花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

花は盛りに月は隈なきを

2017-09-08 | 日記・エッセイ


私が末席に連なる華道大和未生流では、満開の花を生けることはない。この後、万朶の花咲き誇る時、散りゆく時は鑑賞者の心の内に委ねるのである。『徒然草』第百三十七段の冒頭、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほ、あはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。」の精神であり、日本の美意識における未完の美を知るからである。

また同じ開き具合の花を並べる事も良しとしない。動かぬもの、移りゆかぬものは生命のダイナミズムからは程遠い。生きとし生けるもののゆらぎ、不確実性を失わせた花は、花の色とかたちを借りただけの造形である。表面的には何も変わらない恒常性を維持する為に、生体内部ではひと時も止まることなく生々流転の変化が生じている。花を生けた者と花を見る鑑賞者が渾然一体となり、悠久の自然がその一刹那、深層を貫き流れゆく気配を感取することが出来なければ、例え色鮮やかにかたち面白く形作られていようとも、それは流派の生け花とは志向を異とするものである。