学会旅行で各地を訪れた時は必ずタクシーを利用する。何処の運転手さんもガイドブックなど比較にならない程の情報通で、現地の歴史、穴場や流行から個人的な武勇伝に至るまで、四方山話を聞かせて頂けるからである。もっとも運転手さんの中には、お尋ねしてもぶっきら棒な一言しか帰して下さらない御方もある。そのような時はひたすら運転のお邪魔にならぬよう、後部席で医師ならぬ石地蔵になる。
昨年、岡崎の京都国立博物館からの帰りに乗せて頂いた時の運転手さんは、乗車するお客さんは色々であるから普段から様々な分野の情報や知識を取り入れるべく努めているとおっしゃっていた。私の場合、日常診療の中で患者さんと交わす話は医療・医学関連の話がもっぱらである。だがお逢いする御方々は多岐に渡る経歴や人生経験をお持ちであり、接遇に際してこちらにもそれ相応の “仕込み”の下地が必要であると思うことは多い。
そのタクシーの中では紅葉狩から観梅に話題が飛び、紀内侍の鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事を教えて頂いた。最後に掲げたのがその「勅なれば」の歌である。また丁度ハナミズキの街路樹の横を過ぎた時に、乃木希典大将に捧げたマッカーサー元帥お手植えのハナミズキの話を申し上げたら、また次へと会話が進み、あっという間に車は京都駅に着いた。載せて頂いた運転手さん達は今日もまた、それぞれのホームグラウンドをお元気に走っておられるに違いない。
内より、人の家に侍りける紅梅をほらせ給ひけるに、鴬の巣くひて侍りければ、家あるじの女、まづかく奏せさせ侍ける
勅なればいともかしこし鴬の宿はと問はばいかがこたへむ
かく奏せさせければほらずなりにけり (拾遺和歌集 雑下)
勅なればいともかしこし鴬の宿はと問はばいかがこたへむ
かく奏せさせければほらずなりにけり (拾遺和歌集 雑下)