花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

紅葉と楓をたずねて│其の三・能「龍田」

2016-10-18 | アート・文化


旅の僧の一行が大和から河内に通じる龍田越の道すがら、龍田の明神を詣拝すべく龍田川を渡ろうとすると、神巫の女が「龍田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなん」の古歌の心を思って渡るなと言う。紅葉の頃も時過ぎて薄氷が張っていると僧が申すと、今度は「龍田川紅葉を閉づる薄氷渡らばそれも中や絶えなん」という歌を挙げて重ねて戒める。その後、女は龍田の明神へと僧を導き、紅葉が神木である謂れを語り、龍田姫は我なりと名乗った後に社殿の内に姿を消す。その夜、僧が神前で通夜を勤めていると、龍田の神が忝くも顕形し給う。御神は瀧祭の御神の神徳をお告げになり、龍田の景勝を讃え国土の安寧を寿ぐ夜神楽を舞い給うた後、天にお帰りになったのである。
(『観世流大成版 龍田』廿四世宗家訂正著, 檜書店, 1952)

先の「六浦」では夏木立の如く一葉さえも紅葉しない常磐木の一本の楓であった。一方「龍田」では冬枯れの景色の中に紅葉が盛りなる一本の楓である。色は違えども、同じく「折ならで(時節でないのに)」の風情であり、人智を超えた理(ことわり)があることを表している。先の二首の歌は『古今和歌集』と藤原家隆の家集『壬二集』に納められていて、川を渡るために足を踏み入れたならば、秋には水の中を流れる紅葉の錦が断たれるであろう、そして今、冬の始めには、薄氷に閉じ込められた紅葉の錦がこれもまた断たれることになろうという意である。なお「薄氷」(うすらひ)は春の季語で、春浅き頃に薄く張った氷、または冬の名残の薄い氷を言う。『光琳絵本道知辺』中の「氷水」は、春風がわたって氷を解いた雪解け水の中を流れる紅葉である。

  題しらず     『古今和歌集』
龍田川紅葉みだれて流るめりわたらば錦なかや絶えなむ
この歌は、ある人、奈良の帝の御歌なりとなむ申す 

  建暦二年仙洞の二十首の歌奉りし中、冬の歌     『壬二集』
龍田川もみぢ葉とづる薄氷渡らじそれも中や絶えなむ 


(『光琳絵本道知辺』氷水 / 『日本文様類集-----光琳道しるべ編』, p34, 芸艸堂, 1975)

「龍田」における龍田川は単なる紅葉の名所ではない。俗界の此岸と神の鎮座まします禁足の彼岸の間にあって、結界のメタファーとしての紅葉の錦を流す龍田川である。人間界においても、師匠と弟子、玄人と素人、大人と子供等々、かつては越えることの出来ない一線が此処彼処にあったが、今日遍く境などあって無きに等しいボーダーレスの世となった。渡らぬ川はあっても渡れぬ川のない現代人にとり、深淵に臨んで薄氷を履むが如き隠忍自重など、不羈奔放であるべき行動の足枷となるアナクロニズム以外の何物でもないのだろう。渡ってはならぬ川を失った今、季節が幾度巡り来ても、もはや古人の眼に神さびて荘厳に照り映えていたであろう紅葉の錦はない。