「宋の人、文天祥の詩とやら聞いた。ちょっと、おもしろい詩ではある」
「どうせ、すぐ忘れましょうが、舟の徒然つれづれにひとつお聞かせを」
「こういうのだ」
又太郎は低い声で詩を誦した。
忙裏、山、我ヲ看ル
閑中、我、山ヲ看ル
相似テ、不相似
忙ハ総テ、閑ニ不及
「ははあ。------なるほど」
「わかる」
「わかりませんな」
「では、山を見るがいい」
「されば、左には摂津の六甲、龍王岳。右には、生駒、金剛山のはるかまでが霞の中に」
「右馬介は、今、山を見ている」
「確かに」
「だが、あたふたと、忙裏に暮れている日には、山と人間の位置は逆になる」
「すると、どうなります」
「山が人間を眺めていよう」
「つまり、閑(しずか)であれば、人が山を見。忙しければ、人は山に見られているということなので」
「ま、そうだな。すべての忙は、閑には敵わぬとでもいっておこうか」
(あしかが帖 時ときの若鷹│「私本太平記(一)」, p46-47)
忙裏山看我 忙裏、山、我を看る
閑中我看山 閑中、我、山を看る
相似不相似 相似て、相似ず
忙総不及閑 忙は総(すべ)て、閑に及ばず
先の白居易<宿竹閣>の「忙應(応)不及閑」(忙は応(まさ)に閑に及ばざるべし。)と類似する句が「忙総不及閑」である。面妖なことに『私本太平記』と『宮本武蔵』の両書に挙げられた本詩の作者名が異なる。最期まで南宋に忠節を貫いた硬骨の英傑、文天祥作という『私本太平記』の一文を踏まえ、『全宋詩』、『文山先生全集』加えて『文天祥詩集校箋』を検索するも本詩やその詩句を見出せなかった。もしや大家、吉川英治御作なのか。
参考資料:
吉川英治著:吉川英治歴史文庫63「私本太平記(一)」, 講談社, 1990
吉川英治著:吉川英治歴史文庫17「宮本武蔵(四)」, 講談社, 2000
文天祥撰, 劉文源校箋:中国古典文学基本叢書「文天祥詩集校箋」、中華書局, 2017