『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想244  ゴンチャローフ日本渡航記

2018-09-19 20:58:28 | 旅行記

 ゴンチャローフ日本渡航記

読書感想244  ゴンチャローフ日本渡航記

著者      イワン・アレクサンドロヴィッチ・

        ゴンチャローフ

出身国     ロシア

生没年     1812年~1891年

出版年     1858年 「フリゲート艦パルラダ号」

邦訳出版年   1969年 上記の日本関連部分のみ

            「ゴンチャローフ日本渡航記」

再出版年    2008年 上記のうち「小笠原諸島」「日本

におけるロシア人」「日本におけ

るロシア人」「琉球諸島」の4章

で構成

翻訳者    高野明  島田陽

☆☆感想☆☆

 本書は、幕末に長崎に来航したプチャーチン提督の秘書官として同行した作家のゴンチャローフが長崎や小笠原諸島、琉球諸島の風俗や、幕府の役人とのやりとりを生き生きと描いた本である。

 プチャーチンはアメリカ合衆国のペリー提督が日本を開国させるべく出発するという情報を得たロシアのニコライ一世の命で4隻の軍艦で日本へ向かい、1853年8月にペリーに遅れること1か月半で長崎に到着した。平和的な交渉をせよというロシア政府の方針に従って、長崎奉行、そして江戸から来た幕府全権との交渉を行い、他国と同一条件で条約を締結するという約束を得て、1854年2月に長崎から退去した。クリミア戦争が始まっていたため、ロシアの沿海州で3隻の軍艦はイギリス艦隊に備え、旗艦パルラダ号は老朽化のため破棄し、本国から回航したディアナ号にプチャーチン提督は乗って再び日本へ向かった。著者のゴンチャローフはこの沿海州でプチャーチン一行と別れた。それで本書の内容も長崎から退去して琉球諸島を巡る所までになっている。

 小笠原諸島や琉球諸島の自然や人々との交流も貴重な歴史的な証言になっているが、やはり鎖国の長崎に乗り込んできてからの幕府の役人たちとのやりとりが面白い。ロシア側は長崎奉行との面会を求めるが、幕府の役人はまず長崎奉行、老中、将軍、帝にお伺いをたてなければ何もできないと言ってロシア側を何か月も長崎湾の一角に閉じ込めて諦めさせようとする。それでいながら連日たくさんの役人がいろいろな人を連れて軍艦に乗り込んできて、見物して質問ぜめにし、果実酒やキャンディー、ビスケットのご馳走に預かる。食料の購入を申し入れると、通商が禁止されているので、出島のオランダ人から購入する形をとらせられる。また、奉行や全権と面談する運びになったときも、軍艦から運んだ椅子をそのつど持ち帰ってくれと言われる。破損したり、盗まれたりすると責任問題になるからと言う。贈り物もそうだ。外国人からもらったことがわかると罰せられるので、引き取ってくれと言って来る。手続きと封建的な身分制度の儀礼を重要視しながらも、日本人の好奇心が随所に顔をのぞかせる。長崎奉行との面談に際してロシア側の護衛兵の人数を厳しく制限しながら、軍楽隊には全く制限を設けようとしない。著者は日本人が音楽を聞きたいからだと推測している。また、交渉相手の日本人の印象についても親しい知人のように描いている。特にオランダ語通詞たちとは親しくなり、それぞれの通詞の性格や気の毒な境遇についても観察している。有名な通詞の森山栄之助について、英語は少ししか話さないが聴く方はほとんどわかり、フランス語も習っていて、オランダ語が達者だといい、頭の良さが際立っていると印象を語っている。栄之助にロシアに行きたくないかと聞くと、世界一周したいと吐露する。しかし全権が到着し正式の晩餐会のときには通詞は床に平伏したまま、全権が与える食事のかけらを床の上で食べている。また、幕府から待たされ退屈したロシア側がボートで長崎湾や外海に出ると、監視役の小舟が追い付けず、尾行ができないからボートで漕ぎ出さないでくれとかいってくる。交渉がはじまり、幕府の全権にたいしては好印象をもつ。筒井政憲は温厚で行き届いた人物として、また交渉を取り仕切った川路聖謨の怜悧さにも感心している。

いままで歴史小説を読んで幕末の日露交渉史を知っていたが、実際の目撃証言の迫力、面白さにはかなわない。本当に楽しい読書体験になった。


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