先の白氏文集「惜牡丹花二首」で、其一は夕暮れ時、明日には散るにちがいない名残の残花を愁い、其二は風雨の裏、泥土に散る落花を惜しむ。はや満開を過ぎ凋落の気配が漂う牡丹の花、かたや花のかたちを辞し濡れ落ちゆく花弁の風情である。花の色は移りにけりなと詠まれた様に、いずれの花も盛りを極めた後は色褪せて散るが自明である。花と人と其処にどれ程の違いがあるだろう。
梶井基次郎著「桜の樹の下には」に描かれた桜の樹は、生きとし生けるものの強靭な生命謳歌を具現する。新緑の若芽を抱く樹々、春爛漫に咲き競う花々、彼等は粛々となんら躊躇うことなく、萎み崩れ衰え滅びゆくものから貪婪に収奪する。地上に美しく咲き誇る桜花一樹の諸相と“桜の樹の下には”に広がる泉下との間の、絶え間のない平衡こそが生々流転、諸行無常のダイナミズムである。ひとつの生命が窮まった果てを厳粛に現した<九相図>は九相で終わる。されど、余冬を送り尽くして春又た至る。紛うことなく最後の焼相からは、また新たな芽吹きが立ち起こる。