若い頃、学会発表を控えて京都駅から新幹線に乗り込む時、さあ出陣だという気負いを感じた。その様な感覚はもはや古い人間のものかもしれない。学会出張という数日間の非日常の中に降り立ち、東京の街中に溶け込めたつもりで何ら疎外感を抱くことはなかった。年経て拠ん所ない事情で、山手線沿線からほど近い東京の下町と京都の二重生活をすることになった時、単なる通りすがりではない形でそこで確かに生活していた筈だった。しかし、その土地で生活を営み暮らしを立てる人達に触れるとともに、かえって私の本当の居場所はここではないという思いが募り始めた。何処まで行ってもエトランゼだという思いを抱いたのは周りのせいではない、根無し草で揺れていた私の心のあり様の故であった。下に記した「不在証明の街」はその頃に書き留めた、取るに足らない私の心象風景である。
あの下町の街角にふたたび佇むことはもうこの先ないだろう。それははひとえに私が背負う事情が変わったからである。今も街路を彩っていた万朶の桜と赤い提灯の光景、街外れの小店で包んでもらった出来立ての豆乳の味を思い出すことができる。相容れぬと袂を分かった訳でもなく、それでもおのが人生を歩んで行く上で別れてゆかねばならない人も街もある。
「故あって今とある下町に滞在している。これが本年最後の東京生活となった。ここには広重の名所江戸百景に描かれた頃の文化の匂いが残っている。年末の商店街に足を運び、滞在日数に合わせた種類や量の食材だけを買う。立ち去る時には何も後に残さない。此処あそこで威勢のよい声が飛び交い、通りは正月準備の買い物客で溢れている。その頃此処には居ない、正月飾りとは無縁の身はただ眺めるだけの存在でしかない。何度か訪れると馴染みの店もできる。双方が忘れた頃に立ち寄るのだが、どうしていたかとか、また何処に帰るのかとか、野暮天の会話はない。別にこちらに聞かれてこまる事情がある訳ではないが、もし尋ねられたら話が長くなる。むこうは数ある中の一人にすぎない客を記憶の中から手繰り寄せて、忘れてないぜという風に笑顔を見せる。今年はお世話になりました、来年も宜しくと、年の瀬の言葉をかわして店を出る。
あんたは此処には居ねえよ、また京都に帰って元気にやりな。貰った不在証明を懐に大切にしまい、根無し草に水をくれた街を背に、私はふたたび地に帰ってゆく。」