花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

選択するは我にあり

2015-02-11 | 日記・エッセイ


ふたたび我が家の飼い犬まるである。一応、お手、お座り、伏せや待てなどは余裕で出来る。一連の決まり事として、ストップと言って停止、次にお顔と呼びかけてアイコンタクト、それができたらよしの指示を出して前進という順序も覚えた。だが必ずしもこれらのコマンドに何時も従うとは限らない。先日、夜の散歩に出掛けた時に、連れの家族が途中で停止させて次にお顔と呼びかけたところ、立ち止まったはものの、あらぬ方向をあちこち向いたまま一向に振り向かない。お顔、お顔と意地になって何度も呼び続ける家族には全く知らん顔である。どのような顔をしているのかと気になり、私が数メートル先に出てお顔と声をかけてみると、にかっと口を開けて笑った顔でこちらを見るではないか。聞こえていますけどという、まさしく確信犯の顔であった。

実は家に来てしばらく経った少年犬の頃に、プロのトレーナーの先生に家庭教師として半年間ほど来て頂いたことがある。先生が繰り出すどの様なコマンドも、すぐに覚えてきびきびと従った。お座りをして先生のお顔を見上げる時など、ぼく承っておりますという気迫を全身に漲らせている。御指導下にその場で真似してやらせて頂くと、こちらにも普段とはすっかり違う姿勢で従ってくれた。社交辞令のお気遣いとは思うが、本当にお利口さんですよと有難いお褒めの言葉まで頂戴した。ところが先生が授業を終えてお帰りになるやいなや、たちまち彼はお利口さんの犬から普段のまるに戻るのである。

あるテレビ番組で、犬はその時リードを持った人に対して、「この人の言うことはきかないとあかん」とか「こいつには適当に合わせといたらええのや」という風に相手の力量を瞬時に見抜きますと、犬の訓練士学校の校長先生がいみじくもおっしゃっていた。悪く言えば要するに足元を見られているのである。なれど組しやすしと笠にきて権勢症候群に陥ってしまったという風でもない。思うに気が置けないからこその家族ではないか。よく言えば家族の一員として我々に気を許し、リラックスしているのだと当方としては思いたい。「居住まいを絶えず正して努めさせて頂いておりますなんて、おたがい疲れるものね。」と話しかけてみたら、彼は心得た風に首をかしげ神妙な顔を見せるのである。そして今日も言語を超えた所で、不出来な飼い主一家と賢い飼い犬との腹の探り合いが続くのであった。

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