花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

藤沢周平原作・映画「花のあと」

2020-11-28 | アート・文化


「その時の二の丸の花はいまもありありと目に残るほどじゃが、花は盛りというのに、それはそれはさびしい色じゃった。祖母(ばば)の花の季節も終わったせいであったろうかのう。そしてそれっきりもう花見には行かなんだ。」

2010年に公開された映画「花のあと」(監督:中西健二、敬称略、以下同文)の原作は、藤井周平著「花のあと-----以登女お物語」(1985)である。海坂藩、組頭五百石を務める武家の一人娘、寺井以登(北川恵子)は夕雲流の達人である父親の甚左衛門(國村隼)から剣術の指導を受けて、並みの男には引けをとらない腕を持つ。満開の桜の下で出逢った羽賀道場筆頭の遣い手、江口孫四郎(宮尾俊太郎)との手合わせを父に懇願し、真摯に立ち会ってくれた孫四郎に惹かれるが、許嫁、郡代片桐家の五男、才助(甲本雅裕)を迎える身を弁え思慕を封印する。
 やがて勘定組の三男であった孫四郎は、三百石の奏者番、内藤家の女婿となり家督を継ぐ。しかし妻が娘時代から密通する重臣、藤井勘解由(市川亀次郎、現・四代目市川猿之助)の謀略に落ち、江戸城内で恥辱を被り自裁する。事の真相を知った以登は藤井に詰問状を送り、奸臣藤井一党が返り討ちを計り待ち構える場に単身で乗り込む。そして手傷を負い長刀を失うも、終に無楽流居合達人の藤井を懐剣の一刺しで討ち果たす。

外道の姦計に落ちた藩内随一の剣士の予想だにしない悲報に接し、志同じく此道に切磋琢磨せし者として屈辱と義憤を抱き決起した以登は、助太刀を頼まず誰にも告げず、不義不忠の奸との闘いに挑む。何ら恐れることなく一味を斃しゆく以登の姿は、若気ならではの一途な無謀さに満ち満ちた“時分の花”を見せる。匂い立つような女丈夫が揮う精神一到の刃には、雪裏の梅華のごとき清冽な気迫がある。



冒頭の言葉は、今や祖母(ばば)様となり、孫達に若き日の恋物語を明朗快活に語ってみせる以登の述懐である(ナレーションは藤村志保)。いまだ世を知らない武家娘の生涯唯一度の恋は昔話となった。祖母になった姿は映画に現れないが、以登は七人の子供を育て伴侶を野辺送りし、武家の女としての生涯を全うする。原作では以登は美貌ではなかったとの無粋な設定である。さらに藤井が放った郎党三人との死闘もなく、かすり傷一つ負わず、藤井の刀が鞘走る寸前一息に懐剣で誅戮する。
 望めなかった嫡男の代わりに父親に竹刀を持たされて以来、「以登が父から学んだ剣は、打って打たせ、打たせて打つその一瞬の遅速の間に勝敗を賭ける攻撃の剣である。」との記述を見れば、これら単純直截、首尾一貫して無駄の無いドライでクールな行動原理が生来の性(さが)であり、さらに剣術の修練を経て鍛え抜かれたものなのだろう。さらに原作において「その折に、生まれて来たのが女子だとわかって、くやしさに男泣きに泣いたというのはわが父ながら怪しからぬ話よの、祖母の知ったことかや。」と孫達を前に啖呵をきる以登は、女大学でいいね!と推奨される女性像には程遠い。(なお「男泣きに泣いた」のくだりを映画では、女子と知った時に一瞬顔がこわばったとさりげなく母に語らせている。)

以登は万朶の桜の下で孫四郎と出会い、エンディングでは再び巡り来た桜花の季節を許嫁の才助とともに歩き行く。剣の道に青春を懸けた以登にとり“初恋の人の敵討”は栄えある終章となった。そして若き花が失せた後は、老骨に散らで残りし“眞の花”の人生を貫いたのである。



そして以登と好一対の、原作では些か影薄く記された才助が映画の中でみせる風貌が絶妙である。昼行燈とも称され大喰らいで温和な笑顔を絶やさない男は、孫四郎事件の真相探索を以登に依頼された後、様々な人脈から裏事情を引き出し、君側之奸が関わる賄賂汚職の全容を掴み、事件渦中の当事者の関係、背後にある動作原理を諄々と以登に説く。以登が探らんとする理由を尋ねた折には、一度立ち合って頂きましたとの返答に、そうだと思ったと普段の笑顔を返して帰りゆく。そして手傷を負った以登に迅速な手当を施し、人目につかない帰路を教え、藩の詮索が及ばぬ様に事の全始末をつける。これら一連の心習いと手腕は、藩の吏僚として中老やがては筆頭家老にまで登り詰めた男の端倪すべからざる本領を窺わせる。
 果し合いの場から遠ざかりゆく以登の後姿を静かに見守る才助の顔は、映画の中で唯一の万感こもる真顔である。それは恐らく終生、藩内の誰にも晒すことがなかった顔に違いない。

この才助は父親甚左衛門が婿にと見込んだ男であり、以登の生涯の守り刀となった。そしてもう一つの、祝言を控えた娘に武士の妻女の覚悟にとかつて授けた懐剣が、その後の果し合いでの一刀である。一礼し懐剣を抱いて居室を退く以登を座して見送る父親の眼には涙が浮かぶ。その背後にかかる掛軸は張継の《楓橋夜泊》である。甚左衛門は江戸詰めの折、夕雲流に傾倒するも上士の家職を棄て得ず、晩年名人と称されるも国元を留守にした空白に祟られ立身の道からは遠かった。そして原作にない登場人物、平藩士の二男に生まれた医家の永井宗庵(柄本明)と碁を打ち互いの来し方を想う場には、杜牧の《寄揚州韓綽判官》の勝手屏風が置かれている。秋が盡きて霜天に満ち、彼等も老木に残りし花を知る男達であった。


藤沢周平著:文春文庫「花のあと」, 文藝春秋, 2019