母親という顔は肉付きの面の様に、いったんその身に貼りついたら幾つになっても二度と剥がれないらしい。近鉄三山木駅で京都行の電車を待っている時に、おかあさんという大きな声が後ろからした。一瞬、何故ここに来ているの、何か事件があったのだろうか、しかしこんなにまだ幼い声であったかしらと、整合のない色々な考えが一度に頭を巡り、そのまま立ちすくんでしまった。すぐに我に返って振り返ろうとした横を小さな子供がばたばたとすり抜けて、はるか向こうで微笑んでいる母親らしき女性の方へ駆けていった。診察室では涼しい顔を見せているが、ふいに街角で幼い泣き声に襲われると今も胸の深いところをむずと掴まれた様にこたえる。
以前にコンビニで配送を頼んだ時、若いお嬢さんがマニュアル通りに笑顔をみせながら一生懸命説明してくれた後で、俯いて配送票をせっせと書いていた。可愛らしい笑顔の後ろにひとりのお母さんが透けて見える。家から出かけた後、職場で皆に良くしていただいているだろうか、帰りが遅くなればとんでもない事に巻き込まれていやしないかと、何時も気の休まる暇がないに違いない。娘さんは今此処で元気に頑張っておられますよと、ぎこちない握りペンを見守りながら心のうちで声をかけている。
母とは何なのだろう。げにや人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは。子供が皆等しく見える眼は母になると共に何処か壊れている。例え自らの子供にどぼどぼと溺れ込んで頑迷な母親よと失笑を買うことがあっても、なんら非難される謂れはない。その闇こそが母親の勲章と反って胸を張ることさえできるのだ。伽羅先代萩の政岡の様な母親など、有り得ないから芝居になる。多くの母親が一同に会しても、他の多くの子供達の利益の為に自分の子供に不利益になることも甘んじて受け入れることができるか、という究極の問いに諾と答えることが出来ないのであれば、所詮、同床異夢の寄り合いから抜けることはできないだろう。さあ自分ならどうすると問うてみたけれど、いたって凡庸な母親の私には何処を探してもそのような胆力はないのであった。