、俺、黒い背広なんて持ってないんで・・・・・・その~背広を~・・
   ・・・・・・ 」

 「 そか・・・・・・おめィ持ってねィ~のか、んじゃ貸してやるよ 」

先生から黒い礼服を一式借りて広島へ向かう倉さん・・・・・・・・広島へ着いて服を
着替える時に驚きます・・・・・・・・・・

なんと、黒い背広のポケットには5万円( 40年前のサラリーマンの月収とほぼ同額 )が入
っていたのです!

 『 これで、香典代も交通費も食費もお小遣いもまかなえる! 』

先生への感謝の気持ちでいっぱいです・・・・・・・そして、同時に、ホクホクと嬉し
くてた
まらない倉さん。
 
ニヤニヤしない様に注意して葬儀場へ向かうのでした。
 
 
 
     「 漫画家アシスタント 古い話で章 その13 」( 2月10日以降公開 ) へつづく・・・・
 

          ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その11」へ戻る 】

 
 
 
 
  【 ※参照 】
 ・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。1970年前後に東京新宿区中落合にあったマン
  ションの一室。当時は、J先生専用の仕事場で、アシスタントたちは、違うアパートで仕
  事をしていました。
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊誌同時連
  載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2013年現在、70歳。1969年当時は26歳。
 ・倉さん・・・・・・・・北九州の小倉生まれ。14歳の時に広島へ転居。1969年に17歳でJ先生
  に弟子入り後、52歳までアシスタントを務めた。現在61歳、東京練馬区石神井在住。
 
 
 
 

 
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 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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