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『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想333  眩(くらら)

2023-10-30 14:38:45 | 小説(日本)

著者  : 朝井まかて

生年  : 1959年

出身地 : 大阪府

出版年 : 2016年

出版社 : (株)新潮社

これは葛飾北斎の娘お栄の話である。お栄は幼児のころから北斎に抱かれて北斎の画業の一部始終を見て育った。お栄も晩年には葛飾応為という名前を自作の絵につけている。お栄は北斎が90歳で亡くなるまで北斎工房の助手として北斎の浮世絵の背景や下地部分などを描いている。これはお栄の物語であると同時に北斎の物語でもある。後年お栄も北斎に劣らない天才浮世絵師と呼ばれるようになる。お栄の代表作「吉原格子先之図」は表紙の絵である。ありきたりの浮世絵ではなく斬新な構図で見る者を魅了する。お栄は絵が何よりも好きで絵の下手な浮世絵師の亭主を馬鹿にしてすぐに実家に戻ってきて絵一筋に生きる。北斎のエピソードとして面白いのは富岳36景が描かれた所以だ。大火で江戸の版元も版木を失い倒産の危機に瀕していた。その時北斎の富岳36景を印刷販売することで、版元も北斎も危機を脱したのだ。地方から江戸に来た人のおみやげとして富岳36景の浮世絵が大ヒットした。また地方の富豪が北斎を招いて絵をかかせてくれたり、絵の教授をさせてくれたり、絵を購入してくれたり、パトロンになってくれる人が出てくる。お栄の晩年にもそういう地方のパトロンがいてお栄も世話になっている。地方の富豪が文化交流の場を作っている。出島のオランダ人の依頼で遠近法を修得し、生かしている。江戸時代の後期、幕末にかかるが、豊な文化が花開いているようすがうかがえる。

お栄の物語はテレビドラマにもなっている。ぜひ絵を見に行こう。


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読書感想332  白光

2023-10-30 13:21:11 | 小説(日本)

朝井まかて 白光の画像

著者  : 朝井まかて

生年  : 1959年

出身地 : 大阪府

出版年 : 2021年

出版社 : (株)文藝春秋

これは日本初の女性の西洋画家であり、ロシア正教のイコン(聖像)画家だった山下りんを描いた小説である。山下りんは明治維新で版籍を失った笠間藩の貧乏士族の家に生まれた。藩のしばりがなくなり、絵で身を立てるべく東京に出奔する。第1回目の出奔は失敗に笠間に連れ戻される。第2回目は実家の許しも得て東京で絵を学ぼうとしつつ、師匠とあわず数回師匠を変えることになる。そうしたなか、西洋画を学ぶ機会が訪れる。南画を学んでいた師匠中丸精十郎の紹介で新しく設立された工部美術学校を受験し合格する。そこで初めてイタリア人の教師から西洋画の手ほどきを受ける。工部美術学校の月謝も旧藩主の牧野家から援助されて順風満帆にみえたが、もっと西洋画を学びたい一心で、神田駿河台のロシア正教会の門をたたく。そこで多くの西洋画を見て雰囲気にも魅了され信者になる。そして日本にロシア正教を伝道したニコライ神父の命を受けて、ペテルブルグの女子修道院に留学することになる。日本の信者のために日本人の画家がイコンを描く必要があるとニコライ神父は考えたのだ。5年間の女子修道院での留学の予定が2年で帰国することになる。西洋画の修得か信仰のためのイコンかというジレンマになやむことになる。エルミタージュ美術館のルネッサンス期の絵画と女子修道院での暗いイコンとの違いのなかで、心は前者に体は後者に従わざるを得ない立場で、りんは健康を害していく。帰国後も西洋絵画か信仰かという問題からいったんロシア正教会から離れるが、信仰を再確認してもどることになり、以後はイコン画家として生涯を全うする。

明治時代に日本のキリスト教徒の大多数は北海道、東北各地で布教したニコライ神父の力もあってロシア正教会に属していた。ニコライ神父は1861年に函館に到着し、日本語を完璧に話し、日本の習俗、神も大事にした。ロシアからの多額の援助によってロシア正教会は成り立っていた。それがロシア革命により本国ロシアで禁止され、修道院の修道士、修道女9万人以上粛清された。

そんな時代を山下りんは生きたのだ。1857年から1939年まで。山下りんの作品をぜひ見たい。


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