花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

お疲れ気味の御方へ│呼牛喚馬

2021-04-15 | アート・文化


飽諳世味、一任覆雨翻雲、総慵開眼。会尽人情、随教呼牛喚馬、只是点頭。
(後集│「菜根譚」, p194)
世味を飽き諳(そら)んずれば、覆雨翻雲(ふくうほんうん)に一任して、総て眼を開くに慵(ものう)し。人情を会(え)し尽くせば、牛と呼び馬と喚ぶに随教して、只だ是れ点頭するのみ。

世間の酸いも甘いも苦いも辛いもうんざりするほど味おうたら、天気の様にころころと変わる世態人情は深入りせんと拱手傍観してたらよろし。いちいち言挙げするのもかったるいし。見るべきほどの事は見てしもうたなら、ひとが牛よと呼べば牛、馬よと言うなら今度は馬で、それで宜しいがな。ほんまに仰せの通りやなあと頷いときなはれ。(拙訳)

昔者、子呼我牛也、而謂之牛、呼我馬也、而謂之馬。苟其有實、人與之名而弗受、受其殃。
昔者(きのう)は、子、我を牛と呼べば、而ちこれを牛と謂い、我を馬と呼べば、而ちこれを馬と謂わん。苟くも其の実有りて、人これに名を與えて受けざれば、再(よ)りて其の殃(わざわい)を受けん。
(天道篇 第十三│「荘子 第二冊 外篇」, p168-171)

参考資料:
洪応明著, 呉言生訳注:禅境叢書「菜根譚」, 上海古籍出版, 2016
金谷治訳注:岩波文庫「荘子 第二冊 外篇」, 岩波書店, 2012

生きとし生けるもの

2021-04-11 | 日記・エッセイ


先の白氏文集「惜牡丹花二首」で、其一は夕暮れ時、明日には散るにちがいない名残の残花を愁い、其二は風雨の裏、泥土に散る落花を惜しむ。はや満開を過ぎ凋落の気配が漂う牡丹の花、かたや花のかたちを辞し濡れ落ちゆく花弁の風情である。花の色は移りにけりなと詠まれた様に、いずれの花も盛りを極めた後は色褪せて散るが自明である。花と人と其処にどれ程の違いがあるだろう。

梶井基次郎著「桜の樹の下には」に描かれた桜の樹は、生きとし生けるものの強靭な生命謳歌を具現する。新緑の若芽を抱く樹々、春爛漫に咲き競う花々、彼等は粛々となんら躊躇うことなく、萎み崩れ衰え滅びゆくものから貪婪に収奪する。地上に美しく咲き誇る桜花一樹の諸相と“桜の樹の下には”に広がる泉下との間の、絶え間のない平衡こそが生々流転、諸行無常のダイナミズムである。ひとつの生命が窮まった果てを厳粛に現した<九相図>は九相で終わる。されど、余冬を送り尽くして春又た至る。紛うことなく最後の焼相からは、また新たな芽吹きが立ち起こる。

牡丹散りて│白居易「惜牡丹花二首」

2021-04-08 | アート・文化


惜牡丹花二首  白居易

  其一 翰林院北庁花下作
惆悵階前紅牡丹、晩来唯有両枝残。
明朝風起應吹盡、夜惜衰紅把火看。

惆悵(ちょうちょう)す 階前の紅牡丹
晩来 唯だ両枝の残れる有り。
明朝風起らば 應に吹き盡くすべし
夜 衰紅を惜みて 火を把りて看る

  其二 新昌竇給事宅南亭花下作
寂寞萎紅低向雨、離披破豔散隨風。
晴明落地犹惆悵、何况飄零泥土中。

寂寞(せきばく)たる委紅 低れて雨に向ひ
離披(りひ)たる破豔(はえん) 散りて風に隨ふ
清明 地に落つるも 猶ほ惆悵す
何ぞ況んや 泥土の中に飄零(ひょうれい)するをや
(惜牡丹花二首│岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 三」, p139-140, 明治書院, 1988)

   六条摂政かくれ侍りて後、植ゑ置きて
   侍りける牡丹の咲きて侍りけるを折りて、
   女房のもとより遣はして侍りければ
形見とてみれば嘆きのふかみ草なになかなかのにほひなるらん
     新古今和歌集・巻第八 哀傷歌   大宰大弍重家

ちりて後おもかげにたつぼたん哉
     夜半亭蕪村句集   蕪村