読書感想119 悲しみのマリア
著者 熊谷敬太郎
生年 1946年
出版年月日 2014年2月25日
出版社 NHK出版
感想
これは実在のモデルを小説にしたものである。そのモデルは「きよせの森総合病院」の理事長である武谷ピニロピ医師。本書の中の写真も武谷ピニロピ医師やその関係の写真である。本書の中では武谷ピニロピはマリアという名前で登場する。
マリア・ミリューコフは1919年の冬ウラジオストックからハルピンへ向かう列車の中で生を受けた。父親は帝政ロシアのニコライ2世の侍従武官をつとめた海軍大佐で、東シベリアで反革命政権を樹立しようと白衛軍を指揮していたが、形勢が思わしくなく家族を安全なハルピンに避難させたのだった。マリアが8歳のとき父親のミリューコフ大佐は共に革命軍と闘った日本陸軍の安藤大尉を頼って日本への亡命を決意した。ロシア革命の動乱の中で大佐は4人の子供を失っていた。生き残った子供はマリアだけだった。
日本語がほとんどわからないマリアは、会津の小学校4年に編入が許された。
マリアの苦労はハルピンでのものが一番大きいだろう。父親は常に不在、母親が亡命申請に日本に渡った1年間はたった2人きりの弟と分かれて女子修道院に預けられた。そうこうするうちに、弟は亡くなってしまった。
医者の鑑ともいうべき人に自らを鍛え上げた、素晴しい人である。マリアを温かく包んだ会津の人々。会津育英会は、無国籍者の白系ロシア人の娘の東京女子医専への進学を経済的に支援してくれた。周りの温かい支えにマリアも期待に応えた。現実に生きている、このマリアのように素晴しい人は、当然少数かもしれないが、意外とたくさんいるのではないかと思う。