飽諳世味、一任覆雨翻雲、総慵開眼。会尽人情、随教呼牛喚馬、只是点頭。
(後集│「菜根譚」, p194)
世味を飽き諳(そら)んずれば、覆雨翻雲(ふくうほんうん)に一任して、総て眼を開くに慵(ものう)し。人情を会(え)し尽くせば、牛と呼び馬と喚ぶに随教して、只だ是れ点頭するのみ。
世間の酸いも甘いも苦いも辛いもうんざりするほど味おうたら、天気の様にころころと変わる世態人情は深入りせんと拱手傍観してたらよろし。いちいち言挙げするのもかったるいし。見るべきほどの事は見てしもうたなら、ひとが牛よと呼べば牛、馬よと言うなら今度は馬で、それで宜しいがな。ほんまに仰せの通りやなあと頷いときなはれ。(拙訳)
昔者、子呼我牛也、而謂之牛、呼我馬也、而謂之馬。苟其有實、人與之名而弗受、受其殃。
昔者(きのう)は、子、我を牛と呼べば、而ちこれを牛と謂い、我を馬と呼べば、而ちこれを馬と謂わん。苟くも其の実有りて、人これに名を與えて受けざれば、再(よ)りて其の殃(わざわい)を受けん。
(天道篇 第十三│「荘子 第二冊 外篇」, p168-171)
参考資料:
洪応明著, 呉言生訳注:禅境叢書「菜根譚」, 上海古籍出版, 2016
金谷治訳注:岩波文庫「荘子 第二冊 外篇」, 岩波書店, 2012